『古事記』 千三百回目の誕生日

 本日、二月十九日(旧暦正月二十八日)は、元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられた太安万侶が、これを完成し、献上した日に当たる。

『古事記』ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

 ちょうど千三百年前の今日、太安万侶は『古事記』を天皇に献上した。
 つまり、平成二十四年二月十九日は『古事記』の千三百回目の誕生日ということになる。

 今、我々が『古事記』の内容を知ることが出来るのは、これを解読した国学者・本居宣長の偉業のお陰である。

「本居宣長」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7

 本居宣長が心血を注いだ『古事記』の注釈書『古事記伝』の総論に当たる「直毘霊(なおびのみたま)」は、支那文明との比較による日本の国柄の闡明であり、一種の国體論となっている。中国の脅威にさらされている今日、自己を見失った日本人がその本来のあり方を考える上で、非常に示唆に富んだものといえよう。

 ただ宣長の思想は、流行に流されがちの現代人には理解されにくい。
 宣長は西欧の文献学や清朝考証学という世界的な潮流にさきがけた、英雄的思想家であって、物事を突き詰めた人物にありがちな、滑稽なほどの単純さと、複雑さを併せ持っている。
 これは維新の英雄・西郷南洲翁にも通ずるものであろう。

 単純な理解は、この複雑さを蔽いがちであるし、逆に、複雑さの解明は、この偉大なる単純を蔽いがちなものである。それはちょうど、浴衣を着、犬を連れた上野の西郷さんの銅像のイメージが一人歩きして、その深遠さを覆い隠し、また逆に、その深遠にして高大な思想の探究が、翁の庶民的な親しみやすさを覆い隠してしまっているようなものだ。

 このことは宣長にも当てはまるだろうが、彼は、断片的な言葉と断固とした行動で示した翁と違い、よきことはすべて世に広まるべきであって、秘め事として私するべきではないとの考えから、そのすべてを文章にして残したが、その思想には、言うに言われぬ微妙なものが含まれていて、十分な論理的説明がなされなかった事もあって、これを読んだ凡庸な知性による非難を免れることは出来なかったのである。
 
 「直毘霊」には「此篇は、道といふことの論ひなり」との副題が付いていて、惟神(かむながら)の道についての逆説的な論いが行われるのだが、それは本編の『古事記』本文に対する厳密な考証から導き出されたものなのであって、現代の人文科学系の学者にありがちな、イデオロギーが最初にあって展開される総論ではない。厳密な考証を装った、イデオロギーによって捻じ曲げられた、時には捏造も含んだ本編は、為になされる議論であって、歴史を著しく害うものである。

 人生に対して、これとは全く正反対の態度を取って、真(まこと)の道の徹底した探求者であった宣長の「道といふことの論ひ」は、この道が今も、それと意識されることもなく、脈々とこの社会に受け継がれていることに気づかせてくれる貴重な論文である。

 『古事記』については、漫画や現代語訳されたものから『古事記伝』のような硬いものまで、多様なものが出版され、より親しみやすい時代となっている。
 この豊かな世界観は、現代蔓延している唯物的な価値観とは対極的な世界でありながら、共栄を可能とする世界観でもある。
 『古事記』生誕千三百年を機に、この道を発見した(編纂時すでに見失われていた、太古の民族的精神の再発見というべきだが)本居宣長の驚き、感動を追体験できればと思っている。

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この記事へのコメント

koumyouin
2012年02月21日 22:23
沖縄の数少ない保守論客の1人である惠 隆之介沖縄国際大学客員教授が、 今年に入り、突然大学側から解雇通達 を受けました。 明かな反日左翼の方々からの言論弾圧 のようです。 惠氏解雇の詳細が書かれたブログはこ ちらから・・・
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ 03827cec34a3dd04f5640e3e40e4c333

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