司馬遼太郎の魅力

 さて3回にわたって、司馬遼太郎を論じてきましたが、これは大きな影響を受けてきた司馬遼太郎を自分の中でしっかり位置づけておきたいという欲求があったからであって、決して悪意があったからではありません。
 近々高城書房から出版する予定の『(新)西郷南洲伝』の下巻は紙幅の関係もあって、テーマを「征韓論争」と「西南戦争」に絞ることになったので、結果的に、私が西郷隆盛について書く一つのきっかけとなった『翔ぶが如く』と同じテーマを扱うことになったからです。拙著はこの本で感じた疑問に答える内容でもあり、自分の中の司馬史観を整理しておきたい欲求に駆られたのです。
 しかし学恩を受けておいて腐してばかりのように映っては困るので、もともと理系の出であり、文芸評論をするセンスなどないに等しいのですが、良かったと思うことを思いつくまま書いてみたいと思います。
 私が司馬遼太郎の作品のなかで、ただ単純に小説として面白かったと思うのは、初期の作品である『梟の城』や『国取り物語』あたりでしょうか。このあたりは歴史小説の醍醐味を存分に味あわせてくれるもので、文句なしに楽しめる作品でした。特に戦国時代をテーマにしたものは大胆に脚色できるので、面白く読めたように思います。
 『竜馬がゆく』はストーリーの面白さで読ませるというよりも、司馬の描く人間竜馬の魅力で読ませていたのではないかと思います。竜馬という実在の人物の重たい部分と深刻な部分を後退させ、明るい部分を前面に押し出して、戦後の価値観に通じる人間像を押し出したところが成功の原因ではなかったかと思います。その人物像は確かに魅力的でした。
 私はこの作品でいろいろと日本の歴史の深さに足を踏み入れて行ったように記憶しています。私は司馬遼太郎晩年からの読者ですから、関連テーマを数珠繋ぎ的に読み漁っていきました。幕末でいえば、長州の人物に焦点を当てた『世に棲む日々』、薩摩ということになると明治に入りますが前述の『翔ぶが如く』あたりでしょうか。しかし、この辺になってくると、よく言えばノンフィクションに近いフィクション(小説)、悪く言えば歴史小説の本道というよりも、歴史小説と歴史書の中間ぐらいの中途半端な作品になってきます。日清・日露戦争を扱った『坂の上の雲』や、戦国時代でも『播磨灘物語』、江戸時代の商人を扱った『菜の花の沖』などに同じ印象を持っています。
 歴史小説として読むと味わいはあるけど面白さに欠け、歴史書として読むと博学ではあるけれど探究力に欠けるといった感じでしょうか。『この国のかたち』もエッセイとして読むといいけれど、この国のかたちの探求書として読むとこの国の形は見えてこない。文学から見ると歴史、歴史から見ると文学というのが、彼の作品の微妙な位置だったように思えます。井上ひさし氏が講演で『この国のかたち』をして、この国の憲法のようなものとまで持ち上げていますが、これは彼が文士だからでしょう。
 前回まで歴史としてみた場合の司馬史観の欠陥を考察してきました。では文学としてみた場合の彼の文章の長所を見ていくとどうでしょうか。
 思い起こしただけでも、文章のテンポのよさと、比喩の豊富さが挙げられます。このあたりは今でも優れた作家だったなあと感心させられます。
 思いつくままに書いたので、もう一度読み返せば、もっと多くの長所を見つけ出せるでしょうが、経験としての司馬作品の魅力はこんな感じだったのではないかと思います。
 そういえば、私は『街道をゆく』シリーズをあまり読んでいないので、ある面の理解が欠けているかも知れません。その辺はご了承下さい。

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この記事へのコメント

よしよし
2011年09月26日 21:50
読みやすいし歴史の勉強になるかと思い、若い時に色々読みましたが結局内容が中途半端で腹がたってきて最後は嫌いになりました。はっきり言えば全くいい加減です。司馬史観がそのまま、いい加減に物事を捉える日本人を作ったと思います。司馬史観から脱却しなければ真実は見えてきません。

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