『西郷南洲伝』 第四回「再び、辞官納地か、それとも討薩か」配信のお知らせ

『西郷南洲伝』「維新初政」編、第四回「再び、辞官納地か、それとも討薩か」を配信しましたのでお知らせ致します。

 http://p.booklog.jp/users/yamatogokoro

 今回は越前福井藩・土佐藩を中心とする平和解決派の、京の朝廷と大坂城の間を何度も往復しての運動を克明に追っています。

 十二月九日の小御所会議の決定事項がどのように骨抜きにされていったのか。
 この運動がどのようなもので、どこまで成功したのか。

 たかが勅書中の「領地返上」の一句を削るか削らぬかの交渉ですが、当事者にとってはまさに命懸けであり、この争点は、実は来るべき日本の国のあり方、すなわち我が国の国体をめぐる激しい対立であったことが浮かび上がってきます。
 つまり、小御所会議から破裂に至るまでの朝幕間折衝の経緯をみていくと、その本質は、開戦を目的とする無理難題でも、新政府の財源をめぐる攻防でもなかったことが明らかになるのです。

 「国体」を英語に翻訳すると[constitution]となりますが、これは「憲法」を意味する単語でもあります。すなわち「国体」を成文化したもの、それが「憲法」に他ならないのです。
 そう考えれば、GHQに紛れ込んだ共産主義者たちがたかだか一週間で書き上げた現憲法などは、日本には全く関係のない、共産主義という外来の思想、中でも特に構造改革派と呼ばれる人々の二段階革命論に基づいて、国体の改変の意図が秘められた、言わば変態憲法であり、それに基づく国家運営は国家の変態化にしか行き着かない、ということになります。いや、すでに民主党政権下で行き着くところまで行ってしまったと言っていいでしょう。
 ここに着眼しなければ、この日本が直面する閉塞状況を破ることは出来ないのです。

 憲法改正をその歴史的使命とする安倍政権が再び船出した今日、この国体という問題を歴史的に振り返ってみることは非常に重要です。
 安倍首相は大東亜戦争に関する自虐的で史実に基づかない「村山談話」の見直しを示唆していますが、その前提として、明治維新もまた、その本質が問い直されなければならないのです。


 さて、次回配信分は、いよいよ薩摩藩のいわゆる「江戸撹乱工作」、そして幕軍による江戸薩摩藩邸焼き討ちを扱います。一般的には、西郷南洲翁が、幕府挑発の意図を秘めて、薩摩藩邸に浪士を集め、江戸撹乱工作を行ったということになっていますが、この通説が誤りであることが史料によって明らかになるでしょう。
 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック