西尾幹二氏への数言 【その壱】

 西尾幹二氏に「西郷隆盛さん」とからかわれた。 
 西郷真理教の信者さんよ、そんなところに、いや、聖なるもののどこを探しても、動かない真実などありはしないのだよ。
 そういうことだろう。

(参照;http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1263 コメント欄)

 「動かない真実を探しても無駄」という一つの真理は、壮大な西尾氏の思想の重要なモチーフの一つとなっているのではないかと思われる。

 実は私は西尾氏の著作はよく読んでいて、世間一般によく読まれ、大きな影響を与えた『国民も歴史』に目を覚まされた人間の一人である。それまでは、司馬遼太郎に始まり、井沢元彦、山本七平などの本を読み漁ってきたが、『国民の歴史』に示された歴史に対する考えは、次元の違う深さと広さを持っているように感じたものだ。何度も繰返し読んだ記憶がある。
 今思えば、西郷南州翁の史伝は、この本の影響なしに生まれなかった。

 これ以後、氏の著作はあまり読まなかったのだが、南洲翁の史伝を調べ、書く中で、どうしても気になる人物が出てきた。本居宣長である。
 それで史伝下巻を上梓してから、手に取ったのが、小林秀雄の『本居宣長』であった。

 ところがこの本、難解極まりなく、何回読み返したかわからない。
 確かその間であったと思う。
 西尾氏に本居宣長を含むテーマの大著『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)があることを知って、再び読むようになったのは。
 知ったのは神戸・三宮のジュンク堂書店で、本棚に鎮座しているのを見つけ、その場で迷わず手に取ったのを覚えている。
 通読後、折に触れ気になるところを読み返し、もう一度、始めから終わりまで通読した。
 

 自分は、幸か不幸か、兎のような、回転の速い便利な頭脳を持ち合わせていない。だから、内容の濃い、緊張感のある本は何度か読まないと飲み込めた気がしない。まるで亀の歩みだが、お陰で、再通読したいほど、読みたいと思う本には出会わなくなってきた。
 もちろん、何度読み返したからと言って、それで消化し、養分となって自分の血肉と化すことが出来たとは限らないのだが、少なくとも丸呑みにし、噛み砕いて、飲み込むところまでは行った、という意味である。当然のことながら、のど元を通り過ぎる時に違和感があったり、食べ過ぎれば胃がもたれ、腸の調子が悪くなることもある。
 健康に気を使う私は、いいと思うものだけを食べているつもりであるが、消化に時間が掛かるものや、少しずつでも頻繁に摂取を必要とする性質のものもあるだろう。
 

 『江戸のダイナミズム』との再会以来、西尾氏の言論は再び面白く、目が離せないまま、現在まで来ているのであるが、氏の文章は通暁暢達で、小林秀雄と違って、晦渋さがなく、読みやすい。『GHQ焚書図書開封』などいい例で、氏自身はこれを代表作などと思ってもらっては困る、と講演で述べておられるが、やはり名著であることは間違いないところだろう。

 小林秀雄の場合は、書きながら考えることがそのまま文体となっていて、ともに歩いたり立ち止って考えたりする忍耐力が求められるが、氏の文章は、誤読の恐れがないほど、明瞭である。
 これは氏がそう心掛けておられるからだが、その表そうとしている思想そのものは、決して簡単でも、浅薄なものでもないのである。
 だから激しい反応を引き起こすことにもなる。


 例えば、上のコメントにある「動かない真実を探しても無駄です」との一言は、文章は簡単明瞭でも、その意味するところは決して簡単明瞭ではない。最初、御返事を頂いたとき、この一言で考え込んでしまった。
 しかし、よく考えて、私の問いに、氏の応答がかみ合っていないことに気づいた。

 すべての聖典に対して動かない真実、言葉の一致を求めるのは間違い、というのは事実である。
 これは『古事記』や『日本書紀』に限らず、古典に関して、それが古ければ古いものであるほどそうだろう。そもそも、そのテキスト自体が、正確に原典の言葉を伝えているかどうかもわからないのである。これは『江戸期のダイナミズム』の重要なモチーフの一つである。
 しかし、動かない真実、言葉の一致を聖典に求めるのは間違いであっても、無駄で、間違いであることがわかるだけでも、動かない真実、言葉の一致を求めるのには意味があるのではないか。

 歴史や古典のことについて考え、一般人としての生活を犠牲にしながら書いたりしていると、そんな過去のことをやって何の意味があるの、という顔をされることが結構ある。
 面と向かって言われたこともある。
 もちろん、西尾氏はその市井の人々に向かって、無駄だからそれでいい、えらい、とは決して言わないだろう。
 そういった人々の歴史の真実に対する無関心が反日自虐史観の蔓延を招いたのである。
 大体、そういった感覚の庶民は、戦前の日本は悪いことをしたと何となく思い込んでいるし、皇室に対してもえてして無関心である。

 今から十年以上前のことであるが、歴史や皇室には何の関心もない知人から、一日だけ別人になれるとしたら誰になる?と聞かれたことがある。
 子供の頃ならいざ知らず、大人になってそんなことは考えたこともなかったので、誰も思い浮かばず、答えられなかったのだが、その知人は、天皇になってみたい、と言っていた。一日中、何もしないで贅沢して暮らしていけるからだそうである。
 無知とは恐ろしい。

 これは極端すぎる例かもしれないが、下層社会の大半が、自分の身のまわりの日常生活のことで頭がいっぱいで、皇室に無関心であることには変わりない。むしろ先程の彼は、下世話な関心があったから、こういった奇想天外な発想になったとも言える。

 不謹慎かもしれないが、私は逆に、今上陛下の御仕事をよく知る人監修の下、セットを組んで、彼に一日天皇をやらせてみて、これに密着取材して全国放送で人気タレントに実況させてみたら面白いと思う。おそらく、彼は眼を白黒させながら、半日持たずにギブアップしたに違いない。24時間テレビより、よほど有意義な番組ではないかと思ったりする。ひな祭りのお人形が誰かも知らず、紙飛行機を当てて倒すゲームを行ったお昼の軽薄長寿番組の芸人を参加させるのも一興である。
 その行為の意義を番組で解説すれば、皇室のご苦労が、一般大衆に知られるいい機会となるだろう。

 冗談はさておき、彼は始めから、歴史や古典の動かぬ真実を求めることなど、無駄であり、はじめから関心はないのである。
 もちろん西尾氏がそんな低次元なことを言っているのではないことは承知している。むしろ、これは突き抜けてしまった高次元の認識を、答えとして率直に返してこられたのだと思う。

 かつて西尾氏の言論について、このブログでよく記事を転載させていただいている「えんだんじ」先生こと鈴木敏明氏とのメールのやりとりの中で、西尾氏の言論についての感想を、自分なりに次のように表現したことがある。鈴木氏は西尾氏を師と仰いでおられる方である。

「何と言うか卓爾として立つがごとき観があるのですね、西尾先生の言論は。」

 この「卓爾」とは、『論語』「子罕」篇に出てくる顔回が師・孔子を表現した際用いた言葉で、高く聳えている様を形容する言葉である。

「これを仰げばいよいよ高く、これを鑚(き)ればいよいよ堅し。これを瞻(み)るに前に在れば、忽焉(こつえん)として後に在り。夫子、循々然として善く人を誘う。我を博(ひろ)むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷(や)まんと欲するも能わず。既に吾が才を竭(つ)くす。立つる所ありて卓爾たるが如し。これに従わんと欲すといえども、由なきのみ。」

 
 歴史や古典・聖典は、その動かざる真実を見極めるのは不可能であっても、このように、現代社会にあっても静かに生きている。
 古典としての言葉、思想を考証学的に究めるのが不可能であっても、その生き物である古典を、人間の真実を表すものとして、より深く読み込み、問うて、新しい可能性を見出していくことが無駄とはどうしても思えない。

 西尾氏はよく、歴史は我々が動けば動く、というが、これは古典・聖典でも変わらない。動かぬ真実がない、ということは、歴史も聖典も我々の解釈次第であり、それによって歴史・古典の社会的生命は保たれ、逆に社会は創造的に発展していく。伝統の力である。
 ならば我々はその時代その時代で、絶対的な真実をつかむすべはなくとも、出来る限り、その意味を深く問い、活かすよう、心掛けるべきではないのだろうか。
 少なくとも、浅薄な解釈が、自己の行為の正当化のために利用されている現代社会において(例えば政治の世界における「維新」という言葉を見よ)、これを正していくことに意味はあるのではあるまいか。
 そうでなければ、認識や解釈の誤りを正す知識人の活動に社会的意味はなくなるのではないか。 

 実際、先人は聖典や歴史の解釈を通じて、可能性を見出し、時には命懸けで歴史を動かしてきた。同じように生きようと努めることは無駄なのであろうか。
 これが私の問いかけである。

 これを知るを知るとなし、知らざるを知らずと為す、これ知なり、が学問認識の基本態度であるとしよう。
 この意味での知の作業を進めていくと、人智によって測れる程度の問題は徐々に後に追いやられ、人智によって測る事の出来ない問題のみが目の前に姿を現すことになる。この謎は近づけば近づくほど、より大きな謎となって目の前に立ちはだかる。
 しかし、その前提として、我々は何らかの動かぬ真実があると信じていなければ、そこにさえたどり着くことさえできないだろう。
 もちろん、あらかじめ定められた道順が示されているわけではないから、信じていなければ歩き続けることさえ難しい。
 だから、その先に動かない真実があると信じて、道を学び問う中で、遅疑逡巡を繰り返しながら、それでも、時には大胆に力強く歩んでいく。

  西尾氏の歴史に関する表現を借りれば、山は明らかに不動の実体を持つものであるが、我々が動けば、それに伴って風景は変わる。これは古典・聖典を歴史的にとらえれば、それらについても言えることだろう。

 しかし、我々が山の実体を信じ、それを知り、近づこうと、あらゆる努力をすれば、たとえ到達は出来なくとも、我々の中に、ある動かぬ心象が徐々に形成されてくることになるだろう。それは現に目に見える現象とは異なる、明らかに経験的に蓄積された知に属する仕事である。

 西尾氏の仕事で言えば、それは文明観によく現れている。
 大東亜戦争が文明の衝突であり、特に対米戦争が日米間の宗教戦争だったという見方は、氏の中に動かぬ心象を形成しているはずで、それが実体に近いものであればあるほど、既定の枠組の中で枝葉末節の事象に囚われた歴史学者(唯物史観やいわゆる昭和史を説く歴史家など)とは違うものを文献の中に読み込んでいくことになる。氏の歴史に関する語り口が日本人にとって貴重な価値を持つのはその故にである。

 孔子がこう言った歴史や聖典の姿を認識していたのは、『論語』の次の一節を引用すれば足りるだろう。

 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
 知者は動き、仁者は静かなり。
 知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。



 「仁」とは、歴史的存在としての人間および人間社会に対する不動の認識という側面を持つ。そこに到達し、それを常に持している人を仁者という。そこまで到達した人の透徹した認識は、後世に伝わって、時代を超えた支持を得て、その歴史的生命は永い。すなわち「寿し」となる。
 荻生徂徠や本居宣長の不滅の業績はまさに「寿し」である。
 荻生徂徠は支那の、本居宣長は日本の遠くにかすむ山々を、文字を通して凝視し、不動に近い認識を得たまさに仁者なのである。

 知者は水を楽しむというが、水とは川の流れのことであり、それは天から降り注いで、山から湧き出て、その細流は合して、山間部を流れ、やがて大きな流れを形成する。
 知者はいわば、動きて止まぬ現象を追い、楽しむものである。仁はその源流を辿った先にあるものだ。
 知者はまた、動いて止まぬ現象を追い、楽しむために、仁者の不滅の業績を活用する。すなわち、仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす、のである(「里仁」)。

 孔子の言葉を素直に解釈すれば、西尾氏の仕事を理解することは出来よう。
 ここまで書いて思うのは、西尾氏の仕事は、そこに収まりきらぬものがあるとは言え、意外と孔子的だ、ということである。
 その意味で、直感的に、西尾氏の仕事を評して、弟子が孔子を評した、「卓爾」云々の言葉を思い浮かべたとしても、自分にとって何の不思議もない。

 もちろん、大地にへばりついた小さな存在に過ぎない人間が山の実体をつかむことなど物理的に不可能である。踏破は出来ても、空を飛べない人間が、巨大な山容を鳥瞰することもかなわない。要は人間に備わった知という認識能力によって飛翔し、これをつかむのであるが、これは対象が大きければ大きいほど、知的訓練と経験の蓄積を必要としている。
 だが、それ以前に信や志がなければ何も始まらない。

 動かぬ真実を求めるのは、たとえそれが不可能であっても、決して無駄ではないのである。

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