三島由紀夫

小林秀雄

 …宣長と徂徠は見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によく似た気象を持った人なのだね。そして二人とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。

江藤淳

 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。

小林

 いや、それは違うでしょう。

江藤

 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。

小林

 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。

江藤

 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。

小林

 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。

江藤

 吉田松陰と三島由紀夫は違うじゃありませんか。

小林

 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。

江藤

 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。

小林

 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。

江藤

 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。

小林

 いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松陰もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。
 三島の場合はあの時に、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。

江藤 

立とうが、立つまいが…?

小林

うん。

江藤

そうですか。

小林

ああいうことは、わざわざいろんなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな腹切ってますよ。

江藤

子供や女の、くやしさやつらさが、やはり歴史を進展させているとおっしゃるのなら、そこのところは納得できるような気がいたします。だって希望するといえば、偉い人ばかりではない、名もない女も、匹夫や子供も、みんなやはり熱烈に希望していますもの。

小林

まあ、人間というものは、たいしてよくなりませんよ。



(『諸君』昭和四十六年七月号、小林秀雄・江藤淳対談「歴史について」より)













( 「三島由紀夫 」 ウィキ解説 ; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB )

( 「三島事件」 ウィキ解説 ; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )




 西郷さん。
 明治の政治家で、今もなお「さん」づけで呼ばれている人は、貴方一人です。その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。
 あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人として見ています。

…(中略)…

 私にはあなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。それは私が、人間という観念ばかりにとらわれて、日本人という具体的問題に取り組んでいなかったためだと思われます。
 しかし、あなたの心の美しさが、夜明けの光りのやうに、私の中ではつきりしてくる時が来ました。時代といふよりも、年齢のせいかもしれません。とはいえそれは、日本人の中にひそむもつとも危険な要素と結びついた美しさです。
 この美しさをみとめるとき、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでしょう。

 あなたは涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の脆さを知っていました。それから、責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。知っていて、行いました。
 この銅像の持っている或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を逆に証明するような気がします。


 三島君。
 おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。あんたにもそれが わかりかけてきたのではごわせんか?



(三島由紀夫「銅像との対話――西郷隆盛」より )




 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。


(三島由紀夫  昭和四十五年七月七日 「産経新聞」より)




檄文

 われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。
 その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

 かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。
 ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。
 われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。
 しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。
 たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
 しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
 もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
 自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。
 自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
 自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。
 自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。
 楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。
 憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。
 政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。

 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。
 総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。
 その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。

 その日に何が起ったか。
 政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。

 政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。
 これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

 名を捨てて、実をとる! 

 政治家たちにとってはそれでよかろう。
 しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 
 
 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。
 創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。
 論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。
 これ以上のパラドックスがあろうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
 われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。
 自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。
 男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。
 我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。

 われわれはひたすら耳をすました。
 しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。
 かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。
 諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。
 しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。

 シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。
 しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。
 武士の魂はどこへ行ったのだ。
 魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。
 繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。

 沖縄返還とは何か? 

 本土の防衛責任とは何か? 

 アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
 あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待った。
 最後の一年は熱烈に待った。
 もう待てぬ。
 自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。

 しかしあと三十分、最後の三十分待とう。
 共に起って義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。
 生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
 生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
 今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
 それは自由でも民主主義でもない。
 日本だ。
 われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

 これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
 もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。
 われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。



(「檄文」 昭和四十五年十一月二十五日)


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