平成二十三年、一年の計 ⑩

 年が明けてからこのテーマの記事は10回目である。
 すでに桜の蕾がほころび始めている。


 しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 
 朝日にゝほふ 山ざくら花



 このあまりに有名な和歌を詠んだのは本居宣長であった。

 桜に託した先人の思いは様々である。

 花のいろは うつりにけりな いたづらに 
 我が身よにふる ながめせしまに 


 (小野小町…『小倉百人一首』)


 久方の 光りのどけき 春の日に
 しづ心なく 花の散るらむ 


 (紀友則…『古今和歌集』)


 世の中に たへて桜の なかりせば
 春の心は のどけからまし 


 (在原業平…『伊勢物語』)


 願はくは 花の下にて 春死なむ
 その如月の 望月のころ

 
 (西行法師…この歌を詠んだ翌年の如月の、桜の咲くころに、河内葛城山の弘川寺で入寂したと言い伝えられている。)


 最後は三島由紀夫の詠歌。

 散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 
 散るこそ花と 吹く小夜嵐

 

 これは、彼の生き様でもあった。

 彼の日本の未来に対する予言は今、的中の一歩手前まで来ている。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

(三島由紀夫  昭和四十五年七月七日 「産経新聞」)

 彼は確かに、「檄文」を残して、それでもいいと思っている人々と口をきかなくなった。
 事敗れて、割腹自殺を遂げ、そして、護国の鬼と化したのである。

 彼の予言で外れているのは、抜け目がないという点であり、外れる恐れがあるのは、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろうとの予測である。
 いまやこの経済大国は、米中の間でまさに飲み込まれるかいなかの瀬戸際に立たされているのだ。特に世界制覇を目指して、勃興する中華帝国という大津波に、である。


 三島由紀夫は「檄文」で戦後日本に対する本質的な批判を行っているが、彼が生命を賭してまで自衛隊に決起を促したのはなぜだったのか。
 それは「檄文」を読めば明らかだが、自衛隊を国體を守る事を本旨とする国軍にするためである。
 すなわち国體を守るためであったといっていい。

 三島由紀夫が割腹自殺を遂げたのは、四十五歳の時であった。
 三島事件は、私が生まれて一年と数ヶ月後の出来事である。
 彼の「檄文」全文をはじめて読んだのは、昨年の十一月頃だったと思うが、自分が、西郷南洲翁に傾倒したところから、日本の、日本人のあり方である国體を感得したように感じ、これを論としてまとめようとしている今、これまで余りに遠くに感じていたこの人物が、思想的に意外に近いところにいた人物であったことに気づいて驚いている。

 もちろん私はああいった行動を取らないし、取れない。
 時代状況も違う。
 しかし、彼のような人物があのような行動を取ったことについては、ある程度の理解をしているつもりである。
 彼の決起と自決から吉田松陰を連想した小林秀雄の感性も理解できる。
 しかし、むしろ、あまりに時代に先んじていたという点で、林子平・蒲生君平とともに「寛政の三奇人」と言われた勤皇家・高山彦九郎の方を先に連想していた。(「高山彦九郎」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E


 西尾幹二氏は戦前の国體論を取り扱った『GHQ焚書図書開封 4』の中で、『大義』という遺書を書いた軍神・杉本五郎中佐を取り上げたところで、

「国体論は百の言葉でもないし、歴史理論でもない。もちろん抽象的な哲学でもない。杉本中佐の場合のように、実行・行動を突き動かすものだったのではないか。いわば、信仰であった。」

 と述べているが、三島由紀夫にもそれは当てはまるようである。

 西尾氏の趣旨は究極の場面でそうであろうとは思うが、自分は今、百どころでない、万を越える言葉で、歴史理論として、国體論をまとめようとのはかりごとを立てているのである。
 西尾氏の発言が正鵠を射ているならば、私は無用の事を為そうとしていることになる。克明に南洲翁の事跡を追った『(新)西郷南洲伝』も無用の沙汰、大きな徒労であったということになる。
 それどころか、学問は活きた学問でなければならない、と書物の蟲になることを戒めた南洲翁には叱られかねない。
 時代も行動を求めている。
 それも感じていて、内心忸怩たる思いがある。

 しかし、必ずしもそうではあるまい、とも思いなおす。

 本居宣長の仕事が後世に甚大な影響を与えたのは、彼がその思想を、万人が追跡できるよう、克明に書き綴ったからである。
 『古事記伝』という仕事は一つの金字塔である。
 万人がこれを追跡できないのは、彼の思想そのものが万人の追跡を許すようなものではなかったからに他ならない。
 
 儒教をさかしらな「からごころ」と非難しつつも、宣長は孔子を深く愛してもいた。それはさながら、キリスト教を憎悪しながら、イエス・キリストを深く愛したニーチェのようであった。

 その孔子の偉大さが後世に認知されたのは、『論語』という、言行録が後世編纂されたからである。
 新しい思想が次々と現れては消えていく中で、現代人の心に、二五百年前の賢人が蘇りうるとは全く驚くべきことではないか。 
 それもこれも元には『論語』という書物があり、その私淑者であった孟子という、理屈っぽい人物の思想を文書化した『孟子』という書物があって、これを元に様々な注釈が行われたからである。

 南洲翁だって同じことだ。
 単なる武人ではない南洲翁の精神が広く知られるようになったのは、庄内藩士が直に接した翁の言葉を編集した『西郷南洲翁遺訓』を広く頒布したからである。
 勝海舟が折りにふれ、その偉大さを宣伝し、それが『氷川清話』に文書化されて、広く読まれたからである。
 福沢諭吉が『丁丑公論』を書いて、翁が賊とされた西南戦争の弁護を後世に残したからである。
 有志によってたびたび書簡集・全集・逸話集が編纂されたからである。
 それらを元に史伝や歴史小説は書かれた。
 南洲翁のフォロワーは現代にも多いが、これらはたいてい、以上の仕事を前提にしている。

 しかし、南洲翁の精神を正しく理解し、これを継承しているものは、私が見るかぎり限られている。
 仁徳天皇の「民のかまど」の話に象徴されるような君民共治が我が国體であることはわかるが、それがどのような體を成しているのか、具体的に把握しているものは、私の見るかぎり、限られているように見受けられる。

 時代が自分に要請するものが何なのかわからないが、とりあえず、自分の分を尽くさなければならない。こう考えている。
 南洲翁の事跡を言葉にして伝えると言うことと、国體を言葉にして伝えるということである。
 両者は自分の中で密接不可分の関係にあるのだ。


 日本という国が、文明としての本来の用を最大限発揮することが出来ず、衰退の一途を辿っているのは、體がしっかりとしていないからである。
 当然のことながら、體がしっかりしていないと、用は作(な)さない。
 用を作さなければ、厳しい国際社会で生きていくのに適した、引き締まった體を作り上げることは出来ないのである。
 體とは本体、用とは作用のことであるが、これは相互補完的な関係にあるのだ。

 體をしっかりさせて、効果的に鍛え上げるには、それ以前に、そもそも自身がどのような體格を成しているのか把握しておかなければならない。
 大東亜戦争の敗戦によって、不完全ながらも、それまで営々と築き上げてきた国體を破壊され、これを見失った日本にとって、これは文明の用を作す上で絶対に必要な作業である。
 『孫子』「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」とあるが、しかし、他者を知ること以上に、己を知ることの方が圧倒的に難しいのである。
 長い歴史を持つ我が国の場合は、特にそれが難しい。

 
 二百個余りの骨が有機的に結合して人體が成り立っている様に、国體もまた様々な要素が有機的に結合して成り立っている。
 日本のように、その起源が定かではないほど、長い歴史を持っている国は、なおさら複雑で重層的な構造を成している。
 もちろん、それをさかしらな歴史理論でまとめることなど困難である。
 しかし、その体がどのような最大限の用を作すことまでは示せなくとも、凡その骨格を示すことぐらいは出来よう。 

 保守の論客の中には、国體は時代によって変化するとの、融通無碍なる日本文明の国體論として、もっともらしい見解を述べる人もいるが、これは一理二理あるにしても、相対主義的で不徹底な考えはなかろうか。
 茶道、書道、武道、何でも道にしてしまう日本において伝統は多岐にわたり、多様だが、民族的合意として集大成された伝統ということになれば、時代を超えた伝統があるということに気づかされるのだ。
 それは民族的危機においてたびたび起こってきた動きであった。

 近頃、石原慎太郎都知事が為した「天罰』発言に触発されて書いている天人相関説に関する記事は、その背骨となる部分を把握する手がかりとなる。
 理解できる時代の到来を予感したことがこの記事を書かせた。

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