司馬遼太郎『翔ぶが如く』 (その一)「司馬と海音寺潮五郎」

 今回は司馬遼太郎について。
 そもそも私は司馬遼太郎の歴史小説のファンで、そこから歴史に興味を持つようになりました。
 最初にはまったのが、ご多分に漏れず、「竜馬がゆく」でした。この人気作を始め、著作の多く、五十冊以上を繰り返し、繰り返し読んだものです。
 司馬遼太郎の作品は分かりやすく、歴史入門としては最適で、今でも彼の作品から歴史の世界に入っていったのは良かったと思っているのですが、いろいろ興味を持って他の歴史家の本を読むようになって、その歴史観、思想などいわゆる司馬史観に疑問を持つようになりました。今ではかなり否定的に捉えています。
 さて肝心の「翔ぶが如く」ですが、今回「西郷南洲伝」下巻の「征韓論争」編・「西南戦争」編を執筆するに当たって、その出発点に当たるこの作品を読み返すことはほとんどありませんでした。この記事を書くに当たっても、読み返すことをしていません。
 というのはいろいろ理由はありますが、この作品は、いろいろな史料やエピソードを豊富に扱っているのですが、その史料に対する解釈がいい加減で、思い込みや偏見が甚だしく、参考になるところが少ないからです。
 これは結局司馬遼太郎の中の敗戦のトラウマが大きな要因となっているように思います。彼が「この国のかたち」の中で言ったように、戦中・戦前の日本に対する「あんな時代は日本ではない」という思いが、戦前・戦中の悲惨な体験を連想させるものに対する拒絶反応となって表れているようです。
 彼は自ら明治維新の礼賛者と称していますが、大東亜戦争の敗北とは、明治国家の敗北であり、守成の失敗であったということに思い至っていないようです。あくまでも明治維新の結果成立した国家の結末として昭和があるのです。明治と昭和の日本の歴史を切り離して考えるというのはご都合主義以外の何物でもありません。
 ですから、彼の明治維新に対する理解は、戦後的感覚から見た表層的なものに止まっており、坂本龍馬は書けても、その核心的存在の一人である西郷隆盛は書けませんでした。そのどちらかといえば理解しやすい坂本龍馬でさえも実像とはかなり違うものでした。
 あれは小説だからと言ってしまえばそれまでですが、司馬遼太郎はやはり彼の原点であるノモンハン事件について書くべきだったのではないでしょうか。彼はノモンハン事件について書こうと史料を収集していたといいますが、死後、文藝春秋社より出版された講演録を集めたものを読むと、精神衛生に悪い、あんなもの書いたら死んじゃうよと言って書かなかったといいます。もちろん敗戦のトラウマを考えると感情的には同情すべき点はあるのですが、自分の宿命から逃げたという評価は酷でしょうか。それでもあえて書く準備をしていたということは自らの宿命と捉えていたということでしょう。
 朱子は白刃を見て逃げるものはどうにもならないといいましたが、司馬遼太郎にとってノモンハン事件は彼の精神に突きつけられた白刃と言っていいような位置づけではなかったでしょうか。
 もちろんこれは作家あるいは小説家としての彼の名誉を傷つけるものではありません。しかし公に言葉を発し、かなりの影響力を持つ公人としての評価から言えば、必ずしも酷ではないように思えます。また歴史家あるいは思想家としてもこの評価は必ずしも酷ではありません。真実に迫るのが歴史家の仕事だからです。見たくないものでも直視し、これを公に発する勇気こそが求められるのが、歴史家であり、思想家なのです。
 もし直視し得ないのなら、それについては意見を差控えるか、沈黙するのが公人としてのマナーというものです。
 日本の歴史を愛すると称しつつ、戦前の日本に対して「一人のヒットラーも出さず、こんな馬鹿なことをした国はない」(『この国のかたち』)と放言するということほど、日本の歴史を侮辱する行為はないでしょう。戦時中の日本がヒットラーのユダヤ人虐殺に匹敵する民族浄化を行ったと言っていることになるのですから、そうとしか言いようがありません。
 そうでいながら彼はやはり戦前の日本の歴史の恩恵を多大に蒙っています。
 彼の出世作の一つに『国盗り物語』があります。面白い作品ですが、実はこの作品の種本になったのは、戦後、史伝文学を復活させた海音寺潮五郎の『武将列伝』にある斉藤道三編でした。海音寺は志操の高い作家で、史伝文学復活の露払いを以て自ら任じていた彼は、自分の作品が野心的な後進作家の種本にされることに対し、著作権侵害というようなけちなことは申しませんと公言していました。文芸評論家の磯貝勝太郎氏が『国盗り物語』の種本は海音寺の『武将列伝』ではないかと司馬本人に質したところ、「海音寺さんは、それを利用しても文句を付けませんからね」(『悪人列伝 古代編』解説)と答えたそうです。今手許にある文春文庫版「武将列伝」第六巻を見ると、この解説は司馬遼太郎が担当しているのですが、海音寺の作品の世話になったことなどはおくびにも出していません。解説とも何ともつかぬ、奇妙なことをだらだらと書いています。
 もちろん歴史小説というものが歴史という幾分の伝統に依拠したものである以上、本歌取りをしたとしてもそれは不名誉なことではありません。そこにどのような独創を加えたかが、その人の才能・力量として問われるのです。もちろん司馬が歴史小説家として巧者であることは論をまちませんが(海音寺も司馬を天才として高く買っていました)、その全てにおいて自らの独創であるかのような顔をしているのは、何とも解せぬところです。「武将列伝」という、自らが世話になった作品の解説を書く機会を与えられていながらそうなのですから、そう解釈せざるをえないのです。海音寺の堂々とした態度と比較してみると、司馬の功利主義的な態度は際立ってくるのではないでしょうか。
 同じように、彼がそれについて語っているのを目にしたことはありませんが、『翔ぶが如く』を含む、彼の明治維新を扱った作品にも実は種本があるのです。(つづく)
 

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