建武の中興 (その四)

 史料的裏づけが豊富で、一見堅牢な佐藤進一の『南北朝の動乱』であるが、綻びがあるとすれば、次の記述だろうか。

「・・・(高)師直らの古い秩序と権威の否定は、かれら自身の力にたいする信頼によって裏打ちされているのである。軽薄で反倫理的ですらあるかれらの言動の中に、人間肯定の激しい息吹をきくことができる。」

 この幼稚で粗暴な人間観は一体何なのだろう。
 高師直とは足利家の執事で、戦争には強いが、尊氏の地位の上昇とともに、権勢を笠に着て、横暴の限りを尽くした人物。
歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では、幕府への風刺を込めた作者が、弾圧を慮って、吉良上野介の名前を高師直に置き換えたことからもわかるように、横暴な振る舞いで夙に知られた人物である。
 これは江戸時代よく読まれた『太平記』に「あさましき限り」を尽くした様が叙述されているからだ。 
 佐藤進一も、同書の中で、これら『太平記』の記事を紹介した上で、「これらの挿話に描かれている師直・師泰(師直の兄)は、既成の権威を徹底的に蔑視し、古い秩序に一片の価値を認めず、力こそ正義であると主張する人物である」との評価を与えているが、そのような人間に、「人間肯定の激しい息吹をきく」との評価を与えるとなると、私にはほとんど理解不能である。

 高師直と同類の武士として、挿話が紹介されている美濃の土岐頼遠などは、京で光厳上皇の行列に行きあって、「院の車ぞ、下馬せよ」と注意されると、「何に、院と云うか、犬と云うか、犬ならば射ておけ」と、上皇の御車を取り囲んで、矢を射掛けさせて去ったという。これは有名な挿話だが、頼遠は、これが問題になると、幕府の許可を得ず、勝手に本国に引き上げてしまった。彼を処罰したのは、執事高師直でも、棟梁たる尊氏でもなく、師直の政敵で、政治方面を担当していた尊氏の弟直義であった。
 このような粗暴な武士達を抑えられなかったのが、尊氏であり、彼の開いた幕府が有力守護大名の実力を抑えきれず、応仁の乱、次いで戦国へと突入していくことになる根本的な要因は、彼の統治の中にすでに胚胎していたといってよい。

 師直ような人間は、欲望と暴力肯定の人間と評すべきであって、人間肯定の精神が激しく息吹いているとは言わないものだ。
 ひとつの権威である東大の教授職にあった佐藤の教え子の中に、もし、権威蔑視で、軽薄で、反倫理的な人間がいて、師である彼の訓戒や歴史論評にことごとく楯突く人間がいたとしたら、それでも彼は、それらの侮辱に対して平静心を保ち、「人間肯定の激しい息吹をきく」などといって涼しい顔をしていられたであろうか。
 まさか「造反有理!」「革命無罪」などと褒め称えはしまい。
 権威の側に立つ、権威主義的人間の一般の性向を見れば、少なくとも肯定的な態度を見せるようなことはなかっただろう。
 こういった横暴な人間を即排除するとまでは行かなくとも、やはり、権威を否定するからには、それなりの根拠を求めるであろうし、軽薄には重厚で応えるであろうし、反倫理的行為には倫理的な教戒を加えるであろう。
 ここでも歴史論評と常識との乖離が見られるのである。
 
 変転しつつも、長く、連続する歴史の流れの中で、ようやく培われてくる民族の品性というものもあるだろう。
 それが文化というものであり、それがほかの動植物とは違う、人間性の所以とするなら、われわれが歴史を学ぶことの意義は、ひとつはそこにあるはずである。
 ならば、そこに批判精神が含まれるにしても、歴史肯定の精神こそが、人間肯定の激しい息吹を宿しているはずである。

 佐藤は、大東亜戦争の惨敗という伝統断絶を経験した戦後社会の中で、歴史否定のパラダイムに同調して、うっかり書いただけかもしれないが、歴史否定のパラダイムに感染した歴史家というものほど、矛盾で倒錯した考えのものはない。ある歴史家の史観を、歴史家が自虐史観と嘲笑する際、そこにはこういった揶揄が潜在しているのだ。

 二千五百年前の古代シナに、歴史性こそが人間性の根源であることを自覚した人間が現れた。
 それが孔子である。
 孔子はこれを道という統名で呼んだ。
 道、それは人間の来し方であり、今在る方であり、往きし方である。
 過去を振り返ったときに、我々と過去の間を結ぶ一本の道のようなものが見える。
 それは長く眺められているうちに、どこかで枝分けれし、どこかで他の所に行ったかわからぬ、それらの道のうちの一本であったに過ぎないことが見えてくるのだが、それでも、現実に起こった、唯一の確かな一本の道である。この道をたどることで、我々は、現在の立ち位置を知り、そして、これからどう進むべきかの手がかりを得るのである。それは過去を向いているように見えて、実は、意識において、現在、そして未来を向いている。
 そして、この道を進むことが、一身においては、人生をいかに生きるかということであったのだ。
 だから時代が下って、道という言葉は人生の局面に俗化、分化していって、小さなことでも何々の道という使われ方をするようになった。
 ともかく、そのことを最初に、道という統名で指し示したのが孔子であった。
 そのようなことを思ってみれば、「吾が道は一以て貫く」を始めとする孔子の道に関して述べた言葉は多様な色彩を帯びてくるだろう。

 「人よく道を弘(ひろ)む、道、人を弘むるに非ず。」

 この言葉など、前回引用した小林秀雄の文章を、一言で端的に表現してしまっている驚嘆すべき文章に映ってくるだろう。
 道は、人が見つけ出して、これを歩く、そして、これを弘むという、精神の緊張を持って、はじめて弘まるものなのだ。
 我々日本人は、古来より、孔子からこれらを学び、シナとはまた違った、日本固有の道を見つけ、そして、これを歩んできたのである。
 私が、敗戦という歴史意識・伝統の断絶、そして、その弱った体・精神に感染した左翼思想と反歴史意識(それはつまり非人間的的といってよい)という病から回復するために、『論語』の重要性を説く理由はそこにある。

  
 
 
 
 

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