東日本大震災発生後の言論に現れた天人相関説

 今回の東北大地震、そして、これが引き起こした大津波による被害と福島第一原子力発電所における炉心溶融の問題は、日本人の意識に深刻な影響を与えているようである。
 
 様々な言論の中に、日本人が忘れかけていた歴史の記憶や先人から受け継いできた感覚、それも日本語の言葉遣いによって知らず識らずのうちに受け継いできた伝統的な感覚が覚醒する兆候を見せている。
 私はそこを注視している。

 この国難を天に絡めて論じる姿勢はその一つである。
 
 石原慎太郎都知事の「天罰」発言はすでに取り上げた。
 西村眞吾氏などもそういった受け止め方をしているし、櫻井よしこ氏もそういった論じ方をしている。

 彼女のブログから引用させていただく。


 「マグニチュード9.0の巨大地震、いかなる予想をも超えた巨大津波、原子力発電の危機──人類が経験したことのない最悪の三重の悲劇は、天が日本国に与え給うた試練ではないか。

 万単位に上る人々、誠実に精一杯生きてきた多くの人々が犠牲となったことは、言い知れぬ悲しみである。被災者に限りない連帯の思いを寄せ、人々の犠牲をムダにしないためにも、私たちは文字どおりこの未曾有の試練を立派に乗り越えなければならない。」


 ここでは、石原氏の「天罰」発言に通ずる、聖書的発想の天が語られているように思われるが、櫻井氏のプロフィールを読むと、聖書に親しんできた人であることが窺える。(「櫻井よしこ」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%BB%E4%BA%95%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%93


 ところが大日本帝国時代の日本の伝統的感性に通じている櫻井氏は、続くくだりでやはり、この伝統に則った発言をしているのである。


「今回のような大規模な天災を防ぐことは不可能である。しかし天災が人間の力を超えた抗いがたいものであるとしても、天災に対処して犠牲を最小にとどめることは人間の力の範囲内である。政治と国家のありようが問われる理由がここにある。その観点から東日本大震災への国家としての取り組みを私たちは再度考えなければならない。…」(『政治と国のありようが今、問われている』;http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2011/03/26/%e3%80%8c%e3%80%80%e6%94%bf%e6%b2%bb%e3%81%a8%e5%9b%bd%e3%81%ae%e3%81%82%e3%82%8a%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%8c%e4%bb%8a%e3%80%81%e5%95%8f%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%80%e3%80%8d/


 この発言のバックボーンにはやはり、前回触れた仁徳天皇の有名な「民のかまど」以来の、天災・天候不順に際して為政者の徳が問われるという、『孟子』に代表される天人相関の思想が存在する。
 そこでやはり氏の議論は、菅首相を初めとする閣僚の政治家の資質・能力の問題へと移って行く。
 政治家としての資質・能力とは、すなわち為政者の徳の問題に他ならない。 櫻井氏がここで論っているのは、要は菅氏の不徳なのである。

 一方で西村眞吾氏は二十日の堺での集会において、まず第一に「この度の、東北関東大地震と津波を、我が国の運命のなかに位置づけ、深く天意を感じねばならない。」と訴えたそうだ。(「眞吾の時事通信」;http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=614

 これはまさに天人相関説である。
 そして、彼もまた、今回の国難に際しての今上陛下のお振る舞いに仁徳天皇の「民のかまど」の話を想起しておられる。(http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=617
 この「民のかまど」の話が天人相関の思想をバックボーンにしていることはすでに触れた。

 西村氏はブログ記事の中で、頼山陽の『日本楽府(がふ)』から、この「民のかまど」の説話を引用しているが、頼山陽こそは、『孟子』の天人相関の思想に基づいて、維新の志士たちに多大な影響を与えた歴史書である『日本外史』『日本政記』を編纂した歴史家であった。

 
 さて、ここで取り上げたのはいわゆる保守とされる右寄りの人々だが、左の方に目を移すと、3月23日付の朝日新聞『天声人語』欄でさえ、今回の震災を、幕末の安政江戸地震と絡めて、次のように論じている。

 「今度の大地震で東京タワー先端部のアンテナが曲がったと知り、1855(安政2)年の安政江戸地震を思い起こした。
 浅草寺(せんそうじ)の五重塔の先が同様に傾いたとされる。
 都(みやこ)のシンボルの不祥は当時の沈滞ムードを映していた。
 その前々年、ペリーの黒船が浦賀沖に現れ、前年には東海、南海と大地震が続いた。
 世情騒然とした折に数千人が亡くなる首都直下型である。
 街はすさみ“けんか”が多発したという。
 それでも、お救い米(まい)が配られ家の建て直しから経済が動き出す。
 大工や左官の手間賃は高騰し色町が潤った。
 「世直り」をはやす瓦版や浮世絵も盛んになった。
 一方で幕府は内憂外患を持て余し瓦解(がかい)へと向かう。」



 ここまでの『天声人語』氏の連想は全く同感である。
 今の政府は、内憂外患をもてあましているどころか、むしろ、この不幸に乗じて、日本国家の解体という、自己の左翼イデオロギーを実現しようとさえしているふしがあるから、当時の江戸幕府よりよほどたちが悪い。

 しかし、『朝日新聞』もまた、左翼のそういった行為に加担し続けてきた新聞である。
 忠恕一貫、あに多岐あらんや、と戦後一貫して、ソヴィエトや中国共産党を心の祖国として忠誠を尽くしてきた。いまや中国共産党の御用新聞にまで落ちぶれてしまっている。

 前掲部分に続くくだりは、凋落著しい戦後日本を象徴する新聞社の名物コラムらしく、知性の衰弱を感じさせる奇妙なものになっている。
 左翼の歴史センスのなさを端的に物語っているような内容だ。


 「昨今の『騒然たる消沈』が幕末に重なる。
 節電で薄暗い店、歯抜けの商品棚。
 これも有事かと思う。
 昭和の終幕にも自粛の機運が広まったが、今回は工場や発電所、物流網がやられ、停電や放射能の風評被害もある。
 空気ではなく実を伴う消沈だ。
 日本全土が現場、全国民が当事者であろう。
 だが、皆が沈み込んではお金が回らず再生はおぼつかない。
 国費を被災地に集め懐に余裕のある向きは「救国の散財」をしてほしい。
 義援金、外食、買いだめ以外の衝動買い。
 何でもいい。
 十数兆円もの復興費用は今の政権がどうなろうと私たちが背負うほかない。
 将来に備えた蓄えもあろうが国難を皆で乗り越えてこその将来。
 ここは東北のために放出しよう。」



 昭和の終幕とは、昭和天皇がご病気になられたときの自粛のことらしいが、今回の震災における自粛も、国民の被災者に対する哀傷の心の現われであって、これに対する無理解は、唯物史観にとらわれた者特有のものであろう。
 景気浮揚が何よりも優先するらしい。
 ならば、厳しい経済生活を余儀なくされている庶民に先立って、経営の傾いている自らが率先して、何でもいいから「救国の散財」を行ってはいかがなものか。

 この国を支えているのは国民の堅実な経済活動であり、景気浮揚は政府の仕事である。その中から借金まみれの政府を支え、義理と人情に基づく被災地への義援が捻出される。
 国民は、今国政を壟断している反日左翼政権の矯正に努めながら、堅実な経済活動により、これまでそうしてきたように、政府を経済的に支えていけばよい。

 非理性的な散財など、それこそ、この不透明な時代に危ういとしかいいようがない。
 あるいは中国共産党の指令に従って、日本国の弱体化のために、このような無責任に言うのではあるまいか。
 沖縄返還協定に前後して、中国共産党が「日本解放第二期工作要綱」を発動し、尖閣諸島を自国領土と主張し始めるのに並行して、『朝日新聞』が本田勝一という人物を使って『中国の旅』という反日プロパンガンダを開始したことを我々は決して忘れてはならない。

 激動の幕末に『騒然たる消沈』などなかった。
 幕末の外患と天災から始まった民の不安、失望、絶望、怒り、は、失政を続けた幕府に向けられ、「ええじゃないか」に象徴される「世直り」の希望となって、これに天意を感じた志士たちが、民に同情しながら、献身的な努力の末に王政復古討幕を行い、維新回天の基を作った。

 そもそも「維新」とは、天命が革まり、徳を失った為政者から民意が離れ、旧王朝が復活することを意味する言葉である。
 天人相関説そのものなのだ。

 「天声人語」氏は続けて言う。 
 

 「世界の終わりではない。
 安政の驚天動地の13年先には明治という別の地平が待っていた。」



 維新史を紐解けば明らかなように、「明治という別の地平」はただ待っていたわけではない。
 先人達が血を流しながらようやくたどり着いた地平である。
 名もなき多くの人々が命懸けで成した偉業である。
 彼らの至誠が天を回らした。
 維新の元勲と呼ばれる英傑達はそれらの人々の統合者にして代表者であった。

 このようなお粗末な歴史認識でいて、天の声を語るとは全く不届きな御仁だ。
 天を信じることを知らぬ彼に、天の声が聞こえるはずがない。

 そんな彼でさえ、結論は頓珍漢ながら、日本語という言語空間に身を置いてきたおかげで、幕末を想起するぐらいのことは出来た。
 しかし、左翼がかれば左翼がかるほど、この感性は鈍くなるようだ。

 「天声人語」氏は黒船の来航に引き続いて、安政二年に地震があったという歴史を想起した。

 では、地震の次に日本を待ち受けている内憂外患とはいかなるものであろうか。

 幕末を教訓にするなら、外圧下での不平等条約の締結(TPP)と将軍の継嗣問題(首相後継者選びの問題)ということになろうか。
 政府という現在の幕府が無為無策を続けて、民意を失っていくうちに、彼らと彼らの御用マスコミや御用学者がいかにそれを隠そうと躍起になっても、御皇室の存在が人々の意識に上ってくるのは必然であろう。 
 
 幕末当時の日本は貧しかったが、武士道があった。
 ところが、今の日本では、まだまだ富があるが、武士道はマイノリティーの価値観でしかなくなってしまっている。
 中国共産党はこの甘くて軟らかい国土を侵略しようと狙いを定めているが、長年の不摂生が祟って、メタボで意志の弱くなった日本にとって大変な重荷である。
 
 (波が穏やかになる四月から六月に掛けて、華僑の民間漁船を装った工作船百隻が尖閣諸島に押し寄せるとの情報が以前からある。
 もちろん裏で糸を引いているのは人民解放軍だ。
 今中国は、盛んに中国人が被災地における日本人の理性的な言動に感服しているとの情報を流している。日本の世論を油断させるためだろう。)

 ましてや米中の日本における内政干渉は掎角の勢いである。
 日本の中枢に権力はすでに存在していない。
 あるのはアメリカの傀儡と中国共産党の傀儡である。
 これらがせめぎあっている。

 こうした中で、その次に待ち受けているのは、安政の大獄という大弾圧であろうか。
 弾圧されるのはもちろん、国連の安全保障理事会の常任理事国、すなわち旧戦勝国体制への挑戦者だ。
 すでにその魁がいる。
 田母神元航空幕僚長がその人である。
 彼は戦前の日本をいい国であると口にしてしまった。これは旧戦勝国側にこそ非があるといったに等しい。そして、それは事実でもあったのだ。

 その通り、だから余計に、腹が立ち

 という川柳があるが、まさにそれであった。
 田母神氏の発言は旧戦勝国およびその傀儡勢力の逆鱗に触れるものだったわけだ。

 民主党はすでにシヴィリアン・コントロールの名の下に自衛官の思想統制を行っている。
 軍に対するシヴィリアン・コントロールとはそもそも予算決定権を握ることを指すのであるから、これは明らかに自己の政治目的に合わせた履き違えである。彼らは中国共産党のように、自衛隊を党の軍隊として私物化しようとしている。
 この先に待つものは、国民の言論の自由を奪い、思想統制下に置くことである。

 すなわち「平成の大獄」が待ち受けている、ということだが、どうだろうか。

(「石原慎太郎氏の天罰発言に対する一考察 ④」終わり)

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