さくら (その壱)

花のいろは うつりにけりな いたづらに 
我が身よにふる ながめせしまに       


小野小町 (『小倉百人一首』)


久方の 光りのどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ          


紀友則 (『古今和歌集』)


世の中に たへて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし          


在原業平 (『伊勢物語』)



西行法師の和歌三首


春風の 花をちらすと 見る夢は
さめても胸の さわぐなりけり
        


願はくは 花の下にて 春死なむ
その如月の 望月のころ            



仏には 桜の花を たてまつれ
わが後の世を 人とぶらはば            



 (月と桜をこよなく愛した西行法師。二首目の歌を詠んだ翌年の如月の、桜の咲くころに、河内葛城山の弘川寺で入寂したという。)



治まれる 大和の國に 咲匂う 
幾萬世の 花の春風 
                 

徳川家康 (『徳川実紀』) 


(これは長い戦乱の時代を経てようやく成った平和を寿いだ和歌。代作の可能性が高いが、家康が、その死の直前に太政大臣拝命の席で、勅使を前に詠んだ和歌だという。)

          

散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 
散るこそ花と 吹く小夜嵐
              

三島由紀夫


しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 
朝日にゝほふ 山ざくら花


本居宣長




風さゆる 冬は過ぎて まちにまちし 
八重桜咲く 春となりけり                



昭和天皇

(昭和二十七年四月二十八日に、サンフランシスコ平和条約が発効して、日本が独立を回復したときに詠まれた御製。
 日本はそれまで旧連合国、特にアメリカの占領統治下にあり、言論は統制され、日本の伝統は本質的な危機にさらされていた。
 日本の伝統を背負われた昭和天皇が、この時代を冬と感じ、春を待ちこがれていた大御心がよく感じられる。)
 
 

 高どのの 窓てふ窓を あけさせて
 四方の桜の さかりをぞ見る



 明治天皇

(高く作られた宮殿の窓という窓を開けさせて、よものさくらが盛んに咲き誇っているのを眺める。

 昭和天皇は、祖父である明治天皇を模範とされていた。
 実は昭和天皇は、大東亜戦争開戦前の昭和十六年九月六日の御前会議の際、次の明治天皇の御製を詠んで、開戦を戒める意思をお伝えになられたことがある。
 

 四方の海 みなはらからと 思う世に 
 など波風の たちさわぐらむ



 これは日露戦争の際に明治天皇がお詠みになられた御製とされているが、西南戦争の際にお詠みになられた御製であるとの説もある。
 内容から言えば、西郷南洲翁に深い同情を示された明治天皇が、明治の草創期に内乱の勃発を憂いてお詠みになられた御製とした方がしっくりとくるが、はっきりしたことは分からない。

 いずれにしても戦争を厭う気持ちを詠んだ歌で、明治天皇を模範とされた昭和天皇が、アメリカとの開戦の危機を前にして、政府の指導者たちの前で、この歌を詠み上げたのももっともに思える。
 その昭和天皇は、明治天皇が祖神を前にお誓いになられた「五箇条のご誓文」以来、明治の国是として、日本固有の民主主義が存在したことをよく知っていた。だから、敗戦後、日本人が初めて迎えた元旦の詔書に、この「五箇条のご誓文」を特筆して掲げておられる。
 あの詔書を未だに人間宣言と誤解している人もいるが、あの詔書で天皇が思想的混乱の極みにあった国民に伝えたかったのは、「五箇条のご誓文」という、明治以来のこの国の国是のことであった。それはさらにさかのぼれば、聖徳太子の十七条憲法にまでつながってくる、この国の伝統、もっと言えば国体といってもよいものだ。
 この国の国体、伝統は、七年間の連合国による占領政策によって圧殺しかかっていた。それは昭和天皇のみならず、皇太子殿下(今上陛下)の身辺にまで及んでいた。昭和天皇の春を待ちこがれる気持ちは切実なものだったはずで、先の御製にその思いはよく現れている。

 しかし、本当の春は、昭和二十七年の春に訪れたといえるのだろうか。
 一日の陽気に、いささか気の早いさくらのつぼみがほころんだに過ぎなかったのでは。
 大方の日本人は、どこかインチキ臭さを感じ取りながらもいまだ東京裁判史観に毒されたままだし、マスメディアも当時の言論統制をそのまま受け継いだ報道を国民に垂れ流し続けている。

 日本人がさくらに託す、もっとも深刻な意味での思いにおいて、戦後、一度でも、さくらは咲き誇り、そして、散ったことはなかったのではあるまいか。
 もはや、さくらの樹そのものが、蟲に食い荒らされて、嵐が来れば根っこからすぐ倒れてしまうような、そんな倒壊の危機にさらされているのではあるまいか。) 




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この記事へのコメント

2020年01月23日 22:27
今は消えたヤフーブログで、私も桜を題材にして短歌を七首ほど詠みました。
その時のものをここに再掲します。

これら記事で挙げられてる先人たちの傑作と比較するのは、到底烏滸がましいのですが、稚拙ながらも一応このような歌を作ってみたという事だけを紹介してみたいと思います。

きちんと学んだ訳でもないので、文法とか語法に誤りがある可能性があります。
だから万一ちゃんと学んだ人からそれを指摘されたら、「ああ、やっぱりね・・・」と受け入れるしかありません。

それでは以下の通りに、七首それぞれ原文表記(平仮名のみ)、漢字混じり表記、現代語訳の順に示します。





一首目:つめたさの いまだのこりし やよひづき さくらにほへば こころうきたつ

≪冷たさの 未だ残りし 彌生月 櫻匂へば 心浮き立つ≫

[寒さがまだ多少残っている三、四月の頃ではあるが、それでも桜が美しく映えていれば、(寒さも忘れて)心が浮き立つ。]

※四句目の「匂ふ(匂う)」は、ここでは「香り(良い匂い)がする」という意味ではなく、「鮮やかに色付く」「色が美しく輝く」「照り映える」「内面の美しさなどが溢れ出て、生き生きと輝く」「美しく色を染める」等々の意味です。





二首目:しきしまの やまとごころを かたどるは さくらをおいて ほかにあらむや

≪敷島の 大和心を 象るは 櫻を措いて 他にあらむ耶≫

[(無数にある花の中でも)大和心を象徴している花は、桜を措いて他にあるだろうか?(いや、ないであろう。)]

※頭句の「しきしまの(敷島の)」はすぐ後の「やまと(大和)」に掛かる枕詞ですので特に意味はありません。

※結句は反語です。反語とは断定を強調する為に、真に言いたい事とは反対の事を、敢えて疑問の形にして述べる表現手法の事です。
例えば「そんなことがあり得ようか?(いいや、ある筈がない。)」と言った具合に。

※初句(しきしまの)と二句(やまとこころを)は記事内でも挙げられている、本居宣長の有名な作から本歌取りしてみました。





三首目:さくらばな あはくにほひて かざらぬも ゆゑになかなか うるわしくみゆ

≪櫻花 淡く匂ひて 飾らぬも 故に却々 美しく見ゆ≫

[桜の花というのは、淡い感じの美しさに溢れていて、決して華美に着飾ったりはしないが、それが為に却って美しく見える。]

※二句目の「匂ふ」は一首目で用いたのと同じ系統の意味になります。

※四句目の「なかなか」は古語では、「却って」「寧ろ」という意味も持ちます。





四首目:たまゆらに さきてちりゆく つねなさに をかしとあはれ かんぜさせらる

≪玉響に 咲きて散り行く 常無さに をかしとあはれ 感ぜさせらる≫

[僅かな間に咲いては散って行く、桜の儚さ、無常さに、「をかし」と「あはれ」の二つの情趣を感じさせられる。]

※頭句の「玉響(たまゆら)」とは「少しの間」「ほんの暫く」「暫し」「微か」という意味です。

※四句目の「をかし」「あはれ」ですが、ここでのニュアンスとしては、前者が「興趣を掻き立てられ、心が浮き立つ心情」、後者が「しみじみとした、物寂しげな情趣」とでも思って下さい。
「相反する二種類の情感を同時に感じさせられる」という意味です。





五首目:ひともなき のやまのさくら なにおもふ いとさきたるを たれもこずとは

≪人も無き 野山の櫻 何思ふ いと咲きたるを 誰も来ずとは≫

[人気(ひとけ)のない野原や山の中に咲いている桜の木々は何を思うのか。
桜の花が大層咲き誇っているというのに、誰も観に来ないとは・・・(何と勿体ない)。]





六首目:さくひびの みじかきさだめ しれどなほ わかれをおしむ おもひつきまじ

≪咲く日々の 短き宿命 知れど猶 訣を惜しむ 想ひ尽きまじ≫

[桜が短い間しか咲き続けられない宿命にある事を知っていても、それでも尚、桜が散り行く別れを惜しむ想いは、(その時期が来るごとに繰り返し)尽きる事はないだろう。]





七首目:はなふぶき かぜにまいとぶ あでやかさ たくみのまひに たとへられむや

≪花吹雪 風に舞い飛ぶ 艶やかさ 匠の舞ひに 譬へられむ乎≫

[風に吹かれて舞い飛んでいる花吹雪(桜吹雪)の艶やかさは、名人の舞に喩えられるだろうか?]





以上です。稚拙な歌だと思われても仕方ないのですが、それでもこれが私の精一杯です。
哲舟
2020年01月24日 07:02
ZODIAC12さん

小生は歌を詠んだことがございませんので、よしあしを論じる力はございませんが、歌心はちゃんと伝わって、共感できるので、素晴らしいと思います。

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