野田「どぜう鍋」内閣の不義、不仁

 野田「どぜう鍋」内閣の不義、不仁を言って、出揃った大臣の不義、不仁を一人一人論うまでもないので他に譲ることにする。
 ここでは、保守を看板とし、これまでの発言から、一部保守層の期待を集めていると思われる野田首相に焦点を絞って論ずることにする。

 野田佳彦首相のかねてからの口癖は「日本の曲がった背中を伸ばす」だったそうだ。
 これは具体的には東京裁判史観を克服することを意味している。
 ところが首相に就任した野田氏は、まず自分から背中を曲げてしまった。

 以下の記事は産経新聞からの転載である。

(転載開始)

【どじょう宰相 野田佳彦の実像(上)】

(1)「保守政治家」の原点封印 口癖は「日本の曲がった背中を伸ばす」だったが…
2011.9.8 01:13

 ここに1冊の本がある。「私たちはどのような国をめざすのか」。故松下幸之助が昭和54年に設立した松下政経塾(神奈川県茅ケ崎市)のOBが平成21年3月に出した発行1千部程度の非売品だ。

 1期生の野田佳彦を含む政経塾OB、在塾生の計十数人は「松下政経塾政経研究所国策研究会」を立ち上げ、18年春から毎月1回、東京・六本木の政経塾東京事務所に集まり、議論を戦わせ、その結果を本としてまとめた。野田は研究会座長を務めた。

 野田が担当した第1章「日本人の歴史観を正す」には「東京裁判史観」を真っ向から否定する言葉が並ぶ。

 「東京裁判の判決は戦前の日本を断罪するもの。裁判によって戦争行為のみならず、これまでの日本の歩みと存在が否定されてしまった」

 「日本の首相の靖国神社参拝や歴史教科書に対して中国や韓国は必ず干渉してくる。事あるごとに中国は南京大虐殺を持ち出し、韓国は従軍慰安婦を持ち出すが、そのたびに日本政府は頭を垂れて謝罪を繰り返している有様だ」

 野田は研究会で口癖のように訴えていた。

 「日本の背中は曲がっている。それをなんとか伸ばさなければならないんだ!」

 研究会を立ち上げた時、野田は失意の底にあった。18年2月にいわゆる「偽メール事件」の責任をとり国対委員長を辞任。同じく党代表を辞任した政経塾8期生、前原誠司とともに「頭がいいだけで社会を知らない未熟者」とのレッテルを貼られた。冷たい視線が注がれ、表舞台に出ることも少なくなった。

 研究会は自衛官の息子として育ち、「保守政治家」であることを自任してきた政治家・野田の原点を見つめ直し、再スタートをきるきっかけでもあった。

 野田は本の「まえがき」で「万人が共鳴する確固たる国家理念の下に日本の政策は実行されなければならない」と書いている。


× × ×


 研究会立ち上げから5年後の8月30日、民主党代表選を逆転劇で制した野田は首相に指名された。だが、首相として初めて臨んだ今月2日の記者会見で、靖国神社の公式参拝を「総合判断して」行わないと明言した。

 「A級戦犯と呼ばれる人たちは戦争犯罪人ではない」と指摘した17年の自らの質問主意書についても「政府の立場なので出てきた答弁書を踏まえて対応する」と歯切れが悪かった。

 松下の秘書を長年務め、野田の政経塾入塾の面接も行ったみんなの党参院議員、江口克彦は「首相になって考え方を変えるのは詐欺だ」と手厳しい。

 保守政治家としての野田のアイデンティティーはどこに行ったのか。


 ・・・(中略)・・・


 代表選直前、野田は松下政経塾の1期後輩の前東京都杉並区長、山田宏と向き合っていた。

 山田「今までの首相がやれなかった集団的自衛権行使を容認すべきだ」

 野田「それは、分かっている」

 「集団的自衛権を保有するが、憲法上許されない」とする矛盾した現行の政府解釈に対し、「行使を容認する」というのは野田の持論である。山田は内閣発足直後に宣言するよう求めたが、野田が記者会見で触れることはなかった。

 野田は今月10日発売の月刊誌「Voice」に掲載される論文に「あらためて学ぶべきは大平正芳さんの政治のあり方」と記した。一般消費税を掲げて衆院選を戦おうとした元首相、大平の「気概」に見習うという。

 クリスチャンとして知られた大平は、靖国神社の春秋の例大祭に計3回参拝している。昭和54年、参院内閣委員会で先の大戦との関連で靖国参拝について追及された際には、「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は、歴史がいたすであろう」とも答弁した。

 A級戦犯に関し、野田が質問主意書を出してまもなく官房長官に就任したのが元首相、安倍晋三だ。安倍が7月半ばに野田と会った際、主意書が話題となった。安倍が当時、野田に電話して「主意書は大変立派だ」と伝えたことを持ち出すと、野田は「よく覚えています」と応じた。

 安倍は続けた。

 「あなたの考え方はしっかりしている。ただ、政治家だったらそれを現実社会に生かさなければならない」

 「その力がついた時にはぜひやります」

 野田は深くうなずいたという。

                 × × ×

 東日本大震災の復旧・復興の遅れや長引く東京電力福島第1原発事故、小沢に対する党員資格停止処分をめぐる党内対立のしこり、衆参ねじれ国会…。前首相、菅直人の「負の遺産」を継いだ野田にとって、目の前に山積する課題に対処するのは精いっぱいなのが現状だ。

 野田に近い議員は「来年9月の代表選で勝てば『本格政権』ができる」と語る。理想とする保守政権は1年間はお預けというわけか。

 「集団的自衛権の行使に相当することをやらざるを得ないことは現実的に起こりうる。原則として行使を認めるべきだ」

 野田は21年の政権交代直前に出版した著書「民主の敵」に記した。有事は明日起きるかもしれない。いつまで「保守」を封印し続けるのだろうか。


(転載終了)


 もちろん、野田氏が党首の地位にあって、党内の和を目指す限り、その保守としての主張は封印し続けられなければならない。
 外資系の政党で(外国人から献金を受けていたことが判明した野田首相も例外ではない)、分裂の心配からここまで党綱領さえ作れずにきた民主党の本質を考えれば、保守の主張で一致一和することはありえないからだ。

 記事にあるように、以前の野田氏の主張は表向きだけかもしれないが、保守の立場から見て義(ただ)しい。 

 孔子は「義」という言葉について次のように言っている。

 義を見て為さざるは勇なきなり。

 そもそも「義」という漢字は、「羊」と「我」から成っており、「羊」は動物のひつじ、「我」とは鋸(のこぎり)の象形である。羊に鋸を加えて、神への生贄とする。そこから神意にかなうことを「義」とするようになった。神意にかなうから義(ただ)しいのだ。
 

 だから孔子の先の言葉の全文は次のようになっている。

 その鬼に非ずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり。
 義を見て為さざるは勇なきなり。


 「鬼」とは死者の霊のこと。
 「神」とあわせて使われることが多く、「鬼神」は神霊を意味する。

 その家の霊でもないのに祭るのは、諂いであり、不義である。
 神霊の意にかなわぬからだ。
 その不義を知りながらも為しているということは、それを為さざるを得ないような事情があるからだが、そういった事情を抱えながら、神霊の意にかなうよう、義(ただ)しい行いを為すには大変な勇気が要る。

 例えば『論語』に次のような話がある。

 衛の国の権臣・王孫賈が、亡命中の孔子に次のように問うた事があった。

「その奥に媚びんよりは、むしろ竈に媚びよ、とは何の謂いぞや。」

 奥とは上位の神を祭る場所のことで、竈とは竈(かまど)の神のこと。下位に位置づけられる。
 竈の神とは要するに食の神であり、それに嫌われては食っていけない、すなわち生きていけないぞ、ということであり、当時のシナには既に、現代の大半のシナ人の信条であるような、そういった諺があったようだ。
 この場合、衛の王家に媚びるより、権力者である自分に媚びよ、との寓意が込められている。
 この権臣には、孔子の振る舞いが衛公に取り入ろうとしているに見えたのだろう。確かに孔子は当初、衛公に用いられて、その理想を実現しようと意欲を燃やしているようなところがあったが、衛公の無道を知って、失望に変わったのである。 

 この権臣・王某に対する孔子の答えは次のようであった。

「然らず。罪を天に獲(う)れば、祷(いの)る所なきなり。」

 孔子は竈の神を祭ること、すなわち諂うことを拒絶したのである。もちろん、奥の神を祭ることをも否定している。
 それは孔子にとって、その鬼でも、神でもなかったからだが、当時、彼は「盗」と呼ばれる、殺したところでお咎めなしの政治亡命者であったから、この拒絶は大変な勇気を要するものであった。
 孔子は確かに敢えて義を為している。

 孔子は常に天命を意識し、これらの神々を超えて、天を祭り、祷り続けた人であった。天は、孔子にとって、鬼神のさらに上位に位置する、祭られるべき超越的存在だったのである。
 孔子は天について語ることがまれであったが、天意というものがあると信じていたとしたら、この拒絶を天意にかなうことと認識していただろう。

 「敬遠」という言葉の出典は、『論語』における孔子の「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし」という言葉にあるが(「義務」の出典でもある)、「遠ざく」という外的行為に重点を置く現代的な用法と違って、孔子の心的態度は明らかに「敬して」に重点を置いている。
 疎ましいからでなく、篤く敬った上で、遠ざくのであるが、敬う対象を遠ざけるのでなく、自ら遠ざかるのであるから、そこには謙譲の意が含まれることになる。

 そこには上位への神に対して、なだらかに、より濃密になっていく畏敬の態度と、言葉の背後に隠れてしまっているが、全的にして最上位の存在である天への畏敬の念を前提に真の知が生まれるということが語られている。

 通俗的な論語解釈も、後世の注釈もいいが、漢字の原義に遡って、孔子の語感、世界観に従って、そう解釈したほうが、よほど豊かな世界が広がるように思える。
 

 国家という言葉には、「家」という漢字が入っているように、国家とは一つの家である、という語感が含まれている。
 「公」という漢字が、日本では「おおやけ」と訓じられ、しばしば「大宅家」と表されることにも通じた感覚だ。

 この一つの家である日本という国家の神霊を祭るのは、その国に生まれ、暮らす者として当たり前のことであり、義である。字の原義に遡れば、それは神意、つまり八百万の神々の意にかなうことなのである。

 その日本国家の大事な神霊のひとつとして、靖国の英霊達がおられる。
 これを想い、その精神を継承することは仁である。
 これを祭るのは義である。

 この「義」に「言」がついた「議」は、音が通じていることからもわかるように神意を問いはかることを意味する。(「仁」「人」の音・意が通じていたことを思い出して欲しい。「義」「犠」も音・意ともに通じている。)

 ならば論ずることを意味する「議」という漢字の原義にまで遡れば、神意を問いはかる真心を持って人々は国家に関する物事を論じなければならないということだ。国会とはそういった神意にかなおうとの心を強く持した人が集まり、論じる場でなければならないのである。

 それが今の日本の現状ではひっくり返ってしまっている。

 義を認識していて為さないのは勇なき故にである、と孔子は言う。
 
 首相に就任すると同時に、義を捨て、議を封印した野田氏は、勇なき人物ということになろう。
 勇無き政治家の政治信条などに何の価値があろう。


 その首相が13日午後の衆院本会議における所信表明演説で次のように語った。

「政治に求められるのは、いつの世も、『正心誠意』の4文字があるのみです。私は国民の皆様の声に耳を傾けながら…」

 こんな政治家の「正心誠意」という言葉には一文の価値もありはしない。これは勝海舟の『氷川清話』からの引用だそうだが、彼は勝海舟の事跡を真剣に考えたことはないだろう。
 
 案の定、この発言は野党議員の野次と怒号で掻き消されたという。

「何が正心誠意だ!」「だったら国会を休むな!」

 党利党略があるとは言え、自民党の議員にそれを言う資格があるかどうか疑問とは言え、これは国民の声を代弁しているのではないか。
 既に三人目の首相なのだから、国民の声に耳を傾けるのなら、解散総選挙を行って信を問うのが筋というものだろう。

 「正心誠意」を言うなら、国家の祭祀は、万難を排して、厳粛に行われなければならない。靖国神社への首相としての参拝は、国際情勢、民意を総合判断するからこそ、政治家としての勇を振り絞って、為されなければならないのではないのか。

 それにもかかわらず、総合判断して、靖国神社への、国家の英霊への参拝を取止めたということは、彼の眼に国家、国民はなく、民主党を中心とする政局しか見ていない、ということを意味しないか。

 野田首相は首相になりたかっただけの狡猾な野心家にして保身家である。
 勇なき者に、力はつかない。
 ということは、彼は最後まで持論を封印し続けなければならない、ということだ。 
 義の務めを忘れた首相に、神は、天は決して微笑むまい。
 しかし、天の罰を被るのは常に民の側なのである。

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