建武の中興 (その六)

 後醍醐天皇は、在位中、限定的ながらも彼が施した善政に手ごたえを感じていたはずである。その手ごたえを胸にして、天皇は、武家階層の権益の保護者として、それに干渉を加えようする幕府の排除に乗り出したと考えて、何の不都合もあるまい。
 そこには必然的に危険と失敗が伴った。
 天皇の討幕と、三年間の親政の動機はあくまでここにあるのである。

 
 討幕に乗り出して以後の後醍醐天皇の事跡は、周知の通り、危険と失敗の連続であった。
計画は密告によって再度挫折し、何とか挙兵に踏み切ったものの、捕らえられ、隠岐に流される。これを楠木正成を代表とする忠臣たちの活躍によって、何とか挽回し、倒幕へと漕ぎ着けたが、京都還幸後の政治の多くは、徳に欠ける部分もあったようで、支持者を失望させたのであった。
 その事業を支えてきた宋学の徒達も、同じ宋学的価値観から批判的であった。
 たとえば、『太平記』の作者は次のように批判している。

「誠に治世安民の政、もし機巧についてこれを見れば、命世亜聖の才とも称じつべし。ただ恨むらくは、斉の桓覇を行い、楚人弓を遺(わす)れしに、叡慮少しく似たる事を。これすなわち草創は一天を并(あは)すといへども、守文は三載を超えざる所以なり。」 

 大意は次の通り。
 後醍醐天皇の政治は誠に治世安民のそれで、巧みさという点から見れば、世に名高く(命世)聖人に次ぐ(亜聖)才ということができよう。ただ恨むらくは、春秋時代の斉の桓公が行った覇道や、楚人弓を遺れしに、すなわち『孔子家語』の故事で、孔子が批判した楚王の度量の狭さに、頴慮が少し似ていることである。これがすなわち、草創(創業)時において天下を統一することができたが、守文(守成)においては三年を保つことができなかった理由である。

 また北畠親房は人物、特に尊氏を忠臣とする武家の登用という点で、天皇に批判的であったし、その息子顕家に至っては、戦死の一週間前に、かなり激しい諫言書を認めさせているほどである。
 それは父同様に、人材の登用に関する、『書経』に基づく批判などを含み、宋学の影響と見てよい。

 しかし、これらの批判は、確かに的を得た部分があるにしても、花園前天皇が批判した言葉を借りれば、「知の難」ではなく、「行の難」にあったとすべきだろう。王道の英雄的君主として、その行いに徳の欠ける部分があったにしても、『太平記』の著者などは、それが満月ではなかったという点で恨んだのであって、それが闇夜を照らす月であったという点は認めているのである。
 久保田収が書いているように、前例のなかった後醍醐天皇の治績は、正当な評価を下すには、あまりにも短すぎ、しかも、その三年間においてすら、武士の反乱、足利尊氏の動向によって、新政権は足下からぐらつき続けたのであって、この中で、討幕という戦争はもちろんのこと、根本的な改革を統一的に行おうとすれば、権力の集中という事態は避けられなかったはずである。

 このことは、建武の中興の挫折に対する反省に立った明治維新を見ても明らかだ。
 江戸時代という学問的成熟を経た、幕末の志士たちによって成った維新政府は、建武政府の失敗に鑑みて、公議に基づく政治を実行。明治二年頃の政府は、自前の軍隊も持たず、また諸藩からの貢士による合議によって、重要な改革を行っていこうとした。しかし、二年の末頃には大変行き詰まってしまい、瓦解の危機に見舞われることになる。
 確か司馬遼太郎はこの時期の政府を、不平の大海に浮かぶ孤島と表現していた。
 この状況に対する大久保や岩倉の危機感は大変なものがあった。
 そこで政府は薩長両藩の兵を上京させて、政府の改革を行うことでこれを乗り切ろうとした。結局、土佐の兵もこれに加わることになり、明治四年の、政府大改革へとつながってくるのである。
 しかし、そこでも「喧し屋」の木戸のおかげで、合議に行き詰まった政府は、公議として熟する間もないまま、廃藩置県という起死回生の一大飛躍を、三藩の兵の威圧の下、強権的に断行することで乗り切ったのであった。
 ところが、その歪みが、次なる分裂を用意したといってよく、征韓論政変による分裂を経て、政府は、強権的な有司専制体制を作り上げていくことになる。佐賀の乱や萩の乱、西南戦争は、その強化過程で起きた悲劇である。
 その悪名は大久保一身に集中していったが、彼とてそれを望んでいたはずもなく、むしろ政治力学的な力が働いたといったほうが適当であった。

 そして、それは、後醍醐天皇をも襲った政治力学であった。
 当時最新の学問であった宋学は、まだ成熟した学問とは言いがたく、行動への直接的な情熱をたぎらせた未成熟な学問であり、これが後醍醐天皇の不撓不羈の精神を養ったのだとすれば、天皇の親政が直截的にして、強権的であり、これが成熟して、儒教の理想主義的な徳治に近づくには、まだかなりの歳月を必要としていた、と考えたほうが実情に即している。後醍醐天皇の理想的君主としての大成は、この苦難を乗り切ってこそ成されるはずのものであったと言える。

 佐藤進一が言うような、後醍醐天皇がシナの専制体制を目指したという確証はなく、確実にいえることは、その強権的な側面も、その儒教的理想を実現するための手段に過ぎなかった、ということである。つまり、佐藤は手段と目的を取り違えるという過ちを犯している。その亜流も同断である。
 後醍醐天皇の宋学の影響があくまでも学問的であったことを考えれば、むしろ前述のような解釈のほうが無理がない。シナの皇帝流の専制体制は、儒教が用意したものではなく、専制体制が儒教を採用した結果、現出した体制なのである。その逆ではない。
 現に、秦の始皇帝による専制体制の確立、漢成立後しばらくしてからの儒教の国教化という過程を見れば明らかであろう。シナの専制体制における国教としての儒教の影響は、建前的なものにとどまり、それを裏で支えてきたのは、韓非子に代表される法家の思想だったのである。もちろん後世、儒教が体制を動かす側面があったとは言うものの、それはその国体を作りかへるまでには至らなかったのである。それは現在の中国共産党の、一党独裁的な覇権体制にまで受け継がれていて、いわば漢民族のDNAとして、シナの根幹、すなわち国体を形成しているのである。
 
 もちろん、以上の論説は、後醍醐天皇や宋学を批判するなということではない。
 後醍醐天皇自身、現実に振り回されて首尾一貫せぬところがあったし、『太平記』の作者が言うような度量の小さな側面もあったかもしれない。しかし、後醍醐天皇が、高い理想を掲げ、前例なき事業に乗り出して、それを全国レベルに拡大するには、なお数年の歳月を必要としていたことは明らかであり、その理想に命を懸ける多くの人物を輩出したのも事実なのである。
 南洲翁の祖先菊池一族や大楠公を中心とする楠木一族がそれだ。
 武家の権益の代弁者にとどまった足利尊氏の志など、一族以外で、継ぐものなどいない。
 それは源氏の一流として、征夷大将軍職を継ぎたいという、一族郎党の願望を出るものがなかったからで、彼が武士という特定階層の権益の代弁者にとどまる限り、それはしばしば国家レベルでの公益を害することさえあったのである。
 足利尊氏を朱子学者が決め付けたように奸悪と言う気はないが、武士階層の権益保護を優先したがゆえに、少なくとも混乱を助長し、公益を害した人物とは言えるだろう。尊氏の作った、いわゆる室町幕府は、始祖の理念なき政治を継承して、統治能力のきわめて低い政府であった。

 一方で、宋というシナ王朝の国家的危機に際して生まれた宋学という学問に触発された、後醍醐天皇や楠木正成の志に感動して、これを継ごうとしたものは、歴史学問の発展成熟した、江戸期から昭和の初めにかけて続出した。その熱が、幕末や明治、あるいは昭和の初期といった、国家的危機に際して特に高まったのは、その学問の本質、建武の中興の本質から言って当然のことだったと言えよう。
 それは大きな流れを作ったといってよく、人為によるものとは言い難い。
 これが伝統、国民のエートスでなくて何であろう。
 

 これ以上、ここで後醍醐天皇について論ずるのは終わりにしたい。
 後醍醐天皇の事業の歴史的意義の重層性について、まだまだ語りたいことはあるが、「チャンネル桜の情報戦」というテーマで論じたいのは楠木正成の戦いである。ここでの後醍醐天皇に対する言及は、その歴史的意義の再検討にとどまる。これを新政とのみ捉える論者の見落としている日本文明にとっての重大な側面に言及したかったまでだ。 
 楠木正成が後醍醐天皇に託した理想、それは戦後の史家によって形骸化されてきたがゆえに、まずは、その事業の歴史的意義から生命を回復しておく必要があったのである。

 



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