『神』・・・「敗戦時の記憶 【その四】」

 長谷川三千子氏は『神やぶれたまはず』の結語として、玉音放送を聴いたときの国民が経験したシーンとした心の一瞬を「神人対晤」の瞬間であったと表現している。その一瞬、日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、相並んでホロコースト(いけにえを丸焼きにして神に捧げるユダヤ教における儀式〈燔祭〉)のたきぎの上に横たわっていた、というのである。
 これは聖書にある「イサク奉献」の話をモチーフにした比喩で、日米の戦争が一種の宗教戦争であったことを思えば適確な比喩であったと言えるだろう。
 アメリカの日本人に対する人種差別が昂じての憎悪の根源には、キリスト教の価値観が存在していた。つまり、キリスト教の神に、日本の神々が敗れた。

 歌人・折口信夫はその痛切な嘆きを次のように詠んでいる。


「神やぶれたまふ」

神こゝに 敗れたまひぬ─。
すさのをも おほくにぬしも
青垣の内つ御庭(ミニハ)の
宮出でゝ さすらひたまふ─。

くそ 嘔吐(タグリ) ゆまり流れて
蛆 蠅(ハヘ)の、集(タカ)り 群起(ムラダ)つ
直土(ヒタツチ)に─人は臥(コ)ひ伏し
青人草(アヲヒトグサ) すべて色なし─。

村も 野も 山も 一色(ヒトイロ)─
ひたすらに青みわたれど
たゞ虚し。青の一色
海 空もおなじ 青いろ─。



長谷川氏は『神やぶれたまはず』の第1章でこの詩を取り上げており、結語はこれに対するアンチテーゼとなっているのだ。
 もう一度引用しておく。

「…そしてそれは、橋川氏の言ふとほり『イエスの死にあたる意味』をもつ瞬間であった。折口信夫は、『神、やぶれたまふ』と言った。しかし、イエスの死によって、キリスト教の神が敗れたわけではないとすれば、われわれの神も、決して敗れはしなかった。大東亜戦争敗北の瞬間において、われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである。」


  確かわれわれに試練を与えたのは、キリスト教の、延いては聖書の神である。しかし、昭和天皇も含めて、われわれ日本人は聖書の神を奉じて、命懸けで戦ったわけではない。
 だから、これはどこまでも比喩である。
 比喩であるということは、当然のことながら、比喩と真実の間には、どうしても微妙なずれが生ずる。表現するのが難しいことがらであればあるほど、このずれは大きくなる。それはここにも当てはまる。
 長谷川氏もそれを意識してであろう、「われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである」と表現している。
 私が混乱するのは、ここに言う「われわれの神」というのがどういうものを指しているのかうまく想像できないからである。

 われわれの神とは本来八百万の神々を指し、一神教の絶対的存在としての、つまりゴッドとしての「神」は、支那におけるキリスト教宣教師による漢訳時の誤訳に端を発したものであって、われわれの神概念とは異なる。
 もし長谷川氏の「われわれの神」が日本古来の神概念を指すなら、ことさらにこれを得たという必要はないはずである。文脈からみて、これはわれわれにとってのイエス・キリストを得たと読める。
 ということは、われわれの神はついに聖書的・キリスト教的価値観との習合の時代を迎えた、ということになる。これには思い当たる節があって、われわれはこの事態とどう向き合ったらいいのだろう。


 『神やぶれたまはず』を読み終わった直後、なぜか山本七平の自叙伝的な著作『静かなる細き声』が気になり、実際に読んでみた。これはかつて古書店で購入したものの、まだ読んでいなかったものだ。
 そもそも日本人の敗戦経験に関心を抱くきっかけを与えてくれた言論人の一人が山本七平である。一時期、彼の著作を蒐集して、貪るように読んでいたことがある。今でも彼の古びた著作群は本棚の一角を大きく占めている。

 山本七平は、プロテスタントの両親の下に生まれた生まれつきのキリスト教徒である。父は内村鑑三の弟子。遠い親戚には、大逆事件で処刑された大石誠之助がいる。
 昭和十七年、二十歳の時に徴兵され、砲兵隊見習い士官としてルソン島に派遣され、ヲ絶な戦争を体験している。敗戦で奇跡的に生還。もちろんルソン島で敗戦を迎えたため、玉音放送は聴いていない。敗戦はアメリカ軍将校から伝えられた。
 昭和三十一年、聖書関係の著作物出版を目的とする山本書店を創立し、同四十五年、ユダヤ人と共同で執筆したイザヤ・ベンダサン名義の『日本人とユダヤ人』が爆発的に売れて、注目を集めるようになった。以後、精力的に言論活動を展開し、平成三年、癌により逝去。享年六十九。

 彼の著作に最初に触れたのは本屋でよく見かける『ユダヤ人と日本人』であったが、そのユニークな視点、鋭い論理に魅力を感じて、以後彼の著作を読み漁った。そこには、それまで読み漁って、飽き足らぬものを感じるようになっていた司馬遼太郎の作品にはない鋭さがあった。
 後になってどこかで(確か山本七平ライブラリーに収められたものだったと思うが)、両者のあの戦争を巡る対談を読んだことがある。その対談の印象は、山本は寡黙で、それに比べて、司馬は饒舌であり、軽薄にすら感じられたことを記憶している。山本の戦争体験の深刻さと司馬のそれの浅薄さが浮き彫りにされた対談であったと思う。 
 有り余る文才を持ちながら、ノモンハン事件を書かず、いわば宿命から逃げた司馬と粛々と宿命に向かい続けた山本。その生き方の違いが洞察力の差に現れていたと思われる。

 自分で曲りなりにも歴史について考え、書くようになって、やがて、彼の歴史に対する考察が、日本人の外部からの観察にもとづくことに気づいた。日本の伝統というところに軸をおけば、プロテスタントである彼はどこまでもアウトサイダーの位置にいる。もちろん、彼自身、そのことに自覚的であった。

 ユダヤ人名義で書いた『日本人とユダヤ人』は、彼の言葉で言えば、聖書的価値観を日本人に「臨在観的」に把握させるために書いたものだと思われるが、彼が山本名義で世に問うた日本人に対する洞察にも、それは「静かなる細き声」となってこだましていたように思われる。しかし、それは「静かなる細き声」であっても、決して弱き声ではない。芯の強い、抑制された声である。
 事実、「日本人とユダヤ人」はなぜ日本にはキリスト教が普及しないのか、という問題意識が出発点になったという。
 これが山本の生涯の研究活動を支えた視点であり、それが戦後広く受け入れられた、というのには、複雑微妙な思いがする。

 山本の重要な著作に『現人神の創作者たち』という労作がある。
 山本が言うには、日本人は、自己の伝統とそれにもとづく自己の思想形成への無知がある。この無知は、進歩のつもりで過去を否定したつもりが、かえって否定したはずの過去、伝統的規範による現在の呪縛を生むことになる。日本人は明治維新において江戸時代を否定し、敗戦によって戦前を否定したため、二重の呪縛に陥っている。だから呪縛を克服するには、自己の伝統とそれにもとづく自己の思想形成過程を明らかにする必要がある。
 これが山本の場合、戦前・戦中、プロテスタントとして対峙せざるを得なかった、優勢な時代精神、強力な史観の根源を明らかにする、という方向に向かったのである。イエス・キリストを信仰する彼は、現人神思想の根源を問おうとした。
 『現人神の創作者たち』はその探究の結晶と言えるものであり、そういった山本の真摯な態度は尊敬に値すると思っているが、一方で、アウトサイダーの視点による日本の伝統の探究にはやはり限界があり、この著作はそれも露呈してしまっているのである。

 山本はそのあとがきで次のように書いている。


 …戦後二十余年、私は沈黙していた。もちろん一生沈黙していても、私は一向にかまわぬ。ただ、その間、何をしていたかと問われれば「現人神の創作者」を捜索していたと言ってもよい。私は別にその「創作者」を《戦犯》とは思わないが、もし本当に《戦犯》なるものがあり得るとすれば、その人のはずである。その捜索は難航をきわめた。さまざまな試行錯誤があったが、その間に、多くのことを発見することもできた。…(中略)…
 また「なぜそのように現人神の創作者にこだわり、二十余年もそれを探し、『命が持たないよ』までそれを続けようとするのか」と問われれば、私が三代目のキリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面においても、常に「現人神」を意識し、これと対決せざるを得なかったからという単純な事実に基づく。したがって、私は、「創作者」を発見して、自分で、「現人神とは何か」を解明して納得できればそれでよかったまでで、著作として世に問おうという気があったわけではない。…



 日本人の立場から言えば、《戦犯》というものがありうるとすれば、それはルーズベルトであり、スターリンであり、毛沢東であり、蒋介石だった、ということになるが、もっと大きくいえば国際情勢そのものが《戦犯》であったということになる。しかし、これを罪に問うことはできない。日本人は、山本の言うところの「現人神」思想=尊王思想をもってこの困難な国際情勢に応じ、戦っただけである。つまり、明治維新から見ていけば自明のことながら、作用に対する反作用であり、先ずは作用の方を分析して見なければならないだろう。そうでなければ、ただ力で勝っただけの作用の方の犯罪が見失われてしまう。いや、実際そうなってしまっている。
 しかし、プロテスタントであり、子息に、戦場には神がいた、と語った山本にそのような見方はできなくて当然だろう。
 山本はどこまでも聖書的発想で自分が対決を強いられた物事を見つめているのである。

 そして、その清算されるべき敵とは、彼の言葉でいえば、儒学的正統主義と日本の伝統とが習合して出来た、朱子学の一亜種ということになる。

 その山本がプロテスタントとしての立場を表に出して書いた自伝的な『静かなる細き声』の最終章は「論語の世界と現代」となっていて、明治維新を象徴する人物として、『論語と算盤』『論語講義』などで知られる渋沢栄一を取り上げ、自らの師匠筋に当る内村鑑三の『基督教問答』の一節を取り上げた上で、次のように結んでいる。


…自分の理性が信じられなくなる、その体験はすべての人が、維新にも終戦にも経験したはずであり、またその後のさまざまな運動にもあったはずである。だがそれは心に何の刻印も与えずに消え、就職すれば「ミニ渋沢」になっていく。その背後にあるものは、日本的に理解された『論語』の世界なのである。それを把握しなおして対処することが、日本における宣教の出発点ではなかろうか。

 
 つまり、日本におけるキリスト教宣教の障害となっているのが、日本人が『論語』を読まなくなっても、社会的規範として、または言語生活の中に生き残っている『論語』的規範である、と言っているのである。
 これは非常に鋭い、重要な指摘と言わねばなるまい。
 こういった問題意識を持った山本が、たとえ言論活動において公正な態度を保って、その主張を前面に押し出さなかったとしても、彼の言論の根底にキリスト教的価値観がある以上は宣教の露払いともなりうるだろう。しかし、逆に、この呪縛の把握を通じて、失われていく伝統の意識的再生に生かすことも可能である。日本人である自分はもちろんこちらの側に立つ。 


 聖書的発想は日本の伝統と相容れぬものがその根幹にあり、その過度の受容は日本の根幹を揺るがしかねない。そのことを教えてくれるのが、日本人でありながらプロテスタントというアウトサイダーであり続けた山本七平の日本のある種の伝統(それも最も重要な伝統の一つである尊皇思想の伝統)に対する違和感であるし、長谷川三千子氏の『バベルの謎 ヤハウェストの冒険』である。

 シンアルの地で一つ言葉で一つとなった民は、全地の面に散らされぬよう、町と象徴として天に届かんばかりの塔を建てた。それに対してヤハウェは怒り、人を自身と向き合わすために、地と人を切り離そうとした。言葉を乱して、民を全地の面へ散らしたのである。これがよく知られたバベルの塔の物語である。

 この物語は、人間の高慢、不遜のしるしとしての塔と神の物語ということになっているが、これは戦前、一つ言葉で、官民一体となって近代国家への発展を遂げたように外部から見えた日本に対する西洋人の嫉妬、敵視の根底に横たわっていたイメージではなかろうか。
 彼らは、一つ言葉、一つ民が築き上げた日本国家を無差別爆撃や原爆まで投下して破壊しつくし、力で打ち負かした後、検閲・焚書などの言論統制、東京裁判などあらゆる手段を尽して日本人の言葉を乱し、ばらばらに解体しようとしたのである。
 そして、マッカーサーは、昭和天皇が「神」ではないという宣伝をするとともに、当時皇太子だった今上陛下の家庭教師に敬虔なクリスチャンであるクエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニング婦人を就けたり、キリスト教の普及のため、聖書を一千万部配布したりした。これは当時七千万だった日本の人口の実に十四%以上を改宗させようとの意図を持っていたことを表し、聖書を読めるような大人に限ればこの割合はさらに大きなものとなる。
 こういったあからさまなやり方は功を奏さなかったが、山本氏の言論活動は、宣教の露払いとして、それと意識されることなく、間接的浸透の効果を挙げるだろう。現に彼の言論は広く受け入れられている。
 
 その侵食は、そこかしこに見られ、人びとはこのことにもっと危機意識を持っていいのではないか。
 かつて衰退期のローマ帝国において、蛮族の侵入を食い止められなくなった時、人びとはキリスト教的終末思想を受け入れ、そのことによって、ローマらしさ、ローマン・スピリットは失われていって、やがて滅亡に至ったことを想起してもよい。
 あるいはキリスト教宣教師が西洋文明による非西洋文明侵略の先兵の役割を果たしたことを想起してもよい。あるいは戦前の支那大陸における反日排日運動に火をつける役割を担い、デマを流し続けたのが彼らであったことを想起してもよいだろう。
 キリスト教的悪意は今も虎視眈々と日本を狙っているかもしれない。

 自分が知っている所でいえば、内村鑑三が『代表的日本人』の第一に挙げた西郷隆盛の研究のかつての総本山と言えば、鹿児島の西郷南洲顕彰会であり、顕彰館であった。その館長は二代続けてクリスチャンの方が務めておられるが、現館長は機関誌『敬天愛人』においてその主張をあからさまに展開することはないが、密に西郷隆盛はクリスチャンだった、という説を定着させようとしているようなのだ。
 もちろん南洲翁がクリスチャンだった、という事実はない。史料の99.9パーセントまでは、彼が日本的な儒学の陶冶を受けた武士道を体現した人物であったことを示している。彼が漢訳聖書を読んだことがあったという、たった一つ二つの史料で、これを覆そうというなら、それなりの根拠、合理的理由を示さなければならない。そして、それが正しいと信ずるなら、機関誌で堂々と議論を展開すればいいだけのことである。態度が姑息なのは、確信が弱いか、どこかやましいところがあるからであろう。

 ともかくキリスト教的価値観の浸透は日本文化の寛容性、受容性の高さを顕しているが、それが行き過ぎて、国体の根幹に関する問題まで侵食が及んだ時には、日本人が日本語を話し続ける民族である以上は拒絶反応が起きるだろう。


 さて、話を山本七平に戻すと、彼は『現人神の創作者たち』のあとがきの冒頭の方で次のような気になることを言っている。


…「現人神」はいま呱々(ここ)の声をあげたところである。「現人神」自身が自分が何であるかを自覚していないし、世の人もこの新生児の存在に気づかない。否、生み出した御本人も、それがどう成長して社会がどう成長していくかなどは、全く予想がついていない。すべての新生児はそういったものであろう。
 従って「あとがき」は、この新生児ならぬ「新生神」の育成者、完成者を記し、その「神の像(イマゴ・デイ)」を明確にし、天皇の「人間宣言」で一応-これはあくまでも「一応」と見た方がよいであろうが-終止符を打ってから、言わば「現人神の伝記」が終了してから書くべきかも知れぬ。…



 山本七平はその晩年、イエス・キリストと昭和天皇について書かなければ、と言っていたそうだ。昭和天皇の崩御が昭和六十四年(一九八九)であったことを思えば、ここに言う「新生神」が昭和天皇御本人を差していることは明らかだろう。山本はその言葉どおりに『昭和天皇の研究』という本を書いた。一方で、聖書に関する研究は『聖書の旅』『聖書の常識』『禁忌の聖書学』などいくつか書いたことがあったにもかかわらず、イエスを伝記という形で書き残しておきたい、と思ったのはなぜだったのだろう。
 こちらは彼の遣り残した仕事となった。

 この、山本七平という、日本人としてはアウトサイダーに属する、洞察力鋭い知識人の謎めいた予言に、長谷川氏の『神やぶれたまはず』は、奇しくも応答するものとなっている。それも日本人の内面に立つものとして、である。

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