山本七平論

 山本七平氏は、自己の属する伝統を再把握し、自己の行動の規範を客観的に把握することで、自由に生きていると言えるとした。それがとりもなおさず、進歩的に生きていると言える状態であり、存亡の条件である。

 では、山本氏は、日本人として、自己の属する伝統をどのように把握し、どのような規範を選択したといえるのか。
 それは明確には言えない。
 しかし、おそらく、日本の伝統の再把握は未完であった。
 その苦心の跡は、氏の著作の全般に現れているが、特に『現人神の創作者たち』などが代表的なものであろう。

 氏のご子息によれば、晩年、氏は「天皇」と「イエス・キリスト」について書かなければならないと仰っていたそうだが、残念ながらその志を達せずに、天寿を終えられた。
 日本の伝統の再把握の仕上げが「天皇」であったとするならば、自己の選択した規範の探究が「イエス・キリスト」にあったといえるのではあるまいか。

 それは氏の著作の端々から窺えるのであるが、氏の自己規定は、おそらくは内村鑑三以来のキリスト者としての伝統の中に置かれていたと言っていいように思える。氏は、内村鑑三の孫弟子にあたる。
 しかし、それは、日本の民族的伝統という点から言えば、数百年後の未来は分からないが、今のところ、あくまでも異端である。
 現に前述の『現人神の創作者たち』の中で、明治維新を招来した思想である現人神の創作者たちを探究し、A級戦犯というものがあるとすれば、彼らこそがそうであろうという趣旨のことを言っている。もちろんA級戦犯とは、大東亜戦争を引き起こしたという意味においてである。
 大東亜戦争フィリピン戦線において、凄惨な経験をされた氏は、キリスト者として、自己の内面において、この現人神思想と深刻な対決を強いられていたという。 
 氏は自己の行動規範の選択において、この伝統を自覚的に拒否したのである。
 しかし、明治維新は王政復古という伝統主義的な革命であり、この精神を否定することは、伝統の否定につながるのではあるまいか。

 山本氏はこのように、日本の伝統という観点からすれば、異端の位置に身を置いて、日本の伝統の核心を、外部から明らかにしようとした。氏はロゴスを手がかりにそれを行なったのであるが、核心に迫れば迫るほど、それは困難を極めた。日本の伝統の核心部分というのは、ロゴスによる解釈を拒絶しているようなところがあるのである。
 それはキリスト教とて同じことであろうが、氏が遣り残した仕事を見るとそれは判然としている。
 それは外部からの攻略を許さない何物かである。
 おそらく氏が天皇論に取り組んでいれば、その探究が困難を極めたであろうことは想像に難くない。

 私がそれを予感したのは、最近、氏の『小林秀雄の流儀』という本を手に入れ、読んだことによってである。
 以前から山本氏にこの著作があることは知っていたが、小林秀雄に関心がなかったこともあって、読まないできた。
 しかし『(新)西郷南洲伝』の下巻を書くうちに、本居宣長、そして小林秀雄に対する関心が高まり、特に昨年の後半あたりから、小林秀雄の文章をよく読むようになった。おそらく南洲翁の事跡について考えるうちに、心の中に醸成されてきた言葉になりにくい問題意識が、そこに向かわせたのだと思う。

 その小林の晩年の名著に大作『本居宣長』がある。これは彼の到達点と言っていい著作である。
 内容は非常に難解であるが、おそらく、ここで彼が敷衍している本居宣長の主張は正しく、宣長が直面した日本人とは何かという問題と、その思想的格闘を余すところなく再現していると思われる。
 小林はその晩年になってようやく、本居宣長という、日本の伝統精神の核心との一体化に到達した、この、独創的にして、稀有の思想家の解明に取り組んだのだが、日本人とは何かを問い続けた山本氏は、先の『小林秀雄の流儀』の中で、この作品についてはさほど関心を示していない。
 氏が関心を示しているのが、小林がゴッホを取り上げた作品であり、ドストエフスキーを取り上げた作品である。彼はゴッホやドストエフスキーの作品の背後に聖書を見たのである。

 これは南洲翁の言動の背後に『論語』『孟子』を見て、解明を試みたのと同じ発想である。
 もちろん日本の伝統といえるのはこちらの発想だ。
 現に小林秀雄は、本居宣長の独創的な言動の背景に、『論語』の言葉を見ているし、から心を排したはずの宣長自身が、孔子だけは別格で、豪傑儒荻生徂徠の漢籍研究から多くを学んでいたのである。

 西尾幹二氏は、山本氏の『論語』解釈が荻生徂徠のそれの足元にも及ばないと批判しているそうだが、彼の『論語の読み方』を読むと、確かにそういわれても仕方ないものがあるな、と思わざるを得ない。
 しかし、その辺は山本氏本人も自覚的だったのであって、『論語の読み方』の前書きで、わざわざ「入門書の入門書」と断っているくらいである。
 つまり山本氏は小林の『本居宣長』について、触れたくても触れ得なかったと言ったほうが的確なのであった。
 山本氏の日本の伝統再把握の作業が未完であり、もし長生きして、天皇論に取り組んでも困難を極めたであろうというのは、その辺のことを踏まえてのことである。
 山本氏を敬愛し、その業績を称えるのに吝かでない私が、氏の見識に、心の底から共感し得ない理由はその辺のところにあるのではないかと思われるのである。
 もっとも『論語の読み方』という「入門書の入門書」が書かれたのは、その死の数年前のことであり、内村鑑三がその晩年、『孟子』をよく読んでいたことを思えば、天皇論という、この国の伝統の核心を探究する準備は始められていたと言えるのかもしれない。

 

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この記事へのコメント

キビノ
2010年04月16日 01:09
山本七平氏の15年周期説が気になり、下記のブログで考察しました。少年→青年→中年→老年ときて今の15年は何でしょうか?
 私は十二支の極である「子」の時代だと考えます。この字は終わりを表す「了」と始まりを表す「一」で出来ています。
 HPには哲学史の新解釈と新しい社会システムを提示しています。 

http://blogs.yahoo.co.jp/k_kibino/61221145.html
哲舟
2010年04月16日 06:27
コメントありがとうございました。

「子」の時代説、賛同します。
「一」とは、始まりにして、個と全を同時に表す文字です。

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