暴かれていた河本大作の嘘

 これまで張作霖爆殺事件の犯人として、コミンテルン説、張学良説を紹介してきた。
 この有力な二説に、これまでの通説だった河本大作単独犯行説を加えると三説が鼎立することになる。
 バリバリの共産主義者のみならず、反日勢力や中国共産党に遠慮しなければならない立場の人は、前二説をどうしても否定しなければならないだろう。
 彼らにとって犯人は日本人、それも軍部の者でなければならない。
 そうしなければ、戦後のパラダイムの中でせっせと積み上げてきた現在の地位や名誉や富を失うことになりかねないからだ。
 よって、こういった人に何を言っても始まらない。

 では、そういった立場にない、まともな思考ができる人に問いたいが、事件の真相とは一体どのようなものだったのだろうか。
 正確な検証は今後の新史料の発見および研究の進展を待つほかないが、おそらくは、どれか一説が正しいというような三者択一のものではなく、三者の思惑がどのように結びついて、満州の実力者の暗殺という事件に帰結したのか、という視点から、事件の真相は読み解かれなければならなくなるだろう。
 事件がどれか一説にすっぽりと収まりきらぬ以上は、さまざまな要因が複合して事件は起きた、と考えるのが自然だからだ。

 いわゆる昭和史という分野は、鉛の感性のヘボ探偵が多すぎる。
 読者の方々も、名探偵になったつもりでこの謎解きに加わるのも一興だろう。 張作霖爆殺事件は、歴史感覚を磨くのにもってこいのテーマだ。


 さて、ここでこれまで通説、いやむしろ首謀者として確定説とされてきた河本大作に再び焦点を当てたいと思う。

 加藤康男氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』を読む前の、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う』第二章「張作霖爆殺事件の真相」を精読してのアプローチに返る。

 あの時、通説に反する田中義一首相の昭和天皇に対する忠臣としての筋の通し方を見て、次のような仮説を立てておいた。

 昭和天皇の公明正大な大御心をうけて、張作霖爆殺事件の犯人と目される関東軍高級参謀・河本大作大佐を、調査の上、犯人であったなら厳罰に処すると約束した田中首相は、厳正な調査の上、河本の単独犯行説に疑義を呈することになったのではなかったか。
 つまり、政府の調査結果は河本大作の自白を覆すものであった、ということだ。

 そこで、秦氏が書くような、天皇への約束を反故にするかのような次の上奏になったのではないか。

 まず、爆破の真相は不明と結論を示すが、それだけでは心苦しかったのか、各論風に「我軍部又は軍人に於いてもこれに関与したる証跡」はなく、かといって「支那人の側にも在留邦人の側にも何ら証跡を得ずとのことで、御座ります」と補足したので、犯人はいません、自爆でしょうともとれる言い回しになってしまった。
 おまけに一度は犯人と指名した河本大佐を、「独断で陸橋下に支那国憲兵の配置を許容した」陸軍の調査結果に沿ってという、訳のわからぬ理由で行政処分に付し、爆破のとばっちりで保護すべき満鉄線を破壊された責任者にはすでに懲罰を加えました、と言わずもがなの事柄まで付け足してある。



 引用文中の「それだけでは心苦しかったのか」「犯人はいません、自爆でしょうともとれる言い回し」「訳のわからぬ理由で」「言わずもがな」などの、調査報告を貶める言葉の数々は、明らかに秦氏のものだ。

 後段に付いては、河本の明らかな過失については行政処分に附した、という意味であって、訳のわからぬ理由ではない。警備責任を怠ったという職務怠慢を罰したということだ。
 近代法治国家における当然のことで、訳が分からぬのは秦氏に訳を分かろうとの気がないからだ。

 肝腎の事が書かれているのは前段であるが、ここで報告されている調査結果が、実はありのままの調査結果を伝えたものではなかったか、というのが、私の問題提議である。
 

 加藤氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』を読むとき、一番の関心はここにあった。
 秦氏論文には出てこない当局の調査結果がどのようなものであったのかを、私は知りたかったのである。

 これまで河本の手記なるものを信じて、河本単独犯行説を吹聴してきた人々は、一方的に陸軍が恣意的に、若き天皇を小ばかにしたような調査報告を上げたのだと断罪してきたが、軍部を非難していればそれで万事事足りるとしてきただけで、ここのところの検証を怠ってきたのではなかったか。


 ここで加藤氏が著作の最終章で提示しているのが、奉天総領事・林久治郎の命で、領事・内田五郎が事件の発生直後に行った調査の結果報告である。

 内田はシナの奉天警察と合同調査班を結成し、調査に当たった。
 公正を期そうとしたことが窺える。
 ところがシナ側の態度は曖昧で、調査報告書への共同調印を拒否し、やむを得ず単独報告になったとの経緯が附されている。

 調査結果は昭和三年六月二十一日付で、本省に上げられた。
 宛先は「外務大臣男爵 田中義一殿」である。当時首相が外務大臣を兼務していたからだ。

 報告の「爆破の原因」の項は次のようになっている。


 調査の結果被害の状況及程度より推し相当多量の爆薬を使用し、電気仕掛にて爆発せしめたるものなるべく、爆薬は橋上地下又は地面に装置したものとは思われず、また側面又は橋上より投擲したるものとも認め得ず、結局爆薬は第八〇号展望車後方部ないし食堂車前部附近の車内上部か又は、(ロ)橋脚鉄桁と石崖との間の空隙箇所に装置せるものと認められたり。
 外部より各車輌の位置を知ることすこぶる困難にかかわらず、爆発がほとんど其の目標車輌を外れざりし事実より推察し本件は列車の編成に常に注意し、能く之を知れるものと認められる点は本件真相を知る有力なる論拠たるべしと思考せられたり。(注)右に対し支那側は爆薬装置箇所に付いては明確なる意志表示を避けたり。



 要は、内田らの調査では、張作霖の致命傷が、河本らが告白した橋脚附近の線路脇への爆弾設置によるものとの説に疑義を呈する調査結果となったのである。
 実際、残されている現場の写真を見る限り、線路脇が爆破された痕跡を見ることはできず、この点からも河本らの自白は信憑性に乏しい。

 この報告がその後どのように扱われたか定かではないが、当初田中義一首相(外相兼務)や白川義則陸相は自白した河本一派首謀説の立場に立っていたから、その間、重要視されなかったのは確かだ。

 昭和四年三月二十七日、上奏を行った時点まで白川陸相は確実に河本首謀説に立っていたが、五月二十一日の時点で、陸軍は「関東軍は爆殺に無関係だが、警備上の手落ちにより責任者を行政処分に付す」との決定を行っている。
 つまり、この二ヵ月足らずの間に、陸軍は態度を変えたのだ。

 実を言えば、陸軍内部でも河本の自白に疑義を呈する内容の報告がなされていた。
 前年八月(事件の約二ヶ月後)に解任された関東軍参謀長(つまり河本の上司)・斉藤恒が、いつの時点でかはわからないが、次のような報告を行っているのである。
 これは「張作霖列車爆破事件に関する所見」と題され、昭和五年に参謀本部で編纂された『昭和三年支那事変出兵史』に収められている。

 報告書には次のようにある。


 爆薬の装置位置に関しては各種の見解ありて的確なる憑拠(ひょうきょ)なきも、破壊せし車輌及鉄橋被害の痕跡に照らし橋脚上部附近か、又は列車自体に装置せられしものなること略推測に難しとせず。


 つまり、遠まわしの表現ながら、関東軍の調査では河本らの証言を覆す結果が出たのだ。
 また、列車が鉄橋を通過する際、通常20マイル(約32キロ)で通過していたにもかかわらず、この時だけは推定速度10キロで通過していることから次のような疑問も呈している。


 何故かくも速度を落し且つ皇姑屯(鉄橋手前の最寄り駅)にも停車せざりしや、その理由に苦しむものにしてこの点を甚だしく疑問とせざるべからざる。
 すなわち内部に策応者ありて、その速度を緩ならしめかつ非常制動を行いし者ありしに非ずや(列車内中間、もしくは後部にて弁紐を引けば容易に非常制動行はる)。
 緩速度たらしめし目的は、要するに所望地点にて列車を爆破せむと欲せるものに非ずや。
 前記の如く薬量の装置地点は、橋脚上部か又は列車内と判定せるを以て、陸橋上部とせばその位置に張作霖座乗車来る際、時を見計らひ爆破せるものに非ずや。列車内より橋脚上部の爆薬を爆破せむと欲せば、列車内に小爆薬を装置し、これを爆破し逓伝爆破に依りて行へば容易なり。



 これも河本らの自白に対する疑義となる。
 この報告書も当時どのように扱われたか定かではないが、斉藤恒参謀長は、事件から二ヵ月後の八月十日付で、中将に昇格して、参謀本部付となり、11月に東京湾要塞司令官に就任し、翌昭和四年の八月三十一日には予備役に編入されている。
 関東軍参謀長を解任されたのは、関東軍高級参謀・河本の上司として、張作霖爆殺事件の責任を負わされたからであるらしい。

 村岡長太郎関東軍司令官も同四年七月に予備役に編入されているから、事件当時の関東軍トップは、田中内閣が倒れるとともに責任を取らされたこととなる。

 こういった経緯を考えると、河本大作単独犯行説を信じる昭和天皇の不信任により、田中内閣が倒れたことで、張作霖暗殺事件は関東軍による犯行ということに政治的・歴史的に定着してしまったことになる。

 このことが我々の先入観を形作ってしまっているわけだが、少なくとも外務省および関東軍内部に、事件当初から、河本らの自白に懐疑的な調査報告があり、最終的に、陸軍も、また内閣もそれに応じた処分を行うことを決したのである。
 ならば、政府は河本の自白よりも、これらの調査結果を採用したと考えるのが自然である。
 天皇への政府調査報告が遷延した理由もこれで無理なく解釈できる。
 一度は確実と見られ、そのように奏上された調査報告が、真犯人は不明ながらも、別にいるという調査結果に覆ったからである。

 後は、陸軍内部で最終決定に至った経緯、外務大臣兼務の首相・田中義一が奉天領事館の調査結果を採用した経緯を明らかにする史料、証言の発見を待つばかりだが、これはおそらく出て来ないだろう。
 内田五郎・奉天領事の報告でさえ、外務省にあった原本は終戦時に焼却されたというのだから。
 今我々が読むことができるのは衆議院議員・松本忠雄が筆写しておいたものが、現在の外務省外交資料館に保存されているからだ。
 
 外務省のホームページに次のように記されている。

「松本記録」とは、故松本忠雄元衆議院議員が、外務参与官および外務政務次官在任中(昭和8年12月より14年1月)に、政治、外交、条約関係等の重要文書を筆写し、所蔵していたもので、戦後、遺族より外務省に寄贈されました。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/senzen_1.html

 内田五郎の調査報告はこのような経緯で後世に残され、今我々が目にすることができるのであるし、斉藤恒参謀長の所見も戦史として出版されていたから我々は目にすることができるのである。

 これらの調査報告は日本に対し別に不利に働く文書でもないから、終戦時、連合国あるいはそれに通じた者の手によって焼却されたのではないか。
 何が何でも張作霖爆殺は、関東軍、延いては日本のせいにしておかなければならない勢力が、これを否定する材料をこの世から抹殺しようとした、と推察されるのである。

 実際、内田五郎の調査報告はイギリスの諜報機関が入手していたのが確実で、内田報告に付された橋脚の図面を書き写したものがイギリス公文書館に存在する。奉天領事館かシナ側から入手したとしか考えられない。
 さらには日本人の手になる現場の詳細な見取り図数枚も保存されており(見出しや解説が日本語で書かれている)、彼らのこの事件に対する関心が並々ならぬものであったことが窺える。

 MI6に代表されるイギリス諜報機関の優秀さは有名だが、内田五郎の報告書などに基づいた彼らの分析では、やはり河本一派の証言に疑義を呈するものであり、犯人はソ連であり、日本人エージェントを雇って実行したのではあるまいか、とのことであった。日本人エージェントとはつまり河本のことである。
 そして、日本人の犯行と決め付けた日本政府の対応振りに首を傾げるのであるが、これは身内の犯行という爆弾を抱えているか否かの違いだったといえるだろう。
 日本政府はこの処理に手間取るわけだが、それでも五月二十一日には、犯行を自白した河本一派という爆弾そのものを抱えていた陸軍省は、犯人こそ不明としながらも、正気に返った決定をしている。

 当時イギリスはソ連を警戒していたが、第二次世界大戦で彼らは日本と戦った。ソ連とは連合国の仲間であり、いまさら張作霖爆殺事件の真相をほじくりかえす必要などなかった。
 むしろ、あることないことでっち上げて、日本を悪の侵略者に仕立て上げる必要があった。
 これは連合国に共通した態度である。

 そうした中で、日本の正当性を証拠立てる書類の多くは、この世から永遠に葬り去られたのである。
 アメリカの占領政策を見てみるがいい。

 彼らは情報統制を行い、徹底した検閲を行った上、戦前日本で出版された書籍の焚書という蛮行まで行った挙句、公共の放送機関を通じて、日本軍の蛮行を捏造してまで、垂れ流し続けたのである。
 これをウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムという。日本人に戦争に対する罪悪感を植えつけるための徹底した洗脳政策であった。閉ざされた言語空間の中で、初心な日本人はこの洗脳にまんまと引っかかってしまった。
 大陸でソ連や中国共産党の捕虜になった人々もまた同様の洗脳を受けて帰ってきた。
 戦後のマスコミや言論会、教育会を席捲したのは彼らの主張だった。

 その閉ざされた言語空間に安住した、怠惰な精神で、いくら歴史を論じても、歴史の真相は明らかにならない。連合国の歴史観の中で、堂々巡りを繰り返すだけである。

 これらの勢力に属する人々は、陰謀史観とのレッテルを貼って済ますだろうが、当時世界は戦国時代だったのであり、陰謀を欠いた歴史のほうが(特に日本以外の国々の)常軌を逸しているのである。
 それでいながら、彼らは日本の内部は陰謀だらけだったように描く、裏返しの陰謀史観なのだから奇妙な歴史観というほかない。

 ともかく以上の認識があれば、我々は、日本人に本来から備わっている感性によって、何が真実であるか見えてくるだろう。


《「張作霖爆殺事件の真相 (その十一)」 終わり》

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この記事へのコメント

Bruxelles
2012年10月20日 13:25
ご連絡ありがとう御座います。
前々からこの件に関しては田中義一氏がお気の毒でなりません。この方のお気持ちを考えると、天皇陛下に叱咤されることのショックは、今の日本人には計り知れないものがある、おそらく生きている意味が失われたのでしょう。手遅れとは言え、後世のものがそのショックのクッションになって差し上げなければ、と密かに思っています。断言はできませんが河本大作はコミンテルンに繋がっていて、軍人の中にその一味は想像よりも遥かに多くいたのでしょうね。

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