「己克」 (南洲翁遺訓 1-5)

 学に志す者、規模を宏大にせずばあるべからず。さりとて、ただここにのみ偏倚すれば、あるいは身を修するに疎に成り行くゆえ、終始、己に克ちて身を修するなり。規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよ。…堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ。

 (『西郷南洲遺訓』 第二十三条)



 ここまで狂狷の精神の文明社会における意義、特に明治維新におけるそれらの意義と、それを通してみた、今これからの時代に必要とされる人材あるいは精神を論じてきたつもりである。

 狂者というのは、身の程知らずで、無茶無謀、常軌を逸した行動をしてしまい勝ちな人たちである。しかし、逆に、そういった行動を取る人たちが、必ずしも、孔子が積極的に評価した意味での狂者というわけではない。
 孔子は「古えの狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)。」(「陽貨」)と言った。昔の狂は気宇壮大であったが、今の狂は我儘勝手で出鱈目なだけだ。
 世に蔓延る西洋的な意味での個人主義を、表面的に奉ずる人々は、そのほとんどが今狂の類といってよいだろう。伝統と結びつかない個人主義・自由平等の観念は、単なるエゴイズムに堕して行くのがおちである。

 社会の創造的発展に貢献する狂は、直でなければならず(「泰伯」)、果敢な進取の精神旺盛の者(「子路」)でなければならない。
 しかも、それはそれだけでは十分ではない。
 孔子は言う。

「我が党の小子、狂簡、斐然として章を成すも、これを裁する所以を知らざるなり。」(「公冶長」)

 我が村(党)の若者(小子)は、大志を抱きながらも(狂)、粗野であり(簡)、美しい模様(章)を織り成しているが、どのように裁断してよいか分からないでいる、だから私が教え導こう、というのである。
 孟子は「浩然の気」について論じたとき、それは義と道に配す、すなわち義と道に連れ添ってある(配す)と述べたが、狂の精神は、要するに道によって導かれることで、はじめて中道に達し、大成するのである。
 冒頭の南洲翁の言葉はそれを敷衍したものといってよい。

 学に志すには、規模を宏大に、すなわち狂の精神を旺盛にしなければならないが、それだけでは身を修めるのが疎かになり、孔子の言葉で言えば、蕩なる今人の狂に陥ってしまう。だから堯舜を手本に、孔夫子を教師にして、常に己に打ち克ち、身を修めよ、というのである。
 翁を含めて、この国の先人たちは、堯舜の伝説を踏まえて、様々な工夫や解釈を行い、身を修めてきた。だから人それぞれの「あるべきやうは」(明恵上人の言葉)を問うて身を修めればいい。
 朱子学でも、陽明学でも、またそこから派生した日本の儒学各派でも、自分に合った座右の銘を見つけられるはずである。
 南洲翁も堯舜を信じ、朱子、王陽明、陳龍川その他の支那の大儒だけでなく、日本の佐藤一斎、水戸学、頼山陽、あるいは禅などからも貪欲に吸収している。そしてその基本となったのが、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の、いわゆる四書であった。 
 
 南洲翁は身を修するの極意を次のように言っている。

 道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己に克つの極功は、「意なし、必なし、固なし、我なし」(『論語』「子罕」)と云えり。総じて人は己に克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。

(『西郷南洲遺訓』 第二十一条)



 南洲翁は、孔子同様、意、必、固、我の四つを絶とうとした。これを身を修する上での極功とまで言うのである。孔子の教えによって身を修めていたことの証左である。 
 
 そもそも学問においては、志を立てることがその始まりにある。詩とは志なりとも言う(『説文』)。
 孔子は自らの人生を振り返って、「われ十有五にして学に志す」と言ったし、南洲翁は聖賢とならんと欲する強い志を持て、規模を宏大にせよ、と言った。それは世に蔓延る悪を自分が矯正するのだという傲慢な自意識と紙一重である。
 そこをどう克服するのか。
 福田恒存はかつて、小林秀雄を評する中で、「大自意識家というものは自意識に詰め腹を切らせる人間」であると言ったことがあるが、そういった問題がここには含まれている。
 翁は天下後世まで悦服信仰させるほどまでに自意識を膨らませつつ、極限まで私欲を去らんと努めたのである。それはもちろん相反する精神作用を持っている。
 翁のおもはじな 思ひし事は たがふぞと おもひ捨てても 思ふはかなさ」という歌はそういった心の機微を詠ったものであろう。
 それは自意識過剰なだけの人間の、数倍、もしくは数十倍の内面的緊張が求められ続けるのである。
 翁は、日本の歴史という大きなキャンパスに、日本のそれまでの歴史と伝統を素材にした、王政復古討幕という壮大で力強い絵物語を描く中で、学問と禅に支えられた強い精神力で、その綱渡りを見事乗り切ったと言ってよい。

 翁は学問の骨を私欲を去ることに置いた。それは、古来多くの日本人が師範としてきた孔子、あるいは仏陀によって、既に示されてきた学問の骨であり、翁に限らず、学問の奥義に参じようとした先賢たちが、等しく看取し、直面してきた最大の難問であった。
 仏教においてはこれを煩悩といい、孔子もまた、別の表現ながら、これを学問の奥義として、愛弟子の顔回に授けている。
 顔回は孔子の教えの究極のところにある概念である「仁」について問い質したことがあった。彼は孔子が唯一仁を以て許した弟子である。孔子は仁の中身については答えず、それを如何に為すかについて答えた。

 己に克ちて礼に復(かえ)り仁を為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己に由る。しかして人に由らんや。(「顔淵」)

 後半部「仁を為すこと己に由る」は、仁における特立独行の精神を述べたものであるが、前半部は、内面における仁は、礼を以て行為化され、それは己に打ち克つ、すなわち私を乗り越えることによって為しうることを述べたものである。
 この孔子の言葉こそ、南洲翁が克己を以て学問の骨としたことの究極の根拠といってよかろうと思う。

 しかし、現代人に限らず、いつの時代の人間にとっても、己に打ち克つこと、そこが一番難しいところである。
 いまだ言葉に実行が伴わぬ、狂狷の徒に過ぎぬ私に、人に対しそれを論じる資格はまだない。
 その工夫は各人の「あるべきやうは」にしたがって会得されたい。求めなければ得ることはないが、求めれば必ず得ることが出来るはずである。

 (南洲翁遺訓解説 1 終わり)
 

 





 

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