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zoom RSS 明治維新の意義 (その壱) 水戸学

<<   作成日時 : 2018/02/11 16:56   >>

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 筆者にとって、日本の近現代史における明治維新の意義は自明であるので、あまり深く検討してきませんでしたが、読者の方より二つの質問をいただきましたので、これを機会に考えてみたいと思います。

 まず第一の質問は、「水戸学は明治維新後政府に禁止されたように、革命を呼び起こす危険な思想であり学ぶべきではない、或いは排除するべきである。」との意見に対するご質問です。

 まず筆者は水戸学が明治政府に禁止されたとは寡聞にして知りません。
 水戸学は維新後も研究を継続し、光圀の事業開始より二百四十九年の歳月をかけて、明治三十九年ようやく完成し、明治天皇に献上されています。明治天皇は収集した史料などを保護するための費用を下賜していますから、禁止などはなかったのではないでしょうか。
手元にある『日本思想大系53 水戸学』巻末の年表にもそのような記述はありません。

 前期水戸学は朱子学の影響が強かったものの、後期水戸学において、伊藤仁斎の古義学を柱に、徂徠学や國学、さらに蘭学などを批判的に取り入れた折衷学で幅広い裾野を持つ学問です。
 その精髄が國體論ですから、そこから革命が導き出せるはずがありません。
 「革命」とは、外国人の独断と偏見〈イデオロギー〉に基づく國體破壊あるいは改変のことで、國體論である水戸学が革命を呼び起こすというのは本末転倒の議論です。くだんの説は、「革命」思想にかぶれた人が、水戸学を革命のための障害と見なし、レッテル貼りのために流布した主張か、それを真に受け洗脳された無智な大衆の説でしょう。
 維新(リストレイション)と革命(レボリューション)の違いさえ理解していないのですから。
 これはプロテスタントの山本七平が昭和も終わりごろになって、日本におけるキリスト教宣教の障害となっているのが、『論語』に代表される四書的世界観であり、朱子学的伝統であると洞察したのに通ずる見識です。

 明治政府も征韓論破裂以来、大久保利通を中心とする外遊組の牛耳るところとなり、開化政策をとって迷走を重ねました。
 この時の政府内の有司はおそらく日本の國體とか忠義といった価値規範は耳障りだったでしょうから、維新の志士に國體観を与えた水戸学やそれに基づく頼山陽の『日本外史』『日本政記』、あるいは浅見絅斎の『靖献遺言』などは、意図的には奨励しなかったでしょう。
 それよりも彼らは彼らなりに、日本の國體を守るために、西洋文明を学ぶことに必死だったのです。鹿鳴館に象徴されるように、そういった開化政策が國體を傷つけることもあったでしょう。
 しかし、大日本帝國憲法制定に当たって、彼らもまた、それらの國體観に回帰して制定作業を進めたのです。

 井上毅が日本の古典を深く研究したことは知られていますが、金子堅太郎は「帝國憲法制定の精神」という講演で、起草するにあたって日本の國體を何を元にしたかと言えば、大部の『大日本史』が随一で、簡単なものでは北畠親房『神皇正統記』、水戸斉昭『弘道館記』、藤田東湖『弘道館記述義』、会沢正志斎『新論』であったと述べています。
 制定の責任者である伊藤博文が幕末から維新期にかけて愛読していたのが頼山陽の『日本政記』であったことはよく知られています。彼は幕末洋行する際も『日本政記』を携行していくほど愛読していたのです。
 山陽の『日本外史』『日本政記』は西郷南洲翁の愛読書でもありました。
 これらもまた水戸学の影響が大きい書物でした。

 また憲法を補足する意味合いを以て同時発布された「教育勅語」の起草者は井上毅と元田永孚で、後者は熊本実学党出身の老儒者です。彼は大久保利通の推薦で明治天皇の侍輔を務めたこともあります。

 明治期の官民の思潮はこのように文明開化と國體回帰の間を揺れ動いていたのですが、そういった中で漢学自体が廃れていったのです。西洋の哲学を学びながら、日本古来の思想に回帰した和辻哲郎でさえ、戦後の大著『日本倫理思想史』の頼山陽を論じた章の冒頭で次のように述べています。

「われわれのように明治中期に生まれたものは(和辻は明治三二年の生まれ)、もはや右のような漢文漢詩の味わい方を身につけていない。従って日本人の書いた漢文や漢詩から強い魅力を感ずるということはない。しかしわれわれの前の世代の人々は、そうではなかった。彼らはそういう漢文や漢詩の内容に着目する前に、その表現の形式からして異様に強い魅力を感じたようである。われわれはそういう例を身近に、親や親類や先輩などにおいて見て来た…」

 そして明治時代が終わり、大正時代に入ると、大正デモクラシーの潮流の中で、知識人の頭に最新の科学思想として共産主義思想が浸潤してきます。
 
 日本の大衆化しつつあった知識階層において水戸学など明治の國體観を用意した書物が読まれなくなります。さらに昭和に入ると、維新の元勲たちが政事の舞台から次々と退場していき、國體の何たるかもわからない政党政事家は、軍部が主張する統帥干犯に対して反論することが出来なかったのです。統帥権が内閣の輔弼の例外ではないというのは、当時の憲法学会の通説であったにもかかわらず、です。

 彼ら知識人の頭を占める様になったイデオロギーが、これら日本人の、日本國の精神的柱となってきた学問を危険視し、排除すべきと認識するようになったのではなかったでしょうか。
 日本の敗戦後、いち早く水戸学を禁止し、それに関する書物を没収し、焚書にしたのはGHQです。彼らは神道令を発し、「國體」という言葉の使用を禁止しました。「教育勅語」も廃止されました。
 このGHQの中に、共産主義者やその一派、フランクフルト学派の徒が紛れ込んでいたのは加藤哲郎氏や田中英道氏などの研究によってすでに知られています。CIAの前身である諜報機関OSSに入り込んだコミンテルンのスパイや共産主義者がGHQにも流れ込んでいたのです。有名なところではカナダの日本学者ハーバート・ノーマンなどはコミンテルンのスパイの疑いが濃厚です。
 水戸学を危険視し、排除すべきというのは、彼らの直接あるいは間接的影響を受けているか、そういった言論に無知あるいは一知半解から、知らず識らずの内に洗脳されている人の見解でしょう。
 少なくとも日本的なものの復活を望まない人たちの言説だと思われます。


 第二の質問は、「幕末の幕府は公武合体に動いていたことから、長州、薩摩の倒幕は不必要だった(倒幕しなくて、我が国は近代化し生き残れた)。」という考えがあるかどう思うか、との内容ですが、これについての回答は長くなるので、次回まとめさせていただきます。

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水戸学に関する記事を挙げてくださりありがとございます。
私も明治以降も大日本史編纂が続いていたことを知っていたので、「水戸学が明治に禁止された」に違和感を感じていました(もしかしたら、私の記憶違いかもしれません)。
Blog主様の記事の内容に賛成です。面白いことに大日本帝国憲法や教育勅語を誉める一方水戸学を毛嫌いする一部の保守主義者は、明治の元勲が西洋や米国の保守思想(バークや『ザ・フェデラリスト』、シュタインなどの歴史法学主義など)を学んだことばかりに注目して、水戸学の魂ともいえる大日本史やその影響を受けた日本政記などが大日本帝国憲法や教育勅語を作る際に参考にされた側面には注目していないのです。何故彼らが水戸学をそこまで毛嫌いするか分かりません。

次の記事作成の参考になるかと思いますので、補足を付け加えますと、批判者(『明治維新という過ち』という本が特に顕著、ただこの本は資料の使い方に問題があるらしいです)から多いのは、

@水戸学は論理性がなく日本への狂信的な賛美に満ちた宗教のようであるため、横井小楠が非難したように人を狂気に狂わせ、幕末の志士、昭和の軍人をテロリズムに導いた(しかし、私は平泉澄の書をきっかけに会沢正士斎の書や大日本史を読みましたが、別にテロを起こしたいと思わなかったので、これについては謎です)。
A水戸学から天皇制、教育勅語に象徴される戦前の体制が生まれた(この書き方から見てもわかるように、非難者は左翼だと思われます)。

もし次の明治維新に関する記事にて、上記のことを意識して書くと幕末の背景と明治維新の起こった理由や、明治維新の大義と影響力をより深く説明できるのではと思い、上記のことを書きました。何度も長いコメントをしてしまい、申し訳ありません。次の記事も楽しみにしております。
明治維新に興味のある読者
2018/02/12 01:18
第二の質問点に関する回答はすでに書き終わっていたのでそのまま掲載しています。ご指摘の点のまっすぐな(王道的な)回答になっているはずです。
 保守の言論人からは多くを学び、共感するところも多いですが、所詮は外国の思想です。そこからどこまで日本に回帰できるかが問題ですが、保守思想の適用に満足してそこどまりの人が多いのではないでしょうか。つまり西洋保守思想を潜り抜けた後どこまで日本に回帰できるかが問題なのです。

 亡くなられたばかりで恐縮ですが、西部邁氏の言論の限界もここにあったのではなかったかと思われます。氏が好んだチェスタトンの思想の氏自身による解説(『思想の英雄たち』)を読むと、チェスタトンは理性の根源を、宗教を認め受け入れることで言論の平衡をなしていたように思われ、そういったことは西部氏も分かりつつ、日本人としてのそこに踏み込まないようにしていたように思われます。
哲舟
2018/02/12 17:26
『明治維新という過ち』の著者が書いた当該著書の宣伝記事をネットで読んだことがありますが、引用史料の解釈がでたらめで、皮相な見解を恥ずかしげもなく書いていて、だめだこりゃ、と思って、本の方も読むに値しないと判断したことがあります。『明治維新という過ち』という過ちを後世に残してしまいましたね、著者は。

 確かに王政復古討幕運動にも天誅という名のテロリズムはありましたが、彼らの大半はむしろ、剣戟は学んでも学問がなかった連中です。渋沢栄一がそう言っています。そうでない太く正統な流れが回天を成し遂げたことは(その弐)で略述したつもりです。

 当該著書の著者は、「自由・平等・博愛」を謳ったフランス革命がテロリズムの嵐で、ナポレオンの登場で皇帝制に回帰するなど支離滅裂だったことを知らないのでしょうか。ロシア革命や中華人民共和国成立に至る過程が、共産主義思想に基づくテロの嵐だったことを知らなかいのでしょうか。その論理がでたらめな屁理屈だったことも。

また著者は最近明らかになりつつある、昭和の軍人のテロリズムの背後にあったものが共産主義思想であったことを知らないのでしょうか。江崎道朗氏の『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』によれば、二二六事件のイデオローグとして処刑された北一輝は天皇を戴く国家社会主義を唱えましたが、実は天皇を軽蔑していたといいます。
 張作霖爆札事件の首謀者河本大作は筆者の見解では共産主義者、あるいはシンパであり、事件は彼とコミンテルン、張の息子学良の共謀であったと考えています。

 このように左翼運動家の表向きの言論は詐欺的で、革命の意図を秘めたためにする議論でしかありません。確信犯ですからまともに議論することはできないと思います。
哲舟
2018/02/12 17:27

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