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zoom RSS すくわれる「どじょう」?野田首相

<<   作成日時 : 2011/09/09 16:39   >>

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 前回、青山繁晴氏のレポートを元に、野田首相について論じたが、その後、首相は保守政治家として最初の試金石となる朝鮮学校無償化の問題について、「厳正に審査していただきたい」と記者の質問に答えたそうだ。


 (参照) 

@「青山繁晴さんのファンサイト・淡交ブログ」
 『青山繁晴「アンカー」9月7日 野田首相の組閣人事から見える日本の将来! 普天間・拉致事件を青山がズバリ!・ このままでは絶望内閣』


http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/35335536.html

A「ぼやきくっくリ」さんのアンカー文字起こし
「9/7放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

野田首相の人事から見える日本の将来!普天間・拉致事件を青山ズバリ」


http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1060.html



 首相は最初の試金石で既につまづいたと言える。
 彼はこのまま転び続けるのであろう。

 首相が転がり続けるということは、日本も加速的に転落していくということだ。
既に中国が尖閣周辺に漁業監視船という、軍艦を派遣しているし、ロシアも八日、首相の福島第一原発入りにあわせて、爆撃機二機を飛ばして牽制している。


『露爆撃機「日本1周」首相、視察時も』

配信元:産経新聞
2011/09/09 01:41更新

 ロシア軍は8日、北海道北東部の日本領空に接する形で設定した訓練空域などで演習を始めた。野田佳彦首相が東京電力福島第1原発を視察する時間帯に合わせ、爆撃機が福島県沖を飛行。日本列島を完全に1周するのは極めて異例で、北方領土付近では空中給油機も合流し、露骨な挑発の意図が鮮明になった。東シナ海では中国軍のY8の情報収集機型が日中中間線を越え飛行。中露ともに野田政権の外交姿勢を試しているとみられる。

 ロシア軍は千島列島周辺とカムチャツカ半島東側の沖合で3カ所、日本海北西部で1カ所に射撃やミサイル発射の訓練海域を設定したことも新たに分かった。

 ロシア空軍の2機の長距離爆撃機TU95は8日午前6時ごろ、対馬(長崎)の東側から日本領空に接近してきた。九州西方、沖縄本島の南を経由し、太平洋に入り北上した。

 国後島付近で2機の空中給油機IL78と合流、北海道北東部の訓練空域に入った。空中給油をした後、宗谷海峡を抜け、対馬東方まで南下し反転。再び国後島付近まで飛行後、午後8時ごろ帰投した。

 TU95は約14時間にわたり日本領空周辺を飛行しており「前代未聞で今後の動向も予測不能だ」(防衛省幹部)とされる。

 野田首相は午前10時40分ごろ福島第1原発に到着したが、そのころ2機のTU95は福島県沖を北上した。

 藤村修官房長官は「(訓練空域が領空に)ここまで近いのは異例」と述べた。



 彼らはこれまで保守を自称してきた「どじょう」がすくえるかどうか、測ろうとしたのだろう。

 護憲派は憲法改正論議が高まるたびに、軍靴の足音が聞こえてくる、とこの動きに抵抗感を示してきたが、いわゆる平和憲法を守り続けているのに、戦禍の足音が国外から高まってくるのはどうしたことだろう。
 これは考えてみれば当然のことで、平和憲法など平和の維持には一切関係がなかった、そういうことだ。
 紙切れ一枚で平和が維持できるなら、戦前の日本だってそうしたかっただろう。

 そんな紙切れの存在しなかった江戸期の日本はそれなりに平和を謳歌していた。
 それでやっていけるならいつまでも鎖国していたかっただろう。
 しかし、英米仏露を中心とする西洋列強は、日本にそれを許さなかった。
 それを切実に感じたからこそ、日本人は江戸期に培った学問的良心に照らして明治維新を起こし、荒波に乗り出していったのだ。

 明治日本は第一の荒波である清朝との戦争、そして、第二の大荒波であるロシアとの戦争は乗り切ったが、第二次世界大戦という大嵐を乗り切ることができなかった。日本はアメリカの属国となり、敗戦によって生じた心の空白はアメリカニズムとマルキズムによって埋められた。
 この心の傷はいまだに回復していない。

 これはアメリカと共産主義勢力の洗脳工作に国民がやられてしまっているからであるが、戦略目的を達したという点では、戦勝国とする見方もできる。
 これは洗脳にどっぷり浸かっている人からはなかなか受け入れられない、驚きの見方であろう。
 ここは議論がわれるところであろうが、私は伝統に倣って、身を殺して以て仁を成した、と考えれば足りると考えている。

 志士仁人は、生を求めて以て仁を害する事なし、身を殺して以て仁を成すこと有り。

 戦勝国とは戦略目的を達した国云々とは、著名なクラウセヴィッツの『戦争論』からの引用であることからもわかるように、そもそも勝ち負けにこだわる西洋思想そのものだ。
 日本を貶めようという外国勢力や、これに媚びる反日日本人に対する反論としては有効だろうが、援用とは言え、この西洋の考えに基づいた主張を唱えている限り、西洋思想に屈服しているという、明治維新以来、特に征韓論破裂以来の通弊は克服されているとは言いがたい。

 自分が現状を憂いて、まず西郷南洲翁の史伝に取り組んだのには、そういった意味があったと考えている。明治維新がどういった経緯で、またどういった思想を背景に成ったのか、検証したかったのだ。

 明治維新、延いては明治日本には、仁が、志があった。
 明治維新に関して幕府を擁護する向きはあるが、もちろん幕政の全否定は論外としても、幕府主導では、日本国民に日本のあり方を教えた「五箇条の御誓文」も、「教育勅語」も生まれなかっただろう。
 これらの思想は、御皇室を中心とする日本の伝統と「四書」が結びついて生まれたものだ。
 江戸期の学問的成果を背負った明治維新には、深遠な仁が、壮大な志があったのだ。

 これは明治、大正、昭和を経て、暗黙の国民的合意を形成していた。

 明治の精神を継承していた昭和日本は身を殺して、その志を行い、仁を成したのだ。


 ここに言う仁とは、国體の護持ということであるし、日本国民の生活を守るということであるし、抑圧された有色人種の解放ということである。
 もちろん、身を殺したわけだから、国體はぎりぎりのところまで害われ、国民の多くは犠牲になったわけだが、被植民地の解放という点で仁は成され、戦後日本復興の国際条件をも作り出したのである。

 戦後、日本人に見失われてしまったのはそこである。

 前回述べたように、仁とは人なりと言ったのは孟子だが、漢字の碩学・白川静氏によると、人としての最重要徳目に、音が「人(ジン)」に通じる「仁(ジン)」という言葉を用いたのは孔子以前には見られないそうである。
 「仁」は、人がしきものを敷いている形象で、しきものを用いて人々が和むことから、抽象化されて、和親、仁愛の意に発展していったらしい。
 そして、これを高度な概念にまで高めたのが孔子であった。

 御皇室はこの「仁」を逆に、「人(ひと)」という大和言葉に読み慣わして、生まれた御子息達に授けてこられた。
 これは第五十六代天皇、清和天皇以来の慣例である。
 清和天皇は、孔子を祭る式典を立法化し、宮中における初の『論語』講義を主催された。御皇室に一つの伝統を加えられた方だ。
 
 日本文明の外来のものを受容し、自分のものに作り変える力はこういったところにも顕著に現れている。
 シナや朝鮮半島でも官学儒教のあり方とは、全く違う展開をして、現在も地下水脈として、皇室、および日本人の精神に受け継がれているのである。
 私が「やまとごころ」と呼ぶのはその感性のことである。
 

 さて、その後、時代は変転し、列強には、共産党の一党独裁国家である中華人民共和国が加わって、覇権争いを続けている。
 大英帝国は没落し、アメリカに追従を余儀なくされているが、衰退しているアメリカの覇権に、ロシアと組んで背後の憂いを絶った中国が挑戦しようとしているのが現在の状況である。
 西太平洋が米中角逐の地となっているのだ。

 そんな太平洋に、毎年恒例のように首相が交代し、政治意思決定能力の喪失が続く日本列島が浮かんでいる。

 しかも来年、2012年は、画期的な年になる。
 画期的とは激動の時代を画するという意味である。
 運命の女神の悪戯というべきか、来年、日本の安全保障に密接な関係を有する諸国の国家元首が軒並み交代することになっている。
 アメリカ、中国は言わずもがな、ロシア、台湾、北朝鮮、韓国までも。

 既にこれに向けた動きは活発化している。

 そういった厳しい中で野田政権は誕生したが、彼の念頭にあるのは、民主党内の和と、公明党との連携と、増税だけのようである。

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