平成二十三年、一年の計 ⑥

 一年の計は元旦にあり。

 この言葉の語源を辿ってみると、

一日之計在晨 (一日の計は晨にあり)
一年之計在春 (一年の計は春にあり)
一生之計在勤 (一生の計は勤にあり)
一家之計在身 (一家の計は身にあり)


 という、シナ明代の官僚・馮應京が書いた「月令廣義」の一節が原典らしい。
 「晨」は「あした」、すなわち朝という意味で、春はシナの暦における正月のこと。

 これが日本に伝わった。

 平賀源内の『風流志道軒伝』に次のようにあるそうだ。

一日の計は朝にあり、一年の計は元日にあり 


『譬喩尽』(たとえづくし)という、1787年成立のことわざ集(全8巻。松葉軒東井編)には次の通り。

一年の計は正月にあり、一月の謀は朔日にあり 


 安井息軒の『三計塾記』には次のようにある。(三計塾とは安井息軒の開いていた塾の名。次の三計がその名の由来である。)

三計とは何ぞ、
一日の計は朝に在り、一年の計は春に在り、一生の計は少壮の時に在り。
諸生の晏起と春遊とを慮るなり
 


 以上のように、シナ、日本の双方において様々なバリエーションが存在するらしいが、一年の計をあっさり元旦だけで済ますというのが日本人一般の好みに合っているのかもしれない。
 
 だが、今年こそ酒をやめるぞ、煙草をやめるぞ、といった素朴な計ならともかく、遠大な志が元旦一日だけの計で立つわけがない。
 私は安井息軒の三計に従おう。
 不惑の年齢を超えて、自らを少壮とするのはやや気が引けるが、やはり、まだまだ学問の入り口に立った、尻の青い少壮であることに違いはない。なんだかんだ言っても、世の中わからぬことばかりの感は深まるばかりである。
 一生の計の何段目かである一年の計が、元旦に始まって、桜咲く季節まで、掛かったっていいではないか。
 しかも計は状況の変化に応じて修正をしながら進んでいくものであろう。

 芽吹いた種は、環境に応じながら生育していくのだ。

 小林秀雄の『考えるヒント 2』によれば、荻生徂徠は、学問においてまず貴ぶべきものは、「思」とか「思惟」という心の働きであるとしている、という。
 この「思」とか「思惟」は、委曲を尽くして、精しくなれば「慮」となり、この「慮」を以て事に処せば、営為・処置・術などを意味する「謀」となる。「謀」とはすなわち「計(はかりごと)」のことだ。

 しかし「思」はこの3段階を以て終わるわけではなく、精到になり、事に処することで、また新たな展開を見せるわけで、その働きが継続していく螺旋的な精神活動であろう。

 もちろん「思」の働きは「理」を以て為されざるを得ない。
 「理」とは秩序立てられた「言葉」である。
 しかし、そもそも「理」とは定準なきものであり、根っこがしっかりつかまれていなければ、空理・空論となる。先人が「理」のそういった性質を知っていたのは、否定的なニュアンスで使われる「屁理屈」という言葉があることでもわかる。
 根っことは具体的な物事ということだ。

 徂徠の思想を踏み台にした本居宣長は、学問の正しいあり方を、「ただ物にゆく道」と言った。徂徠は「生民より以来、物あれば名あり」と言ったが、物事の認識は名をつけることに始まるのは経験的にわかることだ。 
 新たに子どもが生まれた時に、親にとっての重要な関心ごとは、その生まれてくる子にどのような名を授けるかということである。
 宣長は『古事記』を解読する上でこのことに深く思いを凝らした思想家である。そこには古人の認識の経験が、神々の名が次々と語られるという形で刻まれていたからである。

 孔子はこのことを経験的に知っていたから、「政とは正なり」と言い、「必ずや名を正さん乎、…名正からざれば、すなわち言順(したが)わず、言順わざれば、事成らず」云々と言ったのである。

 現実に即した、常識によって行われるべき政治は、名正しく、言順ならざれば、事成らず。
 虚名・空名とこれに基づく空理・空論の飛び交う現在の政治を見ていれば、このことは了解されよう。肝心なことになればなるほど、何事も成らぬではないか。誰も自分の言葉に責任を取ろうともしない。
 今の日本の現状は、孔子が言うように、正に「民手を措く所なし」といったものだろう。

 これらの学問的伝統を受け継いだ西郷南洲翁もこのことを深く理解していた。
 翁の言動を深く追っていくと、彼が思・慮・謀という精神運動を活発に行って、維新回天の偉業を成し遂げた人物であったということに改めて気づかされるのである。この視点を欠いた南洲翁に関する論考のいかに浅いことか。
 
 一般読者が触れやすいところで言うならば、岩波文庫『西郷南洲遺訓』に収録されている「私学校綱領」を見てもいい。

一、道を同じうし、義相協(かな)うを以て暗に集合せり。故にこの理を益研究して、道義においては一身を顧みず、必ず踏み行うべき事。

一、王を尊び民を憐れむは学問の本旨。然らばこの天理を極め、人民の義務にのぞみては一向(ひたすら)難に当たり、一同の義を立つべき事。

 

 翁は私学校徒に対し、理を益々研究せよ、天理を極めよ、と言い、そして、そこから割り出された道義を実践せよと説いている。
 では、その理に定準を与えているものは何かといえば、王を尊び、民を憐れむ、という学問の本旨だが、これは要するに、「堯・舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ」(遺訓二十三条)ということに行き着く。

 また遺訓中で、南洲翁は陳龍川の言葉を引用して次のように語っている。

 「事の上には必ず理と勢との二つあるべし。歴史の上にては見分かつべけれども、現事にかゝりては、甚だ見分けがたし。理勢は是非離れざるものなれば、よくよく心を用うべし。…事に関(か)かるものは、理勢を知らずんばあるべからず。只勢のみを知って事を為すものは必ず術に陥るべし。また理のみを以て為すものは、事にゆきあたりて迫(つま)るべし。いずれ『理に当たって後進み、勢を審らかにして後動く』(陳龍川、先主論の語)ものにあらずんば、理勢を知るものというべからず。」

 事を為すには、まず理に当たってから進み、次に勢を審らかにしながら動く。
事の成る成らぬはそのことによって決まる。

 なぜなら勢だけに乗っかっていては、術策に陥って、勢に溺れてしまう。
 逆に理のみで事に当たっても行き詰まってしまう。

 しかし現実に起こっていることを前にして、理と勢を見分けることは難しい。だから理を推究して、行動を起こさなければならない。そして行動は、事の勢を審らかにして為されなければならない。
 
 このことをもう少し敷衍しておこう。

 孔子は、下克上という旧秩序崩壊の乱世に生まれて、これを再生する上で、正しい名から言(理)、言(理)から事、という物事の流れで、政治を考えた。 事に当たる上で大義名分とか名分条理が重要、というのは、この孔子の正名論から来ている。
 これは今世を席巻している政治思想とは正反対の思想で、当時の勢に逆行する行為である。
 よって孔子の行動と社会の現実との軋轢は激しかった。
 それが孔子という人物の偉大さを育て上げ、『論語』という書物を生んだといっていい。


 荻生徂徠が敷衍した「思惟」の働きから見れば、勢に逆行する孔子の思惟は、人間にとって自然な精神活動であった。
 しかし、これに従った者といえば、子路や顔回を始めとするたかだか七十名の弟子に過ぎなかった。これは乱れた社会秩序の中では人間の自然な精神活動がいかに阻害されるかを表している。
 結局、古代シナはこの春秋時代から戦国時代を経て、法家の思想によってようやく統一されることになる。秦の始皇帝による専制体制がそれである。

 法家の大家、韓非子は実は孔子の思想を学んだ韓の皇子であったが、社会の現実を見て、その理想を捨てた。聖人はこのシナの乱世に孔子ただ一人であった。だから、そうでない人間から構成される社会には別の規範が必要である、と。それによって生まれたのが『韓非子』の思想である。漢の時代に国教となった儒教はそれが纏った衣に過ぎない。
 この経験がシナ文明に深く刻まれている。

 かつて徳富蘇峰は、シナ文明に関する次のような卓抜な批評を残している。

「極言すれば、杜甫一たび出でて、支那の詩界は亡びたりと云うも、大なる過言にあらず、即ち王右軍出でて、書亡び、朱晦菴(朱子)出でて、経学亡び、韓退之出でて、文章亡ぶと云う意味に於て然る也。而して此の意味に於て、特に杜甫に於て、痛切なるを見る也。」

 ここ一年ほどシナの近現代について一歩踏み込んで勉強してみたが、この蘇峰の卓抜な表現を借りるなら、次のようにシナ文明を表現できると思う。

 孔子一たび出でて、シナの道徳は亡びたり。

 これに尽きる。

 辛亥革命から文化大革命まで続いた内乱で、それまで緩慢に衰退し続けたシナの道徳の芽は完全に死に絶えた。それが毛沢東が進めた批林批孔運動という蛮行であった(林は毛の政敵となった林彪、孔は孔子)。
 彼が推しすすめた簡体字化もまたこれに匹敵する蛮行であろう。

 中華人民共和国建国以来の共産党の元勲の一人は言ったそうだ。
 簡体字は、シナ人民に過去の文書を読めなくさせるための政策である、と。
 ここには当然シナの古典も含まれる。
 典型的な愚民化政策だが(それ以前にシナ人民の多くは漢字の読み書きが出来ない)、これは中華人民共和国建国の正当性に関わる問題があり、専制体制を揺るがせかねない問題をはらんでいるからであろう。
 中国共産党幹部は、『韓非子』『孫子』を読みながら、愚民と化した人民に銃口を突きつけ、君臨し続けているのである。

 彼らが全国に設置しようとしている孔子学院や、つい最近設立して世界中に物笑いの種を提供したばかりの孔子平和賞の設立なども、彼らの道徳が地に堕ちたことの一つの現れである。

 さて、そんな中華帝国の勃興に席巻される勢いのある日本の政・財・官界、および既存マスメディアだが、彼らの為す政治的行為は、西洋の政治文化の悪い面を真似たからでもあろうが、孔子が考えた人間自然の「思惟」の働きとは逆行するものである。
 彼らにとっては、まず事があり、事の勢がある。それは政治家の場合、選挙であったり支持率であったりする。財界人にとってそれは企業の利益、つまりは金儲けであったりする。
 そこで事の勢のみで、事を為そうとするから、南洲翁が言うように術に陥る。その溺れ、窮したところから、「理」が、「言」が発せられる。当然、そこには「思」「慮」「謀」の働く余地はない。そこで定準なき「理」の性質が存分に発揮されることになる。
 ますます世は混乱の度合いを増す。
 虚名・空名が乱れ飛び、出たら目な言論、空理空論が横行し、当然事は成らず、礼楽(文化)は乱れ、頽廃し、刑罰は乱れ(尖閣事件における処分を見よ)、国民は安心して暮らすことは出来ない。
 日本国民としての義務を果そうとした海上保安官は職を失い、犯罪を犯した中国人は何の処罰も与えられず、国に帰れば英雄扱いである。
 日本政府は日本国民を守らないことが判明した。

 これらは我々が日常的に目にする日本の現状である。
 このまま行けばどうなるか。

 シナのように、国民のほとんどがここから逃げ出したい、そう思う、道徳の地に堕ちた社会になってしまうのである。こういった社会では身を守るために表向き嘘しか言えなくなる。そして、その嘘はやがて、その人の心を化して、蝕んでいく。日本では嘘は泥棒の始まりというが、周辺国を見渡せば、先人の叡智は侮れないことがわかろうというものだ。

 日本がこのまま勢に流されていけば、そこに待つのは専制国家しかないが、それとて今の情勢では、自前の専制国家ではなく、シナの専制、即ち中華人民共和国の一省となって、満州人のように母国を失って、母国語も失ってしまうことになりかねないのである。

 そう考えれば、日本がいかに自国の影響力が強かったとはいえ、満州国を作ったのが正義だったという結論に至らざるをえないだろう。辛亥革命後成立した共和政府が、清朝の財産を奪い、幼い皇帝溥儀を追い出した時点で、彼らは清朝の遺産を相続する資格を失っていたのだ。それを相続した中国共産党政権も同断である。これはチベットやウィグルについても言えることだ。

 彼らは尖閣を中国の領土といい、琉球もそうだと言っている。
 さらにあきれたことに、卑弥呼も朝貢していたから邪馬台国もそうだという。
 ならば、邪馬台国が、九州にあったなら九州が、畿内にあったなら畿内までが、中国のものということになる。邪馬台国が大和朝廷と重なるなら、結局は日本全体がそうだということになる。いや、漢字を使っている文明はすべて彼らの領土ということなのだから、そんな議論を彼らとすること自体がナンセンスだろう。

 日本に彼らの魔手が迫っていることは宮崎正弘氏のメールマガジンにある次の記事を読まれればいい。彼らは何も、尖閣、沖縄と南からだけやってくるわけではないのだ。

(記事引用開始)

まずは下記の比較表をご高覧あれ。

日本に於ける中国総領事館の比較
@@@@@@@@@@@@@@@

都市   職員数       敷地面積       土地区分
――   ―――     ―――――――      ――――
札幌    不明       2700平方M    自己所有
大阪    30        200       賃貸ビル
長崎     4       3000       自己所有
福岡    14       5000       自己所有
名古屋   不明        300       借地自建設

(これから購入予定)
名古屋   不明      10000平方M    売却予定
新潟    17      15000       売却予定

 新潟市議会の佐々木薫・議員によれば、新潟の購入予定地がほかの領事館の敷地にくらべて異常に広いことがわかると問題を提議される。
その狙いは沖縄への総領事館を日本政府に断られ、前線基地の必要性から新潟を選択したのではないか、という。

 2009年3月3日付け読売新聞はこう伝えた。
 「沖縄総領事館に中国軍関係者や情報機関の人間が常駐すれば、米軍や尖閣諸島を監視する前線基地になる懸念が生じる」。

 この前後、中国領事館誘致は仙台と広島が競っていた。仙台は勇気ある市長が反対し、チャイナタウン構想は頓挫した。
 2010年になってから新潟に領事館が新らたに設置を認められた。中国領事館が最初に入ったのは貸しビル(万代島ビル)だった。同ビル内にはロシア、韓国の総領事館も入居している。中国領事館はすぐに転居し、(隣人たちに情報が漏れる怖れ?)、新潟市内の西大畑町の建物に移転した。


 ▼新潟拠点化のホントの狙いは何なのだ?

 2010年から、中国は突如として、一万五千平方メートルもの広大な敷地を購入しようと動き始めた。
それも中国主導というより新潟市長が旗振り、新潟市内のど真ん中にある万代小学校跡地が狙われた。チャイナタウン構想の誘致で経済を活性化しようという浅はかな考えに乗っ取っているようだ。

 そこで地域住民に説明会なるものが唐突に開催され、10年9月10日、16日、21日の三回行われたが、地元住民が反対した。在日外国人のなかで、中国人の犯罪が一番多く、治安が懸念されることが第一と反対理由に挙げた。

 おりから尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視艇に体当たりするという衝撃の事件が発生し、中国総領事館への売却は自然に「凍結」となる。

 反対運動の先頭にたつ佐々木市議は「渡航査証発給やその他の領事館業務を勘案しても、現有規模で十分であり、購入対象の土地は規模がおかしい。市内都心部の駅から500メートルに五千坪の治外法権区域の出現は適当ではない。将来の新潟の都市計画整備に禍根を残す。(中略)この反対は、尖閣諸島沖中国船侵犯事件の一時の感情ではなく、歴史的、総合的視点で中国の本質を見抜く必要がある。中国は恐ろしいまでの国家百年の大計をもって、新潟へ進出してくる」
からだと反対理由を述べている。(『漁火新聞』、2011年2月1日号)



(記事引用終了;http://www.melma.com/backnumber_45206_5091388/



 北朝鮮の羅津港はすでに租借され、ここには中朝国境から物資輸送用の道路が建設されている。これは軍用と見ていい。
 地図を見れば、新潟はこの羅津港に面しているのだ。
 羅津はかつてのロシアが租借した旅順であり、新潟は日本侵略工作の橋頭堡として狙われているのである。

 
 
 さて、「思惟」の問題に話を戻す。
 
 本来、「思惟」の行き着くところで「慮」となり、精到な「理」となる。
 ここから「謀」は生まれるが、この「謀」の働きは、勢を審らかにしなければ有効な「謀」とはなり得ない。しかし、このつかみどころのない勢を審らかにすることが難しい。
 南洲翁が言っているように、事の理と勢を見分けること自体が難しいのだから、その勢を審らかにするのがもっと難しいのは当然である。

 その難しい勢を審らかにするには、遠くから眺める目を持しつつ、近づいて眺めたり、場合によって触れてみる必要がある。その極意を陳龍川の言葉を引用して述べたのが、南洲翁の先に引用した言葉である。 

 「理に当たって後進み、勢を審らかにして後動く」ことで、理と勢を知る。
 進み、動くとは行動するということだ。

 維新回天の事業を南洲翁らの行動を中心に眺めてみると、彼らがこのことを意識して、つまり「思」「慮」「謀」の精神運動を螺旋的に繰り返しながら事を運んで行って、ついに王政復古討幕を成したことが見えてくるのである。
 このことを理解せずに、やたら維新を語っている維新の志士気取りの政治家や財界人が多いが、彼らの維新が失敗に終わることは以上の本質論で理解できるだろう。

 翁と精神的に深く交わり、ともに歩んだ時代の大久保利通は、王政復古討幕事業の渦中で次のような言葉を発している。 

 「弊習といえるは、理にあらずして勢にあり。勢は、触視するところの形跡に帰すべし。」

 外遊により定準を失う前の大久保の名言と言っていいだろう。
 
 維新に邁進した時代の彼らは、皇室を中心とする日本の伝統を回復再生するという気概を以て、理に当たって後進んだ。つまり行動した。
 そして、眼前の事に触視して、その形跡から理と勢を弁別した。
 その中で「思」は「慮」となり、理は精到になる。
 と同時に、勢は審らかになっていく。
 その間で、謀が生まれて、行動することでさらに修正される。勢とは変化するものであり、行動することで変化を及ぼすことができるものでもあるからだ。

 大久保のこの言葉は、慶応四年二月の「遷都の建議書」に出て来るが、これを読めば、彼が「思」を凝らして、朝廷を取り巻く慣習に触視して、勢である弊習を弁別して、これを改める「謀」として遷都論を述べていることがわかる。

 彼はこういった「思」「慮」「謀」の螺旋的精神活動を活発に為しつつ、明治四年の改革(結果的に廃藩置県に至る)へと天下の事(政事)を運んでいくのである。私はこの時期の大久保を大変高く評価しているのであるが、外遊後、定準を失って、これとは逆の行為を為した大久保を見て、それが南洲翁の精神的照射によったものと合点したのである。

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