橋下旋風について「考えるヒント」 (その壱)

 十一月二十七日、橋下徹氏率いる維新の会が大阪府知事及び市長選で勝利した。

 今回の選挙について別に大した関心を持っていたというわけではないが、ニュースを聞いて、ふと小林秀雄の随筆『考えるヒント』(文春文庫)を、それも特に第一巻を読み返したくなった。

 読み返してみて、橋下氏について「考えるヒント」になると思われる文章を抜き出してみる。(「・・・」は省略)

「プラトンの『国家』」より

「国家」或は「共和国」とも言われているこの対話篇には、「正義について」という副題がついているが、正義という光は垣間見られているだけで、徹底的に論じられているのは不正だけであるのは、面白い事だ。正義とは、本当のところ何であるかに関して、話相手は、はっきりした言葉をソクラテスから引出したいのだが、遂にうまくいかないのである。どんな高徳な人と言われているものも、恐ろしい、無法な欲を内に隠し持っている、という事をくれぐれも忘れるな、それは君が、君の理性の眠る夜、見る夢を観察してみればすぐわかる事だ、ソクラテスは、そういう話をくり返すだけだ。
 そういう人間が集まって集団となれば、それは一匹の巨大な野獣になる。みんな寄ってたかって、これを飼いならそうとするが、獣はちと巨(おお)き過ぎて、その望むところを悉く知る事は不可能であり、何処を撫でれば喜ぶか、何処に触れば怒りだすか、そんな事をやってみるに過ぎないのだが、手間をかけてやっているうちには、様々な意見や学説が出来上り、それを知識と言っているが、知識の尺度はこの動物が握っているのは間違いない事であるから、善悪も正不正も、この巨獣の力に奉仕し、屈従する程度によって定まる他はない。…
 …今日ほど巨獣が肥った事もないし、その馴らし方に、人々が手を焼いている事もない。小さい集団から大国家に至るまで、争ってそれぞれの正義を主張して互いに譲る事が出来ない。真理の尺度は依然として巨獣の手にあるからだ。…
 ソクラテスは、巨獣には、どうしても勝てぬ事をよく知っていた。この徹底した認識が彼の死であったとさえ言ってよい。巨獣の欲望に添う意見は善と呼ばれ、添わぬ意見は悪と呼ばれるが、巨獣の欲望そのものの働きは、ソクラテスに言わせれば正不正とは関係のない「必然」の動きに過ぎず、人間はそんなものに負けてもよいし、勝った人間もありはしない。ただ、彼は物の動きと精神の動きとを混同し、必然を正義と信じ、教育者面をしているソフィスト達を許す事が出来なかったのである。巨獣の比喩は、教育の問題が話題となった時、ソクラテスが持ち出すのだが、ソクラテスは、大衆の教育だとか、民衆の指導だとかいう美名を全く信じていない。巨獣の欲望の必然の運動は難攻不落であり、民衆の集団的な言動は、事の自然な成り行きと同じ性質のものである以上、正義を教える程容易なことがあろうか。この種の教育者の仕事は、必ず成功する。彼は、その口実を見抜かれる心配はない。彼の意見は民衆の意見だからだ。



 ソクラテスの言うところのソフィストとは、孔子が言うところの郷原であろう。
 孔子は、郷原は徳の賊なり、とまで言ってこれを悪(にく)んだ。
 郷原とは、郷村で善人と呼ばれる人々で、吉川幸次郎はこれを似非君子と訳した。いわば八方美人の偽善者であり、孟子はこれを解説して「閹然として世に媚ぶる者」としている。
 アテネの民主制度下で生きたソクラテスは、善悪の相対性を説いたが、下克上の時代を生き、それまで社会を秩序立てていたものの崩壊に直面していた孔子は、伝統に添うことを以て善とした。
 そして、善の根源を、「人」と発音が近い「仁」としたのである。

 現代は、民主制度の持つ欠陥と、伝統的秩序の崩壊という二つの問題に直面しているといえるだろう。しかし、これは明治の開国この方、日本人が直面し続けてきて、いまだ解決しえていない問題だ。

 再び『考えるヒント』からの引用である。

 もし、ソクラテスが、プロパガンダという言葉を知っていたら、教育とプロパガンダの混同は、ソフィストにあっては必至のものだと言ったであろう。言うまでもなく、ソクラテスは、この世に本当の意味で教育というものがあるとすれば、自己教育しかない、或はその事に気づかせるあれこれの道しかない事を確信していた。…
 …ソクラテスの炯眼をごまかすわけにはいくまい。嘘をつかない方がよい、基底には、君自身が隠し持っている卑屈な根性がある。君達の自己欺瞞がつづき、君達のイデオロギイが正義の面を被っていられるのも、敵対するイデオロギイを持った集団が君達の眼前にある間だ。みんな一緒に、同じイデオロギイを持って暮らさねばならぬ時が来たら、君達は極く詰らぬ瑣事から互いに争い出すに決まっている。



 ソクラテスの話相手は、、子供ではなかった。経験や知識を積んだ政治家であり、実業家であり軍人であり、等々であった。彼は、彼等の意見や考えが、彼等の気質に密着し、職業の鋳型で鋳られ、社会の制度にぴったりと照応し、まさにその理由から、動かし難いものだ、と見抜いた。彼は、相手を説得しようと試みた事もなければ、侮辱した事もない。ただ、彼は、彼等は考えている人間ではない、と思っているだけだ。彼等自身、そう思いたくないから、決してそう思いはしないが、実は、彼等は外部から強制されて考えさせられているだけだ。巨獣の力のうちに自己を失っている人達だ。自己を失った人間ほど強いものはない。では、そう考えるソクラテスの自己とは何か。
 プラトンの描き出したところから推察すれば、それは凡そ考えさせられるという事とは、どうあっても戦うという精神である。プラトンによれば、恐らく、それが真の人間の刻印である。



 うーん、小林秀雄の文章を引用していると、面倒なのに省略するのがもったいなく思えてくるから不思議だ。


 お終いに、ソクラテスが、民主主義政体について語っているところ、これはまことに精妙であって、要約は難しいが(「国家」第八巻)附記して置こうか。言うまでもなく、この政体の最大の所有物は平等と自由であるが、この政体に最も適した人間は、自分の内に持つ様々な欲望を自由に解放している人間に相違なく、それ故、又、人間性格の様々な類型を、一人で演ずる事の出来るような人間であり、…政治関係にしても、為政者は圧政者の評判をとるのが一番恐いから、まるで被治者のような治者が尊敬されるだろうし、逆に、自由の名の下に、為政者に反抗する、治者のような被治者が一番人気を集めるだろう。
 政治は普通思われているように、思想の関係で成り立つものではない。力の関係で成り立つ。力が平等に分配されているなら、数の多い大衆が強力である事は知れ切った事だが、大衆は指導者がなければ決して動かない。だが一度、自分の気に入った指導者が見つかれば、いやでも彼を英雄になるまで育て上げるだろう。権力慾は誰の胸にも眠っている。民主主義の政体ほど、タイラントの政治に顛落する危険を孕んでいるものはない。では、なぜ、指導者がタイラントになるのか。…
 ソクラテスの定義によれば、指導者とは、自己を売り、正義を買った人間だ。誰が血腥いタイラントなどになりたいだろう。だから、誰もなるのではない、否応なくならされるのだ、とソクラテスは言う。正義に酔った指導者が、どうして自分のうちに、人間を食う欲望のひそんでいる事を知ろうか。…
 政治の地獄をつぶさに経験したプラトンは、現代知識人の好む政治への関心を軽蔑はしないだろうが、政治への関心とは言葉への関心とは違うと、繰返し繰返し言うであろう。政治とは巨獣を飼いならす術だ。それ以上のものではあり得ない。理想国は空想に過ぎない。巨獣には一とかけらの精神もないという明察だけが、有効な飼い方を教える。この点で一歩でも譲れば、食われて了うであろう、と。


 (タイラント…僭主、「僭主」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%AD%E4%B8%BB

 橋下氏は当選後の記者会見で次のように言ったという。

 「民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらいます」
 「既存の政党が政治理念を完全に放棄してしまっているということが有権者に伝わっている」

 橋下氏の背後に民意があるといっても、民主政体というのは単なる多数決であり、得票数の差に注目すれば圧勝だったとしても、全体から見れば一部の民意を得たに過ぎない。既成の政党が理念を完全に放棄したと非難したからといって、橋下氏の政治理念にしても、巨獣の手の内にあることには変わりがない。 

 この巨獣の背に乗り、手綱を取ろうとしている橋下氏には、知る限りにおいて、その野心は窺えても、一かけらの精神も窺えないが、明察はあるだろうか。

 民主制度下にある日本の大衆社会は巨獣に似ても、日本文明を眺めてみれば、前回触れた国際主義を見てもわかるように、世界規模から見て、巨獣国家に囲まれた小さな巨人である。決して獣ではない。
 巨獣たちは、内から外から、この衰えを見せる小さな巨人を飲みこもうとしているが、それが果してなしうるものだろうか。
 橋下氏がその日本で果しうる歴史的役割とは一体どのようなものであろうか。

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この記事へのコメント

noga
2011年12月02日 20:29
人は、それぞれに意見が違う。
だから、社会の意思を決定するために、個人の意見をよく聞いて、優れた個人を選ばなくてはならない。だがしかし、首長が多数決で選ばれた後も、日本人は首長が自分自身で意思決定ができないことを民主的と考えているようである。
このような個人主義のない状態では、政治指導者も社会も身動きが取れない。
‘民主主義は最低だ’ という人も多いが、これ以上の政治形態はまだ見つかっていない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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