皇室と『論語』 (壱)  (「西尾幹二氏への数言」【その弐】)

 ところで、卓爾たる西尾氏の言論の立つる所とは一体何なのだろう。
 これはいつも西尾氏の著作の通読後に残る余韻である。
 山の実体を信じ、地の道をてくてく歩いていこうとしている自分には、なかなかつかみにくい。
 そんな大地からの目線で、西尾氏の志を忖度するなら、その意識において、近代西洋文明そのものと対峙し、これを乗り越えようとしているかのように見受けられる。
 だが、これも西尾学の本道を歩いていけば、その風景色彩を変えていくかも知れない。
 それを承知で読んでいただきたいのだが、氏は、現代日本の課題でもある近代西洋文明の超克を、一人で引き受ける気概、心構えをお持ちなのではないか。

 それを培ったものは氏が専攻されたドイツ哲学、なかんづくニーチェにあるのではないかと拝察している。
 ドイツ文学者としての西尾氏の独立自尊の知性はニーチェを択び、これが近代西洋文明を乗り越えようとする氏の志と結びついた。ニーチェの思想は西洋に対する批判の刃ともなるし、近代西洋文明を取り入れた日本に対する批判ともなりうるのだろう。
 彼を知り己を知れば百戦して殆うからず、との兵法の常道によって、ニーチェの言葉は、西洋近代文明に対する批判として有効なのだろうか。

 同じ視点から、日本の思想家として、荻生徂徠、本居宣長の二人に突き当たったと思われる。
 徂徠は、漢籍古典の意義をとことんまで突き詰めた思想家だ。これを「からごころ」の極北とするなら、宣長は「やまとごころ」の極北の思想家である。
 宣長以後「やまとごころ」をさらに掘り下げたスケールの大きな思想家が、国学の伝統から生まれたのかどうかは知らない。

 一方の漢学の方はどうだろうか。
 「中国」哲学研究家・浅野裕一氏の『孔子神話』によれば,
戦後における「中国」文学者とは要するに儒者なのだそうである(奇しくも著者自身が、ニーチェの著作がこの著述を為す上での一つの触媒になったと告白している)。

 彼らの仕事は軒並み伝統的な注釈の枠を出るものではなく、支那における古典の読み方と日本におけるそれが、それぞれの民族性を反映して、正反対に近いものになっているとの意識がないか、限りなく薄い。
 その意識が強かったのは、私が知る限りでは岡田英弘氏ぐらいだろうが、これも「中国」文学者としては異端的扱いではなかろうか。

 その「中国」文学の異端の研究者として、漢字の碩学・白川静がいる。

 徂徠が秦漢以前の漢籍しか読まないで、古代文字の意味のみならず音の復元まで視野に入れたのに対して、白川博士は、別の角度から、これを掘り下げようとした。それが漢字の起源である甲骨文・金文の研究である。
 博士はその研究を土台に(それは『字通』『字訓』『字統』の辞書にまとめられている)、孔子を歴史的に復元する試みをした。『孔子伝』がそれだが、この試みによって、あたかも謎に満ちた古代社会の暗闇に光源を置いて、そこから逆に光を照射したかのように、呪術世界に生きた孔子の姿が浮かび上がってくる。
 『論語』などはこの視点から新たな解釈の可能性が生じたように思われるが、博士に私淑していると公言する加地伸行氏の『論語』通釈などを読むと、博士の業績はこの方面にまだまだ生かし切れていないように思われる。

 実は『孔子伝』は、毛沢東が主導した文化大革命において、孔子が否定されたことが強い契機となっていることが文庫版あとがきに書かれている。
 高名な古代研究家であり、古くからの隠れ共産党員であった郭沫若の、かつての自身の業績を全否定するかのような、自己批判を報道で知った白川博士は大きな不安を抱いた。
 毛沢東が文化大革命で、『批林批孔』と言って孔子を全否定するとともに、『韓非子』を推薦書としたのは知られているが、博士はこの文革の本質を「奪権闘争の過程で、大規模な焚書坑儒が行われたということに過ぎない」と喝破している。
 文革は支那文明の本質を表すような出来事で、中華帝国再興を目指す毛沢東の、いわば秦の始皇帝の時代への復古とは言えないだろうか。

 ともかく『孔子伝』の執筆による新たな孔子像の創「は、この隣国の狂乱劇を横目に見ながら進められたのである。
 『孔子伝』は、日本における漢学の伝統が、支那の復古革命という刺激に敏感に反応し、批判的に生み出した作品と言えるだろう。

 わが国体は支那文明の刺激によって形成されてきた、という側面が強い。それは最近の支那の一王朝に過ぎない共産中国の直接侵略、間接侵略に対して覚醒しつつある国民意識、日本への精神的回帰現象を見ても明らかであろう。
 だからこそ『論語』再評価の試みは我々日本人にとって重要な意義を持つのではないかと思われるのである。これはたかだかわが国の伝統の内の一つにすぎないかもしれない。
 わが国の懐深い文明性、国體は、それこそ我々が動けば動く、山々の風景のごときものであり、不動の真実を求めても無駄かもしれない。
 現実の国土がそうであるように、まさに山だらけの国なのだ。しかも現代は毒性の黄砂も海を越えて飛んでくるし、花粉も舞って山の景色を霞ませる。
 よって、この山々を一つの伝統で描き切ることには無理があるが、それでもこれから説くところを読めば、それなりに、近代に入っての日本人の思い描く自画像の混乱を解く鍵として、『論語』の重要性は認識していただけるのではないかと思う。

 ただこれを徹底して明らかにするには膨大な論述を必要としており、こういったインターネット媒体での発表に向かないので、西尾氏の著作を手がかりに手短に論じてみたいと思う。


 西尾氏の著作に、『皇太子さまへのご忠言』という問題作がある。
 問題作とは、世間一般に本質的問題を提議して大きな論議を呼んだ、という意味である。所功氏などは、このテーマを取り上げたローカルテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で共演し、眼を三角にして怒っていた。曰く、忠諫を行うならご本人に、それも命懸けで行うべきである、と。
 所氏は、忠臣と自己規定しているらしい。皇室に対する崇敬心では人後に落ちない人物でありながらも、いわゆる保守の中では女系天皇賛成論者の代表的存在である。

 『皇太子さまへのご忠言』は、現在皇室が直面している本質的危機に注意を喚起する内容で、氏の皇室に対する危機感と心配が、この、皇室に関する本としてはかなり刺激的な内容の本を生んだのであるが、雑誌を読まず、皇室情報に疎い私などは、逆に深く考える機会を与えてもらって、この勇気ある言挙げに感謝したぐらいである。

 この本のまえがきの書き出は西尾氏の皇室に対する感想である。


「私は日常生活のうえで、天皇の存在を必要としていません。それは普通のことだと思います。自分を陛下の臣下だと意識したこともありません。最近自分を『臣下』と呼ぶ保守系知識人がいて、言葉遣いのアナクロニズムに驚きました。最近の風潮がそういうところまできている現われですが、私はその種の感傷的な流れに掉さしておりません。」

 これを読んだ外務省チャイナスクールのある官僚は、これでは支那の理想の政治じゃないですか、という趣旨のことを言っていたが、実は、この文章を読んだときの自分の感想もそうだったのである。
 私の頭に思い浮かんだ言葉は、支那の古い言葉である「鼓腹撃壌」であった。
 『十八史略』にある故事だ。

 古代の伝説的聖天子・堯は天下を治めて五十年。
 宮殿は粗末であったが、何事もなく治まっているように見える。
 不安になった堯は、現状をこの眼で確かめるために、お忍びで街に繰り出した。

 すると街では子供たちが次のように歌っていた。

「私たちは識らず知らずの内に帝の教えに従って、お陰で生活を無事立てることが出来ています」

と。

 また、老人がいて、食べ物を口に入れ、腹づつみをうち(鼓腹)、大地を踏み鳴らしながら(撃壌)、歌っていた。

「日が昇れば耕し、日が落ちれば息う。井戸を掘っては水を飲み、田を耕しては食べる。帝の力など、私には何の関係もない(帝力何ぞ我に有らんや)。」


 西尾氏は、歴史家として、評論家として、臣下ではなく一国民としての関心を皇室に対してお持ちだが、日頃「帝力何ぞ我に有らんや」としか思っていないのは日本国民の大半がそうだと思われる。
 皇室廃滅を企む輩が、そういった現状につけ込んで跳梁跋扈しているのが現代日本の宿痾である。

 そもそも「天皇制」とは、彼らが使い始めた、「モナルキー」の訳語でコミンテルン用語だが、一般用語として定着してしまった感がある。
 そんな彼らも大半は日常生活を見れば「鼓腹撃壌」の民であり、その一変態と見て差し支えないだろう。マルキズムというイデオロギーに被れてしまった、かつて福沢諭吉が揶揄したところの心酔者流、開化先生の昭和版である。
 彼らは年老いても、革命という若き日々の夢を捨てきれず、豊かな日本で職にありついてたらふく食い、腹づつみをうち、大地を踏み鳴らしながら革命歌を合唱して嘯いてきた。
 帝力何ぞ我に有らんや。
 皇室などいらぬ。
 我々が支配者だ。
 皇統の危機にかこつけて、飽食で太ったお人好しの国民をだまし、女系天皇を誕生させ、この国の骨を抜いてやれ。
 祖国ソ連、スターリン万歳。毛沢東万歳。

 最近では、日本列島は日本人だけのものではないと言って事あるごとに北京詣でを繰り返す首相や、中華帝国に身命を捧げる覚悟を表明した元中国大使も出てくる始末である。 
 これは逆説的に、古くから堯舜の治を理想としてきた皇室の統治の伝統が、見事、実を結んだ皮肉な結果とは言えないだろうか。


 西尾氏が指摘しているように、皇室が危機に直面している今日、我々日本人は歴史・伝統をうまく思い出し、自覚していく必要があるだろう。
 
 期待できるのは、鼓腹撃壌の老人ではなく、これからの若者だ。
 大事なのは、「私たちは識らず知らずの内に帝の教えに従って、お陰で生活を無事立てることが出来ています」と素直に、皇室に象徴される日本の歴史や伝統に感謝できる子供たちを育てることであろう。 
 自分に目を開くきっかけを与えてくれた、氏が中心となって始まった新しい歴史教科書を作る会の運動の意義はそこにあったと理解している。

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