似非保守からの非難

 以前「南京事件の教科書記述」という記事を書いた。
 そこで、「新しい歴史教科書をつくる会」を非難中傷するために開設されたブログからトラックバックがあり、その記事の内容を取り上げ、これを批判したが、そのブログで私が取り上げられて名指しで非難されていることを最近になって知った。というのは、私は自分の書いた批判記事を相手方にトラックバックしたが、彼は自分の書いた非難記事をトラックバックしてこなかったからである。
 6月26日に匿名氏は記事をアップしているから、3週間以上気づかなかったことになる。こちらとしては、ブロパガンダブログであると判断した以上、興味を失っていたのだ。

 さて、その記事の中で、私は糞みそに貶されている。

 いわく「無礼」、いわく「頭の不自由な者」、いわく「相当頭が弱い」等々。

 文中呼び捨てであり、題は「サルでもわかる…」となっていて、こちらの主張を受け入れないなら、サル以下だ、との隠喩となっていることがわかる。
 ネット上であふれかえっている匿名言論の醜悪、姑息のご多分に漏れず、「無礼」はどっちじゃ、との突っ込みも入れたくなる。これだけでも「保守」を唱える彼に「保守」の精神が欠けていることは明らかなのだが、よほどプロパガンダブログであることを喝破されたことが腹立たしいのだろう。むしろ、ず・ぼ・し、という感じの反応だ。

 私は率直に感じたことを書いているだけで別に疚しいことはないので、匿名氏の記事も堂々紹介させていただく。
 読者は、彼の言う、サル以下の稲垣秀哉が書いたことと彼の主張を比較考量して欲しい。


「サルでもわかる『南京虐殺を認めている自由社版歴史教科書』」
 

稲垣秀哉なる人物が「育鵬社の歴史教科書が政治的妥協の産物であるのは、南京大虐殺を容認してしまっていることからも明らかで、教科書運動本来の意義を失わしめていることは明らかである」とブログに書いていたので、それは逆さまで、南京虐殺を認めているのは自由社版教科書だよと教えてあげたら、無礼な反論を掲載した。

そこで、稲垣秀哉のような頭の不自由な者にも理解できるようにもう一度説明する。
 
現行の自由社版中学校歴史教科書(平成24年度使用開始)は南京攻略についてこう書いている。


『南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。 』


自由社版の最初の版(平成22年度使用開始)はこう書いていた。

『このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている。』

 
自由社版は今回「なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている」をすっぽり落としたのだ。
 
 稲垣秀哉が言う通り「それが戦争である以上、首都陥落に際して、軍人と住民の双方に犠牲が出るのは当然」だ。ならば、わざわざ「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」と書く必要はない。首都陥落で死傷者が出ただけなら「事件」ではないからだ。

 わざわざ「日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」などと書くのは、日本軍による不法殺害を認めた記述であるし、それが文部科学省の反日検定官の狙いである。
 
「なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている」と「実態」への疑問を付記することによって、かろうじて「虐殺ゼロ」を含む記述になっていた。それを削れば、「虐殺」という言葉は使わないものの虐殺があったと言っているのと同じである。
 
育鵬社(平成24年度使用開始)はこう書いている。

『このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数など実態については、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。』

 
育鵬社の記述は扶桑社の初版本(平成14年度使用開始)、改訂版(平成18年度使用開始)をほぼ踏襲している。自由社版の最初の版(平成22年度使用開始)ともほぼ同じである。
 
反日検定の中で精いっぱい頑張っているのが育鵬社であり、今回の自由社版は南京虐殺を認めてしまっているのである。通州事件を書いているからと言って、その重大な禍根が消えるわけではない。
 
これでも理解できなければ相当頭が弱い。


http://group1984.blog119.fc2.com/blog-entry-83.html


 「えんだんじ」氏が言うように、部外者の私からすれば、当該事件に関する自由社の記述も、育鵬社の記述も、南京事件自体は検定基準で認めざるを得ない以上、似たり寄ったり、五十歩百歩の記述にしか見えない。それでも五十歩と百歩の違いなら大きいが、それほどの差もない。手を伸ばせば相手の背中に手が届くような距離の違いでしかない。
 どちらもどうとでも取れる表現だが、反日教育に毒されている人は勿論のこと、事件に関心がない人から見ても、少なくとも虐殺数がゼロとは読み取れまい。あった中での犠牲者数には議論がある、という風にしか読めないだろう。

 匿名氏のプロパガンダの手法はこの非難記事でも踏襲されていて(そもそもプロパガンダを目的としている以上当たり前なのだが)、自分の主張に都合のいいところしか取り上げられていない。

 現に、私は、匿名氏のように、大げさに「重大な禍根」とは考えていないだけで、自由社の教科書の南京事件に関する記述が後退していることは間違いない、と書いているのである。
 私は事実、自由社の南京事件に関する記述は数歩後退したと思う。
 しかし、それでも「重大な禍根」というほどの後退ではなく、手を伸ばしきらなくとも、育鵬社の背中に手が届く範囲の、一歩、二歩の後退だと思う。
 しかも、その後退は、実は、大きく踏み出す勢いをつけるための、助走のための、やむを得ざる後退であったと見ている。
 反日検定の壁は厚く、結果的に、前方にまっすぐ大きく踏み出すことは出来なかったが、違う方向に大きな突破口を開いた。
 それが通州事件の記述である。

(参照 「通州事件」 http://saigou.at.webry.info/201106/article_4.html


 通州事件記述実現の画期性がわからぬとは、匿名氏の保守精神とやらはどうなっているのだろう。
 南京事件をめぐる記述の争いは、ありもしなかった日本民族の濡れ衣を晴らす努力であるから、無罪の立証は難しく、受身にならざるを得ない。
 やってもいないことを立証することは難しいのだ。挙証責任は訴えた側、すなわち、この場合は支那側にあるが、彼らの挙げる証拠がでっち上げであることは、多くの人達の努力によってことごとく覆されたといってよい。南京事件に関する一次史料は、文字通り、一切存在しなかったのである。

 一方、通州事件は日本人居留民が実際に被害を受けた議論の余地なき残虐事件である。のみならず、この事件に現れた支那人の残虐性が、日本に転嫁され、南京事件という作り話の種となった、とする見解もあるほどの事件である。
 この事件に対する日本人の怒りが、暴支膺懲(暴虐な支那を懲らしめよ)の世論となって、支那との戦争遂行を支えたのである。日本人にとってのインパクトはこの事件のほうが大きい。彼らがいかに日本人を残虐に殺したかは全国民が知っておくべきである。
 と同時に、これを主張することは支那に対する攻めの姿勢でもあるのだ。
 にもかかわらず、匿名氏はそんな記述はどうでもいいらしい。


 南京事件を認めなければ、検定を通らない以上、政治的妥協はやむをえない。政治的妥協は、自由社も育鵬社も行っている。問題はその政治的妥協の中身である。
 自由社は既に述べたように、南京事件を否定させてくれるなら、敢えて挿入した通州事件の記述は取り下げる、という駆け引きを行った。
 持論が南京事件否定であること自体は曲げていない。
 教科書における南京事件記述は政治的妥協の産物だが、駆け引きを通じて、通州事件の記述という大きな政治的獲物を射止めている。

 一方、匿名氏が反日検定の中で精一杯頑張っていると主張する育鵬社のほうはどうだろうか。

 ここで「えんだんじ」氏の言い分に耳を傾けてみよう。

「育鵬社は、教科書検定前から南京事件を公然と容認していたのです。昨年の7月20日、河村名古屋市長の肝いりで名古屋で中学校歴史、公民教科書討論会が開催された。教科書会社で出席したのは自由社(つくる会)と育鵬社だけでした。この時育鵬社の歴史教科書の監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授)は、こう語った。

『南京事件は確かにありました。日本軍によって中国軍人や民間人に多数の死傷者が出ました。これは事実です。ただ犠牲者の数などの実態については、様々な見解があり、今でも論争が続いている。これが育鵬社の南京事件についての記述です。』

 皆さん、驚きませんか。自ら保守と称する育鵬社の歴史教科書の監修者の言葉ですよ。名古屋に引き続いて東京でも教科書会社の懇談会の席でも同じような発言をしているのです。」
 

 これが事実なら、育鵬社版教科書の記述は、持論そのまま、ということになるし(もちろん虐殺ゼロの含みはないということになる)、もし石井氏個人の見解であるとするなら、懇親会に会の代表として出席して、このような発言を行った石井氏をこそ、匿名氏は非難すべきではないのか。
 
 もしそういった身中の虫に対する自浄能力がないならば、育鵬社側の政治的妥協は、その本質にまで及んでいるのであり、むしろ教科書改善運動の本質的意義までも失わしめる妥協と言うことが出来るだろう。

 「つくる会」側が中国共産党の工作を疑うのはそれゆえにである。
 匿名氏の主張の背後にある、何が何でも「つくる会」を潰したい、という情念に異常な感じを抱くのは私だけではあるまい。教科書改善運動の本質から見て、彼は闘う相手を間違えている。そこに外部からの力が作用していると疑うのは、健全な常識が持つ知恵と言うものであろう。

 聖徳太子が言うように、「人皆党あり、また達(さと)れる者少なし」は世の常だから匿名氏のような人物がいても仕方がないが、彼の属する「党」が中国共産党の影響下にあるとすれば問題は深刻である。

 以上、匿名氏の見解に同意できない、頭の弱くて不自由な、サル以下の人間の反論である。(それにしても何という差別的な全体主義者だろう。)

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