詩と楽 (その一)

 ここしばらく明治維新から戦前にかけて、広く国民に共有されてきた音楽について触れてきたわけだが、別に懐古趣味に陥ったというわけではなく、音楽が国民によって共有されることの意味に付いて考えるところがあったからである。
 
 幕末の志士たちの多くが、和歌や漢詩を嗜んでいるが、これは江戸時代の武士階級あるいは教養人の多くが、これらに親しんできたことの延長線上にある。当然その継承発展社会である明治日本でもその傾向は変わらなかった。
 明治になって西欧風の楽曲に乗せられて、普及した「君が代」に代表される、国民規模で共有されてきた詩の淵源は、やはりそれ以前の伝統にさかのぼるか、それに則ったものであり、「君が代」「海ゆかば」はいうまでもなく、「紀元節の歌」にせよ、「軍艦マーチ」に付された詩にせよ、これらの伝統が紡ぎ出した詩である。
 前者の古歌を復興させたのは、江戸期の国学であったが、この国学と和儒学の思想的交流は大変面白い。

 国学の雄と言えば、まずは本居宣長に指を屈さざるをえないだろう。
 から心を去ることを生涯の課題とした本居宣長は、なかなか認めようとはしなかったが、孔子の思想と深く交わった人物であった。
 彼の晩年の歌に

「聖人と 人はいへども 聖人の たぐひならめや 孔子はよき人」

 という歌がある。
 彼にとって 硬直化した儒教思想は敵であったが、その開祖孔子は尚友であり、このことはニーチェがキリスト教を嫌いながらも、その教祖イエスを愛し続けたのとよく似ているのである。
 彼はその著述の中で孔子や「論語」について触れているが、それは、二十代の頃からの彼の変わらぬ姿であった。
 彼は若い頃京都に遊学しているが、その頃、彼が和歌を好むことを批判した友人に対する返書で反論しているところを読むと、彼がすでに儒教の経典を読みこんで、そこに淫するのではなく、すでに成熟した考えを持っていたことには驚かされる。
 彼はその時の考えに基づいて、儒者の説く「天下を安んずるの大道」に背を向けて、生涯、「志を行うの大道」である和歌の道を深く潜り続けたのである。そして、彼が歌物語の傑作と考えた『源氏物語』に「もののあはれ」を見、次いでその「もののあはれ」を手がかりに、『古事記』から光を取り出す、という偉業を成し遂げたのであった。『古事記』はその編纂された時点ですでに、当時の人々にとって判じがたい神話・伝説の刻まれた細石であったわけだが、千年もの歳月をかけて、苔の生した巌となって、学問の喜びを知った江戸社会の知識人に大きな謎となって立ちはだかっていたのである。
 否、立ちはだかっていたという表現は適当ではない。
 それは我々の主観であって、『古事記』という、苔むした石碑は、鎮守の森の中で常にひっそりと鎮まっているのであり、我々こそが過ぎ行くものなのである。
 その行き交う人々の中に、まれに石碑に気づいて立ち止まる人が現れる。宣長はその中の、特に強い知性を持った一人であった。
 そして、その彼に示唆を与えたのが、孔子の詩に関する考えなのである。
 
 孔子の思想の深みを宣長に教えたのは、豪傑儒荻生徂徠の著作であった。
宣長は徂徠の著述のほとんどに目を通していたが、特に詩に関する考察は筆写してさえいる。
 徂徠の詩に対する考えを一言で言うと、詩とは言語表現の基本であり、洞(ほがらか)に人の性に通じ、これに習熟することで、完全な言語表現が出来るようになるはずだ、というものであった。
 孔子は「詩は以て興すべく、以て観るべく、以て羣(つど)うべく、以て怨むべし」と言っているが、徂徠によれば、この四つの功用の中で最も重要なのが、「興」と「観」であるとのことである。しかし彼の言わんとしているところは大変意味深長で、要約が難しい。
 
 孔子が「詩三百、一言以てこれを蔽えば、曰く、思い邪なし」と言い、「詩序」にあるように、「詩は志のゆく所なり、心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す」であるとするならば、孔子が言うところの「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」、あるいは彼の人生経験を表した「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず」という言葉は、別の味わいを持って来る。
 表現が類似しているところを見ると、これらは孔子の中で密接に結びついた一つの経験を表しているように思えてくるのだ。
 すなわち孔子は、十有五にして、詩学に志し、三十にして礼に立ち、その学問は、楽成るに及んで、いよいよ惑わなくなった、ということである。
 これによって孔子は、世の事物を認識し、感興し、観察し、表現し、そして羣(つど)い、怨むようになった。『論語』に収められた孔子の敬虔さと深い人間洞察に満ちた、あるいは、時に喜び、怒り、哀しみ、楽しさを表現した、数々の発言、行動の根本にあるのは、この言語経験なのであった。


(追記)
ちょうどこの記事をアップしたあと、次の番組が日本文化チャンネル桜で放送されたので、参考のため挙げておく。



 先の孔子の「吾十有五にして学に志す・・・」に始まる言葉に付いて、さまざまな解釈が行われていることに驚くだろう。大家の諸先生方を論うようで恐縮だが、上で示した解釈の一半とよほど違うことに気づかれたことと思う、。これらの解釈はどこか読者を意識したもので、どこか自分の人生観、思想を投影している。
 もちろんいろんな解釈があってもかまわないし、書く以上読者を意識するのは当然だが、それは想定された読者に対しわかりやすく説くという意味においてでなければならないし、限界はあっても出来るだけ謙虚に『論語』の文言に向き合い、意味を引き出すよう努めるのが、学者を看板とする注釈者の務めといえるだろう。
 歴史や古典と向き合う際には、世間に阿ったり、自分の思想なりに引き付け過ぎてはならないのだ。

 私は孔子の思想に、謦咳に少しでも近づきたいという思いを抱いている。
上の解釈は自分の解釈で、端折って論じてはいるが、『論語』の言葉を素直に受け止めた結果の解釈であり、もっと多くの根拠を挙げることは可能だ。そして、これらの解釈を踏まえてようやく後半の文言もすんなり解釈できるのである。

 いずれ孔子の伝記、あるいは『論語』の解釈もまとめて見たいと思っているので、後半部分についてはそこで論じて見たいと思っているが、日本はこれから乱世である。喫緊の課題は、日本の国体を明らかにすることだと考えている。
そして、その中で、日本の伝統における『論語』の意義と、先人達がどのようにこれを咀嚼して日本の歴史・伝統という大樹を育て上げてきたのかを明らかにしたいと思っている。そのことがとりもなおさず日本というものを理解し、根源を掘り下げることにつながるからだ。

 何事でも体は用を為すための基本である。体がしっかりとしていなければ、文明の用は為されない。そのことは戦後の歴史が証明しているだろう。再生の一歩はそこから踏み出されるはずである。
 戦前、安全保障上の危機と共産主義浸潤の脅威に対処するため、大日本帝国政府の文部省は、学者を集めて、『国体の本義』という小冊子を編纂した。  今、読んで見ると、武家政治を悪としている点では首肯することが出来ないが、かなりの水準の日本の歴史論、伝統文化論となっていることに驚かされた。
 以下のサイトからダウンロードが可能なので、ぜひ一読されることをお勧めする。読みにくければ、大きな文字に変換してプリントアウトすれば読みやすいだろう。

 http://www.j-texts.com/sheet/kokutai.html

 ここでも儒教文化の日本の伝統における意義は、控えめに論じられている。 当時日中戦争中であったことを思えば無理もないが、その意義を正確端的に述べているところは流石である。)



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