チャンネル桜の情報戦 (その五)

 水島氏のエートスに灯を点したきっかけが何であったかは知らない。
 しかし、様々な同じ灯を持つ人々との出会いを通じて、この炎を大きくしていったであろうことは確かだ。その行き着いた出会いとして、氏がチャンネル桜のスローガンとして掲げている言葉の主たる南洲翁と吉田松陰との邂逅がある。
 時代を超えて共感しあうことはいくらでもありうるだろう。
 精神が共鳴したその瞬間、そこに時代の隔壁は消えうせる。 

 孟子はこれを尚友(しょうゆう)と表現した。尚とは尊ぶことである。

「一郷の善士はすなわち一郷の善士を友とし、一国の善士はすなわち一国の善士を友とし、天下の善士はすなわち天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未だ足らずとなし、また古の人を尚論する。その詩を頌し、その書を読むも、その人を知らずして可ならんや。このゆえにその世を論ず。これ尚友なり。」(万章章句下)
 
 この国の多くの先賢が、孟子の言葉と同じ発想で、己の愚鈍を磨いて、玉と成してきた。
 南洲翁もまたこの『孟子』の言葉を好み、天下の善士、古の聖賢、英雄を愛した。
 以下は、私学校において、戊辰戦争戦没者の慰霊祭を催した際に寄せた祭文である。

 「蓋し、学校は善士を育てる所以なり。只に一郷一国の善士のみならず、必ず天下の善士たらんことを欲す。それ戊辰の役に名を正し義を踏み、血戦奮闘して斃れし者はすなわち天下の善士なり。故にその義を慕い、その忠を感じ、これを茲(ここ)に祭り、以て、一郷の子弟を鼓舞するは、また学校の職を尽くす所以なり。」(原漢文)

 
 要するに、南洲翁が願ったのは、私学校の生徒には、戊辰の役で義に斃れた善士の精神を継いでほしい、ということである。
 この祭文の下敷きに孟子の言葉があるのは明らかだろう。
 そして、確かに私学校の子弟の多くは、その精神を西南戦争において発揮し、勇戦敢闘したのであった。それは明らかに、一郷の、一国の、長い、豊かな伝統を背負ったものであった。

 南洲翁が、尚友として、ことさら重んじたのは楠木正成であった。
 実は、翁の祖先は、さかのぼれば、大楠公の孤高な勤皇の戦いに呼応した、菊池一族に行きあたる。
 一族の武吉という人物は、正成とその弟の正季とともに湊川で敗死さえしている。
 この先祖の奮闘こそが、翁の勤皇の源泉であった。
 その翁と大楠公が共有した価値観こそ、宋学、延いては、いわゆる「孔孟の教え」なのである。

 また翁の先祖をさらにさかのぼれば、藤原政則という人物に行き着く。
 政則は、その名が示すとおりに、藤原氏の一族であり、1019年の刀伊の入寇と呼ばれる満州女真族の侵略事件の際、その撃退に功のあった人物である。政則はいわば攘夷を行なった。
 政則はその功で、朝廷より肥後の菊池郡を下賜され、そこに土着し、地名より菊池氏を名乗るようになった。 
 
 これらの出来事は、幕末のベストセラーで、志士の愛読書であった頼山陽の『日本外史』に出てくる話であるから、南洲翁の家系が尊皇攘夷の家系であるとは、翁周辺の人物にとっては周知のことだったわけだ。
 このことで薩摩藩の勤皇家達が、翁を中心に結束したのも当然だが、それに加えて、孝心強く、誠実な翁が、自己の血筋を厳格に受け止めて、人物の陶冶に努めた事も与って大きかった。
 我々が翁の遺訓を読んで圧倒されるのも、その人格的迫力と言葉の強さによってである。 
 
 それに反応するかしないか、あるいは反応するにしても、どれだけの感化を受けるか、という点で個人差は確かにあろう。
 しかし、その余光は、百三十年以上の歳月を隔てた、我々にも届いている。
 そして、その余光は、前述のように、その背後にこの国の豊かな、そして強靭な伝統を湛えている。
 水島氏はこの伝統の延長線上で、戦いを戦っているのだ。
 そうであるからこそ、これを支える賛同者たちも多い。
 その戦いが激しさを増すにつれて、妨害もまた増大するであろうが、その摩擦によって、これまで既存のマスメディアによってその目を曇らされてきた国民の中にも、目を覚ます人々が増えていくことだろう。
 さらには、すでに述べたように、今回の選挙で民主党政権が誕生した以上、日本の国家溶解が昂進するのは確実で、米中両国、なかんづく中国の対日謀略は激しくなるだろう。これが日本の直面している歴史の大勢というものである。
 しかし、混乱の中での絶望こそ、日本の未来を照らす基となる。
 
 これからが日本の正念場だ。
 この大勢に我々日本人は、絶望を精神の転換点として、どう立ち向かっていけばいいのか。そのためには、虚名ならぬ、実名、正しい名を、そして、そこから導かれる理を探究しておかなければなるまい。

 繰り返しになるが、何度も引用しよう。

 南洲翁は言った。

 事にかかる者は理勢を知らずんばあるべからず。ただ勢のみを知って事を為す者は必ず術に陥るべし。また理のみを以て為す者は、事にゆきあたりてつまるべし。いずれ、理に当たって後進み、勢を詳らかにして後動くものにあらずんば、理勢を知るものというべからず。

 日本再生という事業にかかる者は、理勢を知らずんばあるべからず。
 そうでなければ、目覚めた国民が、多少の意見の相違を越えて、運動の終着点へ向けて、連帯していくことは難しい。
 チャンネル桜の戦いは、前線に立って戦っている以上無理もないが、これらの伝統に、その精神において悖るところがないにもかかわらず、その理が明確に指し示されていると思えない。運動の行き着くところが、つまり、どのように運動が統合されていくべきかが、曖昧模糊としているように感じられるのである。
 これは大東亜戦争という、いまやもっとも難しい政治問題と化している歴史認識問題に拘泥しすぎるきらいがあるからでもあるし、皇室に対する批判を許さない空気があって、皇室のあり方に対する自由な議論がなされず、その名分条理が明確に示されていないからでもあろう。
 それは、チャンネル桜が情報戦を戦っている当の相手である国内外の反日勢力への利敵行為となりかねないものを内包しているからであろうが、最前線に立っていない、彼らの背後で控えている賛同者には、それを論ずるものが一人くらいいても良かろうと思う。

 実は、私は、大東亜戦争に突入してく大日本帝国が、幕末の維新運動と違って、文明の総体として、そのエートスを十分に発揮し得なかったところが大きな敗因だと思えてならない。
 もちろん、これはあの戦争は悪だった、間違いだった、というような道徳的批判、政治的批判ではない。
 より高度な意味での敗因の探究である。

 ただ、ここにいう敗因とは常識的な意味においての敗因であり、逆説めくが、実は私は、歴史を鳥瞰してみて、この戦争は日本にとっての勝ち戦であったと達観しているのである。
 常識的な意味において、あの戦争の開戦には必然的なものがあったし、決して勝てない戦だったとは思えない。また、さらには世界史レベルで物事を考えてみて、日本人のエートスが再生して、将来において拡大戦を戦う限りにおいて、大東亜戦争の戦果は拡大し、本当の勝ち戦だったということになりうると考えている。
 もちろんここにいう拡大戦とは、名分条理を正す戦いであって、必ずしも戦争を意味するわけではない。戦わずして人の兵を屈するものは善の善なるものなり。まずは完全にやられてしまっている情報戦を制することである。
 大東亜戦争は十分名分条理の正しい戦争である。
 そして、その重大な戦争目的の一つを達した、一つの名分条理を正した戦争であった。我々はそのことをもっと誇りにしていい。
 しかし、それも大東亜戦争に関する議論に、以後述べようと考えている日本の伝統を、その一つの結晶である維新回転の運動を、投影することによって、初めて見えてくることであろう。
 ここでも議論は、まずは明治維新からなされなければならないのである。
 そして、そのためには、所詮明治維新は薩長の権力闘争、勝てば官軍、彼らに正義などはないさ、といった、近代合理主義者のひねくれたものの見方をきっぱりと捨て去る必要がある。
 そういった近代合理主義の迷信を捨て去ってはじめて、明治維新の真価もようやく目に見え、そして大東亜戦争をめぐる議論の本位も定まってくるのである。

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