保守の限界

 いわゆる「保守」は反共産主義であった経緯から、基本的に反中国であり、そういった面から支那の政治・歴史・文化に詳しい知識人も多く、支那における儒教への理解から、儒教体制、延いては儒教思想そのものに対する嫌悪感が強い。

 今思いつくだけで、宮崎正弘氏、岡田英弘氏、江藤淳氏などが挙げられる。
 台湾の独立派・黄文雄氏も同じである。
 外交評論家の加瀬英明氏も、元中国の民主活動家で日本に帰化した石平氏との対談で同じような立場から孔子を論じていた。確か、何だかんだ言ったって、孔子も食人文化に染まっていた、というような趣旨だったと思う。

宮崎正弘氏のメールマガジンへの読者の投稿(五月三十一日付)にも、次のように書かれている。

「中国は食人文化のある異常な国である。
従って、常人とは感性、感覚も違い、我々にはどうしても理解できないことが多い。

 あの孔子でさえ大好物は人肉の燻製なのだ。さすがに、弟子の子路の肉が送られてきたときは食しなかったようだが。あの聖人でさえそうなのだ。

 食人、いわゆる共食い文化があるこの国は、人間としての倫理、道徳、良心、良識、善意などが全くないのである。まさに、野蛮人、いや獣そのものである。獣でも共食いなどは滅多にしないものである。」



 支那に食人文化があるのは確かだが、「あの孔子でさえ」以下のくだりは確実にデマである。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という諺があるが、保守には、中国憎けりゃ、孔子まで憎い、という言葉が当てはまりそうである。

 私とて支那儒教が好きなわけではない。かつて南洲翁の思想を調べるために『近思録』を読んだことがあるがピンと来なかった。ほとんど覚えていない。
 しかし、『論語』だけは素直に好きだし、同様に、これを好み、これを信じ、日本の伝統を創り上げてきた先人の仕事には敬意を持っている。
 愛すべきものとして歴史・伝統を掲げる保守が、この伝統を毛嫌いして、見失っていては、この国の歴史・伝統について、見えるものも見えまい、と心配してしまうのだ。
 事は歴史・伝統という公の問題である。
 好き嫌いを言ってはいけないと思うのだが。

 先の倣岸な物言いの投稿者に、「あの孔子でさえ」以下のくだりについての出典を尋ねてみれば、いや、○○先生(保守の偉い先生)がそう言っている、ぐらいの回答しか返ってこないだろう。

 食糧事情が不安定で、冷蔵庫のない時代のこと。基本的に肉は干物や塩漬けで保存された。孔子にも食肉の習慣はあり(郷党篇)、彼は礼の定めを厳格に守ってこれを食していたようである。
 孔子の愛弟子・子路は衛の内乱に巻き込まれて殺され、辱めとして、その死体が塩漬けにされたことが『礼記』に記されている。それによると、この愛弟子が塩漬けにされたことを聞いた孔子は、家にあった塩漬けを放り出させたという。
 このどこに、孔子の好物が人肉の燻製で、弟子の塩漬けにはさすがに手を出さなかった、などという物語を読み込めるのだろう。
 
 デマが罷り通っていると言ったのはこのことで、好意的に見れば、性善説に立つ、お人好しの日本人を戒めるために、殊更、このような物言いになっているのであろうが、それはむしろ、支那人を批判しながら、支那人の感性で物を言っていることになりはすまいか。

 そもそも人間にとって最も大事な徳として、最初に「仁」を説いたのは孔子である。
 仁とは人なり、とは孔子に私淑する者であることを公言していた孟子の言である。

 ならば極論になるが、伝統に倣って、親王の御名に「ひと」と読み慣わして「仁」の一字を授け、四書五経の学習を義務付けてこられた皇室に、保守はこう諫言しなければ忠を尽くしたことにならないのではないか。
 親王を『論語』の冒頭の一節から取って名づけた「学習」院に通わせるなどもってのほかである。
 「仁」だ何だと言ったところで、それは食人の文化を背景としている。 
 そのような慣習は即廃止なされよ、と。

 教育勅語も、「やまとごころ」で修正したものとは言え、宋学と『孟子』「五倫五常」をその骨格としている。
 その復活などとんでもない。
 
 突き詰めていけば、そういうことになりかねないのである。 

 今回『信長と論語』という記事を再掲載すると、儒教を批判した同趣旨の批判コメントを頂いたが、基本的にいわゆる保守の中国に対する警戒意識、儒教認識に基づく批判であり、この方も、支那儒教と日本における儒教受容の伝統との区別がついておらず、以下の趣旨の回答をすると沈黙してしまった。

 確かに支那の歴史や現代の中国における儒教的なるものを見ていくと、全く形骸化したものであることが判然としており、諸氏の見解に異論はない。
 儒教が国教化された漢帝国以来、支那の儒教は、韓非子に代表される法家の思想が纏った衣である。その本質は権謀術数にあり、儒教は広大な領土を統治するための手段以外の何物でもなかった。
 しかも、文化大革命の批林批孔運動によって、その上辺だけの道徳も破り捨てられ、元来からの利己主義がむき出しとなって、現在の中国の姿がある。彼の人民の道徳意識は地に堕ちたといってよい。


 共産支那の誕生というのは、秦の始皇帝への復古という一面があった。今、渦中の人物である薄煕来は、秦の始皇帝、毛沢東、次の皇帝は俺だ、と豪語していたとの情報がある。
 政治的対立者の流したデマかも知れぬが、この支那人の認識は中々興味深いではないか。

 かつて文学者・林語堂は性善説を説いた『孟子』を老獪な思想家の代表としたが、日本には、『孟子』を「時救の論」とした荻生徂徠や、その易姓革命肯定論を批判する学者はあっても、林語堂のような読み方をした人物は皆無だったろう。
 日本人は『孟子』を賢者、亜聖の言葉としてきたのである。 
 同様に『論語』を聖人の言葉としてきた。
 
 日本には、支那の政治的影響を受けない状況下での儒教受容の伝統がある。それは江戸期を通じて庶民にまで浸透していたので、だからこそ、『論語』の通俗解説書の出版は、この出版不況のご時世にもかかわらず、後を絶たないのである。

 私は保守がむしろ、この思想的伝統に一度飛び込んで、潜り抜けなければ、現在の思想的混迷を脱するきっかけはつかめないと思う。
 だからこそ、私は、西郷南洲翁を問うことを糸口にして、それを育んだ江戸時代日本の思想の英雄に関心を持ち、そういった時代を作った徳川家康に強い関心を懐くのである。
 今、信長を調べているのは、その伝統の起源を彼に見るからである。
おそらく家康に天下人としての命を自覚させたのは、信長である。 

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