理と勢

 人を相手にせず、天を相手にせよ、と南洲翁は仰ったではないか、外務省の役人のことなど放って置いて、そろそろ南洲翁や日本の伝統について書け、と思っている人もいるかもしれない。

 私もそうしたいのは山々である。
 しかし、これまで問答体で書いたり、その総括をしていることは、そのことから必ずしも外れているわけではない。むしろ、そのことの別の表現方法であり、また応用でもあると思っている。

 そもそも批判とは、相手を言い負かすために為す行為ではない。
 相手の言動の是非を論じることを通じて、その是非の判断の規準となる価値規範を明らかにする行為である。それは自己の拠って立つ思想を表す行為と言ってよい。
 その点、ヒロシ氏は誤解したようだが、私は彼に対し、議論で勝とうとか、改心させようとか思っていたわけではなかった。
 現に、当初から、知識が多いヒロシ氏に胸を借りるという表現をしていた。
 結局、借りるほどの胸がヒロシ氏の言論にないことが判明し、しかも大変な疑念が生じたため、胸を借りておきながら、逆に胸を刺すような言葉を吐くことになってしまったのである。それは、ヒロシ氏の言論の向こうにある真実を知りたいという衝動に基づくものであった。

 自身をエリートと思っている傲慢な心根の人に対して、また徹底的な保身家に対して、私の言論がネット上で持つ力などたかが知れている。しかもヒロシ氏は外務省自体が持つ問題を個人として体現しているだけで、彼一人の態度を改めさせたところで、何にも変わらないのは目に見えているのである。
 これは官僚全般の属性といってもいいと思うが、彼の個性は、その個性を、巨大な組織や権威の傘に隠すところにあるのだから当然のことだ。
 結局のところ、彼の言論に借りるだけの胸がないとは、外務省の外交理論・思想にそれだけのものがないということになろう。

 国際外交において、どのような理論を立てて臨むかは大変重要だ。もし、その理論が東京裁判史観に立脚してしまっているならば、外交の場における勝負ははじめから目に見えている。
 なぜなら、そこには日本の国家意識、歴史的立場が一切欠落しているからである。それを踏まえれば、そもそも、伝統の立場から日本の国家意識、歴史的立場を論じようとしている私と、それを欠落ないし否定的に捉えているヒロシ氏の間にまともな議論など成立するはずもないのであった。

 日本国民の税金で、その生を養っている官僚が、日本の国家意識を欠落させ、日本の国家機関として、日本の立場を主張することを忘れて、旧連合国や中共の立場に立った物の見方で外交に臨んでいるとするならば、そんな彼らはエリートと呼ぶに値しない代物ということになるではないか。しかも、ブログを5つも6つも開設し、中共の意を受けて、日本人に向けて、彼らの政治目的に有利なように情報宣伝活動をしているとなると、ほとんど売国奴と言っても言い過ぎではないであろう。
 所詮、受験戦争のエリートでは、苛烈な権力闘争を勝ち抜いてきたシナの政治家たちには太刀打ちできない、ということであろう。

 そんな日本人の国家意識を代弁してくれない彼らでも、せめて、前回触れた、最低でも幣原喜重郎程度の原則を立て、厳しい情勢認識を以て、これを立ち貫く姿勢を持ってくれていればいいものを、と思わずにはいられない。 幣原が怠惰で破棄した日本の合理的立場を立ち貫く姿勢を歴史から学ぶことこそ、幣原外交の欠陥を改め、批判的・発展的に継承することになるのではないのか。
 もしそうしてくれているのなら、日本の国際主義の伝統の立場から、彼らをエリートと呼ぶのに吝かではないし、国民も天下りのことを非難はしても目くじらを立てるようなことはないだろう。 
 それは偏に後世の外務官僚の気概というか、毅然とした態度に掛かっているのである。
 彼らの態度が後世に恥じないものであるのかどうかは甚だ疑わしい。
 結局のところ、彼らは日本のエリートとしての分を尽せていない、すなわち今のところエリート失格としか言いようがないのである。


 外務官僚への批判はさておき、私がこの問答や総括を通じて、実践していたのは、南洲翁の好んだ、陳龍川の次の言葉である。

 理に当たりて後進み、勢を審らかにして後動く


 陳龍川は、南宋の朱熹と同時代の儒学者で、彼との親交もあったが、思想上は一線を画し、より実践性の高い、英雄的な価値観を持っていた。

 堂々の陣、正々の旗、風雨雲雷交々発して並び至り、龍蛇虎豹変現して出没す。一世の智勇を推倒し(傾け尽くし)、万古の心胸を開拓する者に至りては、自ら謂(おも)えらく、やや一日の長ありと。(『酌古論』)

 陳が何に対して一日の長があるとしたかといえば、それは精微な理論を展開した朱子学に対してである。
 彼は朱子学を実用に適さないと喝破したのである。
 南洲翁はこの陳龍川の思想を好んで、これを幕末の情勢に応用して行ったのであった。

 南洲翁は名分条理を正すことこそ、皇室再生の、つまり日本再生の基であると考え、これを実行に移した。これは孔夫子の正名論を継承した思想で、薩摩藩を中心に見た幕末の王政復古運動は、この思想の実践である。
 では、理に当たって、すなわち名分や条理に当たって進めばどうなるか。
 ここは大久保利通の言葉を借りて来よう。

 弊習といえるは、理にあらずして、勢にあり。勢は、触視する所の形跡に帰すべし。

 これは大久保がその師友でもあった南洲翁との切磋琢磨を通じて発した言葉だ。つまり理に当たって進むことで、触視するところの形跡から、勢が審らかになる、と大久保は言うのである。

 私は、理に当たって進むことで、触視する所の形跡から、現在の日本を蔽う勢のその一端でも明らかにしたいと思っている。前例踏襲主義という弊習、つまり大勢に順応して生きている一外務官僚の議論に触れ、大勢の一端を垣間見たのである。 だからこそ、そこで見えた勢を、総括として書いておくことは私の一つの義務と言ってよい。
 私の書くことを理屈っぽいと思う人もいるかもしれないが、そういった目的意識を持ってこのブログに臨んでいることは、意識しておいてもらいたい。
 もちろん、その理は、屁理屈ではなく、私なりの伝統意識から発せられたものであり、日本の歴史が紡ぎ出した物である。私がヒロシ氏の胸元に突き刺した言葉の短刀は、この理である。
 同じベクトルの伝統意識、歴史認識を持っている人ならば、何か感ずるところが必ずあるはずだ。
 
 そういった姿勢で臨んだ今回の問答で、私がかすかに触れながらも大変憂慮すべき勢とみなしたものは、もちろんこの国を蔽いつつある中国共産党政権の、日本を併合しようとまで目論んでいる、その政治的意志であり、その意志に基づいた情報宣伝工作とこれに加担する日本の知識階層・指導階層の増殖であるが、もっとも深刻に感じたのは、ヒロシ氏がかつてさりげなく発した次の言葉だ。

「実は今の皇室問題
誰が敵で誰が味方かがわからずに混乱しています。」


 当初、私は、この敵か味方かという表現に、違和感を感じつつも、その意味するところがピンと来なかったのであるが、左翼などの皇室解体論者を敵としているのかと漠然と解釈していた。しかし、ヒロシ氏が尊王論者ではなく(自ら佐幕主義と言っていた)、しかも中国共産党のお先棒を担ぐチャイナ・スクールと判明した以上、もっと穿った見方ができるのではあるまいか。
 つまり、外務省内に、皇室をめぐる主導権争いがあるのではないか、ということである。

 昨年西尾幹二氏の問題提議によって雅子妃殿下の問題が話題になったが、それはかなり深刻な問題である可能性が高い。
 西尾氏の指摘によると、これまで皇室を握ってきたのはアメリカだったが、現在、皇室は外務省関係者に取り囲まれているという。
 言われて見れば、雅子妃殿下はご成婚以前外務省に在籍しておられた、言わばキャリア外交官だったし、そのお父上は、現在国際司法裁判所の所長を勤められている、元外務官僚の小和田恆氏である。つまり、昔風の言い方で言えば、敬宮愛子内親王の外祖父が元外務官僚ということになる。
 また現東宮大夫は、野村一成氏で、ロシアスクール出身の元外務官僚、東宮大夫に就任以前は、駐ロシア連邦大使を勤めていた。モスクワの日本大使館駐在中、小和田氏とは同僚であったという。
 皇族の子弟の教育をになってきた学習院の学長もまた、現在、外務省出身者だそうだ。こういった、皇室が外務官僚に取り囲まれている事実は、事情の分からない外部の者からは大変不気味に映る。

 こういった状況下で、チャイナ・スクールのヒロシ氏は、誰が敵で味方かわからず混乱していると言う。
 西尾氏の指摘によると、外務省の官僚というのは、外国の立場に立って行動する属性があるという。それはヒロシ氏の言動ですでに確かめたところだ。
 ならば、皇室をめぐって、外務官僚を通じての各国の主導権争いがある、ということになるまいか。
 もちろん、その主導権争いに参加しているのは、アメリカ、ロシア、中国ということになるだろう。
 もちろん、彼らの狙いは、皇室を押さえることで、日本国民を支配統制しようというところにある。これまでアメリカがそうしてきたように、だ。彼らにしてみれば、その覇権国家アメリカに衰退の影が忍び寄っている今こそがチャンス、ということになろう。
 特に昨年四月、中華人民共和国の人民解放軍司令官が、ハワイのアメリカ基地司令官に対し、ハワイ以東はアメリカが、以西は中国が分割して支配しよう、という提案を行なったと報道されているが、確かに、NHKの問題に顕著に見られるように、日本における彼らの情報宣伝活動が活発化している現状を見れば、これらは決して杞憂とはいえないであろう。ウィグルで起きていることは明日のわが身なのである。

 中国共産党支配下ですでに六十年近くを経過したウイグルでは、これまで現地人の健康に対する何の配慮もなく、都市のすぐ近くで、四十五回にもわたる原爆実験が繰り返されてきた。当然奇形児が多く生まれている。
 ウィグルには楼蘭という有名な遺跡がある。ご存知の方も多いことだろう。NHKがシルクロードの町として、日本人の歴史ロマンを煽り立ててきた、この楼蘭遺跡のすぐ近くは、まさに中共の核実験場で、放射能に汚染されきっていたのである。しかもNHKがその事実を把握していたことは、当時NHKが出版したシルクロード取材スタッフの書いた本に動かぬ証拠として記されているそうだ。
 あの番組でロマンを掻き立てられ、楼蘭を訪れた日本人旅行者の多くは知らぬうちに被爆していたのである。それにもかかわらず、世界ウィグル会議の公開質問状に、NHKはそんな事実は当時も現在も把握していない、と回答しているそうだ。卑劣もここに窮まれり、である。
 日本国民から受信料を強制的に徴収しておきながら中共の宣伝機関と化しているNHKの現状は、日本国民の税金で生を養い、政治・外交活動をしながら、中共のエージェントと化している外務省チャイナ・スクールの問題と全く同じ構図を持っている。 
 少なくとも中共のエージェントと化しているヒロシ氏は、皇室に対する主導権をめぐって、本来お仲間であるはずの外務官僚の誰が敵で誰が味方かが分からず、疑心暗鬼に陥っているのであろう。
 この穿った見方の当否は、吉田兼好のような隠遁者の立場で情報を発信していますとのたまっている彼が、本当に引退したときに、こっそりと伺ってみたいものだ。

 まさしく中共は、チベット同様に、民族浄化を行なってきた。今やウィグルにおけるウィグル人と、移住してきた漢人の比率は逆転してしまっているという。これはもちろん中国共産党政権の明確な政治的意志に基づくものである。これで暴動が起きないほうがどうかしているだろう。
 あの暴動を見て、自身が直面している問題に覚醒しない、日本人こそどうかしているのである。
 そう、日本人は敗戦この方ずっとどうかしているのだ。
 皇室に中共の魔手が伸びつつあるとするならば、そして、それが成就しつつあるのが大勢であるとするならば、日本文明において、かつてこれほどの危機はなかったといえるのではないだろうか。日本の伝統の息の根を止めるのは彼らと、彼らに追随する日本人自身なのかもしれないのである。

 事にかかる者は理勢を知らずんばあるべからず。ただ勢のみを知って事を為す者は必ず術に陥るべし。また理のみを以て為す者は、事にゆきあたりてつまるべし。いずれ、理に当たって後進み、勢を詳らかにして後動くものにあらずんば、理勢を知るものというべからず。

 西郷南洲

 

 

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