徳富蘇峰の語る明治天皇

 明治天皇は井上毅の語る所によれば、まことに理想的の立憲君主であった。天皇の天職以外には何ら欲望も嗜好もあらせられず、しかもよく衆言を採択あらせられ、深く慮り、審らかに考え、一旦宸断せられたる上は、いかなる困難あるも断乎として動き給わず、ただ時には余りにも慎重にして、容易に宸断を下し給うことなかったのは、畢竟国家の大事を軽々に断行し、大いなる憂を国家・民人に与えんことを慮り給いしがためと察し奉る、と。恐らくはこの言は天皇に対する最も適当なる讃称の言葉といわねばならぬ。

 明治の時代は、神武天皇以来、我が日本の歴史に於ける最高峰の一である。日本の人口も、天皇即位の当時に比してほとんど二倍に達し、その領土も、台湾・樺太・朝鮮その外を併せて、またほとんどそれに近きものがある。而して僅々五十万の士族が多少たりとも政権に参与したるに反し、ほとんど日本国民の全てにちかきまで、それぞれ一箇の国民としての資格は付与せられ、権利は行使することを得るに至った。もとより全きを求むるではないが、比較的に云えば、我が日本国民は明治天皇の御宇において幸福なる時代に遭ったと謂わねばならぬ。されば、天皇の御大患に際して多くの国民が二重橋前に跪き、御平癒を祈りたることは人情の自然の発露にして、本文の記者の如きもまた、その一人であったことは、今日においてもなお、よくこれを記憶している。

 爾来、本文の記者は、かねての念願たる明治天皇御宇史を編纂せんとするの志を一層切にし、ようやく大正七年六月三日に至り筆を起こした。当時既に五十六歳、爾来星霜三十又五年、国運の変遷極まりなく、家亡び、国敗れ、老病侵尋、しばしば筆を抛(なげう)たんとしたるも、ようやく自ら黽(つと)めて、頽齢九十、昭和二十七年四月二十日、我が皇国の前途を祝福して、ここに近世日本国民史第百巻の稿を終る。



(以上『近世日本国民史』第百巻「明治時代」巻末より)

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