詩楽の伝統から維新へ (その三)

 岩倉具視は、連綿として続く万世一系の皇室を根源とする、万国に冠絶した純正淳朴の美政、礼楽征伐が、日本本来のあり方であり、古代からの理想であることを述べた上で、中葉以降の武家政治のあり方を批判した。
 これは、慶応三年十月当時、統治能力を欠いて、失政を繰り返す徳川幕府に対する批判として表出した伝統思想であったことを縷々述べてきたつもりである。
 我々が読み取る能力を失った、岩倉の主張の思想的、歴史的背景に、村上源氏および和儒学の連綿たる伝統があったことをはじめて知った方も多いと思うが、彼の主張はさらに根源的な深さを備えている。

 彼はこの幕末の混沌たる政治状況をどの様に回復すべきと考えていたのだろうか。
 彼は前掲の武家政治批判のくだりに続けて、再び孔子の思想に依拠して、日本社会の理想的調和、根源的統合を再興しようと主張している。
 以下のように。

それ国家綱紀の弛張、人心の離同は、名を正すに始まり候は、古今の通論に候処、近年幕府に於いて失政尠(すくな)からず、外は各国の条約締結、内は長防の処置等、総て朝廷を脅制し奉りて、列藩の公議を排斥し、放肆縦横の政令を施行し、人心離叛、禍乱相踵(つ)ぎ、遂に今日の体に陥溺し、尚この上、私心を以て偏執邪曲の政令陸続と出で、暴威鴟張(しちょう)相成り候ては、全く朝廷を擁するの姿にて、一令相発するときは一撃を増すの人心に候えば、約(つま)り宝祚の御安危に相係り候は、必然の御儀と苦心の至りに堪えず候。

 つまり、幕府は、古今の通論たる名を正す政治を怠ってきたがゆえに、国論が割れ、人心がガタガタになり、今、深刻な国家的危機を惹起している。だから、名を正して、我が国古来の伝統である、万国に冠絶たる、純正淳朴の御美政に回帰すべきである。
 これが岩倉の言わんとするところである。

 この岩倉の主張のもとになっているのが、孔子のいわゆる正名論である。

 子曰く、
「必ずや名を正さんか。
…名正しからざれば、言順(したが)わず。
言順ならざれば、事成らず。
事成らざれば、礼楽興らず。
礼楽興らざれば、刑罰中(あた)らず。
刑罰中らざれば、民手足を措(お)くところなし。
故に君子はこれに名づくれば、必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子は其の言において、苟(いやし)くもするところ無きのみ。」


 大意は、

 政を為すにおいては、必ずや名を正すべきである。
 名が正しくなければ、言葉がこれに順わず、言葉が正しくなければ、物事(事務、政事)がうまく運ばず、物事がうまく運ばなければ、礼楽が興らず、礼楽が興らなければ、刑罰が適当でなくなり、刑罰が適当でなくなれば、民は安心して暮らすことが出来ない。
 だから君子は、正しい名をつけたなら、これを必ず言うべきである。そして、言えば、必ず行うべきである。
 君子はその発言において、いやしくするところがあってはならない。

  
 となる。

 岩倉はこのいわゆる正名論に依拠して、名を正すことは、孔子以来の古今の通論である、だから、朝廷から権力の委任を受けている幕府は、この国の天子にして、美政、礼楽征伐の根源たる皇室に、大政を奉還せよ、と言うのである。
 なぜなら、そうすることで、言葉正しく、政事挙がり、礼楽興り、刑罰適当し、国家の人心が一致調和し、これを以て国難に当たり、大宝(おおみたから)たる民が心安く暮らすことが出来るようになるからである。

 これが後の『五箇条の御誓文』にこだまする「万機公論に決すべし」という理想の根底にある思想である。『五箇条の御誓文』の起草者である三岡八郎(後の由利公正)が、四書の思想に基づいて起草した、という趣旨のことを語っているのだから、これは決してこじつけではない。
 『五箇条の御誓文』の理想は、その由来から言って、名正しく、言順なる政治、と言いかえることが可能なのである。

 その、名正しく、言順なる政治の中で、皇室の伝統たる、詩に始まり、礼に立ち、楽に成る、豊かな言語経験を背後に湛えた、言霊による美政が民に息を吹き込む。
 だから、まずは、天子たる天皇親(みずか)らが、大英断を以て、王政復古の朝命を煥発していただきたい(名を正していただきたい)。

 岩倉が、薩長の武力と決死の覚悟を背景に、為そうとした奏聞はそういった含みがあったと見ていい。
 岩倉の奏聞を後押ししていた薩摩藩の、南洲翁を中心とした指導層も、同じ思想で王政復古討幕の活動を推進していた。
 彼らは公家と武家という違う立場に立ちつつも、同じ伝統思想によって心を合わせていたのである。明治六年の征韓論の破裂まで、彼らの活動をかろうじて一致させて行ったのは、日本社会を取り巻く困難な状況と、それによって覚醒した、この伝統思想であったと見ていい。
 そして、その後八十年足らずの歴史は、大方において、西洋に対するコンプレックスから迷走しつつも、そういった方向に向かった。
 明治日本の躍進と大東亜戦争という一大叙事詩は、これらの精神が織り成した物語なのである。


 名の問題はもう少し書きたいと思うが、ひとまず、以上の文明観、伝統意識を以て、岩倉の奏聞書全文を改めて読むと、その真意は、より明瞭となり、歴史的意義は屹立してくるだろう。
 幕府を現民主党政権に置き換えて、現在の政治状況と引き比べながら読めば、彼の建白の普遍的意義が浮かび上がってくるはずである。そして今後の政治状況の推移とともに、その切実さが増してくることが分かるであろう。

 全文を以下に掲げる。


 方今、海外万国大小となく、国力を挙げて富強の術に致し、人智日々相開けて、万里に雄飛し、宇内の形勢大いに一変す。この時に当たり、皇国の政体・制度御革新、万世に亙り、万国に臨み、天地に愧ずべからざるの大条理を以て、不抜の御国是を確立し、衆心一致、皇威を内外に宣揚し中興の御鴻業を施行せらるるは至大至要の急務と存じ奉り候。
 そもそも皇家は連綿として万世一系、礼楽征伐、朝廷より出で候て、純正淳朴の御美政、万国に冠絶たり。
 然るに、中葉以降、覇府大柄を掌握し、文武分岐し、天下の大勢、古代とは一変し、朝廷は全く虚器を擁せらるるの姿にて、万民は上に天子あるを知らざるの陋習と相成り、愧ずべく、歎ずべきの甚だしきものに候。
 それ国家綱紀の弛張、人心の離同は、名を正すに始まり候は、古今の通論に候処、近年幕府に於いて失政尠(すくな)からず、外は各国の条約締結、内は長防の処置等、総て朝廷を脅制し奉りて、列藩の公議を排斥し、放肆縦横の政令を施行し、人心離叛、禍乱相踵(つ)ぎ、遂に今日の体に陥溺し、尚この上、私心を以て偏執邪曲の政令陸続と出で、暴威鴟張(しちょう)相成り候ては、全く朝廷を擁するの姿にて、一令相発するときは一撃を増すの人心に候えば、約(つま)り宝祚の御安危に相係り候は、必然の御儀と苦心の至りに堪えず候。
 仮令(たとい)一時無事なりとも、目今、万国の交誼、天地公道の在る所を以て、和戦を決し、進退を定るの際に当たり、斯かる名分紊乱の制度を以て、万国と御対峙は相成り難きのみならず、皇国内の人心に於いても、また片時も居合(おりあい)相付き難く、内外実に容易ならざる危急の御大事、切迫の御時節なるを以て、征夷将軍職を廃止せられ、大政を朝廷に収復し、賞罰の権、予奪(与奪)の柄、皆朝廷より出でて、大いに政体制度を御革新在らせられ、皇国の大基礎を確立し、皇位拡張の大根軸を確定せられ度(たく)、非常の御英断を以て、速やかに朝命降下相成り候様願い奉り候事。十月




 

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