「敬天愛人 (その一)」 (南洲翁遺訓 2-1)

道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり。

(『西郷南洲遺訓』 第二十四条)



 敬天愛人
 南洲翁といえば多くの人が連想する言葉である。
 確かに、南洲翁の思想信条を端的に表現する言葉として、これほど相応しい言葉はない。
 しかし、この言葉は翁の専売特許というわけではないし、独創でもない。やはり日本儒学の伝統が紡ぎ出した言葉といってよい。

 南洲翁が直接この言葉を使い出したのは、明治七年以降。
 翁の揮毫による「敬天愛人」の書幅にある押印の年代が明治七年以降のものであることが判明している。またこの書幅には「南洲書」と署名してあり、これは書写したことを意味している。というのは、常々、翁は自身の言葉には「南洲」と署名していたからである。「敬天愛人」が翁の創作した言葉ではないことは間違いない。
 では、誰の言葉の引用かということになると、これは中村敬宇(正直)からではないかと言われている。

 中村は、幕末の儒者佐藤一斎の高弟で、勝海舟とも交際があったから、中村の著作を手にした可能性は十分ある。翁が佐藤一斎の『言志四録』を愛読していたことは有名だ。
 一説によると、明治になって旧幕臣として静岡にいた中村のもとに、南洲翁が薩摩藩士を遣わして、意見を求めたことがあったという。 

 中村敬宇は、明治元年に『敬天愛人説』を書いて、漢文の『天道溯原』という、キリスト教入門書の訓点も行っており、のち明治七年にはキリスト教の洗礼を受けたという人物である。
 その中村にはサムエル・スマイルズの『セルフ・ヘルプ(自助論)』を翻訳したベストセラー『西国立志編』という本がある。この本の序文(「諸論」)にも「天を敬し人を愛す」という言葉が二度出てくる。

 今の(大英帝国の)女王は尋常の老婦にて、飴を含んで孫を弄するに過ぎざるのみ。しこうして百姓の議会(下院)、権最も重し。諸侯の議会(上院)、これに亜(つ)ぐ。その衆に掄(えら)ばれ、民委官(国会議員、特に下院議員を指す)たる者、必ず学明らかに行い修まれるの人なり。天を敬し人を愛するの心ある者なり。己に克ち、独りを慎むの工夫ある者なり。多く世故を更(か)え、艱難に長ずるの人なり。しこうして権詐獧薄(詐欺と軽薄)の徒与らず、神を慢(あなど)り、心を欺くの人与らず、酒色貨利の徒与らず、功を喜(たのし)み、事を生ずるの人与らず、その俗はすなわち上帝に事(つか)え、礼拝を尊び、持経を尚(たっと)び、好んで貧病の者を賙済(しゅうさい)す。国中設くるところ、仁善の規法、殫述(たんじゅつ・・・述べつくす)するに遑(いとま)あらず。

 もう一箇所は

 余また近ごろ西国古今の儁傑(しゅんけつ)の伝記を読み、そのみな自主自立の志あり、艱難辛苦の行いあり、天を敬し人を愛するの誠意に原(もと)づき、もってよく世を済(すく)い民を利するの大業を立つるを観て、ますますもってかの土、文教昌明(しょうめい)、名四海に揚がる者は、実にその国人勤勉忍耐の力によりて、その君主は得て与らざることを知るあるなり。

 中村は明治五年七月まで静岡に滞在しているが、その頃すでに代表的な著作である『西国立志編』の翻訳出版を終えていた。だから南洲翁が明治七年までの間に、この著作に触れた可能性は十分ある。
 ともかく南洲翁が中村の著作から「敬天愛人」という言葉を借用したというのは、かなり信用のおける説ということができるのである。

 さて、中村の「敬天愛人」に関する説。
 前掲の文はイギリスの内政を論じたものであるから、ここにある天、神、上帝などはキリスト教由来のものだろうし、持経とは聖書のことと見て大過なかろう。
 ただ、このことを日本に紹介しようとした中村が、いくら後に洗礼を受けたからといって、キリスト教をそのまま日本に移植しようとしていたとは考えにくい。
 
 中村は佐藤一斎の直弟子。
 幕府学問所昌平黌の神童であった彼の思想の基礎が儒学によって形成されているのは論を待たない。
 ならば先の『西国立志編』の言葉は、イギリス社会を日本固有の天道思想で解釈したものと考えたほうがいいだろう。
 西洋キリスト教におけるこれらの概念が、同じか、あるいはそれに近いものと認識していなければ、それらの語彙で翻訳しようとはしなかったはずである。
 また、その語彙によって翻訳するということは、西洋文明に触れたことのない当時の日本人に、日本古来の天道思想で解釈されても差し支えないと判断していたということでもある。

 
 
 ところで、「敬天愛人」の思想が現れる南洲翁の冒頭の言葉は、明治八年九月に鹿児島を訪問した旧庄内藩士戸田務敏への談話筆記が元になっているらしい。明治七年以降に翁がこの言葉を使い始めたとする説に符合している。

 『西郷隆盛全集』第三巻、「戸田務敏への教訓」によれば、南洲翁は次のように語っている。

 忠孝は根本なるも、これを行う処を究(きわ)むれば、天を敬し人を愛すは第一の目的なり。道は天地自然のもの、天を敬するは本なり。総て人は人を相手にせず、己を尽して、天地を目的とするものなれば、必ず人を咎めず、己、誠の足らざるを尋ぬべし。

 『西郷南洲遺訓』の言葉とあわせて、先に引用した中村の「敬天愛人」説と、確実に響き合っている。南洲翁もまた、この精神を以て、我が日本に英国の議会を中心とする諸制度を移植せん、と早くから考えていたのである。
 英国公使パークスの通訳であったアーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』の慶応三年七月二十七日の出来事として、
私は京都の情勢を聞くために、西郷に合いに薩摩屋敷へ行った。西郷は、現在の大君政府(徳川幕府)の代わりに国民議会を設立すべきであると言って、大いに論じた」とある。
 もちろん国民議会とは、英国の議会を模範にしたものである。 
 しかし、実はそれを支える敬天愛人」思想の中身そのものは、南洲翁の中で、それ以前、すなわち慶応三年七月以前に、すでに確立されていたのである。


 

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