西郷南洲翁の命日

 九月二十四日は、西郷南洲翁の命日である。

ここ数日、南洲翁の遺訓を、聖徳太子の『十七条憲法』とともに、改めて読み返している。

 『(新)西郷南洲伝』の上巻を世に問うて既に五年、下巻を世に問うて既に三年が経過しているが、世間一般で特に南洲翁に対する新たな議論が起こり、認識が改まった、ということもなさそうである。
 これは自分の力不足が原因である。
 二年前の命日の直前には、南洲翁の辞世ではないか、という漢詩が新聞で報道されたが、大方の支持を得ることが出来なかったようで、その後ほとんど取り上げられることもないようである。

 最近、南洲翁について記事を書くことがめったになくなったが、これは関心が薄れたためでもなんでもない。
下巻の「あとがき」で宣言したように、南洲伝では十分に触れることが出来なかった、翁が日本人の真髄を体現し、日本文明の本質を体現している、という命題の解明に歩を進めているからである。
 南洲翁が日本を体現しているということは、翁を知ることがすなわち日本を知るということであり、日本を知ることがすなわち翁を知るということになる。
 つまり双方の理解が相俟って、その偉大さを知ることが出来るのである。
南洲翁については、一度、それなりに徹底しておこなったので、それを土台に、日本の歴史・伝統についても同じ作業を行っているわけだが、その理解を、さらに広く、さらに深くしていくのに時間が掛かるのは仕方のないことである。
 これから述べることで、それがいかに途方もないことか、その一端でも理解していただけるかと思う。

 現在の日本は、幕末や昭和初期に勝るとも劣らぬ苦難の時代を迎えている。それにもかかわらず、日本人の気概、活力の喪失、政治の低迷・停滞、文明の衰退は誰の眼にも明らかである。
 それは突き詰めていくと、自信を失っているということに行き着くと思う。
 自信を失っているものに自信を持てといっても一時の慰めにしかならない。
 おだて誉めそやされて起こす、見えない未来への不安から逃れるための行動は、むしろ自らをますます苦境に追い込むであろう。

 日本が自信を失っているのには、さまざまな要因が複雑に絡み合っているが、自己の歴史を直視し、その源泉を問うことでしか、自信を取り戻し、この困難を切り抜けることは出来ないだろう。
 まさに明治維新がそうであったように、だ。
 その前提として、日本の伝統が明治維新を生み、その明治維新から幾たびかの世界史的戦争を経て、現代にまで至っているという、その道のりを明らかにする必要があるのである。

 それが我々の目に見えにくいのは、一つは、明治以来の開化、近代礼賛、西欧賛美の思潮が、伝統思想を見えにくくし、さらにそれが歴史・伝統否定の左翼思想の蔓延を招いてしまったという事情に由来している。

 もう一つは我々の伝統というものが事挙げをせぬというところにあり、理論化も、体系化も拒否してきたということにある。
 少なくとも戦国時代までは深刻な危機に直面せず、理論武装の必要がなかった、という歴史事情によるものである。
 
 これは、後世から眺めてみれば、そんなもの本当にあるの?という懐疑にも繋がりかねないが、実は豊かな実相に満たされていて、自己主張を必要としなかったということなのである。
 その点、自己主張の激しい文明のほうが、常に自己不安に駆られ、アイデンティティーの危機にさらされている、というパラドクスが成り立ちうるのである。
 卑俗な言い方をするなら、中身のない人間ほどギャーギャーうるさい、ということだ。
 ともかく内省を欠くがゆえに、精神の重心が高く、不安定なのである。

 こういった人々は、保守にもいるだろうが、本質的に左翼の属性である。
 外来の思想であるがゆえにどうしてもそうならざるを得ない。精神の祖国が外国、というのはどうしても根の張ったものではない。そこで外国勢力に依拠せざるを得なくなるのだ。
 独立不羈の精神とは程遠いのである。

 さらに、左翼思想は唯物論であるから、そこには人間を欠いている。
 人間を欠いているとはすなわち歴史を欠いているということだ。
 もちろん、彼らにも、歴史と称するものはある。
 唯物史観と呼ばれる歴史がそれだが、歴史とは史料に基づく、人間洞察の積み重ねである。彼らの史観には人間がないから、洞察を欠いた、イデオロギーを主張するための道具に成り果てている。 
 だから彼らの主張に不都合な史実は抹殺されるか、時には捏造してまで否定することになる。

 七月に『別冊正論』「中国共産党 野望と謀略の90年」という本が出た。
 その表紙を飾っているのは、毛沢東、スターリン、周恩来、尾崎秀実、レーニンの肖像写真であるが、もしこの世に通俗的な意味での大東亜戦争に関するA級戦犯が存在するとするなら、レーニンを除いて、これらの人物は間違いなく、その候補だろう。

 (実際は首相になる前の野田佳彦氏がいみじくも言ったように、A級戦犯と呼ばれる人たちは戦争犯罪人ではない。共産主義者こそ、日本を戦争に追い込んだ犯罪者であることについては次の記事が参考になる。
 http://vaccine.sblo.jp/article/834188.html

 その中で唯一の日本人である尾崎秀実は、ゾルゲ諜報団の一員にして、共産主義者である。朝日新聞の記者として世論を、また近衛内閣の顧問として政府の方針を、戦争の泥沼化へと誘導した人物だ。

(「尾崎秀実」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A7%80%E5%AE%9F

「近衛文麿」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF

「近衛上奏文」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

 尾崎は大東亜戦争開戦の直前に逮捕された。
 ウィキの解説では、取調べ時の激しい拷問で白髪化したとなっているが、そうではないようだ。
 いわゆるA級戦犯の一人・重光葵の回想『昭和の動乱』に次のようにある。

 尾崎は捕らえられた後に、検察当局に述懐して、「自分が長く仮面を覆った危険な潜行運動をしたその苦心のために、頭の髪は全く白くなってしまった」と云い、また、「自分等の日本赤化運動は、すでにその目的を達し、日本は遂に大戦争に突入し、擾乱は起り、革命は必至である。自分の仕事が九分通り成功しながら、今その結果を見ずして死ぬのは、残念である」と述べた。
 近衛公は、辞職後、或る日、記者に対してゾルゲ事件のことを語り、尾崎の検察当局に対してなしたる前記の告白を繰返して、「実に戦慄すべきことである」と語った。近衛公は、更にその時、「自分がある政策方針を樹てて、表面陸海軍側の賛成をも得て、これを実行に移す場合に、何処からともなく故障が起って、如何しても、思うようにならなかった」とも述懐した。ゾルゲ及び尾崎は、一九四四年に死刑執行せられ、クラウゼンや中西は終身刑となったが、終戦の際、占領軍によって逸早く政治犯として他の共産党員と共に、釈放された。宮城とヴーケリッチは獄死した。その他の連累者は、有期刑を判決されたが、これまた全部終戦の際、占領軍の釈放するところとなった。
 ゾルゲ事件は、この種事件の判明した一事件に過ぎない。共産党の世界にわたる組織は、政治、文化、経済の各部門に、或いは第五列として、或いは間諜として、あらゆる手段を用い、その目的を達するために、信念的暗躍を行っていることが、戦後次第に世界の人々に知られるところとなった。


 当時の日本が直面していた危機が尋常なものではなかったことがわかるだろう。
 そのコミンテルンのスパイたちを周りに置いたのは近衛自身の責任である。
 彼の遅ればせながらの上奏の内容は正しいが、彼に欠けているのは決断力と責任意識だろう。
 近衛自身が学生時代、河上肇に付いて熱心に共産主義を学んだ人物であり、彼がヒットラーに憧れを抱いていたことは有名だ。ちなみにナチスとはナショナル・ソシアリズムの略で、国家社会主義政党である。
 彼の学習院時代からの親友で、終戦時内大臣を務めていた木戸幸一もまた、河上肇に支持したマルクス主義者だ。

(「木戸幸一」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%B9%B8%E4%B8%80

 この解説によると、木戸は敗戦の年に次のように語っていたそうだ。

 昭和20年3月3日、宗像久敬に対して、ソ連は共産主義者の入閣を要求してくる可能性があるが、日本としては条件が不面目でさえなければ、受け入れてもよい、という話をしている。さらに「共産主義と云うが、今日ではそれほど恐ろしいものではないぞ。世界中が皆共産主義ではないか。欧州も然り、支那も然り。残るは米国位のものではないか」とし、「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るがよい。英米に降参してたまるものかと云う気運があるのではないか。結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることになるのではないか」と述べている。(「宗像久敬日記」)

 これを聞いた宗像は「ソビエットと手をにぎり共産主義でゆくべきかは之は大なる問題なり」と日記に認めている。
 高松宮殿下も昭和十九年五月の時点で「実際の処、神ながらの道も共産主義も少しも変わらんではないか」と仰られていたそうである(『細川日記』)。

 この当時の日本のエリート層の共産主義に対する認識の甘さはどうだろう。
 その背景には、大正時代以来、日本の知識人を魅了してきたのが、近代合理主義思想の一種として輸入されてきた共産主義であったという事情がある。

 つい最近まで、張作霖爆殺事件の真相について検証してきた。
 この暗殺事件におけるコミンテルンの関与は間違いないと思われるが、その中で私は、これまで真犯人とされてきた関東軍高級参謀・河本大作自身が、実は国際共産主義運動の影響を強く受けた人物であったと確信するようになった。
 (これについては、また別の機会に検証したいと思うが、それは「文藝春秋」誌上に掲載された彼の手記なるものをよく読めば明らかであるし、彼の経歴や遺族の証言などを総合すればそういった結論にならざるを得ないと思われる。河本が事件を起こした昭和三年は、ちょうど、治安維持法による共産主義者の一斉検挙、三・一五事件が起き、また、前述の尾崎秀実が上海でゾルゲに出会い、コミンテルンのスパイ活動に従事するようになった年であった。)

 ともかく共産主義やそれに類する国家社会主義は、知識人のみならず、当時の軍人・官僚の多くの心を捉えて離さなかったのである。
 戦前戦中の重要な時期に国政の中心にあった近衛文麿や木戸幸一もまた、そういったエリートの一人であった。 

 木戸は昭和二十年五月、空襲で家を焼かれ、弟・和田小六とその娘婿一家の屋敷に居候することとなった。木戸の姪に当たる、和田の娘は正子という。その夫が都留重人であった。
 都留重人はバリバリの共産主義者であった。木戸と都留はそれ以前、三年前からしばしば会食を重ねてきたが、一つ屋根の下で、どのような会話が交わされたのであろうか。
 都留は外務省嘱託となって昭和二十年四月にソ連を訪れている。
 尾崎が九分通り成功したといった日本赤化運動、敗戦革命の打ち合わせに行っていたのではなかったか。

 尾崎が目指した日本赤化運動の方針は、一九二八年スターリン主導で行われた第六回コミンテルン国際大会で採択された政治綱領に基づく。
 これはいわゆる敗戦革命論で 帝国主義国家間の戦争が勃発した場合、自国政府の敗北を助成し、自己崩壊の内乱戦に転換させ、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行するという内容のものである。もちろん非民主的な暴力革命論である。終戦後の混乱期、左翼の運動が過激化した背景には、コミンテルンのこの方針があったのである。

 それを考えたとき、多くの日本人が太平洋の島々で玉砕し、ジャングルで飢えに苦しみ、また国民全体が物資の不足に苦しむ中で、平然と、自分の仕事が九分通り成功し、その成果を見届けることが出来ないのが残念だと言ってのけた尾崎にはぞっとするものを感じざるを得ない。
 多くの共産主義者は尾崎と同じように、その時が来る悦びを抑えかねていたのだろうか。

 ともかく以上のことで言えるのは、戦前戦中の国家の中枢には、コミンテルンのスパイたちが深く入り込んで、日本とシナの戦争の泥沼化を謀り、次いで日本と米英との戦争を勃発させようとしていた、ということである。
 これは生まれたばかりの、共産主義者にとっての心の祖国・ソ連を守ると同時に、混乱に乗じて、共産革命を実現しようとの意図からであった。
 日本と連合国との戦争における、通俗的な意味でのいわゆるA級戦犯というものがあるとするなら、彼らこそそれであろう、というのはこういった意味合いにおいてである。
 いわゆる東京裁判においてA級戦犯として処刑された人々は、彼らの壮大な陰謀に、時に逆らい、時に乗せられ、翻弄されながら、あの戦争に至る過程で日本を守るためにそれぞれの職責を果そうとした人々なのである。
 決して戦争犯罪人などではない。


 日本国家の中枢に、左翼が入り込んでいるという点で、現在の日本は、戦前の日本にそっくりである。というよりそれ以上であろう。
 二十年前のソ連崩壊以後、彼らを背後で操っているのは、中国共産党と北朝鮮である。ともに人民共和国だ。
 民主党の事務局は旧社会党の出身者で固められており、法案の作成などで彼らの言いなりである。鳩山・小沢体制は、中国の傀儡政権であったし、続く菅首相は北朝鮮のエージェントであり、その影響を強く受けた政権だった。
 その菅と小沢が党首選を争っている最中に、尖閣における中国漁船の領海侵犯、及び海上保安庁巡視船への衝突事件が起きたのは偶然ではない。
 
 菅首相の就任直後に行われた二〇一〇年夏の参議院議員選挙は、日本文明の存亡がかかった選挙だった。
 中国共産党が策定した日本解放、すなわち人民共和国化の第二段階が完成するか否かの重要な選挙だったのだ。
 彼らの日本解放計画は、古くまで遡るが、その第一期工作の完成が日中の国交樹立であった。
 時の首相は、田中角栄。
 小沢氏の政治家としての師である。
 以後、中国共産党は「日本解放第二期工作要綱」(ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A7%A3%E6%94%BE%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%9C%9F%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E8%A6%81%E7%B6%B1)を策定し、これを着実に推し進めてきた。
 民主党による衆参両院における過半数獲得は、その完成を意味していた。その目標とするところは民主連合政府による人民共和国憲法の制定と人民裁判を開いて、天皇を戦犯として処刑することである。
 民主党が大連立をしきりに工作するのも、この目的からである。
 現在行われている裁判員制度は、アメリカの陪審員制度の導入とも言われるが、この人民裁判への地ならしだろう。

 ウィキの解説にあるように、「日本解放第二期工作要綱」文書は出所に不明確な点もあるが、現実はそのように進行しているのであり、また中国のそういった意図も明確である以上は、これを本物と見て差し支えないだろう。

(全文は次のサイトに掲載されている。

http://yusan.sakura.ne.jp/library/china_kousaku/
  
 日本国民必読の文書といってもいいが、中国共産党は昨夏の参議院議員選挙の結果と九月の中国漁船衝突事件の日本国民の反応を見て、戦略を柔軟に修正してきている。日本に対する、直接侵略の準備を充実させながら、間接侵略工作をより充実させようとしているのだ。
 すでにそういった兆候は、マスコミの世論工作に現れているし、民主党の政策にも現れている。
 今、我々にとって重要なのは、このマスメディアを通じたプロパガンダの洪水の中で、大東亜戦争以来敗北し続けてきた思想戦をいかに戦うか、なのである。

 さて、南洲翁の命日と題して、話が大きくそれているようだが、私が南洲翁を語る意識、今なぜ南洲翁を通じて日本の伝統が問われなければならないか、という切実した意識に直結した問題であり、この話をもう少し続けさせてもらうこととする。(続く)



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