天地自然の道 (その一) (南洲翁遺訓解説 2-3)

忠孝仁愛教化の道は、政治の大本にして、万世に亙(わた)り、宇宙に彌(わた)り易(か)うべからざるの要道なり。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別なし。

(『西郷南洲遺訓』 第九条)



 南洲翁遺訓の中に、天地自然の道という言葉は、上述のを合わせて本文に三回、追加に一回出てくる。
 しかし、道は天地自然の物なのであるから、道と言っても、天道と言っても、あるいは敬天愛人と言っても同じことになり、結局、天地自然の道はほとんどの条に出て来ることになる。
 もっと言えば、南洲翁遺訓の主要テーマは天地自然の道と言っても過言ではないのである。

 上述の言葉から察するに、南洲翁は、道は天地開闢と共に天によって定められた万国共通の道である、ということらしい。つまり人類の誕生と共にあったということになる。
 この思想が儒教の祖である孔子にあったかどうかは疑問だが、少なくとも後世、そのような論を展開した儒者が多かったことは確かである。

実は孔子は天とはかようの物、天道とはかような物というようなことは一切言っていない。当時孔子よりも賢と言われ、孔子を敬愛してやまなかった子貢の言葉に、「夫子の文章は得て聞くべきなり、夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり」(「公冶長」)とある。子貢は孔子が天道について語ることを聞くことができなかったのである。
 
 孔子が天の意志に言及することはあっても、その多くは慨嘆としてのそれであり、いわゆる語りではない。それは弟子たちに強く印象されたからこそ記録された貴重な言葉だったのであり、敬して遠ざけた鬼神や、黙して語らなかった怪力乱神と同様に、不可知のものとして、孔子には語るのがはばかられたと考えるのが自然だろう。
 しかし、その数少ない言及から拝察するに、孔子は天を、不可知ながらも、万物の主宰者か、それに近いものとして感じ、敬い続けていたことが察せられるのである。
 孔子の思想の核心を敬天にあると喝破したのは荻生徂徠だったが、それを陰陽の説で説明した朱子は孔子以上の知者ではないか、との皮肉は蓋しもっともである。陰陽など、孔子に言わせれば怪力乱神の類であったことは間違いあるまい。もちろんそれは、陰陽を迷信と軽蔑して言うのではなく、不可知ゆえに敬して遠ざけるべきだという意味においてである。

 その点、「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし」云々と言った南洲翁は、孔子の教えの要点をよくつかんでいたといえるだろう。

 さて、孔子の天に関する発言の中で、興味深いのが次の子貢との対話である。


子曰く、われ言うことなからんと欲す。

子貢曰く、子、もし言わずんば、すなわち小子何をか述べん。

子曰く、天、何をか言うや。四時行なわれ、百物生ず。天、何をか言うや。

(『論語』「陽貨」)



 夫子が天道を言うは得て聞くべからざるなり、と子貢が嘆くのもむべなるかなで、ここでもやはり、孔子は子貢に対し天道そのものを語ってはいない。
 言ったのは、天は何も言わなくとも、四季は運行し、万物は生成、生長しているということだけである。
 天と自然の運行は何も関係ないとも読めるが、しかし、天は何も言わなくとも、四季、万物を主宰しているとも解釈できるのであり、孔子の言動、特に天への篤い崇敬心からはむしろこちらの解釈の方がしっくりくる。
 そして、それは伝統的な解釈でもあるのだ。
 実は、この解釈が日本の超越者の観念、天道思想の伝統的生成に大きく関与してくるのである。 

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