詩楽の伝統から維新へ (その一)

 ここまでの話で、詩学を基礎とする礼楽が、社会を調和し、秩序付ける効用を持つという孔子の考えは理解できるかと思う。
 これを踏まえて、孔子は、「天下道あれば、すなわち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、礼楽征伐、諸侯より出ず。・・・」云々と言ったのである。

 江戸中期に宝暦事件と呼ばれる事件があった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 事件の中心人物は、後世、勤皇の魁と呼ばれた竹内式部。
 彼は、山崎闇斎-浅見絅斎系の学者で、少壮気鋭の公家に大義名分論を説いた。その影響を受けた公家の斡旋により、町人学者の身でありながら、桃園天皇へのご進講を実現している。

 彼が講じたのが『論語』と浅見絅斎の『靖献遺言』であったが、特に説いたのが、『論語』の先の一条であった。

 すなわち、孔子曰く

天下道あれば、すなわち礼楽征伐、天子より出ず。
天下道無ければ、すなわち礼楽征伐、諸侯より出ず。
諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失わざること稀(すく)なし。
大夫より出ずれば、五世にして失わざること稀なし。
陪臣国命を執れば、三世にして失わざること稀なし。
天下道あれば、すなわち政は大夫に在らず。
天下道あれば、すなわち庶人は議せず。


意は、

天下に道が行われていれば、礼楽征伐(文化、政令)は天子(日本で言えば天皇)より出る。
天下に道が行われていなければ、礼楽征伐は、諸侯(今で言えば政党の党首、その最大の者が内閣総理大臣)から出る。諸侯から礼楽征伐が出れば、十代で秩序を失うことが多い。大夫(天子あるいは諸侯の重臣)より出れば、五代にして秩序を失うことが多い。
陪臣(大夫の家臣)が国命を執れば、三代で秩序を失うことが多い。
天下に道が行われていれば、政府は大夫によって動かされることはない。
天下に道があれば、庶民が政治について議論することはない。



 孔子のこの言葉と現在を引き比べてみると大変興味深いものがある。
 現在、独裁権力の構築を目指す小沢一郎氏は、さしずめ、大夫、あるいは陪臣ということになろうか。
 独裁権力者の出現は、民主主義に宿る欠陥であるが、そもそも民主主義は庶民(草莽)が政治について議することを前提とした制度なのであるから、孔子の洞察を信ずるならば、数世代にして、道が行われなくなるのは、自然の勢いなのであった。

 孔子の教えを信じて、天下を安んずるの大道を行っていることを以て自ら任じていた江戸期の和儒学の徒は、民主主義という言葉は知らなかったが、民主主義の持つこの根本的欠陥を知っていた、と言っていいのである。
 となると、その精神の発露である「五箇条のご誓文」を、自己の欠陥にも気づいていない民主主義者が、なかなか結構な宣言だ、などと高所から見下ろす図ほど、戦後日本の滑稽さを物語っているものはあるまい。ご誓文は日本の伝統精神の一つの結晶であり、我々が民主主義という呪文を唱えながら、ふんぞり返って、苦しうないと見下すような代物ではないのだ。
 歴史は鑑である。
 ご誓文の背後にある歴史・伝統は、ご誓文をよく見よ、早く自らの浅はかさ、馬鹿さ加減に気づけ、と静かに戦後民主主義者に問いかけているのである。

 我々戦後の日本人は、マッカーサーによる言語破壊、伝統破壊によってこの歴史からの問いかけに鈍感になってしまった。彼らの為した、検閲と焚書による言語空間の破壊という、秦の始皇帝の焚書坑儒にも匹敵する悪質な蛮行、そして、その空白を埋めた左翼用語は、まつろわぬ民を増殖し、五蠹(ごと・・・きくいむし)をその身に養わせて、いまだにこの国の根幹を、伝統を、国民精神を蝕み続けているのである。
 戦後日本人の偉業である経済的繁栄も、彼らに養分を与え続ける結果となった。怠惰な生活が祟って、日本文明に衰退の兆しが見える今日、致命的な病となって重く圧し掛かって来ているのである。

 要するに、このままでは長い年月を経ずして、日本の秩序は失われ、庶民の生活は脅かされることになる、ということだ。おそらく多くの日本人は、マスコミによって情報操作が為され、重要な情報がひた隠しに隠されているこの現状においても、ひしひしとその日が近いことを感じているのではあるまいか。
 

 征伐は武力発動のことであり、礼楽は、詩学に始まる言語経験の集成にして、世の諸々の事象に触れて発せられる言葉と行動の全てがそれに基づいている、とするなら、そこには大変豊かなものが含まれているということになろう。
 もちろん征伐はこの言語体系における善的価値判断に基づく行為である。だからこそ国民的合意を得ることが出来るのである。
 我々は、事に臨んでは、漢語表現を借りてきて、このことを大義と表現してきたわけだ。
 だからアメリカは、日本の東亜解放の大義、すなわち西洋侵略主義征伐の意図をとことん挫いたあと、ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムに基づいて、隠微な検閲と焚書、積極的には、神道令、東京裁判、公職追放、NHKの真相箱などのありとあらゆる情報宣伝手段を用いて、この国の言語体系の破壊を目論んだのである。
 現在の西欧国家の反日的言動は、これに追随したものであるし、アメリカのやり方を見習ってこれを拡大しているのが、シナ人と朝鮮人なのである。左翼はこの第二次世界大戦以来の国際的潮流に乗っかっている。
 我々にとって大事なのはこの言語体系を再生させることである。
 それならば、日本人に、民族的な言語体系を支えている、詩学に始まる礼楽の大切さを囁き続けてきた孔子の言葉の意味を問うところから始めなければ、先人と心を合わせ、伝統の再生を成しうることは困難なのではあるまいか。否、そこから始めても困難であることは、ここに書いていることに耳を傾ける人が少ないことでもわかろうというものだ。

 なぜこのようなことを書くかと言えば、最近ある知識人に拙著『西郷南洲伝』を贈った。南洲翁を尊敬していると仰っていたからである。
 その方は、大変敬服に値する活動をされている方で、近代的な学問の見地から積極的な発言をされており、その発言からは、私自身、目から鱗が落ちる思いをすることが多いのだが、それでいながら、日本人のエートスともしっかりと繋がっておられる。
 今夏の参院議員選挙における民主党の敗北に向けて、積極的にして献身的な活動をされていて超ご多忙なのだが、拙著下巻の「征韓論政変」編をお読みいただいた上に、丁寧にご感想までお寄せくださった。その誠意には感じ入ってしまったのだが、一つだけ大変気になるご教示をいただいたのである。
 その趣旨は次のようなものである。

 南洲翁の孔孟観はそれはそれでいいとして、現実のシナ人としての孟子や孔子は、翁が尊敬できる人物ではなかったでしょう。また孔孟の字面の教えに従って現実を見ると、今日のシナの現状を大きく見誤ると思います。

 この、多くの人が共感するであろう、重要な指摘に簡潔に答えることは難しい。
 意を尽くせば分かってもらえると思い、返書を認めているのだが、意を尽くそうとすればするほど、それは伝統論、国体論となってしまい、膨大な分量になってしまう。それでは却って読むのに疲れてしまって、理解してもらえないかもしれない。そういった危惧を抱きながら推敲を重ねているところである。
 その国体論の部分に関してはいずれここで紹介したいと思うが、上記の質問に簡潔に答えるならば、次のようになるだろうか。

 現実の孔子と孟子の思想は、実際にはシナ文明に受け入れられなかった。孔孟の思想にたどり着くには、『論語』『孟子』という書物に拠るほかはないのだが、その思想は、日本文明において、字面の解釈を乗り越えて、深く読み取られ、一方で字面をその文明流に解釈した本家シナでは形骸化し、腐敗硬直した。

 そういった文明観を周知徹底すればよいのである。

 このことは、先日の「たかじんのそこまで行って委員会SP」に出演していた孔子の子孫と称し、『論語』の普及に取り組んでいる孔健氏をみれば分かるだろう。孔子の血筋は絶えていないかもしれないが、その精神は確実に絶えている。
 靖国問題を目をむいて非難している彼を見てご先祖様は何と言うか。
 孔子は純朴ながら、最も愚鈍な弟子の「知とは」との質問に対し次のように教えている。

「民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知というべし」

 ここに「民の義務」、「敬遠」という我々に馴染みのある言葉の出典があるが、それはさておき、靖国の英霊は、国民の義を務め、これを全うした神霊(鬼神)である。知性はこれを敬して、遠ざけるところに生まれるのである。
 鬼神を敬遠す、とは言っても、鬼神に関する孔子のほかの発言を見れば、これを敬し、忠孝を致すことに精神の重心があることは明らかだ。
 実は彼は靖国の問題が、日本人とシナ人の死生観、宗教観の違いであることを知っている。それにもかかわらず、あのような言動を、日本のテレビにまで出てきて為すのは一体なぜか。
 それは中国共産党が、日本人の精神の根幹たる靖国信仰を攻撃せよ、との指令を発しているからだ。それ以外に考えられない。
 中共の走狗となって、シナにおいてすでに形骸化して久しい伝統思想の宣布に努める、この愚鈍な子孫を見て、孔夫子はこう仰るに違いない。

「道行われず、いかだに乗りて海に浮かばん」

 今上陛下と皇太子殿下の五十歳のご誕生日の会見におけるお言葉を思い浮かべてみればいい。陛下も殿下も『論語』の「夫子の道は忠恕のみ」という曾子の言葉を引用されたのだが、そこには何の作為も感じられない。普通の日本人なら、日本の伝統精神が、明浄正直のまことの心が、皇室の中に脈々と息づいていることを直感するであろう。
 それもそのはず、皇太子殿下は今上陛下のたってのご希望により、学習院初等科から中等科までの数年間、宇野哲人・精一から毎週『論語』のご進講をお受けになられたのである。これは、天皇お一人の考えである御心よりも重い、古くからの大御心として、今上陛下、皇太子殿下にまで確実に受け継がれているのである。 
 孔子の精神は、シナに絶望し、いかだに乗って、東海に浮かぶこの日本列島に漂着し、大和民族という土壌と、ご皇室という芽を得て、花を開いたと見ていい。
 少なくとも江戸時代の学者はそう見、明治はこれを継承した。

 本来なら、孔健氏はシナ大陸での『論語』の普及に努めなければならないはずである。にもかかわらず、この日本での『論語』の普及事業に取り組んでいるところに何やらきな臭いものを感じざるを得ないではないか。
 つまるところ彼は中共の回し者なのである。
 このことは同じ番組に主演していた、中国国営テレビの元キャスターという、張何某にも通じている。彼女は漢字によってアジアは一つになれる、アジアのリーダーは今のところ日本、などとおためごかしを言っていたが、要するに次のリーダーとして君臨すべきは中国、アジアの公用語は北京語、と言いたいのである。

(彼、彼女が日本で行っている情報宣伝活動の背後にある中国共産党の恐るべき意図と、それによって日本で進行しつつある、背筋の寒くなるような現状については、次の番組を参照されたい。コメンテーターの関岡英之氏は、アメリカ政府の年次改革要望書による日本の国体破壊の実態を広く知らせしめた人物である。)






 私がここに書いていることから、古臭い道学者、シナ思想礼賛の儒者と見る向きがあるかもしれないが、私は日本の伝統に心を合わそうとしているのであって、いわゆる儒教徒ではない。『論語』に尽きぬ興味を持ち続けているだけで、『孟子』を始めとする他の漢籍に付いては、南洲翁の事跡をたどる過程で、必要に応じて、調べた程度である。だからシナ思想の専門家のような博学者ではない。『孟子』を高く評価するのは『論語』の副読本として大変優れているからである。
 
 私の孔子観を形成したその基礎にあるのは、白川静氏の『孔子伝』であり、江戸期の学問を集約した南洲翁の思想であり、小林秀雄氏の孔子観である。小林秀雄氏の著名な『考えるヒント2』は、江戸期の学問の、重要な一つの学統を論じたもので、荻生徂徠の深遠な孔子解釈の一種の注釈書であるし、晩年の大作『本居宣長』は、それをさらに発展させたもの、ということが出来る。

 私の『論語』読書は誰からも強制されたものではないから、それまで、聖賢の書として、正座して『論語』などの四書五経を読んできた西周(にしあまね)が、異端とされた荻生徂徠の著作を、病床で寝転がって読んだように、寝転がったり、机の上に足を投げ出して、おやつでもつまみながら、ふんぞり返って、『論語』を読むような不届き者である。
 荻生徂徠が放心状態で、ただつらつらと文字を眺めているうちに、独自の開眼をしたのと同じような読み方をたまたましてきた。そして色々と開眼するところがあった。
 だから四角張った字面の解釈とは縁遠い解釈をしている。
 しかし、それもまた白川静氏の提示した孔子像に拠っているのであり、その開眼に基づく孔子理解からも、日本の和儒学の伝統(本居宣長も含む)が生み出した偉業には驚嘆の念を禁じえないのである。
 私の主張は、日本の先賢が到達したこの深みから発せられたものであり、あくまでも日本の伝統なのである。

 南洲翁もまたこの伝統の落とし子であった。翁は、この伝統に則って、その字面の解釈を超えた孔孟思想を受容し、これを実践したのであって、だから明治維新という起死回生、当時の言葉で言えば回天の偉業は成功したのであった。
 それは日本の国体の形成に、深く関わる思想であり、それに基づいて、維新という王政復古を達成することで、大和魂を語る上で欠かせないものになった。
 戦前の伝統と心を合わせる上で、ここを避けて通ることは出来ないのである。

 おそらく先に紹介した知識人の方も、その聡明さを以て、拙著を通読してもらえれば、私の意図も汲み取ってもらえるものと信じているが、もしシナの情報宣伝工作にやられるな、という忠告なら、謹んでお受けしたいと思う。
 シナ思想の安易な推奨が、覇権的膨張の意図著しい中国に飲み込まれる結果は断じて避けられなければならないのは当然である。

 しかし、それでも敢えて言うなら、膨張する中華大帝国を警戒するあまり、わが国がシナ思想を純化して涵養してきた伝統精神まで否定するのは行き過ぎである。
 たとえば、日本文化チャンネル桜が標榜している「大義」という言葉にせよ、「草莽崛起」という言葉にせよ、漢語であり、先人が神武天皇のご創業以来、二千六百七十年の歳月をかけて涵養してきた精神の表出なのである。
 我々は政治的行動に際して、その根底にある精神を、漢語を以て表現してきた。また、そう表現することによって、その精神を屹立せしめてきた。厄介ながら、そういった言語体系を形成してきたのである。
 その表出までも、あるいは、この国に受容され、大和魂を屹立せしめてきたシナ思想までも全否定してしまうなら、保守思想はその内実を失ってしまうことになるだろう。
 私が『新西郷南洲伝』全編を書くことで見えてきたことはこのことなのである。「征韓論政変」編では、特に副島種臣の王道外交と南洲翁の「正韓」論という大胆略の対比に託したつもりだ。

 つまり、私は、むしろ、この日本のシナ思想受容の伝統の難しさ、微妙さを引き受けてこそ、日本の伝統を再生しうると言いたいのである。私が中庸という言葉を使う時に説きたいのは、その覚悟であり、それを行うに際して保たなければならない平衡感覚なのである。

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