チャンネル桜の情報戦 (その一)

 先の終戦記念日の前日、すなわち八月十四日、日本文化チャンネル桜において、『大東亜戦争肯定論』と題された討論番組が放送された。
 ユウチュウブで一時間分が無料で視聴できる。( http://www.youtube.com/watch?v=e3-J7FcDUaM&eurl=http%3A%2F%2Fwww%2Ech%2Dsakura%2Ejp%2Findex%2Ehtml&feature=player_embedded )
 主な論客は、中條高徳、渡部昇一、中村粲、富岡幸一郎など。
 地上波で垂れ流されている、あの戦争をテーマにしたドキュメンタリーや討論番組などより、よほど高度な内容の討論だ。

 掲げられたテーマである「大東亜戦争肯定論」とは、かつて作家の林房雄が書いて、戦前を否定的に捉える戦後の風潮に一石を投じた著作の題名からきている。
 林房雄といえば、戦後、西郷南洲翁に関する膨大な伝記を書いた作家でもある。
 私は残念ながらこの作家の本を読んだことはないのだが、「大東亜戦争肯定論」が、現在活躍している保守派の重鎮たちの大東亜戦争を見る目を大きく見開いたことはよく耳にしている。ということは、現在大東亜戦争を肯定的に捉えている私の大東亜戦争史観は、林房雄の立論の間接的な影響を大いに受けていることになる。
 しかし、その知識に止まっていた大東亜戦争肯定論が、より血の通ったものに感じるようになったのは、南洲翁について書き始めてからであった。

 林房雄が南洲翁に関心を示したことに通じるように、いまや否定することのできない明治維新の歴史的意義および精神を認めるなら、必然的にその結末である大東亜戦争を全面的に否定などできるはずがない。
 大東亜戦争を肯定するとは、積極的な意味においては、その大義において肯定すると共に、それがあるから今があるという意味においても、過去を受け入れざるせざるを得ない、という意味合いにおいてである。今があるから過去があるというのは倒錯した考えに過ぎないからである。
 確かに、過去とは思い出すものであり、そういった面からいえば、今があるから過去があるという詭弁も成り立ちそうである。
 しかし、人間の認識能力というものは完全ではない。むしろ欠陥だらけであるといっても過言ではない。
 そうであるにもかかわらず、今の人間が完全で、過去を完全に把握していると考えている人間は、自己の思考を限界まで突き詰めたことない中途半端な知性の持ち主ということになろう。つまり過去を一方的に断罪する人の議論など、本来なら取るに足らないものなのだ。
 不動の姿で立ち尽くす、自己の重い歴史を、現在の自分の都合で否定できる、あるいは断罪できると思い上がるのは、軽薄でさかしらな合理主義的人間の犯しがちな過ちなのである。
 想像してみてほしい、狭くて細長い国土で、中途半端な人間同士がひしめき合って、お互いの欠陥を見ないことで、傷を舐め合っているその姿を。戦後の主だった言語空間、あるいは仲間ぼめを期待するかのような、大手マスメディアの論調と、これにうなずいている心情的左翼と化した国民の姿はこの類である。

 もちろん私は過去を批判をするなということを言っているのではない。
 批判は大いに結構だが、その議論の根底には、自国の歴史に対する、あるいは先人に対する敬意が横たわっていなければならないと言いたいのである。自覚的な左翼は言うに及ばず、東京裁判史観にとらわれている戦後知識人にしても、問題点はそれが欠けているところにあるのである。


 ところで、前置きが長くなったが、、前回、チャンネル桜の戦いが楠木正成の戦いになぞられられるべきものであるという話しをした。今回は、その戦いに共感しつつも、前線に立っていない者の立場から、そのもうちょっと先を一歩踏み込んで考えてみたい。

 大楠公をはじめとする南朝の忠臣たちを、討幕に走らせたのは、宋学的規範にあった。宋学とはすなわち朱子学である。「神皇正統記」を著した北畠親房然り、児嶋高徳然り。
 彼らに担ぎ上げられた、否、担ぎ上げられたというよりも、積極的に彼らを束ね、不屈の意志で天皇親政の実現に邁進した後醍醐天皇もまた、この学問を精神的支柱にしていた。
 宋学の正統論から、この国の主権者は武家にあらず、天皇にありと覚った後醍醐天皇は、討幕を志したのである。後醍醐天皇の政治には色々な批判があるが、少なくとも動機の面においては、儒教の理想を実現しようとしていたことは間違いないだろう。

 これらの学問の中心規範の一つとして大義名分論がある。
 これは『論語』における孔子の次の発言が元になっている。

 必ずや名を正さんか。・・・名正しかざらざれば、すなわち言順わず。言順わざればすなわち事成らず、事成らざればすなわち礼楽興らず、礼楽興らざればすなわち刑罰中らず、刑罰中らざればすなわち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行なうべきなり。君子、その言において、いやしくもする所なきのみ。(「子路」)

 これを正名論という。
 幕末の王政復古討幕の支柱となった規範でもあり、一つの伝統をなしている。これはすなわちこういうことだ。
 
 正しい名、そして、そこから導きだされる条理、すなわち伝統的価値規範によって、物事を正しくしていくと、言葉が正しくなり、正しい言論が行なわれ、物事は行なわれやすくなり、礼楽(今で言う文化)は興隆し、刑罰も適当になり、民の生活は安らかなものになる。だからこそ、人の上に立つべき君子は、正しい名を立てればこれを言うべきであり、これを言えば、必ず実践躬行すべきである。だから君子はその言行にいやしいところがあってはならない。

 南洲翁や吉田松陰が実践躬行した精神の急所はここにある。
 南洲翁の精神の深遠さ、剛毅さは俗人にはなかなか計り知れないものだが、少なくとも民衆はその言行にいやしいところがないことだけは分かるから、翁は慕われてきたのである。しかし、それも民衆側に、いやしいか、それともいやしくないかの判断基準となる価値規範があって初めて感じ取れるものでもあるから、伝統的価値規範の完全崩壊しつつある平成の御世に、南洲翁の人気が振るわなくなったのも無理はないという気はする。南洲翁精神の本山であるべき西郷南洲顕彰館の活動にも、今ひとつ活気というか、精気が感じられなくなったのも、この時代状況と無関係とはいえないだろう。

 そういった時代状況の中で、際立った活動をしているチャンネル桜の報道は、まさしく名を正す戦いであり、前回紹介した水島氏の覚悟も、掲げられたスローガンである南洲翁の「敬天愛人」や吉田松陰の「草莽崛起」の精神に悖らぬ立派なものである。その活動を支えている多くの人がいることは、この伝統が脈々と受け継がれていることを意味し、少しほっとする。
 が、安心している場合ではない。
 今脈々と生きていることは、必ずしも近い将来にそれが生きているという保証にはならない。日本人はこれを最後の輝きにならないようにしなければならないが、圧倒的不利な戦いであることには変わりがないのである。

 

 
 
 
 
 
 

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  • 戦争は終わらない。

    Excerpt: 8月15日を迎える度に、終戦の日と称し各地でイベントや特集番組が紹介される。 終戦とは一体何であろうか? わたしは戦争体験をしていなが、戦争が終わったとは思っていな.. Weblog: プールサイドの人魚姫 racked: 2009-08-17 14:14