天罰の意味

 今回の大震災は今後日本が経験するであろう国難の最初のものになるであろう。

 この国難の最中、石原東京都知事がまたもや軽率な発言をしでかした。

 

 東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた。

 知事は一連の発言の前に、持論を展開して「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語っていた。

 同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。


産経ニュース(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/lcl11031421380004-n1.htm

 結局、石原都知事は翌15日には「行政の長であります私が使いました天罰という言葉が被災者の皆さま、国民、都民の皆さまを深く傷つけたことから、発言を撤回して深くおわびいたします」と陳謝した。

 舌足らずで軽率な発言には違いないが、発言の内容をよく読むと、必ずしも被災者を傷つけるような発言ではないことがわかる。
 最後に「被災者の方々はかわいそうですよ」と言っているところから、天罰という言葉で批判されている対象は、石原氏の発言の最初に出てくる、我欲に縛られて、ポピュリズムで動いている「政治」の部分に重点が置かれていることは明らかだ。

 もう少し拡大解釈が許されるなら、そういった風潮をリードしている団体や個人全般ということになるだろう。
 つまり石原氏の真意は、一般被災者は、それらが受けている天罰を被っているからかわいそうだ、ということになるのである。 

 現に、悲惨な現地にあって、一般被災者は助け合う中で、日本人固有の和の、謙譲の美徳を見せている。世界は自国の国民性と照らし合わせて、日本の一般庶民が持つ冷静な態度や美徳に眼を見張っている。

 それは我欲の抑制によってしかなされないものであって、石原氏の批判が、この、同じ日本人として誇りとすべき美徳に向かってないのは明らかである。
 

 石原氏の発言は多分に直感的なものを含んでいて、誤解を招きやすいが、日が経つにつれて、多くの人は同じ批判をするようになるだろう。

 現に、阪神・淡路大震災のときがそうだったが、社会主義者が政権中枢に居座っている時に限って、大災害が起きると感じている人が多い。
 
 阪神・淡路大震災のとき、時の首相村山富一氏は自衛隊派遣が遅れた理由を問われて何と言ったか。

 「なにぶんにも初めてのことですので」

 である。

 想定外のことに備えるのが危機管理の問題である以上、そんな言い訳は通用しない。総理大臣という職責の重さを自覚していたら、こんな発言はありえないだろう。

 責任転嫁は左翼の属性である。
 現政権も成立以来、その属性を最大限発揮している。

 現地の人々が一致協力して、この未曾有の困難に立ち向かっている中で、菅政権はちゃんとやっているというパフォーマンスばかりで、危機管理能力のなさが露呈している。

 大東亜戦争開戦時および終戦時の外務大臣であった東郷茂徳の娘婿・東郷文彦氏(外交官)は、外交官には、①能力があってやる気がある、②能力がなくてやる気がある、③能力はあるがやる気がない、④能力もなくやる気もない、という四つのタイプがあるが、事態を紛糾させ、国益を最も害するのは、②の能力がなくてやる気があるタイプの人が一番悪い、と考えていたというが、このことはこういった災害時の指導者にも当てはまるのではないだろうか。

 菅総理は、政治主導のパフォーマンスに酔っているが、無能力をさらけ出している。
 寝てる、寝てないは関係ない。
 ちゃんと適切な指示、決断が出来ているかどうかが大切なのだ。
 有事にあっては、責任回避、批判回避のパフォーマンスなどいらない。

 それをこともあろうに、政策秘書給与の名目で公金を横領し、反省していない辻元清美氏を災害ボランティア活動担当の首相補佐官に任命し、事業仕分けで災害対策費を削ってきた蓮舫氏を節電啓発等担当大臣に任命するなど、国民をバカにしきったことを平然と行っている。
 極め付きは自衛隊を「暴力装置」と言って更迭された仙石由人氏を、内閣を強化するとして官房副長官に復帰させたことだろう。
 現場で命懸けの自衛隊員にすれば「ふざけるな!」という心情ではなかろうか。
 国民を愚弄するにも程がある。
 確かに、石原氏が言うように、こんな政権で被災民はかわいそうなのである。

 勝海舟は咸臨丸でアメリカに渡って、日本に帰ったとき、幕府の老中にアメリカという文明を見た感想を聞かれたところ、思い切って

「左様、少し眼につきましたのは、アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧で御座います。この点ばかりは、全く我国と反対のように思いまする」

 と答えたというが、今の日本も同じだと思うのは自分だけであろうか。

 勝の痛烈な批判を受けて、この老中は目を丸くして「この無礼者、ひかえおろう」と叱りつけたというが、民主党の面々も、「寝ずに頑張っているのに…この無礼者、ひかえおろうっ!」と眼を丸くしてしかりつけるだろう。 



『「東電のバカ野郎が!」
緊迫の7日間 貫けなかった首相の「勘」』
産経新聞(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/497365/

 東日本大震災の発生から18日で1週間。東京電力福島第1原子力発電所の放射能漏洩事故に対する政府の対応は後手に回り、菅直人首相は与野党双方から「無策」と批判された。首相が自らの「勘」を信じ、押し通していれば、放射能漏れの危機を回避できた可能性もあったが、またも政治主導を取り違え、有効な施策をなお打ち出せないまま現在に至った。(今堀守通)


 「外国籍の方とは全く承知していなかった…」

 大地震が発生した11日、首相は参院決算委員会で野党の激しい攻撃にさらされていた。前原誠司前外相に続いて政治資金規正法が禁じる外国人からの献金が発覚し、退陣の一歩手前に追い詰められた。

 ところが、この日午後2時46分の地震発生で一気に政治休戦となった。

 決算委は急遽中断され、首相は直ちに首相官邸に戻り、危機管理センターの巨大モニターから流れるメディア映像を食い入るように見た。目にとまったのが、第1原発だった。

 大津波をかぶって自動冷却装置が破損し、炉内の冷却が思うようにいかない、との報告が上がってきた。官邸内に緊張が走ったが、首相には野党の追及から逃れた安堵感とはまた別種の「意外な自信」(政府関係者)がみなぎっていた。

 「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させることだ」

 首相の意向は東電に伝えられた。「これが政治主導だ」。首相はそうほくそ笑んだのではないか。

 ■外に響いた怒声

 だが、東電側の反応は首相の思惑と異なっていた。

 10キロの避難指示という首相の想定に対しては「そこまでの心配は要らない」。海水の注入には「炉が使い物にならなくなる」と激しく抵抗したのだ。

 首相も一転、事態の推移を見守ることにした。東電の“安全宣言”をひとまず信じ、当初は3キロ圏内の避難指示から始めるなど自らの「勘」は封印した。

 「一部の原発が自動停止したが、外部への放射性物質の影響は確認されていない。落ち着いて行動されるよう心からお願いする」

 首相は11日午後4時57分に発表した国民向けの「メッセージ」で、こんな“楽観論”を表明した。

 ところが、第1原発の状況は改善されず、海水注入の作業も12日午後になって徐々に始めたが、後の祭りだった。建屋の爆発や燃料棒露出と続き、放射能漏れが現実のものとなった。

 15日早朝、東電本店(東京・内幸町)に乗り込んだ首相は東電幹部らを「覚悟を決めてください」と恫喝した。直前に東電側が「第1原発が危険な状況にあり、手に負えなくなった」として現場の社員全員を撤退させたがっているとの話を聞いていたからだ。

 「テレビで爆発が放映されているのに官邸には1時間連絡がなかった」

 「撤退したとき、東電は百パーセントつぶれます」

 会場の外にまで響いた首相の怒声は、蓄積していた東電への不信と初動でしくじった後悔の念を爆発させたものだ。官邸に戻った後も「東電のばか野郎が!」と怒鳴り散らし、職員らを震え上がらせたという。

 ■「原子力に強いんだ」

 初動のつまずきで「勘」が鈍ったのか。その後の政府の対応は一貫して後手後手かつちぐはぐだった。

 「現場第一主義」を掲げる首相は、大震災発生翌日の12日早朝、官邸から自衛隊ヘリコプターで第1原発の視察に向かった。現地の状況を目で確かめ、午後の与野党党首会談で第1原発を「危機的状況にはならない」と言い切ったその最中に1号機で水素爆発が起き建屋が崩壊した。

 「16日に自衛隊による放水ができなかったのは、首相の決断が半日遅れたためだ。その間に放射線量が上がった可能性がある」

 放水オペレーションにかかわる政府高官は指摘する。だが、首相の頭は東電への不満でいっぱいだ。

 「東電の危機感が薄い。だから乗り込んだ」

 首相は16日夕、官邸を訪ねた内閣特別顧問の笹森清元連合会長に向かって、こう胸を張った。続けて東京工大応用物理学科卒の経歴を誇るように言った。

 「ぼくはものすごく原子力に強いんだ」

 東電出身の笹森氏は会談後、記者団に「(首相は)原子力について政府の中で一番知っていると思っているんじゃないか」と述べた。皮肉交じりなのは、半可通の口出しほど危険で邪魔なものはないと内心考えたからかもしれない。

 笹森氏は、首相が「ここから第1原発の方も収まりそうなので、原発の問題で枝野(幸男官房長官)さんや福山(哲郎官房副長官)さんの荷を軽くさせたい」と述べたことも明かした。

 この「収まりそうだ」との発言も波紋を呼んだ。官邸筋は「とてもそんな状況じゃない」と驚愕した。

 ■「機能停止状態だ」

 「一度に複数のことは考えられない」(周辺)とされる首相の関心がもっぱら第1原発の対応に集中した結果、被災地復興や被災者支援は後回しになった面もある。

 何事にも官邸主導を見せようと首相と枝野氏ばかりが表に出て、大震災の直接の担当責任者であるはずの松本龍防災担当相はほとんど官邸内にとめ置かれている。平成7年の阪神淡路大震災では、権限を与えられた当時の小里貞利特命相が現地で陣頭指揮を執ったり、テレビで被災者への呼びかけや政府の対策のPRを積極的にしたりしていたのとは対照的だ。

 当時の政府対策を知る自民党議員は14日、「東日本大震災の被災者らを西日本で受け入れる態勢が必要ではないか」という話を持ち込もうとした。

 最初に厚生労働省社会・援護局に持ち込んだら、「内閣官房で対応しているでしょう」。内閣官房からは「厚労省の仕事でしょう」との答えが返った。

 自民党議員は「これは責任のなすり合い以前の機能停止状態だ。すべて官邸でやろうとする菅政権の弊害が出ている」とあきれた。

 16日になって総務省から西日本の都道府県や市町村に公営住宅の空き状況などを調査する指示が出た。だが、この指示の背景や理由説明はなかったため、西日本の自治体は「第1原発が相当深刻なのか」という不安を増幅させた。

 17日、首相は参院で問責決議され、官房長官職を交代した仙谷由人民主党代表代行を官房副長官として再び首相官邸に迎えた。

 「震災対策や被災者支援は政治力を要する仕事だ。仙谷新副長官が適任だと首相が判断した」

 枝野氏は記者会見でこう説明したが「陰の首相」の復活により混乱は収拾できるのか。それとも…。


 


 さて、石原氏の発言に戻る。

 私が言いたいのはむしろここからである。

 石原氏はこう語っていたという。

「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲。」

 確かにそういった一面はあるものの、アメリカが掲げる自由、フランスが掲げる自由・平等・博愛(正確には同胞愛)の美名の元には、はちきれんばかりの物欲、金銭欲が隠されていることは明らかだ。

 一方で、日本人のアイデンティティには我欲だけがあるのではなく、家族愛や献身、すなわち昔の言葉で言えば忠孝の精神や謙譲の精神があることを被災地の人々は示している。
 石原氏の発言もまた、氏の自虐的な日本人観を表しているといえるだろう。

 「五箇条の御誓文」を思い起こしてみれば、そこには、自由や平等や同胞愛に勝るとも劣らぬ、より崇高な精神が含まれていることがわかろうというものだ。

広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ

上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ

官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ



 あえて集約するなら、「志」に始まる「和」にして「天地の公道」の精神である。
 欲と密接に結びついた自由、平等、同胞愛よりも、崇高な、我欲を否定したところに成り立つ精神である。

 被災地の人々はそれを見せている。
 そして、世界中の人々がそれに驚嘆している。

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