西郷隆盛

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zoom RSS インテリジェンスについて @ 草莽における日本化された儒教

<<   作成日時 : 2018/07/07 17:12   >>

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 今回もインテリジェンスについて考えてみたいのですが、やはり前回同様、宮崎正弘氏の「国際ニュース・早読み」を取り上げてみたいと思います。

 筆者はこの、登録さえしておけば、毎日のように配信されてくる国際情報及びその分析を、驚嘆の念をもって拝読させていただいていて、現在の激動する国際情勢に関心のある方にはぜひ参考にしていただきたいと思っているのですが、一方で、日本の歴史に対する理解ということになると、たまに首をかしげたくなるようなことが書かれていて、国際情勢に対する鋭い分析とのギャップにもどかしさを感じることがあります。

 同じく保守の西部邁氏ほどではないにしても、その鋭いインテリジェンスが日本の歴史や伝統の方面には十分発揮されていないと感じられるのです。
 もちろんこれは保守言論人としての彼らの評価を貶めるものではなく、保守【コンサバティブ】とカテゴライズされる、歴史や伝統を重視する西欧伝来の思想が、日本の思想家によって未だ十分消化しきれていないところから来るもので、日本の歴史や伝統と西欧保守思想という接ぎ木が十分接合しきれていないことによるものだと筆者は考えています。

 筆者にとって左翼・グローバリズム思想とは似非宗教であり、サヨク・リベラルとは様々なデザインがプリントされた安物のTシャツのように感じられ、あまり参考にすることはありませんが、保守については、浅くは日本国民の生命と財産を守り、国益を図るという点で、深くは日本の歴史と伝統を愛し、これを守るという点でシンパシーを持ち、その見解を尊重しますが、筆者自身は西欧の保守思想を真剣に学んだこともなく、自己を保守と称したこともありません。

 筆者は、多くの保守言論人が日本あるいは日本人というものを象徴する人物として称賛する西郷隆盛という人物について、若いうちに徹底的に考えておくべきだと考え、三十代でそれを為してからは、その西郷という人物が背負っている伝統についてひたすら考えてきた人間です。

 とんだ時代錯誤ですが、日本が明治の開国以来の近代化と大東亜戦争の敗戦後遺症から本当に立ち直り、独自の文明として発展していくうえで、どうしても避けて通れない必要な思考作業を先取りしているつもりです。
 そして、もしかしたら自分はそれを理解し、成し得る最後の人間かもしれない、という、読む人によっては多分に滑稽に感じられるであろう想いを懐いています。

 というのは、このインターネットやスマホ、果てはAIの時代に、徹底したアナクロニズムで生きようというのは、時流に乗ってベンチャー事業に乗り出したり、投資したりするより、よほどの勇気と覚悟を必要とするからです。

 このことは以下の宮崎氏の書評に対する批判をお読みいただければ、その一端をお分かりいただけるのではないかと思います。 



「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」【平成30年(2018年)7月1日(日曜日) 通巻第5744号】に黄文雄氏の著作『儒教の本質と呪縛』の宮崎氏の書評が掲載されています。

以下引用します。


儒教はなぜ世界的影響力を誇れなかったのか
  魅力に乏しく、自己中心の傲慢に導いた元凶が儒教ではないのか

  ♪
黄文雄『儒教の本質と呪縛』(勉誠出版)


 儒教は宗教ではないが、孔子廟があるように宗教的色彩を持っている。ただし、儒教には「あの世」がない点で共産主義と似ている、と黄文雄氏は言う。
 「儒毒」にどっぷりと染まったシナは、救いのない文化を、世界一などと自慢する。しかし日本は儒毒に染まらなかった。仏教と同時期に儒教は日本に輸入されたが、聖徳太子は仏教を国教として、儒教を顧みなかった。
なぜなら、そこに日本と中韓の文化の根本的差違があるからだ。
 ヘーゲルは儒教の道徳観は市井でみられる通俗的モラルでしかないという意味のことを書き残した。
 福沢諭吉は「儒教は後世に伝われば伝わるほど、人の知恵と徳性を徐々になくさせ、悪人と愚か者がますます多くなる。これからも儒教が世に伝わると、禽獣の世界となり、今日に生まれながら、甘んじて個人の支配をうける社会に停滞するしかない」。
 凄まじい儒教批判である。
 中江兆民は「江戸儒学も国学もいずれも真の学問ではない古代の陵墓を掘り起こしただけで、宇宙と人生の道理をわきまえていない」ともっと痛烈だった。
 津田左右吉は「儒教が日本化した事実はなく、儒教とは、どこまでも儒教であり、支那思想であり、文学上の知識であり、日本人の生活には入り込まなかったものである。だから、日本人と支那人とが儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想をつくり出しているとか考えるのは、まったく迷妄である」(『支那思想と日本』)

 たしかに江戸時代、官学は儒教、とりわけ朱子学だった。
それは社会の安定に都合の良い学問であったため利用しただけで、ところが朱子学をとなえた高名な儒学者等は、夜ともなると陽明学に親しんだ。
 山鹿素行、伊藤仁齋、荻生租来、そして熊沢蕃山、中江藤樹、この流れは吉田松陰、西?隆盛へと流れ込み、乃木大将、特攻隊、三島由紀夫へ迸った。この日本的陽明学は突き詰めていくと、シナの陽明学を超えて、日本独特のものである。

 さて現代中国は世界各地に「孔子学院」なるものを設置し、道徳を教えようとして嘲笑され、欧米では孔子学院はスパイ機関と攻撃され、一部は閉鎖に追い込まれた。
ほかの国でもせいぜいが中国語(マンダリン)を学ぶのに便利なところくらいの認識しかない。
「孔子平和賞」なるはノーベル平和賞に匹敵するものと中国共産党が宣伝したが、受賞した連戦も、プーチンも、いや村山富市も、ムガベ(前ジンバブエ大統領)も辞退するか、授賞式出席を『遠慮』した。
 ことほど左様に儒教は魅力がないのである。
 黄文雄氏はなぜ儒教の拡散力(すなわち影響力)が弱いかとして次の諸点を上げている。
(1)そもそも魅力がない
(2)漢字文明の限界がある
(3)官僚による独占

 かくして「儒教以外の思想や学問も、弾圧や度重なる大乱で多くが廃れ、散逸してしまっています。中国固有といえる文化や文明が、東洋以外の世界まで拡がることは殆どありませんでした」(31p)
 それは中華思想という自己中心主義と、根拠のない優越感や自信過剰、それから生まれてくる傲慢、唯我独尊的パラノイア。なんでも自己有利に考える極端なエゴイズムと驕慢なご都合主義、他人を忖度しない傲岸不遜が、人々をしてシナ人を忌み嫌うようにしてしまうからである。
 ソフトパワーとして、中国は儒教を世界に売り込むはずだった。
そして見事に失敗したあと、はて中国文化には世界に誇れるものが残っているのかと猛省するべきところだが、習近平は恥知らずにも「金こそが人生」とばかりに賄賂を贈り「一帯一路」プロジェクトを推進し、その経済的破産にむかってまっしぐらの暴走を続けていることになる。


 引用は以上です。

 台湾独立派の黄文雄氏はシナ文明非難の文脈でシナ儒教を非難しているわけで、それはそれで異論はありません。このブログにも転載した『十人の侍』のプロローグにも筆者の見解を明らかにしています。
 しかし、これは儒教批判としては一知半解で、非常に底の浅い内容です。これをそのまま受け入れている宮崎氏の書評もその内容の浅さを露呈してしまっています。
 原因として考えられるのは、日本の保守論壇とはそもそも反共を前提に出来上がったものであり、基本的に反ソ連反中国であり、その結果として反シナ文明です。その核をなす儒教が否定されるのも自然の勢いというべきでしょう。宮崎氏も保守論壇を活動の基盤としてきた関係上、その予定調和を乗り越える必要性を感じなかったのでしょう。

 宮崎氏は日本的陽明学を高く評価しているようで、その影響を受けた日本史上の代表的人物を挙げています。そして陽明学を何か独立した学問のように扱っていますが、実は陽明学は儒学の一派にほかなりません。すなわち日本化した儒学の一派に他ならないのです。宮崎氏の表現を借りるなら、日本的儒学を突き詰めていくと、シナの儒学を超えて、日本独特のものである、となります。

 今ここで儒学と言ったり、儒教と言ったりしていますが、これはかの思想が持つ、学問的側面と宗教的側面に着目した言葉の使い分けに過ぎません。
 
 王陽明は朱子の格物致知を実践した結果、ノイローゼになり、朱子学が持つ知性万能主義を批判し、知行合一の学説を生み出したのであって、儒学そのものの否定によって学問的新境地を拓いたのではなく、朱子学を叩き台にして生まれた学問なのです。批判と否定はまったく異なります。
 ですから、朱子学同様、四書(論語・孟子・大学・中庸)を聖典として重んじ、誰でも修行によって聖人になれるとする点など、そのまま引き継いだ思想も多い。
 勝海舟が「王陽明は孟子以来の大賢だ」と言っているように、知性偏重に陥りがちな朱子学から原始儒教への回帰を行った学問と評価することが出来ると思います。

 これが宮崎氏の認識の根本的間違いですが、個別の事項に関する間違いも実に多いのです。
 筆者が知っている範囲でも、伊藤仁斎は朱子学への批判から原典を熟読玩味して、これらが持つ本来の意義(古義)を明らかにし、これを体得すべしという、古義学を唱えたわけで、その過程で王陽明の学説も学んだかもしれませんが、少なくともその到達した思想を日本化した陽明学とは言えません。まさに仁斎学としか言いようのない儒教の一派を開拓しました。
 荻生徂徠ともなると、仁斎の大胆な朱子学批判でさえ手ぬるいとし、秦・漢以前の書籍、しかもそれを原文のまま読むという、「古文辞」という徹底した学問手法を実践しました。
 二人とも大胆にして独創的な業績を残した儒者で、儒教全般を日本化し、深化させる上で、その土台となる大きな仕事をした人物と言えます。

 吉田松陰や西郷隆盛に大きな影響を与えた水戸学は、創始者である光圀以来の前期水戸学と、藤田幽谷以来の後期水戸学に区別されますが、前者は朱子学的大義名分論に基づく日本史であり、後者は仁斎の古義学を中心に据え、これに徂徠学や本居宣長に代表される國学を批判的に取り入れた、言わば折衷学となっています。
 また幕末の志士が読んだ頼山陽の『日本外史』『日本政記』も前期水戸学の影響を受けていて、朱子学がその価値判断の基準となっていますし、また彼らが影響を受けた浅見絅斎の『靖献遺言』を代表とする崎門学も、朱子に傾倒した山崎闇斎が創始した学派で、日本化した朱子学の一派と見なすことが出来ます。
 そもそも江戸時代の創始者である家康が制定した諸法度そのものが、四書のひとつ『中庸』に着想を得て定められた、というのが筆者の見解です。林羅山の記録に、家康との間でなされた『中庸』の一節をめぐる問答が記録されていて、この問答を通じて、それぞれの「理」を抽出した法度によって「中(中庸)」を実現し、天下を秩序立てる、という着想を得たと推察されるからです。

 確かに日本化した儒教が日本の庶民の生活にまで及んだとは言えませんが、少なくとも指導階級であった武士の生活にはかなり浸透したといえるでしょう。農民にもこれらの書を読む者は多かったのです。

 吉田松陰が陽明学を重んじたにしても、彼が最も重視したのはあくまでも『論語』『孟子』のいわゆる「孔孟の教え」であることは、『孔孟余話』の著作があることでも明らかですし、彼の遺書『留魂録』に、『孟子』の「至誠にして動かざるものなし」を実践した結果として処刑されるに至ったとあることでも明らかです。

 西郷隆盛も陽明学の実践性を重んじたことは確かでしたが、彼が好んだのはむしろ朱子と同時代の事功派の学者陳龍川でしたし、その國體観は概ね、直接薫陶を受けた幕末における水戸学の泰斗藤田東湖、および頼山陽の『日本外史』『日本政記』に依拠していました。そしてそれを実践する上で、『論語』『孟子』を深く読み込んでいたことが史料の端々に窺われます。
 これらの学問の研究を抜きにして、彼が主導した王政復古討幕運動の意義は理解できませんし、明治の謎とされる言行の数々も理解できません。
 彼の主張したいわゆる征韓論も、西南戦争の動機も、これらの日本化した儒教に対する理解がないため、いつまでも謎は解けないのです。

 明治維新のたたき台となった歴史が「建武の中興」における忠臣たちの活躍ですが、彼らの事跡を後世に普及させたのが、国民文学の一つとされる『太平記』で、これが朱子学的規範で書かれていることはその序文を読めば明らかですし、主役たる楠木正成自身が朱子学の信奉者であったらしいことは数々の事跡がそれを証しています。


 ヘーゲルや津田左右吉の儒教批判は取るに足りませんが、黄氏が引用しているという福沢の儒教批判にしても、確かに彼は儒教を、儒者を、表向き強く批判しましたが、一方で、それを咎めた亡き父の友人で儒者の中村栗園の手紙に対し、次のように答えています。

「生は弱冠にして洋学に入り、かつて儒の奥を窺ふを得ず。加ふるに識浅く才粗にして、未だ道の何物たるを知らずと雖も、先人の言行果して儒ならば、生は即ち儒の道を信じて疑はざる者なり。…生は儒の道を喜ばざるに非ず、当時儒者流の人を喜ばざりしなり。」

 これは保守の間に真正の保守という自己主張があるように、儒教の教養主義者、教養主義の贋物性に対する批判と同種のものであると受け止める必要があります。
 中江兆民にしてもそうで、彼は西洋留学でルソーの思想を学んで帰国したのち、何と漢学塾に入り直して儒教を学び直しているのです。彼はその結果、ソクラテス・プラトンの説くところも孔子の説くところ同様、仁義忠信を根幹としており、儒教は「古今遠璽、確乎として易(か)ふべからざる」真理を体現している、との結論に至りました(『近代日本精神試論』坂本多加雄)。この一節を含む「策論」は明治八年、当時保守勢力の重鎮とみなされていた硬骨の真儒・島津久光に献じられたものです。
 そして、福沢も中江も、真儒・西郷隆盛の崇拝者でした。
 中江は久光に西郷と手を合わせて、欧化主義で迷走を繰り返す、大久保を中心とする政府に立ち向かうことを献策していますし、福沢は西南戦争で起ち上がった西郷を弁護する論文「丁丑公論」を著わしています。

 シナの儒教に対する批判は黄氏の批判よりも、西郷の征韓論の有力な仲間で、当時の一級の知識人にして政治家でもあった副島種臣のシナ批判が最も真を穿っているでしょう。

 天津で、李鴻章と画期的な対等条約である日清修好条規の批准交換を終えた副島は翌日再び李を訪れ、その漢籍の素養を縦横に駆使して、李を感服せしめています。以下は通訳を務めた鄭永寧が後年編纂した『副島大使適清概略』に依拠しています。
 副島は日本が西洋列強に許している治外法権を撤廃して、万国公法における主権を回復したいと念じていることを述べ、清国が自らの旧習に拘って、自ら主権を貶めていることを指摘しました。これに対し李は赧然(たんぜん)として、副島の意見が正大であることを褒め、自らの志を近交遠和と表現し、外国との応接は事の情理を審らかにして、彼らを心服させることに心を注いでいる、という趣旨のことを言いました。
 これに対し、副島は概ね次のようなことを言いました。

 昔、堯舜は国土を限らず、その政を為したが、周公は残念ながら中華と夷狄の別を立て、これを差別し、これらの地に王化を及ぼすことができなかった。現在の歴代の皇帝もこの堯舜の心で、鎖国などせず、国を開いたものにしていれば、同じ大陸の反対側にある今の西欧に至る地までも王化に浴し、貴国に属していただろう。

 このように副島は、清国の固陋尊大な態度が彼らの衰退の原因であると、彼ら自身の故事によって批判したのです。
 この懇談で、科挙に合格した官僚である李は副島の教養に感服し、彼に歩み寄り、手を握って「閣下漢籍を読む、何ぞ淵博なるかくの如し」と言い、大いに笑って別れました。
 李は、北京への報告書で、しきりに副島の才識高明を称賛しました。
 副島は北京に行っても、清朝の外務省に当たる総理衙門において、大臣官僚を前に同趣旨のことを言っています。

 「請う、試みに貴国の往事を評論せん。文王は西夷の人なり。その後武成(文王の子武王と、その息子の成王)中国に君臨す。もし周公をして諸侯を倡率し、早く西域を開かしめたらば、土耳其(トルコ)以東以南の地、尽く中華に属し、共に君子の国と為り、且つ欧西をも撫するの勢有りつらん。而してすなわち華を矜(ほこ)り、夷を鄙(いやし)み、独り君子の国と謂(お)もい、以て今日欧人と交わるに至り、反ってその鄙んずる所の土耳其以東の蛮種と同類にみなされたり。昔、蘧伯玉(きょはくぎょく、孔子より少し前の衛の賢人)は独り君子たるを恥ずる。なんぞ中華を以て夷狄を教化し、また君子と為らしめざる。」

 つまり副島は、中華を称するシナ歴代王朝の統治が中華文明の精神に悖るものであったことを批判しているのです。科挙の試験を突破した秀才達にこれ以上痛烈な批判はないでしょう。
 副島はさらに言います。

「古より以来、茲(ここ)に数千百歳、夷より出で夏(華に同じ)に遷り、君子の国と為せし者多く、夏を用いて夷を変じ、君子の国と為せし者少なし。予これを以て知る。夷の中華における、常に恥じて勉む、故に強く、而して能く興る。中華の夷における、自ら矜(ほこり)て怠る。故に弱く、而して必ず亡ぶ。」

 シナ儒教を乗り越えた、日本化した儒教の成果に則り、儒教の本場シナの大臣を大批判したのです。 大臣らは皆顔色を変じ、返す言葉もなかったといいます。
 これで清朝の傲慢固陋さが根本から正されたわけではありませんが、ともかく副島は日本化された儒教に基づく、王道外交を堂々行い、大きな成果を挙げたのでした。
 西欧規範に基づく砲艦外交を行い、李鴻章を含む清朝を激怒させた大久保の外交とは大きく異なります。

 西郷はこういった、特命全権大使として立派な使節を務めた副島の外交をすべて踏まえた上で、朝鮮に対し、護衛艦に乗った問罪使節を派遣すべしとの副島の建議を遮り、万国公法上はそれで十分かもしれないが、それでも道義においてあと一つ外交手続きが足りない、護衛艦を伴わない平和目的の使節派遣が必要である、それは私が務めましょう、と言ったのです。
 それは道義面においても、また戦略面においても、非常に深慮を重ねた上での主張でした。外務卿の副島でなく、参議兼陸軍大将が護衛を連れず単身で、烏帽子直垂の礼装で使節として訪れる事の政治的意味をよく考えてみてください。そこに彼の深謀遠慮が浮かび上がってくるはずです。


 筆者が自身を「これを理解し、成しうる最後の人間かもしれない」と、自惚れではなく(別にそういった願望があるわけではないので)、かなりの悲観を込めて思わざるを得ないのは、維新史に触れたインテリの文章を読むにつけてそのように思わざるを得ないからです。宮崎氏その他のような保守の優れたインテリジェンスの持主でさえ、日本の歴史や伝統に関して、この程度の認識が限度だというのがその根拠となっているのです。 

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