東日本大震災に対する天皇陛下の大御心

「この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」


(以上宮内庁ホームページより、ビデオメッセージもこちらでご覧になれます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h01



(記事転載)

『両陛下、「自主停電」お続けに』

配信元:産経新聞 2011/03/24 21:35

「天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地に思いをはせ、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない『自主停電』を続けられていることが分かった。『国民と困難を分かち合いたい』という趣旨で15日に始めたもので、宮内庁の羽毛田信吾長官らによると、陛下は『寒いのは(服を)着れば大丈夫』とおっしゃっているという。

 両陛下は計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。

 両陛下は、第1グループで停電が計画されたものの、実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行された。15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家も、同様の『自主停電』を、お住まいの東宮御所で行われているという。

 計画停電では、皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。」




『両陛下は毎日「自主節電」 東電の計画停電に合わせ』 

配信元;「asahi.com」 2011年3月24日18時56分

「宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力の計画停電に合わせ、皇居・御所で15日以降毎日、自主節電を続けていることを明らかにした。

 羽毛田信吾長官らによると、御所では計画停電の第1グループに合わせて自主的に電源を切っている。17、18、22、23日は1日2回実施。東電が停電を見送った場合も実施しているという。

 羽毛田長官によると、天皇陛下からは『大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう』『いつこういう事態があるかわからないし、こういうことはやってみないとわからないから、学ぶ機会ではないか』という趣旨の発言があったという。」



『那須御用邸の浴場、避難者に開放へ 宮内庁発表 』

配信元; 「asahi.com」 2011年3月24日19時27分

「東日本大震災で避難所生活を送る人に対し、宮内庁は24日、皇室関連施設の那須御用邸(栃木県那須町)の浴場を提供し、皇居内の宮内庁病院にも患者を受け入れると発表した。御料牧場(栃木県高根沢町・芳賀町)は、卵や野菜などを提供するとしている。

 同日記者会見した羽毛田信吾長官によると、天皇陛下から『ささやかでも宮内庁関連施設を役立ててもらえないか』と検討の指示を受けたという。

 那須御用邸については、天皇陛下の静養中の随員が宿泊する『供奉(ぐぶ)員宿舎』の浴場を26日から那須町内に避難している人たちに利用してもらう。利用できるのは1日40人前後とみられ、その後も近隣自治体に避難している人たちの一部をバスで運び、温泉で心身を休めてもらう。栃木県から保健師を派遣してもらって健康相談窓口も開くという。

 宮内庁病院は、東京都に避難している人のうち、安定はしているが常に病状を管理する必要があるお年寄りの患者について、10床を限度に受け入れる方向で都に申し出た。都内全体の医療機関の受け入れ体制に加わる。

 御料牧場では、備蓄している鶏卵約千個、豚肉やソーセージの缶詰280缶、サツマイモ100キログラム、鶏肉の薫製などを25日に出荷し、栃木県内の避難所の調理施設に提供するとしている。」




 
 以上の記事を参照させていただいたブログ「淡交」(http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/34406226.html)の管理人「微力」氏は、今回の大震災に対する今上陛下の御態度を仁徳天皇の「民のかまど」のエピソードと関連付けておられる。(「仁徳天皇」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87

「微力」氏は以前も、この「民のかまど」のエピソードについて書いておられるのでこちらも引用させていただく。(http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/34209526.html


(引用開始)


第16代の仁徳天皇。

仁徳天皇は即位されて4年目、高台にのぼって見渡されました。
すると家々から炊事の煙が立上っておらず
国民は貧しい生活をしているのだと気づかれました。
そこで3年間年貢などを免除されました。
そのため天皇の着物や履物は破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。

そうして3年、気候も順調で国民は豊かになり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。
国民の生活は見違えるように豊かになりました。
それを見て天皇は喜ばれ「自分は、すでに富んだ」と言われました。

それを耳にされた皇后は
「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだといわれるのですか」と問われました。
すると天皇は
「昔の聖王は国民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。
今、国民が貧しいのは自分も貧しいのだ。
国民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。
未だかつて人民が富んで、君主が貧しいということはあるまい」と答えられました。


やがて天皇に感謝した人々が諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち壊れています。
それに較べて国民は豊かになりました。
もう税金をとりたてていただきたいのです。
宮殿も修理させてください。
そうしなければ罰があたります」



それでも天皇はまだ我慢してお許しにならなりませんでした。
3年後にやっと許されると、国民はまず新しい宮殿づくりから始めました。
人々は命令もされないのに、
老人を助け、子供を連れて、材料運びに精出し、昼夜兼行で競争して宮殿づくりに励みました。
そのためまたたく間に宮殿ができあがりました。
それ以来天皇を「聖帝(ひじりのみかど)」とあがめるようになりました。



日本の天皇は、初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んでいます。
国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝として大切にするという姿勢です。
仁徳天皇は、その姿勢で政治を行い、困窮者を救い、病者を慰問し、孤児や寡婦を扶助したと「日本書紀」にも書かれています。

このように天皇は国民を慈しみ、国民は天皇を敬愛して、天皇と国民が家族的な感情で結ばれた状態を理想としてきました。
それは他の国々には見られない日本独自の伝統です。
そして皇室が古代から今日まで絶えることなく続いてきました。



このように天皇と民との深い信頼関係を見た時に、「京都御所の塀が低い」という事実も納得のいく話となります。
「民のかまど」の話というのは、仁徳天皇は素晴らしいという一方的な美談ではなく、人々は命令もされないのに宮殿づくりに励みました・・・というように、「天皇と民」双方向の深い信頼関係と行動力の話だったのです。
「淡交」管理人 微力はこのように理解しました。」

(引用終了)



 私も「微力」氏のこの記事の趣旨に賛同なのだが、改めて『日本書紀』を読み返してみて、この話は、前回の記事で紹介した天人相関思想の影響下で書かれていることに気づいた。

 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)が民の生活の困窮を見て、善政を布くと、気候が時に順って、五穀が豊かに実り、国全体が豊かになった。
 そして民は進んでこの天皇のために尽くした。
 そこで、後に「仁徳」という漢風諡号が贈られることになったのである。

 まさに『孟子』が説いた聖人の事跡や仁義の説話のようである。

 この話の原典は『日本書紀』で、ご存知の通り、この書は漢語で書かれた、官製の史書である。
 史料価値は高いが、当然のことながら、シナ思想の潤色がたっぷりと施されている。

 漢字を用いながらも、大和言葉で表現された史書『古事記』では、この「民のかまど」の話は至って質素に書かれていて、それとの比較で、『日本書紀』の説話の潤色は明らかとなる。

 そこで、これは『日本書紀』編纂時の政治的意図を秘めた作り話だろう、との説が出てくるのであるが、それもまた安易な解釈で、よく読むと話の骨格は同じものであり、やはり仁徳天皇が善政を施したという伝承が記・紀編纂の当時にしっかりあったと見るべきである。
 
 仁徳天皇の善政がシナ思想の影響を受けてのものだったというのは、前代応神天皇の御世に『論語』が百済の賢者によって献上されていることが記紀に特筆されていることを見ても、十分にありうることである。
 これを『日本書紀』編纂時に、シナ思想によって、より整理したかたちで書かれたと見たほうがいいように思える。
 大和言葉による口承によって成立している『古事記』では、このシナ思想による影響が見られないのはこのためであろう。

 本居宣長なら、この『日本書紀』に見られる「民のかまど」のエピソードを「からごころ」によるものといって排撃するかもしれない。(ちなみに、その著『古事記伝』で宣長は、『古事記』中の「民のかまど」の話にある「聖帝(ひじり)」という称号の解釈で大変鋭い指摘をしている。)

 しかし、「民のかまど」の物語が歴代天皇の模範となって、史実として、御皇室の善政の伝統を作ってきたことを思えば、むしろ、このエピソードは、理屈としてではなく、民族共有の記憶として、日本文明の貴重の元素をなしているといえよう。
 この貴重の元素が、しばしば日本の国難時の政治における変革を大きく促してきた。
 その点、明治維新とて例外ではなかったのである。

 戦後、学校教育から抹殺されてきたにもかかわらず、この国難の時代に、多くの人々がこのエピソードを口にしている事実をみると(たとえば3月27日『産経新聞』「産経抄」記事;http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/499359/)、その伝統は脈々と流れているのだなあ、との思いが却って強くなってくる。
 もちろんその思いのネガとして現在の政治が存在している。

 東日本大震災に対する今上陛下の御態度に仁徳天皇の御事跡を透かし見ている人が多いことを見ても、石原慎太郎氏が発した「天罰」発言が人々の関心を集めているところを見ても(かくいう私もそのうちの一人である)、この国難に際して、伝統的な日本人の感性の中に眠っている天人相関の思想が目覚めはじめていることは間違いないように思える。

(「石原慎太郎氏の天罰発言に対する一考察 ③」終わり)

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この記事へのコメント

智太郎
2011年03月31日 17:01
 日本の政治家は真に馬鹿ばかりでカネが裏で動いてる様にしか感じられません。諸外国の様に政治家というモノなどは、ボランティアで活動してくだされば良いと考えてます。そうすれば一般市民の目線に立ち、行政改革を変えていけると感じてます。市町村議員たるモノ達にも、言えるでしょう。 老後安泰が為のパスポートを手に入れる事を腹の中で考えるとしか思えてなりません。今もこれからも、ずうずうしく、自分という18歳で大型な交通事故に遭い1ヶ月間の意識不明の脳挫傷で他人からは、分かりずらい見えにくい後遺症と闘っているつたなき人間をアピールしていく予定です。宜しかったら、また遊びに来て下さい。 

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