TPPと西郷南洲翁の遺訓

 前回、TPPと西郷南洲翁の遺訓を絡めて論じたが、これを補足する遺訓を紹介しておきたい。

 これは明治三年十二月に、同じ薩摩人の坂元純熙(すみひろ)が各藩の状況視察への出発に際し、その目的を書いて渡した物である。
 明治三年十二月といえば、南洲翁は鹿児島藩の大参事として、藩政改革を強力に推進していた時期である。
 改革は軍制において著しく、この時期南洲翁は、大久保の働きかけによる、明治政府の出馬要請に応じて、いよいよ中央政府の改革に乗り出すべく、準備に取り掛かっていた、正にその時であった。
 この兵制改革によって増強された薩摩兵によって、結果的に廃藩置県は断行されることになるのである。この断行が、明治日本興隆の画期となったことは周知の通りである。

 従来の南洲翁研究はこの時期(明治元年の帰薩から明治四年の上京まで)に大変暗く、十分な内容の物が少ないのだが、この坂元純熙への訓戒は、当時の南洲翁の思想を知る上で貴重な史料だろう。

 南洲翁はこの時期、横井小楠の思想を、『国是三論』を中心に研究していたらしい。
 幕臣の立場から「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していた」勝海舟の薦めによるのかもしれない。
 
 翁は横井が、天下の行末を観望するため、壮年の時に行った諸国巡歴の際のエピソードを紹介した上で、『国是三論』を要約している。


 「天下の形勢、各藩富国強兵を論ぜざるものはこれなく候えども、その本(もと)を立て候ところ相少なく、国を富ますといえば、利を起こす事にのみ眼を掛け、枝葉に渉り候ゆえ、その利、利に成らず、却って一害を増し候ところ少なからず、ひたすらに商法に心をくばり、国家の経済を失し候ところ多く、その弊救うべからざるの勢いに成り立ち候事に御座候。第一明君の国家を振起せし跡を、よくよく玩味すべき事に御座候。

 …(中略)…

 国家の大経済において、第一出得を定め、貯蓄これあり、救荒に備え、軍備を設け候ところは、必ず本立ち候国にて、利を起こし候は即ちこれが遊軍と相成り候事と存じ奉り候。

 …(中略)…

 当時(現在)、国を富ますというて利を起こし、奸商の計策に陥り不利のみ多く、兵勢を起こすというて、少し兵隊振るい立ち候えば、政府は相驚き兵隊を邪魔にいたし候ところ少なからず、趣意立たず、本旨を失し候ゆえ、かくの如き体に陥り候間(陥っているので)、今日兵隊盛んなるかのところは、兵隊の目的如何に立て候か、政府に力を付け、国家を維持するものは兵隊とかよう相成り居り候か、よくよく観察すべきところに御座候。左なく候わでは、一端興起いたし候とも、却って国家を危亡に誘(みちび)き候儀は案中の事に御座候間、兵勢の盛んなるとは申し難き事に御座候。

 弊を破るも事を起こすも、初めの主意第一の訳にて、格恰(恰好)の出来候ものは仕業にてこれなく、主意に格恰は出来候間、その本志を尋問すべき事に御座候。
 右の大体、当時(現在)の急務古来かくの如し。その小目においてはこの大体より推して以て知るべし。
 忠恕一貫、あに多岐あらんや。」


(『西郷隆盛全集』「大和書房」)


 TPPを始めとする、現下、日本が直面している問題を考える上で参考にされたい。





〔 ちなみに、最後の「忠恕一貫、あに多岐あらんや」は、『論語』「里仁」篇の次の問答から来ている。

 子曰く
「参(曾子)よ、吾が道は一以てこれを貫く。」

曾子曰く
「唯」

子出ず。
門人問うて曰く、
「何の謂いぞや。」

曾子曰く
「夫子の道は忠恕のみ。」



 今上陛下が『論語』の御進講を振り返られて、最も印象に残った言葉として挙げられたのが、この問答中の曾子の発言「夫子の道は忠恕のみ」というくだりであった。〕

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