読者へ

 前回の記事「やまとごころ」(その壱)の内容を受けて、いよいよ明日にさし迫った参院選挙について書きたい。

 このブログではずっと民主党の持つ危険性に付いて指摘してきたから、民主党に投票する読者の方はおられないと思う。
 民主党は間近に接近した崖に向かってアクセルを踏む、狂気に捕らわれた政党である。
 しかし、民主党が参院選において過半数割れを起こしたとしても、連立によって、その邪悪な目的を達成することは出来るわけであるから、民主党と決して組むことはない政党に投票しなければならない。
 となると、おのずから選択肢は限られてこよう。

 しかし、これはアクセルを力いっぱい踏む狂人の足を、何とか、べダルから引き離したというに過ぎず、崖がすぐそこまで迫っていることに変わりはないのである。
 今回の選挙で投じる一票は、未来を切り開くために投じられなければならない。その受け皿となる政党には、急ブレーキを踏みながら、巧みにハンドルを切り返す難しさが求められるが、それを受け止めるだけの実力がある政党があるようには見受けられないのが大問題だ。

 現在の日本は芯の先端がちびて、描線がかすれてしまった鉛筆である。
 皆の視線は鉛筆の先端部に集中しているが、実はこの鉛筆は、途方もなく長い。これは、清流と森林の文化が育んだ、長い歴史と伝統を誇っているということである。

 その先で描き出される文字や言葉は、あいまいではっきりとしない。
 自画像の描線がぼやけてるから、アイデンティティも解けてなくなってしまった。
 当然のことながら、日本の言い分を他人事としてしか受け止めない外国の要人は、何がいいたいのかつかめない。
 先日、カナダののトロントで行われた菅首相の初の晴れの舞台のはずであるG20での共同声明で、日本が例外扱いされたのは、経済再建の道筋がはっきりと語られなかったからである。国内で消費税の導入をぶち上げた菅首相が海外では何も語らなかったのである。消費税が選挙対策の議論であるからだ。

 今子供番組「ピラメキーノ」で歌われている「なんてふわふわジャパン」の歌詞は傑作である。

 「噂に聞いてはるばる来たんだ、フワフワした国に
だが、噂以上にフワフワしてるぜ、ナニこれこの文化

なぁ、ゆるさというか雑だというか、全てがフワフワだー

もう、どっちなんだよ、はっきりしねえよ
マルマル風とか、マルマル的とか、ざっくりとみたいなー

ほら、Aを基本にB風な感じ、
さらに、C的要素をざっくり加え
GO GO GO

でも、Dっぽさもいいー、Eっぽすぎるかなー

なにこの不思議なこの感じ
なにこのフワフワした感じ
なにこのフワフワした感じ
なんてフワフワフワした感じ
なんてフワフワな
なんてフワフワな
なんてフワフワな

JAPAN

でも何だろう、このちょっぴり心地いい感じ

好きも嫌いも、YESもNOも、フワフワさせたいときもあるなーらー

これでいいじゃん、これでいいじゃん、これもいいじゃん

これがここ JAPAN

フワフワしたジャパン
フワフワしたジャパン

これがここジャパン」


 まるで、外国、特に中国に何も言えない日本の政官財を歌っているようだが、笑い事ではない。
 人々の生活、生命がかかっている以上、これでいいじゃん、これもいいじゃんで済ませておくわけにはいかないのである。
 このちょっと心地いい、ふわふわした国を、浮遊する島を、一挙に手中にしようと虎視眈々と狙っているハングリー大国があるのだ。もちろん、それは皿以外ならなんでも食べ尽くすといわれる漢民族の国中国である。

 我々日本人がしなければならないことは、この先のちびた鉛筆を、削って鋭く尖らせることだが、それは民主党内の反日左翼革命家達のように、この鉛筆を火中に投げ入れて、マルクス社製の新しい物にすることでも、メイド・イン・チャイナにすることでもないのはもちろん、新しい物を接木する、というようなものでもない。
 少し遡って、芯を削って、鋭く切り立たせることなのだ。

 ところが、それを担っているはずの保守が空洞化を起こしている。
 だから一草莽に過ぎない、自分が、この芯を鋭く深く掘り下げなければならず(誰に頼まれたわけでもない、勝手にそう思い込んでやっているだけだが)、そのために、「(新)西郷南洲伝」を世に問い、続けて、このブログで、日本の歴史・伝統に付いて、斬り込もうとしたのである。まるでドンキホーテにして、西部邁氏が言うところの村はずれの狂人であるが、そう思われるのは覚悟のうえでのことだ。

 今は幕末や昭和初期に匹敵する日本文明の本質的機の時代である。
 だから起死回生の偉業を成し遂げた明治維新を強く意識するのだが、その偉業の背景に、江戸期の学問の伝統が存在したことを強く意識するようになった。
 それを現代的に継承発展して、広く国民的合意を得れば、10年以上前から識者によって唱えられてきた、日本文明の衰退と、怨望の覇道国家中国の脅威には対処しうると考えたのである。
 「南洲伝」執筆には時間がかかったが、南洲翁を調べ書くうちに、この本に平成の御世の『靖献遺言』なれかしとの希望を抱くようになった。『靖献遺言』はいわゆる崎門学者浅見絅斎の著書で、シナの忠臣志士の生き様を描いた本で、維新の志士たちの精神的よりどころになった本だ。
 しかし、文才に恵まれず、今苦戦を強いられているわけだ。
 ところが民主党政権の成立と共に、悠長に、ちびた鉛筆を一個人の手作業で研いでいる時間はなくなったようである。

 そんな一雑草の感慨はともかく、もし今日本の危機に目覚めた日本人がいるなら、民主党の不信任票を投じるにとどまらず、未来に向け、積極的に一歩踏み出すべきである。すくなくとも選挙において意思表示をするというのは、最小限度の努力で済む行為だろう。せめて、ぜひ一晩でいいから、真剣に考えていただきたいのである。
 今、崖に突っ込もうとしている日本に必要なのは、それに対処する強い意思と、周りの状況を見回す目である。神業のようなドライビング・テクニックまで備わっているのが理想であるが、それは求むべくもない。

 ともかく歴史を転回させるのは人であるが、偉大な人格は時代が作る以上、要は志を以てその人を見るほかない。

 そうして見回したときに、すくなくとも国家意識という点で、しっかりとしたものを持っている政治家は多くないが、「やまとごころ」を堅持している人物として思い当たるのは、平沼赳夫氏である。
 政治の世界に疎いので、政治家としての氏のことはよく知らないが、すくなくとも人望のある志操潔癖な人物であることは確かなようだ。創新党の元杉並区長山田宏氏もなかなか心にしみる演説をする人物で、尊敬を集めているが、詳しくは知らないのでなんともいえない。

 その平沼氏が立ち上げた「たちあがれ日本」は、小沢一郎氏の囲碁仲間与謝野馨氏が共同代表を務めたり(大久保利通の猿真似政事家小沢氏の囲碁仲間ということは密談仲間であるというになる)、小泉チルドレンの杉村太蔵氏がいたりと、懸念もあるが、私はある人物がここから出馬したことで、この党に1票を投じることにした。

 その人物とは、国際アナリストの藤井厳喜氏である。
 国際政治学者、国際経済学者としての藤井氏の本質的な分析力は鋭く、率直にしてわかりやすい。
 日本文化チャンネル桜に登場する学者、言論人の中でも存在感を示していたが、氏に特に興味を抱くようになったのは、二月二日に日比谷公会堂で行われた「頑張れ日本!全国行動委員会」総決起大会に参加したのがきっかけであった。
 この大会に参加した政治家、文化人、知識人、言論人の中で、ひときわ目を引いた人物の一人が藤井氏だった。中でも異様なほどの悲壮感を漂わせていたのが、この大会の主催者と言っていいチャンネル桜の社長である水島総氏であり、もうひとりが藤井氏で、ここで初めて参院選出馬の決意表明を行ったのである。(もうひとり出馬の決意表明を行ったのは自民党公認の経済アナリスト三橋貴明氏だったが、会場に現れたときから異常に緊張していて非常に目に付いた。また安部晋三氏を筆頭に、政治家の熱意ある演説は多々あったが、悲壮感まで感じさせたのは、この両氏だけであった。)

 この時の藤井氏の演説で、氏が南洲翁を敬愛していることを知った私は、メールを送って、氏の了解の下、拙著を送らせていただいた。
 数日して氏からお礼と感想が認められた直筆の手紙が送られてきた。もっとも、選挙の準備で超多忙な氏のことであるから、下巻の「征韓論政変」篇に目を通されての感想だったのだが、日本文明と前回述べた漢才に関する見方の食い違いがあって、これについて自己の意見を認めた長文の手紙を送ったのである。もちろん選挙の方が大事なので、お返事は無用につき、落ち着いた時にお読みください、ということで送ったのだが、お読みいただいたのかどうか、しばらくして、チャンネル桜のご自身の番組で、南洲翁のことを取り上げてくれたのである。

 もちろん私の手紙が関係あるのかはわからないが、すくなくとも以前からお持ちになられていた南洲翁に対する思いを率直に言葉になさったように見受けられ、氏は洋才をあまねく修めた人物だが、そこを突き抜けて、「やまとごころ」に回帰した人物ということが確認でき、また放送で言った内容も、自身の言論に託した思いにも合致していて、当時無力感に襲われてブログを書く気力も失われていた時期ということもあって、いたく感動を覚え、そして生気を回復したものであった。


 
 今、政治に限らず、各分野で、それぞれの分に応じた西郷南洲、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作といった維新の精神を継承した人物が出なくてはだめである。これらの人物の100分の一規格、10分の一規格の人物でも、前者なら百人、後者なら10人が現れれば、それに匹敵する仕事が出来るはずだ。
 しかし、その前提として、これらの人物が正確に理解されていなければならない、と思うところに、私が「南洲伝」を書き、続けてブログで執筆を続けている動機はあるのである。
 いずれはそれらの人々の運動が、やまとごころが、正しい名の下、大綱によりあわせられなければならないからだ。

 自身を政治家と自己規定している政治家はだめである。
 それは今の危急存亡の時代にあっては、単なる政事家に堕す。自己の地位を失うことを恐れるからだ。選挙が気になって仕方がない。
 今の日本を再生させる原動力とはなり得ないだろう。今の日本に必要なのは、名正しく、言順なる政治なのである。
 藤井氏は率直にして、本質的な眼識を備えた言論人として、これまでの人生を歩んでこられた方である。「やまとごころ」という日本人としてのエートスを強く保持ておられる。私は宮崎の口蹄疫発生に際して、全国のマスコミに先駆けて現地入りし、これを報道した氏の政治センス、行動力を信じるし、この問題が日本の天孫降臨神話の地である日向を発生したことに痛切なものを感じる氏の「やまとごころ」を信じる。
 それでも、政事家としての能力は未知数だが、必ずや名正しく、言順なる政治スタンスを貫かれるだろう。しかし仮に能力が足りなくとも、仮に志半ばで倒れたとしても、それは憂えるに足らない。
 同じ精神を共有する人々が後に続けばいいからである。
 10分の一西郷が、100分の一西郷が、藤井氏の高く掲げた旗を次々とひろって、 これを高く掲げ続ければいいのである。
 旗が高く掲げられていれば、今後、日本人の多くが絶望に見舞われる中で、起ち上がり、参集してきてくれる人々も増えるはずである。

 藤井氏はまず起たれた。
 立ち上がれ日本は今の政局では眇たる存在に過ぎないが、それでも山椒は小粒でぴりりと辛い。筋を通す平沼氏を党首に仰ぐ政党なら、今の乱れた政局の橋頭堡となりうる。
 もし崩れそうであれば同志が支えればいいし、鍛え上げればいい。いずれにしても、ただ待っていては、今の現状は動かないのだ。政治家任せではどうにもならぬからこそ、藤井氏は起ち上がらざるをえなかったのではなかったか。
 皆が一票を投じるところから始まって、支持をするというなら、それぞれが責任を以て行動をしなければ成らないはずだ。その点、藤井氏は、民主党の、中身がないがゆえのソフトファシスト達とは違って、違う意見でも、耳を傾ける人物であるという感触を持っている。
 政党とは、利益を代弁する組織である以上、支持者こそがこれを成長させるのである。戦後どこも為しえなかった自主独立の精神を代弁してもらおうではないか。

 私はこの政党を支持することにした。
 記事のアップが遅くなってしまったが、明日で終わる問題ではない。
 読者の皆さんもよく考えていただきたい。

 (藤井厳喜氏のブログ http://www.gemki-fujii.com/blog/



 

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