幣原喜重郎の夢想的外交

 外務省のいわゆるチャイナ・スクールのヒロシ氏の言い分を聞いていて、私の頭をよぎっていたのは、戦前の重要な時期に、すなわち大正十三年六月から昭和二年四月までと、昭和四年七月から昭和六年十二月までの二回にわたって外務大臣を勤めた幣原喜重郎の外交思想である。
 幣原は戦後の国際協調外交路線の先駆的存在で、軍部の暴走の対極的な存在として、高く評価されてきた外交官である。日本伝統の理想主義的な国際主義者である。
 おそらく、敗戦で解体されず、責任を取ることも取らされることも、また過ちを正すことも正されることもなかった外務省は、この幣原外交を継承しているのではないかと思う。

 では幣原外交とはどのような理念に基づくものか。
 幣原は言う。

「今や世界の人心は一般に偏狭かつ排他的なる利己政策を排斥し、兵力の濫用に反対し、侵略主義を否認し、万般の国際問題は関係列国の了解と協力とを以て処理せんとするの気運に向って進みつつあるのを認め得らるるのであります。・・・国際的闘争の時代はようやく過ぎて、これに代わるべきものは国際的協力の時代であることは疑いを容れませぬ。・・・国家の真正かつ永遠なる利益は列国相互の立場の間に公平なる調和を得ることによりて確保せらるるものである。我々はこの信念に基づいてすべての列国に対する外交関係を律せむことを期する次第であります。」

 まさに明治開国以来の日本国民の、世界はこうあってほしいという悲願、国際主義の理想を凝縮したような理念といっていい。政治的演説なら拍手喝さいを受けるに値する立派なものだ。
 しかし、幣原は、この理念の虜となって、それに反する厳しい現実には目を塞いでいた。外務省が、チャイナ・スクールが、これを外交理念として継承しているならば、その末流にあたるヒロシ氏が、自ら目と耳を塞ぐどころか、レッテル貼りという悪質な情報宣伝を行なって、読者の目と耳を塞ごうとしているのも納得がいくというものだ。もしそうなら、日本の外交は、あの時代から、過ちを改めることなく、深刻な問題を抱えたままということになる。

 何よりも幣原の時代認識、情勢認識は決定的に間違っていた。
 彼は第一次大戦後に西洋各国を蔽った反戦平和思想を、次の時代の潮流と読んだのだ。
 しかし、これは決定的に間違っていた。 
 それはこまごまと個々の歴史事件を見ていかなくとも、その後に悲惨な第二次世界大戦の勃発があり、そして冷戦があったことを挙げるだけで十分だろう。少なくとも、幣原が理想を謳いあげてから数十年間の世界というものは、もっとも苛烈な生存競争の時代、国際的闘争の時代、すなわち戦国時代の真っ只中だったのである。
 その時代にこのような夢想的政治指導者に外交の舵取りを任せてしまった日本国民こそ災難であった。
 彼らが声高に非難する軍部の台頭を招いたのは、実は幣原の無為無策で、現地の声に耳を塞いだ、無責任な夢想的外交にあったのである。

 彼の夢想振りを少し見ていこう。

 まずはアメリカに対して。
 彼はあの悪名高き排日移民法がアメリカにおいて成立するのとほぼ期を同じくして外務大臣に就任していた。

「畢竟米国国民一般の我が国民並びに我が主張に対する正当なる理解に俟つ外はありません。性急なる態度感情に囚われた言論は決して国際的了解を進むる途ではありません。米国国民の血管の中には正義を愛する建国当時の精神が依然として流れていることは疑いを容れません。私はその事実が実際に証明せらるる時期の来るべきことを期待するものであります。」
 
 個人的に期待するのはかまわない。アメリカの正義を信じるのも、まあ勝手だ。
 しかし国家の重責をになう外務大臣として、理解を俟つ外ないという態度は、戦略を欠いた単なるサボタージュに過ぎない。
 しかも、その期待が全く的外れであったのは、歴史が証明している。
 在アメリカ日系人の収容所送りと財産の凍結、行き着くところの日本の大都市の無差別爆撃と原爆の投下が、幣原の期待に対するアメリカの回答であった。

 実はそのアメリカの反日意識、差別意識につけこんだのが、お隣シナの情報宣伝活動だった。
 彼の対シナ政策の精神は、「シナの合理的立場を尊重すると共に、我が合理的立場は又あくまでもこれを庇護する覚悟」といい、しかも「シナの内政問題に至っては、一切これに干渉するの意志」なし、というものであった。
 やはり理想主義的で、字面だけを追っていけば、申し分のないものである。
 しかし、これに対するシナの回答は、革命外交という、ほとんど野蛮としか言いようのない、非合理的なものであった。革命外交とは、不利な条約は、一方的に破棄し、実力を以て権益を回収するという、国際条約を無視した、ほとんどでたらめな外交である。
 この非合理に直面した幣原が、それでも、シナの内政に対する不干渉を頑なに通したことが問題であった。
 これは当時の状況では、我が合理的立場を庇護するという、日本の外務大臣の信念としてのもっとも肝心な部分を反故にしてしまったことを意味した。というのは、当時のシナには、条約に基づいて、つまり、相手政府との合意に基づいて、多くの居留民と領事館をシナに置いていたからだ。これが外務大臣として庇護すべき日本の合理的立場でなくてなんであろう。

 彼の頑固な無為無策外交に対する、現地人の不満、国民の不満が、軍部の台頭とこれに対する国民の支持という条件を作り上げていったのである。歴史的に眺めたとき、彼の外交は、その無為無策で自ら首を絞め上げ、日本の墓穴を掘ったと言うことができるのではあるまいか。
 それでいながら、彼ら政治に携わるものの多くが、解体された軍部に全責任をなすりつけ、戦前の日本の歴史を貶めるばかりで、自ら過ちを改めることがなかったのが、戦後の不幸である。
 現在の政治が問題を先送りにするばかりで、本質的問題に関してほとんど無為無策で、次の時代の不幸を醸成しつつある現状と二重映しになってくる。
 現実を捨象してしか成り立たない理想・理念は、やがては、その捨象したはずの現実に逆襲されるに決まっているのである。
 
 しかし、それらは同じ根っこを持つ問題といえるだろう。
 というのは、ヒロシ氏の言論を見るかぎり、チャイナ・スクールの外交理論が、幣原の思想的枠組みに則ったものであることは間違いないからである。というよりも現状はもっと酷いものになっていると言える。
 彼が中国共産党政権に精神的に隷従しており、そこに止まらず、彼らにとって不都合な言論を封じようとしてさえいる現状は、幣原でさえ、顔をしかめるのではあるまいか。歴史認識問題で、共産主義勢力の陰謀をことごとく捨象しようとしているチャイナ・スクールの姿勢には、さすがの幣原も苦虫を噛み潰したような顔をするのではあるまいか。

 ちなみに当時の幣原の共産主義勢力に対する認識はどんなものであったのだろうか。

「世上には支那が共産主義の国家となるかもしれないとか、自国に不利と認むる国際条約を破毀するの計画とかいうが如き臆説もあるようですが、私はこれを信ずることができませぬ。我々は常に希望と忍耐とを以て支那国民の政治的革新の努力を注視しなければなりません。要するに我々は支那における我が正当なる権利利益をあくまでもこれを主張するときに、支那特殊の国情に対しては十分に同情ある考慮を加え、精神的に文化的に経済的に両国民の提携協力を図らんとするのであります。」

 以上の引用箇所は、外務省の「主要文書」に収められているものだ。
 この彼の楽観主義と情勢認識の甘さは話にならない。
 すでに触れたように、シナは革命外交と称して、自国に不利と認める国際条約を破毀し、内政混乱の挙句、共産化された。現在の中華人民共和国の成立がそれである。
 確かに当時、シナの将来を予測することは困難だったはずで、私はこれを責めているのではない。
 しかし、彼の共産勢力に対する認識の甘さは十分非難に値しよう。
 もちろん、高い理想を掲げること、それ自体が悪いのではない。
 ただ、高い理想を掲げるならば、より一層厳しい現実認識、その理想とは程遠い現実に対する厳しい現状認識が必要であるにもかかわらず、それが一切欠けてしまっていることが問題なのだ。そして、その理想と深い溝を持つ現実との間を埋めるという、大変な努力を怠ったことが深刻な問題なのである。

 彼はその現状認識の一つの破綻である南京事件発生後、英国公使に次のように語っている。

「自分は共産主義が全国に行きわたるものと信ぜざれど、仮に共産派の天下となるも、・・・さほど恐怖すべきことにもあらず。支那時局の帰趨がいずれになるも、列国はむしろこれを放任して隠忍その結果を俟つのほかなし。」 

 共産主義が支那全土に行き渡った挙句、どのような恐怖が支那国民を襲ったか。当時の支那国民の多数は、幣原のそんな同情などなかった方がましだったと心の中で答えただろう。
 内政不干渉にせよ、放任主義にせよ、幣原の場合、単なる無為無策の無責任を正当化するための方便に過ぎない。
 しかも頑固ときているからたちが悪いのである。

 その末流であるヒロシ氏に対し、馬脚、鹿脚が見え隠れしているなどと、乱暴なことを書いた私だが、幣原にもそれは言えそうだ。
 しかし、ヒロシ氏の件で、私が戦慄を覚えたのは、その馬脚、鹿脚に乗っている隠された胴体が実は竜ではないかということに気づいたからである。
 現在上げ潮に乗っているシナの中華民族主義者たちは、米中関係を竜虎になぞらえているという。アメリカは猛獣の虎、中国は伝説上の神獣で、昇竜というわけだ。
 日本の政治家やマスコミ同様、チャイナ・スクールの正体、すなわち胴体は、すでに竜にすりかわっているのではあるまいか。

 ただ中国の親日家にそのような、脚が馬や鹿の類で、胴が日本を象徴する生き物であるといった類の人物はいないであろう。しっかりとした漢民族としての、あるいはその他の民族としての民族意識、国家意識を持っているはずである。

 日本には鵺(ぬえ)という伝説上の奇妙な怪獣がいる。
 『平家物語』などにでてくる、顔は猿、胴は狸、脚は虎、尾は蛇というまことに奇妙な形をした怪獣である。
 チャイナ・スクールという、日本のエリート階層・知識階層に多い、身体各部と正体が違う、また日本語を操りながら頭の中には別物が住み着いている生き物という奇妙な存在は、あまりにも日本的といってよさそうだ。
 しかし、竜虎に挟まれた鵺では、いくらなんでも私の中の日本人としての自尊心は満たされない。それならまだ、国民党の統治を経験した台湾人が言った、犬が去って豚が来た、と言った時の、犬になぞらえられた日本人の姿の方がよっぽど上等なのではあるまいかと思う今日この頃である。
 

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