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身を修し己れを正して、君子の体を具うるとも… 【西郷南洲王遺訓解説】 第四十一条
身を修し、己れを正して、君子の体を具うるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。たとえば数十人の客不意に入り来たらんに、たとえ何程饗応したく思うとも、兼ねて器具調度の備えなければ、ただ心配するのみにて、取り賄うべき様あるまじきぞ。常に備えあれば、幾人なりとも、数に応じて賄わるるなり。それ故平日の用意は肝腎ぞとて、古語を書いて賜りき。 ...続きを見る

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2017/08/11 17:04
翁に従いて、犬を駆り、兎を追い… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第四十条
翁に従いて、犬を駆り、兎を追い、山谷を跋渉して終日猟り暮らし、一田家に投宿し、浴終わりて、心神いと爽快に見えさせ給い、悠然として申されけるは、君子の心は常にかくの如くにこそ有らんと思うなり。 ...続きを見る

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2017/08/04 17:05
今の人、才識あれば… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十九条
今の人、才識あれば事業は心次第に成さるるものと思えども、才に任せて為す事は危うくして見て居られぬものぞ。体ありてこそ用は行わるるなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様になりたりとて嘆息なされ、古語を書いて授けらる。 ...続きを見る

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2017/07/31 17:24
世人の唱うる機会とは… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十八条 @
世人の唱うる機会とは、多くは僥倖の仕当てたるを言う。真の機会は、理を尽して行い、勢を審らかにして動く、と云うに在り。平日、国、天下を憂うる誠心厚からずして、ただ時のはずみに乗じて成し得たる事業は、決して永続せぬものぞ。 ...続きを見る

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2017/07/21 17:07
人を籠絡して陰に事を謀る者は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十五条
人を籠絡して陰に事を謀る者は、好しその事を成し得るとも、慧眼よりこれを見れば醜状著しきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば、英雄の心は決して攬(と)られぬものなり。 ...続きを見る

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2017/06/30 17:02
平日道を踏まざる人は事に臨みて… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十三条
平日道を踏まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬものなり。譬えば、近隣に出火あらんに、平生処分ある者は動揺せずして、取仕末(とりしまつ)も能く出来るなり。平日処分なき者は、ただ狼狽して、なかなか取仕末どころにはこれなきぞ。それも同じにて、平生道を踏み居る者にあらざれば、事に臨みて策は出来ぬものなり。予、先年出陣の日、兵士に向かい、我が備えの整不整を、ただ味方の眼を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝いて見よ、それは第一の備えぞと申せしとぞ。 ...続きを見る

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2017/06/16 17:08
道を志す者は偉業を貴ばぬものなり… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十二条
道を志す者は偉業を貴ばぬものなり。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言うべからざる事なしと申されたり。独りを慎むの学、推して知るべし。人の意表に出て一時の快適を好むは未熟の事なり。戒むべし。 ...続きを見る

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2017/06/09 17:24
道を行う者は、天下挙って毀るも足らざるとせず… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十一条
道を行う者は、天下挙って毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙って誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故なり。その工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。   ...続きを見る

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2017/06/02 17:01
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十条
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。されども、かようの人は凡俗の眼には見得られぬぞ、と申さるるに付き、『孟子』に「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」と云いしは、今仰せられし如きの人物にや、と問いしかば、いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は... ...続きを見る

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2017/05/26 16:51
道を行う者は固より困厄に逢うものなれば… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十九条
道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の正否、身の死生などに、少しも関係せぬものなり。事には上手下手あり、物には出来る人出来ざる人あるより、自然心を動かす人もあれども、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上下下手もなく、出来ざる人もなし。故にひたすら道を行い、道を楽しみ、もし艱難に逢うてこれを凌がんとならば、いよいよ道を行い、道を楽しむべし。予、壮年より艱難という艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会うとも、動揺は致すまじ。それだけは仕合せなり。 ...続きを見る

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2017/05/19 16:40
道を行うには尊卑貴賤の差別なし… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十八条
道を行うには尊卑貴賤の差別なし。摘まんで言えば、堯舜は天下に王として万機の政事を執り給えども、その職とする所は教師なり。孔夫子は魯国を始め、何方へも用いられず、しばしば困厄に逢い、匹夫にて世を終え給いしかども、三千の徒皆道を行いしなり。 ...続きを見る

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2017/05/12 17:30
過ちを改むるに、自ら過ったとさえ思い付かば… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十七条
過ちを改むるに、自ら過ったとさえ思い付かば、それにて善し。その事をば棄て顧みず、直ちに一歩踏み出すべし。過ちを悔しく思い、取繕わんとて心配するは、譬えば茶碗を割り、その欠けを集め合せ見るも同じにて、詮もなきことなり。 ...続きを見る

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2017/04/28 17:57
己れを愛するは善からぬことの第一なり 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十六条
己れを愛するは善からぬことの第一なり。修行の出来ぬも、事の成らぬも、過ちを改むる事の出来ぬも、功に伐(ほこ)り、驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬものなり。 ...続きを見る

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2017/04/21 16:51
人を相手にせず、天を相手にせよ 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十五条
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。 ...続きを見る

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2017/04/17 17:17
道は天地自然の物にして、…天を敬するを目的とする 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十四条
道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とする。 天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり。 ...続きを見る

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2017/04/14 17:37
学に志す者… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十三条
学に志す者、規模を宏大にせずばあるべからず。さりとて唯ここにのみ偏倚すれば、或いは身を修するに疎かに成り行くゆえ、終始己れに克ちて、身を修するなり。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよ、と古語を書いて授けらる。 ...続きを見る

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2017/04/07 17:01
己れに克つに、事々物々、時に臨みて… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十二条
己れに克つに、事々物々、時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼ねて気象を以て克ち居れよ、となり。 ...続きを見る

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2017/04/07 17:00
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十一条
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は「意なく、必なく、固なく、我なし」(『論語』)と云えり。  総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人、その事、大抵十に七八までは能く成し得れども、残り二つを終わりまで成し得る人の稀なるは、始めは能く己を慎み、事をも敬するゆえ、功も立ち、名も顕るるなり。功立ち名顕るるに随い、いつしか自ら愛する心起こり、恐懼・戒慎の意弛み、驕矜の気漸く長... ...続きを見る

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2017/03/31 18:15
何程制度方法を論ずるとも、その人に非ざれば行われ難し 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十条
何程制度方法を論ずるとも、その人に非ざれば行われ難し。人ありて後、方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、己れその人に成るの心がけ肝要なり。 ...続きを見る

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2017/03/24 18:40
古より君臣共に己れを足れりとする世に…【西郷南洲翁遺訓解説】 第一九条
古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るるものなり。己れを足れりとすれば、人、己れの非を言えばたちまち怒るゆえ、賢人君子はこれを助けぬなり。 ...続きを見る

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2017/03/17 18:01
国の凌辱せらるるに当りては… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第十八条 @
談、国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるるに当りては、たとえ国を以て斃るるとも、正道を踏み、義を尽くすは政府の本務なり。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、ただ目前の苟安を謀るのみ。戦の一字を恐れ、政府の本務を堕しなば、商法支配所と申すものにて、さらに政府には非ざるなり。 ...続きを見る

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2017/02/17 17:09
正道を踏み、国を以て斃るる・・・ 【西郷南洲翁遺訓】 第十七条
正道を踏み、国を以て斃るるの精神なくば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、交親却って破れ、終に彼の制を受くるに至らん。 ...続きを見る

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2017/02/10 17:37
節義廉恥を失いて、国を維持するの道決してあらず 【西郷南洲翁遺訓解説】 第十六条
節義廉恥を失いて、国を維持するの道決してあらず、西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨みて利を争い義を忘るる時は、下皆これに倣い、人心忽ち財利にはしり、卑吝の情日々長じ、節義廉恥の志操を失い、父子兄弟の間も銭財を争い、相讐視するに至るなり。かくの如く成り行かば、何を以て国家を維持すべきぞ。  徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔時戦国の猛士よりなお一層猛き心を振るい起こさずば、万国対峙は成るまじくなり。普仏の戦、仏国三十万の兵、三カ月糧食ありて降伏せしは、あまり算盤に精しき故なりと... ...続きを見る

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2017/02/03 16:54
常備の兵数もまた… 【西郷南洲翁遺訓】 第十五条
常備の兵数もまた、会計の制限に由る。決して無根の虚勢を張るべからず。兵気を鼓舞して精兵を仕立てなば、兵数は寡(すくな)くとも、折衝禦侮ともに事欠くまじくなり。 ...続きを見る

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2017/01/27 17:15
文明とは… 【西郷南洲翁遺訓解説】 十一条
文明とは道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うには非ず。世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やらちっとも分からぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り。西洋は野蛮じゃと云いしかば、否文明ぞと争う。否野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれ程に申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして、未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、己を利するは野蛮じゃと申せしかば、その人口を莟(つぼ)めて言無かりき... ...続きを見る

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2016/12/23 17:26
人智を開発するとは… 【西郷南洲遺訓解説】 第十条
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽くし、家に勤むるの道明らかならば、百般の事業は従て進歩すべし。あるいは耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、何故、電信鉄道のなくては叶わぬぞ、欠くべからざるものぞ、というところに目を注がず、みだりに外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至るまで、一々外国を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外あるまじきなり。 ...続きを見る

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2016/12/16 17:19
忠孝仁愛教化の道は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第九条
忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙に弥(わた)り易(か)うべからざるの要道なり。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別なし。 ...続きを見る

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2016/12/09 17:15
広く各国の制度を採り、開明に進まんとならば… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第八条
 広く各国の制度を採り、開明に進まんとならば、先ず我国の本体をすえ、風教を張り、然して後、徐(しず)かに彼の長所を斟酌するものぞ。否(しか)らずして彼に倣いなば、國體は衰頽し、風教は萎靡して匡救(きょうきゅう)すべからず。遂に彼の制を受くるに至らんとす。 ...続きを見る

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2016/12/02 17:06
事大小となく、正道を踏み、至誠を推し… 【西郷南洲遺訓解説】 第七条
 事大小となく、正道を踏み、至誠を推し、一時の詐謀を用うべからず。人多くは事の差し支ゆる時に臨み、作略を用いて、一旦その差し支えを通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思えども、作略の煩いきっと生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以てこれを行えば、目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きものなり。 ...続きを見る

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2016/11/25 16:48
人材を採用するに、君子小人の弁、酷に過ぐる時は… 【西郷南洲翁遺訓解説】第六条
人材を採用するに、君子小人の弁、酷に過ぐる時は却って害を引き起こすものなり。その故は開闢以来世上一般、十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、その長所を取り、これを小職に用い、その才芸を尽くさしむるなり。東湖先生申されしは「小人ほど才芸ありて用便なれば、用いざればならぬものなり。さりとて長官にすえ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」となり。 ...続きを見る

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2016/11/16 07:45
幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し… 【西郷南洲翁遺訓解説】第五条
或る時、「幾歴辛酸志初堅 丈夫玉砕愧甎全 一家遺事人知否 不為児孫買美田(幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を愧ず、一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず)」との七絶を示されて、若しこの言に違いなば、西郷は言行反したるとて見限られよ、と申されける。 ...続きを見る

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2016/11/08 17:05
万民の上に位する者… 【西郷南洲翁遺訓解説】第四条
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじきなり。今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、頻りに涙を催されける。 ...続きを見る

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2016/10/31 17:01
西郷隆盛の命日 (平成二十八年九月二十四日)
現在、何か一巡したような気がしている。 ...続きを見る

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2016/09/24 18:25
国体論者としての山陽…頼山陽 A (「江戸期の学問の大河」 その十三)
 頼山陽の代表的二著作『日本外史』『日本政記』は後世に大きな影響を及ぼした。  維新回天に大きく貢献するのみならず、彼の国体観から導かれた統帥権の問題は日清、日露と続く、明治日本の軍事的成功に大きく貢献し、明治憲法に規定された統帥権理解・運用の前提知識となっていたし、これを忘れた昭和の指導者たちの「統帥権干犯」問題という混乱を引き起こす基となった。 ...続きを見る

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2016/08/30 17:21
名文家としての山陽…頼山陽 @ (「江戸期の学問の大河」 その十三)
老中を辞した松平定信は、白河藩の藩政に専念し、善政を行って領民に名君として慕われたが、文化九年(一八一二)、家督を長男に譲って、隠居生活に入ってからは、藩政を掌握しつつも、楽翁と称し、文芸を愛し、花鳥風月を楽しみながら悠々自適の生活を行っていた。  文政十年(一八二七)、六十八歳の時、ある文士の名声を耳にし て、その著作を求めた。  頼山陽の『日本外史』である。 ...続きを見る

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2016/08/24 17:03
藤田東湖…後期水戸学 B (「江戸期の学問の大河」 その十二)
 藤田東湖は幕末、水戸藩公の懐刀として活躍し、戸田篷軒と並んで水戸の両田と称された。幕末の水戸藩を代表する人物の一人である。  東湖は幽谷の次男であるが、長男が早世したため、嗣子として育てられ、この偉大な父からは大きな学問的影響を受けた。文政七年、イギリスの捕鯨船員が大津浜に上陸した際には、父からイギリス兵を斬るよう密命を受け、死を覚悟したことがあった。 ...続きを見る

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2016/08/20 16:33
会沢正志斎…後期水戸学 A (「江戸期の学問の大河」 その十二)
 藤田幽谷は水戸学中興の人物であった。  われわれが幕末を動かした尊王攘夷運動の源泉としての水戸学として想起する思想内容は、幽谷とその弟子たちによって作られたものを指すが、その代表的なものが会沢正志斎『新論』であり、徳川斉昭『弘道館記』であり、これを説明補足した藤田東湖『弘道館記述義』である。これらの書物は志士たちに広く読まれた。 ...続きを見る

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2016/08/16 16:44
藤田幽谷…後期水戸学 @(「江戸期の学問の大河」 その十二)
 定信が幕政改革に従事した頃の水戸学の質的変化について話を移していきたい。 ...続きを見る

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2016/08/11 16:35
定信の出処進退…松平定信の異端禁制 C (「江戸期の学問の大河」 その十一)
 これまで見てきたように、尊号事件は、すでに家康以来二百年近い徳川家の学問的伝統を背景に持つ定信の徹底した朱子学的リゴリズムが、儒学を大らかに受容してきた、徳川家よりはるかに長い歴史と伝統を持つ朝廷を咎めた事件であった。 ...続きを見る

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2016/08/05 17:09
高山彦九郎の場合…松平定信の異端禁制 B  (「江戸期の学問の大河」 その十一)
尊号事件の処分が終わった頃、一人の草莽の尊王家が自害を遂げている。  林子平、蒲生君平と並んで、寛政三奇士と称された高山彦九郎である。 ...続きを見る

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2016/08/01 16:33
尊号事件…松平定信の異端禁制 A (「江戸期の学問の大河」 その十一)
定信が非常の覚悟を以て幕政を根本から正す政策に取り組んだ矢先に持ち上がったのが、いわゆる尊号宣下の問題であった。 ...続きを見る

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2016/07/26 17:00
松平定信の異端禁制 @(「江戸期の学問の大河」 その十一)
 松平定信が老中主席に抜擢される以前、幕政を牛耳ったのは、あの金権政治で悪名高い田沼意次であった。  田沼時代は幕府の財政再建を課題とする時代で、重商政策を取ったことから贈収賄が横行したとされる。が、これは幕府保守派から見ての批判で、政治家としては開明的な政策を採用した一種の豪傑であった。彼の父は紀州藩の足軽で吉宗が部屋住みだった時代に側近として仕えた経緯から、吉宗の将軍就任とともに旗本に取り立てられた。息子の意次は後の九代将軍家重の小姓に抜擢され、以後とんとん拍子に出世を遂げ、十代将軍家治時... ...続きを見る

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2016/07/21 17:01
宝暦事件顛末…朝廷の異端排除  (「江戸期の学問の大河」 その九)  
 山崎闇斎は江戸初期の民間儒者である。  彼はその学問を禅からスタートしたが、朱子学に接するに及んで、これを棄て、「朱子を学んで謬(あやま)らば、朱子とともに謬るなり。何の遺憾かこれあらん」とまで言って、朱子に傾倒していった。朱子学を批判した仁斎の住居、後の古義堂の、堀川を挟んで対岸側に塾を開き、学問的に対峙したのは象徴的である。 ...続きを見る

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2016/07/11 16:59
異端の禁制へ (「江戸期の学問の大河」 その八)
 朱子学を根底から批判した古義学・古文辞学、儒学そのものを根底から批判した国学の盛行は、ニーチェが「ルターは教会を再興したのであった、つまり彼は教会を攻撃したからだ」と喝破したように、朱子学を再興し、学問新展開の契機となっていくことになる。  その意味ではカトリックとプロテスタントの関係に似ている。 ...続きを見る

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2016/07/06 16:27
「やまとごころ」の極北 本居宣長 (「江戸期の学問の大河」 その七)
 しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花  ...続きを見る

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2016/06/28 17:15
豪傑儒・荻生徂徠 (「江戸期の学問の大河」 その六)
 徳川綱吉が抜擢した学者の中に、側近柳沢吉保の家来であった荻生徂徠がいる。まだ朱子学の影響下にあった徂徠だが、綱吉の在職中に起きた赤穂浪士の処分には徂徠の意見が採用されるなど、学者としての見識にはすでにただならぬものがあった。綱吉の死後、藩命により綱吉の伝記『憲廟実録』の編纂に関わっている。 ...続きを見る

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2016/06/22 07:54
犬公方・徳川綱吉の仁政 (「江戸期の学問の大河」その五)
 伊藤仁斎(寛永4年から宝永2年【1627−1705】)の思索が最も充実した時期は、「犬公方」こと、五代将軍徳川綱吉の治世(延宝8年から宝永6年まで在職【1680―1709】)に大きく重なる。  実は、江戸にいるこの特異な天下人は、仁斎と同じ観点から、すなわち仁義、慈愛の観点から天下を変えようと大胆な改革に臨もうとしていたのである。 ...続きを見る

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2016/06/16 08:22
伊藤仁斎の国体観 (「江戸期の学問の大河」その四)
 朱子学に対する批判から興ったいわゆる陽明学への傾倒から、林家から異端視されるに至った人物として、「近江聖人」こと中江藤樹や熊沢蕃山がいる。彼らは自立的な学問の道を切り拓いた人たちであるが、より徹底して、後世に大きな影響を与えた人物として、ここでは伊藤仁斎を取り上げたい。    仁斎は京都の材木商の息子で、終生、京都を離れず、市井にあって、京大坂を中心とする三千人を超える門弟を育てながら、学者として身を立てた。  小堀圭一郎氏は彼を「我国で最初の職業的学者」「日本型アカデメイアと呼ぶべき学... ...続きを見る

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2016/06/10 15:55
水戸学の源流 光圀の屈折 (「江戸期の学問の大河」その三)
 全てが全てというわけではないが、シナの学問である朱子学に傾倒した儒者が神道的なものと習合していくのは不思議といえば不思議である。 ...続きを見る

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2016/05/30 16:25
徳川家康の側近が遺した思想書 (「江戸期の学問の大河」その二)
 江戸時代初期には、家康のブレーンが著したとされる書物が、世間に流布した。豊国廟の社僧にして吉田神道との関係も深い神龍院梵舜が著したと推定される『心学五倫書』、藤原惺窩(梵舜の実兄・吉田兼見の猶子であった)が著したとされる『仮名性理』、家康の政治面における顧問であった本田佐渡守正信が二代将軍秀忠の求めに応じて著したとされる『本佐録』などである(『本佐録』については同内容で藤原惺窩が著したとされる文書も存在する)。 ...続きを見る

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2016/05/24 16:49
徳の川の源流 (「江戸期の学問の大河」 その一)
 政治学者渡辺浩氏の『日本政治思想史[十七〜十九世紀]』によれば、「儒学は、人類がこれまで築いた、おそらく最強の体系的政治イデオロギーである」という。 ...続きを見る

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2016/05/18 16:04
ニーチェが登った階段
西尾幹二氏によると ...続きを見る

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2015/12/25 18:13
ニーチェと論語   (『神になった悲劇人 最晩年のニーチェ』 補論)
近代を駆け抜けたトップランナーであったニーチェの行き着いた先が、彼自身が発見(再発見)し、それを利用してきたディオニュソス神への深い信仰と陶酔の世界であった、というのは、われわれが行き着くべき場所を暗示していないだろうか。 プロテスタントの牧師の家に生まれながら無神論者で、スイスのバーゼル大学に赴任して以来、ドイツ国籍を捨てて無国籍者となったニーチェは、高等学校(ギムナジウム)で学んだギリシャ古典の世界を思想的ルーツとし、そこから酌み出したエッセンスによって世界を見ようとし、その行き着くと... ...続きを見る

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2015/12/14 16:16
皇室と『論語』 【五】   (「西尾幹二氏への数言 (六)」)
紀貫之は「仮名序」で、和歌の作用の一つに、鬼神をあはれと思わせる、つまり鬼神を感動せしむる、と述べたわけだが、『論語』にはこの鬼神について孔子が論じた数条がある。 ...続きを見る

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2013/05/05 16:00
日本文明の二重性
 西尾幹二氏を中心とする現代史研究会メンバーによる討論を見て、興味深いことが語られていたので紹介したい。  西尾氏自身、歴史は未来から来るものであり、我々が動けば歴史は動く、というだけあって、現在の国際政治を意識しながら、歴史を深く掘り下げた内容の濃い討論となっている。 ...続きを見る

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2013/04/30 10:23
転がらぬ岩
 西尾幹二氏の一言に端を発して書き始めた「皇室と『論語』」はようやく核心に入ろうとしているが、文章がなかなかまとまらない。 ...続きを見る

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2013/04/27 18:15
皇室と『論語』 (四)  
明治大帝を模範とされた昭和天皇は、この祖父が天地神明に誓われた「五箇条の御誓文」の精神を重んじられ、敗戦後、初めての国民への詔書(いわゆる「人間宣言」)で、新生日本建設の指針として「五箇条のご誓文」を掲げられたが、そのご誓文の原案の起草者であった由利公正は、それが四書の思想に由来することを自伝で告白している。 ...続きを見る

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2013/04/18 07:36
今なぜ皇室と『論語』について書くのか
『西郷南洲伝』「維新初政」編 「薩摩藩邸焼き討ち」をブクログにて追加配信いたしましたのでお知らせいたします。 ...続きを見る

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2013/04/15 17:39
さくら
 さくらが咲いている。 ...続きを見る

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2013/04/01 06:51
皇室と『論語』 (参)  
 「道」は過去と己を結ぶものであると同時に、未来へと続くものである。  現在はその間に存在する。  そして、現在にあって「道」は生きるしるべ(導・標・知る辺)となる。 ...続きを見る

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2013/03/25 17:39
皇室と『論語』 (弐)
 西尾氏に対しては、まさに釈迦に説法のような話が続くことになるが、「動かぬ真実を探しても無駄」との一言で戸惑った自分の考えをまとめるために書いている。戸惑ったのは、むしろ真実と信じていたものが意外と簡単に揺らいだことにあったかもしれない。  だから、この文章を書く目的は、西尾氏の見識に対する批判というよりも、日頃よく読んでいる西尾氏の言論の胸をお借りして、拙くとも自己の考えを明らかにしておく、というところにある。 ...続きを見る

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2013/03/21 15:55
皇室と『論語』 (壱)  (「西尾幹二氏への数言」【その弐】)
 ところで、卓爾たる西尾氏の言論の立つる所とは一体何なのだろう。  これはいつも西尾氏の著作の通読後に残る余韻である。  山の実体を信じ、地の道をてくてく歩いていこうとしている自分には、なかなかつかみにくい。  そんな大地からの目線で、西尾氏の志を忖度するなら、その意識において、近代西洋文明そのものと対峙し、これを乗り越えようとしているかのように見受けられる。  だが、これも西尾学の本道を歩いていけば、その風景色彩を変えていくかも知れない。  それを承知で読んでいただきたいのだが、氏は... ...続きを見る

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2013/03/15 12:06
西尾幹二氏への数言 【その壱】
 西尾幹二氏に「西郷隆盛さん」とからかわれた。   西郷真理教の信者さんよ、そんなところに、いや、聖なるもののどこを探しても、動かない真実などありはしないのだよ。  そういうことだろう。 ...続きを見る

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2013/03/07 07:57
西尾幹二氏の一言
 『西郷南洲伝』今月分配信が遅れてご迷惑をおかけしております。  しばらくお待ち下さい。 ...続きを見る

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2013/03/03 18:24
日本人と『論語』 
 前々回の記事で紹介したブログ『ねずさんのひとりごと』に面白い記事を見つけたので紹介したい。 ...続きを見る

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2013/02/21 06:34
保守の限界
 いわゆる「保守」は反共産主義であった経緯から、基本的に反中国であり、そういった面から支那の政治・歴史・文化に詳しい知識人も多く、支那における儒教への理解から、儒教体制、延いては儒教思想そのものに対する嫌悪感が強い。 ...続きを見る

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2012/06/04 09:07
「保守」とは何か
 少し前の論文になるが、西尾幹二氏の「日本には『保守』は存在しない。」という論文を紹介したい。 ...続きを見る

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2012/05/25 11:48
絶望の果てのかすかな希望
以下の討論番組を見て感じた事を書いておくことにする。 『日本よ、今・・・闘論!倒論!討論!2011』 ...続きを見る

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2011/11/08 17:19
中国 二歳児ひき逃げ事件
 中国からの移民が増え続ける日本。   これら中国人と付き合って行くには、その民族性を知っておく必要がある。日本人とは全く違う世界観に生きている人々であることは、常識として知っておかなければならないだろう。 ...続きを見る

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2011/10/21 11:50
野田「どぜう鍋」内閣の不義、不仁
 野田「どぜう鍋」内閣の不義、不仁を言って、出揃った大臣の不義、不仁を一人一人論うまでもないので他に譲ることにする。  ここでは、保守を看板とし、これまでの発言から、一部保守層の期待を集めていると思われる野田首相に焦点を絞って論ずることにする。 ...続きを見る

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2011/09/15 10:46
平成二十三年、一年の計 J
 以前書いたように(「平成二十三年、一年の計 E」)、本物の創造的発展とは、人間に備わった精神の自然の働きによる思・慮・謀の螺旋的運動であるから、理に当たって後進み、勢を審らかにして後動く、というものでなければならない。  これを阻害しがちな激動の時代を迎えて、時勢はどのように展開していくのかわからないが、所詮は、非力な浪人志士に過ぎない、己れの分を尽くして行くほかない。     特定のイデオロギーにすがるような、そのイデオロギーに卑小な自分を隠しこむような、そんな安易な生き方では創造的発... ...続きを見る

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2011/06/02 06:33
詩楽の伝統から維新へ (その三)
 岩倉具視は、連綿として続く万世一系の皇室を根源とする、万国に冠絶した純正淳朴の美政、礼楽征伐が、日本本来のあり方であり、古代からの理想であることを述べた上で、中葉以降の武家政治のあり方を批判した。  これは、慶応三年十月当時、統治能力を欠いて、失政を繰り返す徳川幕府に対する批判として表出した伝統思想であったことを縷々述べてきたつもりである。  我々が読み取る能力を失った、岩倉の主張の思想的、歴史的背景に、村上源氏および和儒学の連綿たる伝統があったことをはじめて知った方も多いと思うが、彼の主... ...続きを見る

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2010/03/30 19:19
詩楽の伝統から維新へ (その二)
 話を宝暦事件に戻そう。  竹内式部は先の孔子の言葉を引いて、幕府もそろそろ十世だから(徳川幕府は、諸侯中の大なるものであり、盟主である)、秩序が失われる、だから、朝廷に礼楽征伐を主宰出来るように、主な権力を奉還すべし、という趣旨のことを説いて、少壮の公家を感奮させた。  困惑した朝廷は、京都所司代に訴えた。竹内式部は、取調べに際し、『論語』の先の条を述べ、これは幕府のためでもあると言ったため、幕府のほうでも困惑せざるを得なかった。  結局、彼は京都を追放されることになるのだが、尊皇思想に... ...続きを見る

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2010/03/21 09:12
詩楽の伝統から維新へ (その一)
 ここまでの話で、詩学を基礎とする礼楽が、社会を調和し、秩序付ける効用を持つという孔子の考えは理解できるかと思う。  これを踏まえて、孔子は、「天下道あれば、すなわち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、礼楽征伐、諸侯より出ず。・・・」云々と言ったのである。 ...続きを見る

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2010/03/16 09:49
詩と楽 (その一)
 ここしばらく明治維新から戦前にかけて、広く国民に共有されてきた音楽について触れてきたわけだが、別に懐古趣味に陥ったというわけではなく、音楽が国民によって共有されることの意味に付いて考えるところがあったからである。    幕末の志士たちの多くが、和歌や漢詩を嗜んでいるが、これは江戸時代の武士階級あるいは教養人の多くが、これらに親しんできたことの延長線上にある。当然その継承発展社会である明治日本でもその傾向は変わらなかった。  明治になって西欧風の楽曲に乗せられて、普及した「君が代」に代表さ... ...続きを見る

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2010/03/03 17:24
皇室の理想像 (その二)
 以上の歴史的背景を踏まえれば、その中心に皇室を据えて、重厚にして、重層的な構造を持つ日本の伝統において、江戸時代のストイックな学問的成果をすっ飛ばして、いきなり近代的天皇像と古代を結びつけようとすれば、所功氏のように、感傷的なアナクロニズムに陥るのはある意味当然と言えよう。  だが、こうした民の意志と運動によって成った皇室復興の歴史過程は、皇室の伝統を崇敬している諸氏が常に心に留めておかなければならないことのはずだ。  感情的にはともかく、公の議論としては、この歴史過程を踏まえ、それを追体... ...続きを見る

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2009/05/19 16:38
 皇室の理想像 (その一)
 ここまで所功氏の諸論を、その姿勢・思想にまで踏み込んで、批判してきたわけだが、やたら『論語』の言葉を引用して、その問題点を指摘・批判してきたことに、違和感を覚える人がいるかもしれない。  確かに左の価値観に毒されている人には、こういった批判は念仏にしか聞こえないであろう。彼らの多くは、新しいものを無条件に進歩的で正しいと信じ、古いものが今ここに伝わっていることの意味を考えない。古きを温めて新しきを知るではなく、目新しき物に古い物を従属せしめようとしている者たちである。  しかし、所氏はそう... ...続きを見る

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2009/05/15 13:45
所功氏へのご忠言 (その二)
 現代のこの日本においては、人に死を覚悟して発言せよ、などと誰も強制できはしないし、それは許されないことである。  もし、それでも所氏が、皇室への忠言には死の覚悟が必要と言うなら、ご自身がそうされればよい。  しかし、これまで検証して来た氏の発言内容から言えば、伝統の切捨てに何のためらいもなく、万一の場合、伝統が根本的に変質した皇室と共に歩んでいくことになるであろうことを思えば、そんな事態は起こらないであろうし、仮にそういう事態に直面しても死諫という形にはならないのではあるまいか。  人は... ...続きを見る

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2009/05/11 09:06
所功氏へのご忠言 (その一)
 所功氏は、西尾幹二氏に対し、忠言を行なうならば、菅原道真がそうしたように、死を覚悟して、しかも本人に対し行うべきだと言った。  道真公の事例が不適切であることはすでに指摘したが、その主張も、忠言のあり方を問う人間としては、中途半端であり、不適切極まりない。  なぜなら、忠言・諫言とは、主君に対する誠心から発せられるものであると同時に、義の主張でなければならないからだ。義とは伝統的規範から見た義(ただ)しいことである。  ところが、そこのところ、ところ氏は、引用した部分を一読して分かるよう... ...続きを見る

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2009/05/08 13:18
織田信長と論語 (南洲翁遺訓解説 「天地自然の道」補記)
 織田信長が『論語』を読んでいたなどというのはありそうもない話だ。  実際、私の知る限りでも、彼が『論語』を読んだなどという記述に接したことがない。それどころか、彼の言動はことごとく非『論語』的と言ってよいほどである。 ...続きを見る

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2009/03/24 07:13
論語
何年か前のこと。 呉智英氏の『現代人の論語』が文芸春秋社から出た。 著者の呉氏は、自ら封建主義者を名乗るだけあって、江戸時代の価値規範の軸であった『論語』をこよなく愛する人である。今はどうか知らないが、何年か前までは、「以費塾」という『論語』を講ずる塾を、思想家の浅羽通明氏と運営していた。 ...続きを見る

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2009/03/18 16:55
天地自然の道 (その三) (南洲翁遺訓解説 2-5)
 今回は前回に引き続いて、明治維新を用意した、天道思想の源流について触れたい。 ...続きを見る

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2009/03/11 06:43
天地自然の道 (その二) (南洲翁遺訓解説 2-4)
廟堂に立ちて大政を為すは天道を行なうものなれば、いささかとも私を挟みては済まぬものなり。… ...続きを見る

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2009/03/07 07:04
天地自然の道 (その一) (南洲翁遺訓解説 2-3)
忠孝仁愛教化の道は、政治の大本にして、万世に亙(わた)り、宇宙に彌(わた)り易(か)うべからざるの要道なり。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別なし。 ...続きを見る

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2009/03/03 10:07
(続)丹養塾
 前回紹介させていただいた丹養塾に関して、インターネット上で見つけていただいた記事です。丹養塾の事を教えてくれた方が見つけて下さりました。  伝統的教育法の成果の一端を窺うことのできる、とても味わい深い記事ですので紹介させて頂きます。 ...続きを見る

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2008/07/07 09:40
丹養塾
 最近、ある方に、伊丹で寺子屋教育を行ってきた丹養塾の存在を教えて頂きました。私塾を開くことを考えて、準備を進めつつあったこともあって、また伊丹が今住んでいる芦屋から大変近いところにあることもあって、大変興味を抱きました。 ...続きを見る

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2008/07/06 12:13
サイト開設のご案内
 サイトを開設いたしました。  趣旨は基本的にこのブログと同じですが、もう少し一般の方にも入って来やすい内容にしたいと考えています。  まだ不十分な内容ですが、興味のある方はのぞいて見て下さい。    http://inagaki-hideya.jp/ ...続きを見る

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2008/05/26 21:03

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