河本大作の人物像

 前回までの秦郁彦論文を叩き台にした論考は言わば「地ならし」である。

 日本の大東亜戦争敗戦後に、アメリカと中国を中心とする旧連合国によって乱暴に整地された凸凹の土地の上に、基礎工事もままならぬうちに建てられ、一見堅牢ながら、危機にはめっぽう脆い、戦後日本という構築物を解体し、整地し直して、そこに日本の伝統が生かされた、堅牢な家屋を新たに建てるための地ならしである。
 そのためには、このような粘り強い作業が各問題について行われていかなければならない。

 ひとまず、確定したとされる張作霖爆殺事件、河本大作単独犯行説、或いは主犯説を、自分なりに「地ならし」し、更地にしてみた。
 事件の真相追及はこの更地の上に為されるべきと思ったからだ。


 関東軍参謀・河本大作大佐の経歴、人物像には不可解なことが多い。

 いくつか参考となる資料を紹介する。

「河本大作」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%BD%9C

「張作霖爆殺事件」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C%E9%9C%96%E7%88%86%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


 次に河本大作自らが語る張作霖爆殺事件に至る経緯と真相である。

 事件勃発前夜の大陸情勢が語られていて興味深い。
 一読したところ、内容に矛盾点は感じられない。これを読めば、彼の愛国心が義憤となって事件に至った、と一応は理解できる。
 しかし、その趣旨に則った、よく出来たシナリオが用意されていたという見方も出来ると思う。


 「河本大作大佐談」;http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/koumotodaisaku2.html

 『文芸春秋』「河本大作手記」;http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/koumotodaisaku.html


 最後に、近年発掘された史料に基づく最新の研究を紹介しておく。


 加藤康男著 『謎解き「張作霖爆殺事件」』 (PHP新書)


 実はこの本を読む前に、これまでの知識を整理しておこうと思い、秦氏の『昭和史の謎を追う』を読み返したのが、ここ数回の記事を書くきっかけとなった。

 まだこの本は読んでいないが、秦論文を読み込むことで、既に事件の真相に対する推論は腹中に出来あがりつつある。
 最新成果に基づく加藤氏の研究を読むのが楽しみだ。

 ここでは、宮崎正弘氏のこの本に対する書評を紹介することとする。




宮崎正弘の国際ニュース・早読み(張作霖爆殺事件、やはり河本は真犯人ではなかった)発行日:6/4

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
       平成23年(2011)6月4日(土曜日)
         通巻第3340号   
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http://melma.com/backnumber_45206_5201005/

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  ◎書評 ブックレビュー しょひょう BOOKREVIEW 書評◎
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河本大作は利用されたのであり、背後にはコミンテルンの謀略
 張学良は父親殺しがばれないよう爆破実行犯を闇に葬っていた

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加藤康男『謎解き 張作霖爆殺事件』(PHP新書)
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 待望された本がでた。
 張作霖暗殺の真犯人は誰か? ミステリー仕立ての歴史クイズのような題名だが、中身は資料の検証と徹底研究。この著作の出現で張作霖暗殺のこれまでの解釈が大きな間違いであることを読書人は知らされる。
 とくに『歴史探偵』を自称する無知暴走の半藤一利とか、ミクロにこだわって大局観のない秦某、保坂某らはグーの音も出なくなるだろう。いや、かれらはこの本を無視して黙(だんま)りを決め込むだろう。
 それほど決定的なのである。
 河本大作が張作霖爆殺の『真犯人』というのは、本人が拡声器のように吹聴し、手柄にしたからで、戦後もそれが一人歩きした。事件後、河本はひそかに英雄視され、軍法会議にもかけられず、遺族も信じ切った。かつ河本は山西省に石炭企業の幹部として戦後も居残り、ついにはシナの捕虜となったが東京裁判への出廷はなかった。供述調書には曖昧な点が多く、また矛盾しているため連合国側もまずい、と判断したからだろう。
 戦後しばらくして『文藝春秋』に掲載された河本の手記なるものは、本人がしゃべったとされるシロモノ、信憑性に問題がある。
 従来の「定説」を革命的に突き破ったのはユン・チアンの『マオ』(講談社)だった。
あれはソ連がやったと断定したのだ。
突破口となったのは冷戦終焉とともにソ連が崩壊し、飛び出したKGBの秘密書類だった。
すなわち張作霖爆殺はコミンテルンの謀略の一環であり『日本軍の犯行に見せかける』様々な偽装工作と政治宣伝とが、同時に仕組まれていた。
 その謀略に踊らされたのが河本一派であり、さらに言えば河本の仕業と誤認した関東軍であり、いや、もうひとりコミンテルンに結局は手の上で踊りをすることになった張学良である。

 黄文雄さんがおもしろい指摘をしている。
「中国の歴代皇帝206人のうち、じつに63人が親兄弟従兄弟縁戚によって殺されている。だから張作霖という中国東北地方の『皇帝』が謀殺されたと聞けば、真っ先に疑うのは家族身内眷属であり、したがって張学良が一番怪しいのです」。

 本書は、その張学良への疑惑が基調となっている。断定はしていないが読後感では強く、この独裁者の息子の存在、前後の不振な行動に大きな疑惑が残るのである。
 ざっとおさらいをしておこう。
 瀋陽駅の手前一キロの地点、満鉄と交差する要衝で、張作霖の乗った特別列車は爆破され、貴賓室、食堂車装備の車両の天井が大破したが、河本らがしかけたと主張する線路脇の壁であるとすれば、レール路に大穴があいたはずである。
残された現場写真は、無惨に天井が吹き飛んだ張作霖の乗った列車がさらされているが、レール路に穴はあいておらず、ちょうど満鉄とクロスする満鉄側のレールが下へおちている。
 だから現場を精密に観察し、見取り図をのこした日本領事館の内田五郎領事は次の報告書をまとめていた。
「爆薬は橋上地下または地面に装置したものとは思われず、結局爆薬は第八十号展望車後方部ないし食堂車前部付近の車内上部か、または橋脚と石崖との間の空隙箇所に装置せるものと認めたり」(昭和三年六月二十一日付け)。
 
つまり、河本らの仕掛けた爆弾は破壊力が散漫で、かつ誘発爆発だった可能性がある、と著者は示唆する。
しかも列車は意図的に速度10キロに落とされていた。
このことを当時の日本領事館が克明に報告書にしていた。にもかかわらず半藤某、秦某、保坂某は、この「都合の悪い歴史的資料」を一切無視した。
 本書の強みはロシア語からの新資料、ブルガリア語の書籍による傍証に加えて、もう一点の決定打がある。
それは加藤氏がロンドンのアーカイブへ一週間かよいつめ、ついに見つけ出した資料だ。MI6が日本側の分析した資料を入手していたのだが、現場地図解説の資料の発見により、河本単独説は潰える。
 関東軍の犯行説は『コミンテルンにうまく利用されて犯人に仕立て上げられた』のであり、真犯人は蒋介石のエージェント、ソ連、そして張学良に絞り込まれるが、事件から半年後、張学良は(犯行を実践した疑いが最も濃厚な)楊宇挺と、常蔭塊のふたりを「新年会だ。麻雀をしよう」と偽って呼び出し、「反乱容疑」をでっち上げて暗殺した。その秘密保全のための事後処理ぶりからも、もっとも疑わしいことが分かる。
 こうして疑惑の張作霖爆殺の真相は、事件から83年目に露呈した。





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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
       平成23年(2011)6月6日(月曜日)弐
         通巻第3342号     
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 張作霖爆殺事件の真相(補遺)
  やはりソ連の謀略期間が暗躍していた
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 藪の中に埋もれたままの歴史的事件のなかでも最大の謎を秘めるのが張作霖爆破事件だろう。
 これまで張作霖爆殺事件の犯人は河本大作(関東軍参謀、大佐)と『断定』されてきた。あたかも確定した歴史的事実のように、この虚説がまかり通ったのは河本自身が「わたしがやった」と言い残し、かつ自著にも明言したからである。
 
河本大作は明治十六年、兵庫県生まれ。陸軍士官十五期。同期の桜には乃木希典次男の保典(日露戦争で戦死)がいる。彼自身、日露戦争で重傷を負い、ついで陸軍大学(二十六期)、大佐で関東軍参謀。昭和三年(1928)、張作霖爆殺事件を引き起こし、軍主流から外されて予備役に。その後の河本大作は「経済人」の人生を歩み、満鉄理事、満州炭坑理事長から山西省のコングロマリット=山西産業の社長となる。
 
山西産業とは軍が独占的に管理する企業三十六社をたばねた、当時のコングロマリットで、閻錫山軍閥の「西北実業公司」を接収した。資材が優先的に割り当てられる国策会社だから競争力は強い。傘下には炭坑、鉄鉱、機械、化学、紡績、食品などの工場があり、満鉄のつぎの規模を誇った。国策企業として満州へ進出した鮎川義介の「日産」と比肩されたほどだった。
 
閻錫山はアンチ蒋介石という人脈からか河本とは大連時代に面識があったらしい。
 昭和二十年、突如の敗戦。河本はしかし閻錫山の山西軍閥と共闘し、山西省で最後まで戦い1949年、国民党は負ける。翌50年、河本は中国の捕虜となって山西省太源の収容所にぶち込まれた。六年後の昭和三十年、収容所で死亡、遺骨は日本に戻った。
 張作霖爆殺事件は1928年6月4日、北京から満州にもどる張作霖の列車が奉天(瀋陽)付近で爆破されたもので、河本の部下らの「犯行」とされた。
 
爆弾は橋梁に仕掛けられた、とされた。念を入れるかのように河本伝記が作られ「私が張作霖を殺した」と記述した。1954年の『文藝春秋』(12月号)に河本が手記とされたものが掲載された。だがこの時点で河本は山西省太源の収容所にいたうえ、自筆の手記は一切残っていない。まして、河本は東京裁判でも証言台に呼ばれていない。
 
「従来の定説・河本大佐犯行説の裏付けとされているものは、殆ど全部が伝聞資料」とした中西輝政が行った。
 それもかなりの歳月を経たあとに某某からから聞いた、関東軍の参謀から聞いた事があるなど資料価値がゼロのものばかり。

 当時から、この河本伝記は資料的価値がうすいとされてはいた。なぜなら河本の自伝なるものは義弟・平野雫児が聞き書きをしたものであり、平野は思想的に左翼人で戦前、治安維持法で何度か検挙されている。
 爆破現場の写真が残るが、橋梁や線路地下に仕掛けた爆弾ならばV型の穴が出来るはずだ。それが見あたらない。つまり爆弾は車内に仕掛けられていたとする説のほうが、科学的であり、説得力がある。

 となると河本大作の発言はデタラメか、自慢するための見栄か、或いは収容所内での洗脳の結果であろう。マインドコントロールで自分がやったと信じ込んでしまった。
 山西省で最後まで闘った日本人部隊は、そのごシベリア抑留されたが、毛沢東が『奪回』し、遼寧省撫順や太原の収容所に集められた。そこで徹底的な洗脳がおこなわれ、「中帰連」が結成された。

 この中国共産党の言い分をそのまま主張する「中帰連」が、日本に帰国後なにをしたか、何を言いだしたかは指摘するまでもないだろう。731部隊は衛生、防疫部隊だったが、それを細菌兵器開発所だとか、生体実験をしたとか突如言い出したのも彼らである。
 冷戦がおわってソ連の機密文書が次々と明るみに出たが、耳目を集めた第一弾はノモンハン事変で日本が事実上勝っていたことだった。

 2005年、ドミトリー・プロホロフという作家がGRUに従事した経験から、独特のカンで張作霖事件の機密文書をさがしあて、真犯人をロシア特殊工作による謀略と断定した著作を発表した。
 ドミトリー・プロホロフ説はこうである。
「1924年、張作霖とソ連政府は中国東北鉄道条約を締結し友好関係を結んだ。これにより(中略)東清鉄道は双方による共同経営となった。しかし張作霖側の鉄道使用代金が未払いだったためソ連が抗議、26年に鉄道の使用禁止を通達したことから両者の関係は険悪化、張作霖はソ連の鉄道管理局長を逮捕して鉄道を事実上占拠した。背景にはソ連が支援した蒋介石軍の中国国民党と張作霖との対立」があった。そこでソ連は張作霖の排除を決め、ソ連軍特務機関のサルヌインに命じた。「1926年九月、奉天にある張作霖宮殿に爆発物をしかけて爆殺する計画だったが、張作霖側もかねてから警戒を強めて満州在住のサルヌインの工作員をマーク、別の工作員がソ連から爆発物を持ち込んだところで、計三人を逮捕、未遂に終わった」 

 この知られざる未遂事件は、白系ロシア移民のバーラキシンが著書で明らかにしているという。
 ソ連が自分を殺そうとした未遂事件に激怒した張作霖は、翌年に「ソ連領事館を強制捜査したり、ソ連汽船を拿捕したり、中国共産党員の大量逮捕」、「さらに満州に亡命していた白系ロシア人の武装組織や略奪を働いていた集団などを扇動、支援してソ連領内への襲撃を仕向け」た。このためスターリンは再度、張作霖暗殺を命じた。

「暗殺計画の立案と実行をエイチンゴンと前回の暗殺計画で失敗したサルヌインに命じた。(中略)日本軍が警備にあたっていた区間」が現場となった。意図的である。「張作霖が当時、米国と接近していたので日本が満州の支配を失うおそれがあるという危機感をもっていたことが動機とされ、ソ連の謀略はまんまと成功した」(以上はプロホロフの『KGB――ソビエト諜報部の特殊作戦』より)。

 そして事件から77年も経って、ユン・チアンは『マオ』を著して世界的センセーションを呼び起こした。 
 彼女も張作霖爆殺事件の犯人は日本ではなく、ソ連工作員の仕業と断定し、それをソ連崩壊後の機密文書から探し当てた。ユン・チアンの夫ハリディはロシア語に堪能。
 元谷外志雄はプロホロフの住むサンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)へ飛んだ。元谷はインタビューに成功し。プロホロフから次の証言を引き出す。

プロホロフ (出版した本は)ロシア以外で行われた、KGBが関与した事件について書いています。張作霖の事件はその一つです。張作霖のプロフィールに加え、なぜソ連が彼を暗殺しようと考えたか、1928年6月の爆殺とその二年前にあった暗殺未遂事件について記述しています。

元谷 未遂事件があったのは知りませんでした。二回にわたってソ連が張作霖を殺そうと思った理由は、何なのでしょうか?

プロホロフ 当時の中国の権力者は、共産党を支持するものと、張作霖のように反対するものに分かれていました。張はロシアの反革命軍である白軍の支援をしていました。さらに東清鉄道を巡って、張とソ連は決定的に対立していたのです。

元谷 そういう背景があったのですね。当時の特務機関の活動を、プロホロフさんはどうやって知ることができたのですか?

プロホロフ 歴史の本や当時の新聞などの記事、その他資料を読み込んだり、他のジャーナリストと情報を交換したりして、調べていきました。 歴史家のヴォルコゴノフ氏の本の中で、ナウム・エイチンゴンという諜報員が張作霖事件に関係があったという記述を見つけたのが、私の研究の出発点です。

元谷 先にソ連の関与を指摘した人がいたのですね。

プロホロフ  そうです。1926年9月の張作霖暗殺未遂事件は、クリストフォル・サルヌインというラトビア人のソ連の工作員が、ブラコロフという実行者を使って、奉天の張作霖の宮殿で彼を爆殺する計画でした。これは中国当局に発見されて失敗します。1928年の爆殺も実行の指揮をしたのは、サルヌインだと考えられます。 どうも彼と繋がっている人間が、日本軍の中にいたようです。

元谷 関東軍の中にソ連の特務機関の手先がいたということですか?

プロホロフ サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です。

元谷 サルヌインは最初から日本軍の仕業にみせかけるために、日本人の実行者を使ったということでしょうか?

プロホロフ そうです。日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。
 
田母神前空幕長とプロホロフを引き合わせつぎの対談もおこなっている。なぜロシアが、このタイミングを撰んで、80年前の機密を明かしたかの政治的な意図を田母神は探ろうとしているのである。


田母神 今中国が、経済的にも軍事的にも台頭してきています。中国が力を持ちすぎることは、ロシアにとっても好ましくないことです。中国は日本に過去の清算を求め続け、外交交渉を有利にして、日本を自国の利益に貢献させようと画策し続けています。日本が真実の歴史を取り戻して中国に対抗するために、ロシアからの歴史情報は非常に貴重なものです。これで日本が中国を牽制することは、ロシアの国益への貢献にもなると思うのです。

プロホロフ 中国のこの10年間の動きには、目に余るものがあります。(2009年)数カ月前にも、中国はロシアの国境近くで大きな軍事演習を行いました。その目的は明確ではなく、非常に不透明です。中露間には数多くの問題があります。アムール河沿いにある中国の黒河市からは、汚水がロシアに流れ込み、天然記念物のシベリアンタイガーなど付近の生態系に悪影響を与えています。何度抗議しても、止めようとしないのです。歴史に関しても中国は傲慢な国です。彼らは自分たちに都合のよい歴史的事実を探してきて、それを他国に攻撃的にぶつけてくるのです。これに対しては断固戦わないと駄目です。戦わないと止まらないのです。共通の利益がある日本とロシアが手を組んで、中国に対抗していくべきでしょう」(以上の引用は雑誌『アパタウン』(08年12月号、09年1月号)。

 なるほど機密公開の意図の一部はこれで了解できる。ロシア側は中国を牽制する目的もあるのだ。そして中国はつねに真実には蓋をする癖がある。
 
さらに驚くべき事実がある。
 第一に河本を犯人に仕立て上げるという謀略に成功したエイチンゴンは「張作霖事件当時は北京、ハルビンに駐在、その後はトルコやスペインで暗躍したが、1940年のトロツキー暗殺を指揮した」。そうか、トロツキーも彼の部下がやったのか。
 
第二に彼は「第二次大戦後も『核スパイ』として、偽情報でアメリカ国防省を攪乱するなど、諜報員として様々な暗躍をしている」ことが近代史研究家らの手で明らかにされた。
 
第三に、ソ連の張作霖事件の謀略は「当時のイギリス陸軍情報部極東課が、事件直後にソ連特務機関の犯行であるという報告書を二度にわたって報告し、この報告書は2007年に公開されている」のだ。
 
中国の「南京大虐殺」なるでっち上げも最初は国民党のやとった外国人記者の伝聞情報であり、それを政治プロパガンダとしてアメリカも利用したプロセスを私たちは思い出す。虚報がたちまちにして世界に流れて、嘘が固まってしまう。英米も日本を悪者にしたてる必要があり、いまもフィリピンの「死の行進」などと逆宣伝に懸命である。
 ようやく過去十数年の研究成果によって南京大虐殺なるものが「存在しなかった」ことが満天下に明らかになったが中国は一切の訂正をしない。
 廬溝橋事件にしても、こんにちでは中国共産党が日本と蒋介石軍双方に発砲したことが明らかになっている。

▼伊藤博文暗殺、ホントは誰が犯人か?

 類似のパターンは伊藤博文暗殺事件である。安重根の放った弾丸は伊藤博文にあたらず隣にいた日本人にあたった。伊藤の致命傷は背後から(ハルビン駅の二階食堂)飛来した弾丸だった。
 
おそらく張作霖と同じパターンである。犯人は最初から仕組まれていて、しかも犯人はそれを信じ込む。安重根が暗殺犯人でないと韓国もまた困る。すでに安重根は英雄として教科書にも登場し、ソウルには記念館までおったててしまったから。
もし、これがロシア諜報機関がしくんだもの、日本に協力者がいたとすれば伊藤に反対した日本の政治かグループが背後にいたことになる。機密文書がでてこないので、推定しか出来ないが、評者の推理はたぶんあたっているのではないか。





《「張作霖爆殺事件の真相 (その七)」 終わり》

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