狂気の時代 (その二)

 わが国日本のお隣には、膨張とどまるところを知らぬ怨望の覇道国家中国がいる。
 まことに厄介な国だが、そこには、中華主義という世界支配の欲望と、清朝の阿片戦争以来、西洋列強に屈服を強いられてきた怨みというものがある。
 中華民族は、中華人民共和国の建国以来、六十年の歳月を掛けて、怨望の大国を築き上げてきた。
 その怨望はいまや世界に、特に日本に向けて解き放たれようとしている。

 小人と化した戦後日本人(シナ人が言うところの小日本人)は、その勢いにたじたじである。ある者は媚び、ある物は諂い、人気は漸々弱く相成り、この末如何成り行くものか、帰するところを知らず、という状況だ。
 そして、日本国家の中枢は、彼らの怨望に犯されつつあり、参院選の結果如何で、この国は、中華人民共和国日本自治区への一歩、それも大きな一歩を自ら踏み出すことになるだろう。消費税の論議など、彼らの陰謀から国民の関心をそらすための煙幕に過ぎないのだ。


 福沢諭吉の高名な『学問のすゝめ』には、この怨望の害を論じた「怨望の人間に害あるを論ず」という一章がある。

「凡そ人間に不徳の箇条多しと雖(いえ)ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし」(第十三編『怨望の人間に害あるを論ず』)

 と、福沢は言う。

「独り働きの素質において全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘らずして不善の不善なる者は怨望の一箇条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様に由って我に不平を抱き、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。」

 福沢は怨望を不善不徳の極みに置く。
 そして、怨望の実際に為す害については次のように述べている。

「怨望はあたかも衆悪の母の如く、人間の悪事これに由って生ずべからざるものなし。疑猜(ぎさい)、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、皆怨望より生ずるものにて、その内形に見(あら)わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫(しゅうごう)も国に益することなくして、禍の全国に波及するに至っては、主客共に免かるるを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞しうする者と言うべし。怨望の人間交際に害あることかくの如し。」

 まさにシナ社会そのものではないか。

 

 私は福沢は、南洲翁が政府首班であった頃の政治を光源として、いわゆる征韓論政変以来の明治政府の施政とそれが引き起こした事態を静観して、このように述べていると見ているが、これははっきりと大久保政治を意識してのものであった。
 彼はつてを使って、大久保との面会を果たし、日頃抱懐するところの見識を伝えたのだが、大久保は福沢の説を面白いとは日記に記したが、何ら政治にこれを反映させるところがなかった。
 その行き着く果てが、西南戦争であり、この文明史的な大事件は、福沢をして、南洲翁弁護の書『丁丑公論』を書かしめたのである。
 後に紀尾井坂における大久保遭難の報を聞いた福沢は、気の毒ともなんとも思わぬ、とその感想を述べた。

 私が南洲翁を敬仰しているだけあって、ここに書いていることを表層的に読んでいる人には大久保が大嫌いと受け取られているかもしれないが、実は、私は大久保を、マキャベリストとして、あるいは大政治家として評価している人よりは、おそらくは、その形跡のみならず、情実を理解し、人物を高く評価していると思う。
 だから、政治家としての大久保に対する、根拠の薄弱な安易な礼賛には反論したくなるし、一方的な非難には弁護したくなる。
 大久保という人物をつかんだ、とまでは言わないが、それでも南洲翁の事跡について調べ考える過程で、大久保の書簡や日記を読み込んで、その人物に触れたという感触、実感は持っているのだ。


 さて、私にとって、そんな厄介な存在の大久保だが、その政治家としての彼を、浅はかに理解して、これを模倣している政事家が現代にもいる。
 それはもちろん小沢一郎氏だ。

 民主党が参院選を凌いで、九月の党首選を迎えた時、菅内閣のボロは既に出ていて、小沢一郎氏が復活してくる公算は大である。おそらくは、そもそもがそういった筋書きなのだ。

 彼こそは空虚な独裁者の最たるものといえるだろう。中身が虚ろだからこそ、誠心のままに、本心をそのまま語って、国民の広い支持を取り付けることが出来ずに、唯物主義的な支配に、ファシズムに走るのである。彼に冠された豪腕の称号は、その一側面に対する形容に過ぎない。

 すでに衆議院で多数を制した民主党が、参院選に勝って、両院で多数を制するような事態にでもなれば、日本は中華人民共和国日本自治区への道を、大きく一歩踏み出すことになろう。

 そして、まずは、今でも行われているマスメディアの情報統制、言論統制を踏み越えて、反対者に対する言論弾圧が加えられるだろうと予想している。
 小沢氏はそれぐらいの事をするだろう。
 彼の地盤である水沢という地方都市ではすでに物言えぬ社会が実現しているのだ。誰がどこに投票したか把握されているそうだ。

 この民主党による現代の安政の大獄、あるいは、人権の名の下に行われる讒謗律が実現すればどうなるか。
 彼らの中に鬱積してきた怨望が解き放たれ、そのことによって国民の側に生じた怨望が、心の中に鬱積することになるのだ。
  
 慧眼なる福沢をして言わしむれば、その内形に見(あら)わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫(しゅうごう)も国に益することなくして、禍の全国に波及するに至っては、主客共に免かるるを得ず、いわゆる公利の費をもって私を逞しうする者と言うべし、怨望の人間交際に害あることかくの如し、ということになる。

 また国外からの怨望の大量流入も恐ろしい。
 7月1日より始まった中国人富裕層のビザ規制緩和の裏に、同日より中国国内で施行されている『国防総動員法』の存在があることは前回触れたが、この法律は、在中日本人に適用されるのはもちろん(これは日本との間に紛争が勃発した場合、彼らが人質に取られると共に、企業は対日戦争遂行の物資生産に動員されることを意味する)、在日華人は中国政府の指示に従わなければならないということである。

 民主党が、マニフェストから外しながら(マニフェストに掲げた公約を翻すことに躊躇はないが)、根気よく推し進めている三大悪法、すなわち「外国人地方参政権」、表現の自由を奪いかねない「人権擁護法案」(外国人への差別を理由に、彼らへの批判が封殺される危険がある、被害者よりも犯罪者の人権の尊重ばかり主張する左翼のいかがわしさを見よ)、これに加えて、従来の家族制度の崩壊を目論む「夫婦別姓法案」
 特に前二者と絡めれば、日本は合法的に、中国に併合されてしまうことになるのである。
 明らかに一方的侵略であったチベットの問題に50年以上経っても、国際社会が対処できていない現実を見れば、合法的に併合された日本を誰がかばうというのか。しかも戦前の日本が中国でとんでもない悪いことをしたと、彼らによって、あるいは日本人自身によって宣伝され、国際社会に受け入れられている今日である。特に共にシナ人移民の問題を抱える先進諸国が、中国の恫喝に晒されながら、日本人のために何かをしてくれるはずがないのである。

 日本はこれから動乱の時代へと突入することになる。
 もはや事なかれ主義でやっていけた時代は終わったのである。

 狂気の時代の幕は今開けようとしている。

 出鱈目なる今狂の時代において、伝統は、ますます頑固一徹な狷者でしか守り抜いていくことはできない。
 また、厳しい現実を、今を、そして未来を積極果敢に生き抜くには、進取の精神を持つ狂者が必要である。
 その両者の上に立って、不易と流行の間でまことの生を生きるには、中庸なる君子が必要である。


 もののふの やまと心を よりあわせ ただひとすぢの おおつなにせよ

野村望東尼

 

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