尖閣抗議デモに感じた日本の伝統「やまとごころ」

 昨日、十一月二十日の大阪での尖閣抗議デモに参加した人数は、正確には三千三百人だったそうである。
 もし、今の段階で、同じ趣旨のデモが全国的に行えるとしたら、自発的に参加行動を起こされる人は、確実に万を超えるだろう。

 これら大勢の人たちは私的な打算で参加しているわけではない。
 私的な損益勘定でいえば確実に損である。
 政治行動を好まぬ日本人がそれでも行動を起こすのは、より大きな価値の実現を求めてであるが、「益」という漢字を使うなら、それは公益ということになろう。
 しかし、おそらくはそれとて小さいことであると思う。


 デモに参加してみて、あの良識ある日本人の集団に、私は日本の伝統が流れているのを感じた。
 これを表そうとして、今頭に浮かぶのは、聖徳太子の十七条憲法である。

 その十五条目に次の言葉がある。


「私に背きて公に向かうはこれ臣の道なり、…上下和諧、それこの情(こころ)なるか」


 北京五輪のスローガンは、「和諧」だったが、これは漢民族の少数民族支配、さらにその漢民族に対する中国共産党の支配の上に成り立つ見せ掛けの和である。
 その開幕式で、少数民族の衣装をまとった子供たちが、実は漢民族の子供たちだった、というのはあの国の本質を象徴する出来事であった。
 あの国の一致団結した体面は、いわば銃口を突きつけることによって保たれた、血なまぐさい「和」であって、その下にはマグマのような怨望が突き上げている。
 かの国の国旗は血塗られた赤である。

 対する、日本人の「和」の精神は、弛緩堕落すれば、単なる日和見の、事なかれ主義に陥りがちである。
 しかし、それは内的充実を得れば、大変な力を生む。
 わが国の国旗の赤は、日の丸、すなわち燦々と輝く太陽の光である。
 日本国民は大地に根っこを下ろして、日に向う向日葵なのである。
 あのデモは、日の光熱によって生育した向日葵の行進であったと言っていい。 

 そのデモが中国を刺激して、その中国共産党という鉄蓋の下にある様々な怨望を吹きこぼれさせているのは、大変興味深い現象である。

 一部の国民によって内的充実を得た「和」がこれから大きな「和」、すなわち「大和」となって、米中が手で押さえている日本鍋の蓋を取り去って、中国の鉄蓋を、日本人が火傷せぬように上手く、かの国の煮えたぎった怨望に沈めることができればこれに越したことはないだろう。


 さし出づる、この日の本の、光より、高麗・唐土(こま・もろこし)も、春を知るらむ

本居宣長

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