論語

何年か前のこと。
呉智英氏の『現代人の論語』が文芸春秋社から出た。
著者の呉氏は、自ら封建主義者を名乗るだけあって、江戸時代の価値規範の軸であった『論語』をこよなく愛する人である。今はどうか知らないが、何年か前までは、「以費塾」という『論語』を講ずる塾を、思想家の浅羽通明氏と運営していた。

 その氏の『論語』に対する解釈を書いたのが『現代人の論語』であるが、最近の研究を踏まえているだけあって、色々目を開かれるような知見があり、面白く読んだ。
 たとえば、呉氏が『論語』に目覚めるきっかけとなった次の言葉。

 西欧の思想史がホワイトヘッドの言う如くプラトンの注釈の一系列であるならば、東アジアの学問・思想の歴史は論語の注釈史ともいえよう。

 これは、みすず書房刊『荻生徂徠全集』の宣伝用パンフレットにある『論語徴』の解説文だそうだ。
 確かに東アジアに限らず、日本の学問・思想の歴史も、『論語』の注釈史であり、呉氏の言うように、『論語』の変奏曲であった。
 それは西洋の学問に席巻されてきた近代日本においても、脈々と受け継がれている。呉氏に限らず、氏が大きな影響を受けたという白川静博士をはじめとする著名な東洋史・東洋文化の研究家の数々、名もなき市井の東洋文化愛好家たちによって。かく言う私もその流の一員である。
 そうでない人であっても、本人が、知らず識らずの内に、『論語』の言葉を格言として用いている場合も少なからずあるだろう。すでにその思想、あるいは発想は日本語の中に息づいているているのである。
 たとえば子供の頃、親や先生に、こんなことを言われたことがないだろうか。
 あるいは大人になってから、子供にこういって叱ったことはないだろうか。
 「人の嫌がることをしてはいけません。」
 「自分がされて嫌に感じることを人にしてはいけません。」
 これも元は二千五百年前に孔子が「己の欲せざるところを人に施すこと無かれ」と言ったのが、人口に膾炙され、日本の民間まで浸透していった結果、『論語』を読んだことがないような人までが、それと意識することなく自然と口にするようになったのである。

 呉氏の解釈と意見を異にする点がないわけでもないが、それは見解の相違としても、そのとき、どうしても不満に思ったのが次の言葉だ。

 私の学生時代からだけでも、思想界・言論界で、あれやこれやの思想が華々しく登場し、もてはやされ、消えていった。消耗品としての思想。流行するだけの思想。その結果、思想の縦糸さえ見失われるようになった。知性の無残な荒廃である。
 論語に、それを建て直す力がある、というのではない。論語を注釈する意欲に、その可能性があるのだ。
「人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。」


 なぜ、「論語」にそれを建て直す力がある、と強く言わないのか。
 すでに、南洲翁に関する考察を通じて、明治維新の成立に、ひいては近代日本の成立に、「論語」の思想を基にした日本的な学問の成熟が不可欠であったことに気づいていた私は、そのことに強い不満を抱いた。

 しかし、今考えると、この言葉はそう言っているのではないということに気づかされる。
 呉氏は要するに、「論語」にそれを建て直す力があるか否かは、やってみないとわからない。しかし、もし「論語」にその力があるとするならば、この道を明らかにし、弘めようという精神の活力が、われわれ日本人の側にあるか否かに、日本人の思想を建て直しうるか否かがかかっているのだ、と言わんとしているのではないか。
 その注釈を試みる呉氏が「論語」にその力があると信じていることは間違いあるまい。
 そのことをもっと強く言ってもいいのではないか。

 日本の歴史を深く考察すればするほど、私は「論語」こそが、近代日本を支えてきた精神的基盤であるとの確信は深まるばかりである。
 その保守的思想は、伝統の防衛者、防人としての思想であり、また深いところでは、儒教到来以前のこの国の文化の核となる部分の探究、恭敬へと人を向かわせる思想なのだ。

 古代より連綿と受け継がれてきたこの国人固有の精神は、不定形な感情であり、理論的体系を有する外来の思想に対しては受身の姿勢でしか応ずることができない。そこに理論体系を与える働きをしたのが朱子学であり、それに対する懐疑から出発した伊藤仁斎、荻生徂徠は「論語」をはじめとする古典をあるがままに読もうとし、これを受け継いだ本居宣長は日本の古典の探究へと向かい、そして日本人の精神の始原性を回復させた。
 その始原性は、江戸時代の儒教的陶冶によって体系化され、その外郭を守られることで、かろうじて西力東漸への対応を可能にしたのである。 

 日本人がこれまで積極的に受け入れてきた古今東西の思想を見回してみても、そのような働きを期待できる思想はやはり「論語」しかないのではあるまいか。今、危機に瀕しているこの国の思想を回復できるのは、孔子とその神髄を継承してきた思想しかないのではあるまいか。
 

 われわれ日本人は、敗戦によって、朱子学とそれを敷衍した後継者によって固められてきた、この重たい鎧を捨てた。共産主義勢力の浸潤と覇権国家アメリカの圧迫という、日本文明の危機に直面して、強化されてきた、この重たい鎧を捨てた。 
 敵対勢力もまたこの重たい鎧を剥ぎ取ろうと躍起になった。その最たる物が、七年間にわたるアメリカの占領政策であり、そこに群って増殖した左翼であった。

 一方で、日本人もまた大東亜戦争に疲れ果て、この鎧を背負うことに耐えかねていた。
 しかし、これは非難されるべきことではあるまい。
 その鎧は自己の本体を守る為に着込まれた物であったが、反面、その本体をも圧迫し、傷つけていたのである。
 その結果、戦後60年以上もの間、日本人の精神は危機にさらされ続けてきた。その最たる物が現在の皇室問題である。

 それを回復する力を『論語』に求めることは見当違いではない。
 むしろ歴史的、伝統的立場からは必然的ですらある。
 私はこのことが日本人にもっと積極的に認識されるべきだと思う。

 
 





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