西郷隆盛

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zoom RSS 「日本の國體を知る上での『論語』の重要性」…『十人の侍』プロローグ3

<<   作成日時 : 2018/01/07 17:32   >>

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 戦後日本を代表する思想家として皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか。平成の父世代に当たる戦後の昭和という事なら、多くの人がその人の訃報によって昭和の終わりを感じたということで、思想家とは言えませんが、時代精神を象徴する人物として、美空ひばりや松下幸之助や司馬遼太郎の名が挙がると思います。ここには漫画の神様・手塚治虫を加えてもいいかもしれません。戦後一世を風靡したという点では丸山正男や吉本隆明などの知識人を挙げられる方もいるかもしれません。梅原猛なども人気がありました。しかし、何より昭和天皇その人こそが、象徴天皇として、文字通り昭和を象徴する人物ということになるでしょう。思想面においても非常に重要な位置を占めておられます。しかし、戦前・戦中も重要な御存在であらせられたという点で、戦後日本の枠内に収まり切るお方ではありません。
 戦前・戦中・戦後ということをひっくるめた昭和ということになると、筆者の場合、和辻哲郎・小林秀雄・福田恒存などが思い浮かびます。彼ら以外にも、それぞれの立場からいろいろな顔が浮かんでくると思いますが、ここでは、その中でもひときわユニークな存在として、山本七平を取り上げたいと思います。山本七平は昭和も後半になってから活躍した思想家ですが、内村鑑三の流れを引くプロテスタントで、戦前の少年時代から戦後に至るまで、日本の中のアウトサイダーとの自覚を持ちながら、凄絶な戦争体験をし、日本人というものを観察し続けた人物です。ユダヤ人との共同研究でイザヤ・ベンダサン名義のベストセラー『日本人とユダヤ人』の発表以来、ユニークな視点からの日本人論を書き続けました。
 筆者は二十代後半から三十代前半の頃、もうすでに亡くなっていた彼の本を新古書店で買い集め、むさぼり読んでいた時期があります。彼は自身の戦争体験を著わした書物のほか、日本社会に関する評論や日本の歴史に関する書物、そして聖書に関する一般向け解説を書き続けましたが、最後はイエスと昭和天皇の伝記を著わしたいとの志を抱いていました。しかし、その願いが叶わぬ内に癌に侵され、平成三年(一九九一)、六十九歳で天に召されました。
 そんな彼に、クリスチャンに向けて書いた自伝的なエッセイ『静かなる細き声』という著作があります。その最終章は「論語の世界と現代」となっていて、明治維新を象徴する人物としてやはり渋沢栄一を取り上げ、自らの師匠筋に当る内村鑑三の『基督教問答』の一節を取り上げた上で、次のように結んでいます。

 自分の理性が信じられなくなる、その体験はすべての人が、維新にも終戦にも経験したはずであり、またその後のさまざまな運動にもあったはずである。だがそれは心に何の刻印も与えずに消え、就職すれば「ミニ渋沢」になっていく。その背後にあるものは、日本的に理解された『論語』の世界なのである。それを把握しなおして対処することが、日本における宣教の出発点ではなかろうか。
 
 つまり、日本におけるキリスト教普及の障害となっているのが、日本人が『論語』を読まなくなっても、社会生活の中に規範として、または言語生活の中に生き残っている『論語』的規範である、と言っているのです。この指摘は大変重要で、彼の洞察が正しければ、キリスト教のように、あるいはソ連崩壊以前の共産主義のように(共産主義も聖書的世界観を土壌にして生まれた思想で、マルクスもレーニンもトロツキーも多くの共産党員がユダヤ人でした)、強固に組織化されていないにもかかわらず、つまり意図的に誰にも強制されていないにもかかわらず、日本人社会が『論語』的規範で秩序を保っている、ということになります。このエッセイは昭和五十六年頃に書かれたものであり、バブル崩壊以前の日本社会は山本にとってそのように映っていたことになります。
 バブル崩壊以前といっても戦後のみに限って言うのではありません。
 山本は「三代目のキリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面においても、常に『現人神』を意識し、これと対決せざるを得なかった」と言っています。だから復員後の生涯をかけて、彼は精神的に対峙を強いられ続けてきた「現人神」思想の研究を続けました。その結実が『現人神の創作者たち』という労作です。しかし、彼の対峙した「現人神」思想とは伝統的な古神道における「現人神」ではなく、江戸時代に儒学思想と結びついて生まれた「現人神」思想でした。その内容を彼の言葉でいえば、儒学的正統主義と日本の伝統とが習合して出来た、朱子学の一亜種、ということになります。
ですから、彼の視野に國学はあまり入っていません。
 ではなぜ、それらの規範が一貫して西洋化を推し進めてきたはずの明治を経て、大正・昭和へと受け継がれてきたかというと、彼の分析では次のようになります。
 日本人は、自己の伝統とそれにもとづく自己の思想形成への無知がある。この無知は、進歩のつもりで過去を否定したつもりが、かえって否定したはずの過去、伝統的規範による現在の呪縛を生むことになる。日本人は明治維新において江戸時代を否定し、敗戦によって戦前を否定したため、二重の呪縛に陥っている。だから呪縛を克服するには、自己の伝統とそれにもとづく自己の思想形成過程を明らかにする必要がある。
 つまり、歴史や伝統的規範は否定やなかったことにしたところで決して消えるわけではないのです。むしろ潜在意識下に潜り込んで、現在を強く規制することになる。筆者に言わせれば、それは日本人の伝統的な感情となって、自覚されない、忘れられた形で心の奥底に保存されている、ということですが、それを明らかにするということは、本居宣長流に表現すれば「もののあはれを知る」ということになると思います。物事に対する率直な感情である「もののあはれ」を、「知る」というのは認識するという事であり、自覚することであります。
 山本は個人的にはキリスト教徒ですから、この潜在意識と化している日本の精神伝統を清算すべきものだと考えていますが、伝統の呪縛を生きる日本人に対しては、その呪縛を意識し、精神の自由を確保したうえで、改めてその伝統を生きるか、他の価値規範を生きるか、それを選択すべきだ、というのです。これは見ようによっては自発的なキリスト教選択への道を開く主張と言えます。
 日本の精神文化を破壊しようとした伝統的なキリスト者、例えばアメリカ大統領ルーズベルトはナチスのホロコーストのように異教徒である日本人を絶滅しようと考え、国際法違反の都市の無差別爆撃までしましたし、彼の死後ではありましたが、その方針は受け継がれて、原爆の投下まで行きつきました。戦後、勝者として日本に乗り込んできて、絶対的権力をもって君臨したマッカーサーは、この精神伝統を破壊し、日本人すべてのキリスト教化を推し進めようとしました。 マッカーサーは、いわゆる「人間宣言」で昭和天皇が「神」ではない、という宣伝をするとともに、当時皇太子だった今上陛下の家庭教師に敬虔なクリスチャンであるクエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニング婦人をつけたりしました。またキリスト教の普及のため、聖書を一千万部配布したりもしました。当時の成人人口を考えたらすごい部数です。当初は靖国神社も破却される予定でしたし、日本語を廃止して英語を公用語とすることも検討されました。日本の戦争の正当性を述べた書籍や西洋列強の非を鳴らした書籍はことごとく処分されました。いわゆる焚書です。検閲も行われました。
 しかし、幸いなことに、これらの試みは半ば成功し、半ば失敗したといえるでしょう。日本人に戦争の罪悪感を植え付ける洗脳には成功し、キリスト教化には失敗したのですから。後者の失敗は、長い目で見れば、山本七平の分析によると、日本のある伝統―儒学的正統主義と日本の伝統とが習合して出来た、朱子学の一亜種―がその邪悪な試みを跳ね返したのだ、ということになると思います。
 山本の没後、バブルの崩壊があり、アメリカによる年次改革要望書に基づく、改革と称した日本社会の解体、アメリカナイゼーションは進みましたから、現在でもその『論語』的規範が残って機能しているのかわかりませんが、少なくとも日本におけるキリスト教徒は1パーセント未満である状況は変わっておりませんから、まだその規範は失われていないのかもしれません。いまだに外国人が日本を旅行して驚くのは、治安の良さ、すなわち整然とした日本人の秩序感覚です。東日本大震災の時の日本人の行動を報道で知った外国人が驚いたのもこの点で、このことは重要です。

 現在、国際情勢は混乱を極めていて、秩序再生への過渡期にあたっています。覇権国アメリカの一極支配はすでに崩壊して久しく、その力の衰退につけこんで、中国は西太平洋における覇権を確立すべく周辺諸国への挑発行為を繰り返しています。尖閣諸島や沖縄を狙われている日本も例外ではありません。日本はすでに尖閣諸島の実効支配を事実上失っているのです。次に狙われているのは沖縄ですが、彼らのエージェントとして反日行為を行っているのが現沖縄県知事です。彼は中国皇帝を迎えるための龍柱をすでに那覇市街の入り口に建てています。
 中国人民解放軍が設定した対米防御線である第一列島線は、九州から、沖縄列島・台湾・フィリピン・ボルネオを結ぶラインですが、米軍はこのラインの防御をあきらめて、すでに主戦力のグアムまでの撤退を行っております。日本はすでに、北朝鮮の恫喝や中国の侵略から、自分の力で国土・国民を守らなければならない状況に直面しているのです。にもかかわらず、アメリカは相変わらず日本人が自尊自立の精神を取り戻すことを望んでおらず、それに対する妨害工作を行っております。憲法改正を第一命題とする第二次安倍政権の誕生はその歴史的文脈で見なければなりませんが、戦後七十年談話や慰安婦合意の内容を見ればわかるように、最近は完全にアメリカのコントロール下にあるようです。
このような状況では広く国民が目覚める必要があります。
 しかし、戦後の太平の眠りから目覚めても寝ぼけていては何をどうしていいかわからないでしょう。すでに様々な分野の専門家や著名な言論人が声を挙げて、警鐘を鳴らしていますが、筆者は長い目で見て、日本人は根源的なところから自分を見つめなおして、現在の、そして、これからの自分の在り方を考えていかなければならないと考えています。
 日本国民が自己の存立をかけて戦わなければならなかった時代と言えば、万国対峙を目標として「富国強兵」のスローガンを掲げた明治維新から日露戦争までにかけての時代、そして、それを達成した後、列強の一員という次のステージにおいて、難しい国際情勢に翻弄されながら戦争を決断しなければならなかった大東亜戦争までの時代が想起されます。この時代に先人がどのような自己認識を以て戦ったかが参考になります。
 われわれにとっての古典でもある古代シナの兵法書『孫子』には「彼を知り、己れを知れば百戦して殆うからず」という格言がありますが、相手を分析して知るのと同等か、それ以上に、自分を分析して知るというのは重要なのです。特に山本が指摘したように、近代の日本は過去を否定することで前進してきたわけですから、過去の自分を直視し、知るということがなかなか難しい。
 しかし、自己の存立をかけて戦うとき、われわれは否定も肯定もなく、ただ自分自身を信じて戦うほかありません。常に時代の変化に対応して変化する自分を己の在り方ととらえるにしても、それは己を柔軟に対応させることで逆に変わらぬ何かを守ろうとしていると考えることもできるわけで、その不易と流行の交錯するところに現在の己の姿があります。古き良き伝統と文明の最先端が同居するわが国は特にそのようにとらえられるべきで、外国人の目から見てもそこに日本のユニークさが感じられるようです。
 変化の層は見えやすいですが、維新開国と敗戦という二度の大きな大変革を経て、二重に否定された変わらぬ己の自我というものは表向きの観察からは見えにくい。ですから、当時の人々、その中でも、時代を代表する先人がどのような自己認識を以て困難に立ち向かっていったかを知ることはとても重要なことなのです。

 敗戦後、アメリカに民主主義を与えられて日本人は変わったのだと信じ込んでいる人も、山本が昭和五十八年に書いた『現人神の創作者たち』の「あとがき」にある次のような謎めいた予言をどう受け取るでしょう。

「現人神」はいま呱々(ここ)の声をあげたところである。「現人神」自身が自分が何であるかを自覚していないし、世の人もこの新生児の存在に気づかない。否、生み出した御本人も、それがどう成長して社会がどう成長していくかなどは、全く予想がついていない。すべての新生児はそういったものであろう。

 ここにある「御本人」とは明らかに昭和天皇のことを指しています。この予言の意味はまた別の機会に考えるとして、少なくともわれわれ日本人がこの「現人神」と向き合って生きていかざるを得ないことを予言しているのは間違いないでしょう。しかも、山本によれば、この「現人神」の元を創作したのは儒学的正統主義と日本の伝統を習合させた江戸時代の朱子学者たちなのです。
 この予言には思い当たることがあって、いまだに歴史認識問題において、戦前の日本を批判する文脈で、昭和天皇が平和主義者であらせられた、と自己の主張に都合のいいように昭和天皇を利用しようという論者も後を絶ちませんし、皇位継承問題においても、今世紀になってから、女系宮家創設を糸口にして、女系天皇を容認実現しようという動きは間欠泉のように噴き出しています。中にはシナの影響、すなわち「からごころ」を排除するという論理で昭和天皇の直系による継承を唱える保守知識人もいて、天照大神が女性神だからということで男系にこだわる必要がない、という主張もあります。
 「現人神」像は混乱を極めている、というのが現在の状況です。この元を糺すためにも、この伝統、すなわち維新で否定され、また敗戦によって否定されたこの伝統を洗いなおす必要があるのです。皆さんの大好きな坂本龍馬風に言えば、「日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべく」ということになるでしょうか。もちろん龍馬はすべて新しくしようといっているのではなく、汚れを落として、汚れる前の昔の姿に戻したいといっているのです。彼はその前段で、朝廷よりまず神州を保つ上での大本を立て、そして同志と心を合わせて、夷人(外国人)と内通している姦吏(悪い官僚のことです)を戦で打ち殺したい、そう書いています。これが彼の神願である日本洗濯の内容です。
 現在の日本の政治家や官僚の中にもこういった姦吏がうようよいます。二重国籍が問題となって辞任に追い込まれた野党党首がいますが、中国や韓国・北朝鮮やアメリカなどの諸国と内通する姦物が多いのが現状です。永田町や霞が関などの国家の中枢には、すでに巨大なトロイの木馬がドドーンと据えられて、その時を今か今かと待ち構えているのです。国民はそんなこととはつゆ知らず、かりそめの平和にうつつを抜かしています。これでは万国対峙どころか、自主独立さえ叶うわけがありません。國士・坂本龍馬は彼らを懲らしめて、外国勢力に侵される前の純粋無垢な日本の姿に戻したいとの神願を立てていました。これは現代の龍馬気取りの人々にぜひとも知っておいてもらいたい事であります。

 龍馬が最も心服していた人物の一人に西郷隆盛がいます。山本の師匠筋に当たる明治の愛国的プロテスタント内村鑑三は名著『代表的日本人』の冒頭にその西郷隆盛を取り上げて次のように言っています。

「維新革命における西郷の役割を十分に記そうとすれば、革命の全史を記すことになります。ある意味で一八六八年の日本の維新革命は、西郷の革命であったと称してよいと思われます。」

 また、これを受けてのことだと思いますが、山本自身も『ユダヤ人と日本人』において、西郷隆盛は日本教を体現する偉大な宗教人であり、殉教者であり、キリスト教におけるセイント(聖者)、ユダヤ教におけるラビのような者、という趣旨のことを言っています。
 二十代の後半に、明治六年のいわゆる征韓論政変から西南戦争および大久保利通の紀尾井坂での遭難までを描いた司馬遼太郎の長編歴史小説『翔ぶが如く』を読んで、西郷という人物は自分の中でますますわからない、謎めいた存在となっていましたが、内村や山本のキリスト者としての感性から見た西郷観は、その謎を解くうえでヒントになっているように思えました。
 西郷が庄内藩士に与えた訓戒を集約した『西郷南洲翁遺訓』の中に、「堯(ぎょう)舜(しゅん)を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ」というくだりがあります。さらに、西郷隆盛の代名詞と言える「敬天愛人」という言葉は有名ですが、それに関する遺訓の中で、次のような言葉もあります。

「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己に克つの極巧は『意なし、必なし、固なし、我なし』と云えり。」

 道とは天地とともにおのずから備わった道であるから、学習の目的は天を敬して人を愛するを目的とし、常に己に克つように心がけ、(『論語』の孔夫子の言葉にあるように)「意なく、必なく、固なく、我なく」という境地に達するべきである。このように訳せるでしょうか。もちろん西郷自身が常々そのように心がけていたからこそ言える言葉です。彼が起こした歴史的事業の数々も、彼のそういった克己の努力の中から生まれたのであり、多くの人が彼を敬仰したのも、その言葉に嘘がないことをひしひしと感じることができたからでしょう。
 西郷は『論語』を教科書にして聖人になろうとしていた。このインスピレーションを確かめるために、筆者は彼の波乱に満ちた人生を洗い直して(今一度洗濯して)、史伝を上梓しましたが、その経験から言えることは、『論語』『孟子』を中心とする日本的儒学の伝統を理解しなければ、維新回天と呼ばれる先人の偉業は理解できないということであり、いわゆる征韓論争の意義も、日本史上最大規模の内乱である西南戦争の意義も理解できないということです。

 筆者の場合、西郷隆盛に対する関心がきっかけになりましたが、それぞれの立場から日本の伝統における『論語』の重要性に気づいた人もいるでしょう。渋沢栄一のように伝統の内部にあって、その重要性を認識し、自覚的に取り組んだ人物もいました。また、この伝統のアウトサイダーの立場にあって、その重要性に気づいた人物もいました。内村鑑三は晩年よく『孟子』を読んでいて、これを深く理解することで、聖書もまたよく理解できるという趣旨のことを言い、自身が主宰する『聖書之研究』誌の冒頭に『孟子』の英訳を掲載したといいます。山本七平は『論語』や『孟子』を中心とする四書は江戸時代の人々にとっての聖書のような存在であり、キリスト教宣教の障壁と言っています。同じくクリスチャンであった新渡戸稲造も西洋社会に日本を紹介する目的で書いた有名な『武士道』の中で、『論語』や『孟子』とは武士にとって最高の権威であったと述べていますから、彼らにとっては共通の認識だったようです。
 一方で、本場のキリスト教国は日本をある程度認めつつも、一方で敵対心にも相当なものがあります。キリスト教的使命感に突き動かされたペリーの恫喝に国を開いて交際を開始した日本に対し、アメリカ人は友好的でした。しかし、それも日露戦争までで、戦勝国となった日本に対しアメリカは手のひらを返したように、敵意をむき出しにするようになったのです。戦前のアメリカの日本に対する憎悪に日本はただただ困惑しました。
 この近親性と敵対性はどう理解すればよいのでしょうか。このことは儒教を独自に取り入れた日本と儒教の本場であったシナや朝鮮半島との関係を彷彿させます。
 山本は西郷を、日本教を体現する聖者、あるいは日本教の生んだ偉大な宗教人であり殉教者などといったわけですが、その宗教「日本教」を担保している教義が、ほかならぬ日本語そのものであるとも言っています。そして、その日本教を異教であるキリスト教から守ってきたのは、『論語』を中心とする日本的儒学だといっていることになります。
 やまと言葉の徹底的研究を通じて「やまとごころ」を明らかにした国学者・本居宣長の場合、その傍らには、これもまた古代シナ語の徹底的研究を通じて、古代シナ思想、すなわち「からごころ」を明らかにした荻生徂徠の目に映った孔子がそっと立っていました。水戸学に極まった國體論の傍らにそっと立っていたのも、孔子です。
 幕末の日本が直面した危機を克服するための起死回生の試みである明治維新をそっと見守っていたのも孔子でした。その中心人物の一人で維新の精神を体現していると評された西郷隆盛が目標としていたのは聖人でした。儒教における聖人とは伝統の体現者を意味する言葉です。その聖人あるいは君子を目指し、自己を修養していくうえで教師としていたのも孔子です。ですから、西郷を中心とする同志が維新回天を成し遂げ、廃藩置県を断行するに及んで、西郷の人気は官民双方で最高潮に達したのです。それは政府を圧倒する勢いでしたから、後の悲劇はそこに胚胎していたといえます。
 その後、文明開化の趨勢にあって、この聖人孔子は忘れられたはずでしたが、しかし、山本の洞察するところ、敗戦後の日本の精神文化の危機にあって、キリスト教の浸潤をそっと跳ね返してきたのも、江戸時代以来の日本的儒学であり、その中心に立っていたのは孔子だったのです。
 われわれはこの不思議を解くべく、インディよろしく、日本の考古学者、すなわち日本の古を考え学ぶ者となって、この大いなる謎に大胆に挑む必要があります。それは山本の生涯をかけての洞察を信じるなら、われわれ現代人の目からは隠されてはいても、失われてはいません。
 ですから、ムチや鉄砲は要りません。
 まず必要なのは、文献を読み、調べることです。

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