西郷隆盛

アクセスカウンタ

zoom RSS 身を修し己れを正して、君子の体を具うるとも… 【西郷南洲王遺訓解説】 第四十一条

<<   作成日時 : 2017/08/11 17:04   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

身を修し、己れを正して、君子の体を具うるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。たとえば数十人の客不意に入り来たらんに、たとえ何程饗応したく思うとも、兼ねて器具調度の備えなければ、ただ心配するのみにて、取り賄うべき様あるまじきぞ。常に備えあれば、幾人なりとも、数に応じて賄わるるなり。それ故平日の用意は肝腎ぞとて、古語を書いて賜りき。

「文は鉛槧に非ざるなり。必ず事を処するの才あり。武は剣楯に非ざるなり。必ず敵を料(はか)るの智あり。才智の在るところ一のみ。」


(大意)身を修め、己れを正しくして、君子の体面を具えても、事に出遭って対処が出来ぬようなら、役立たずで木偶も同然である。たとえば予期せぬ数十人の客があって、何とか饗応したいと思ってみても、予てから器具や調度類が調っていなければ、ただおろおろするばかりで、もてなしようがない。常に備えあれば、何人客が来ようとも、それに応じて十分食事を用意することが出来るものだ。だからこそ、平常からの用意は肝腎なのだ、と言って古語を書いて授けられた。

「文と言えば必ずしも文筆の事のみを言うのではない。必ず物事を処理する才を伴うものだ。武と言えば、必ずしも剣や楯を扱う技術の巧拙を言うのではない。必ず敵を知って、これを謀る智を伴うものだ。才智の在るところは一つだけである。」

【解説】前半部は読んだ通りで何の解説の必要もないだろう。
 ここでは翁が書いて授けた古語について触れることにする。

 おそらく翁が程朱以降の儒学者で、最も大きな影響を受けたのがこの古語の著者である陳龍川であっただろう。中でも彼の「酌古論」は座右の銘であったようだ。すでに触れた「理に当たって後進み、勢を審らかにして後動く」もここからの引用であるが、『酌古論』の序文を見ていこう。ここに翁が書いて授けた古語も出てくる。

「文武の道は一つなり。後世始めて岐(わか)れて二となる。文士は鉛槧(えんざん、筆記用具のことで、文筆を指す)を専らにし、武夫は劒楯を事とし、彼此相笑い、以って相勝つを求む。天下事無ければ文士勝ち、事有れば武夫勝つ。各々長ずる所あり、時に用いる所あり。あに二者ついに合すべからざらんや。
われおもえらく、文は鉛槧に非ざるなり、必ず事に処するの才あり。武は劒楯に非ざるなり。必ず敵を料(はか)るの智あり。才智の在る所一つのみ。およそ後世のいわゆる文武なる者は、ただその名のみなり。」

 文官武官、あるいは文人武人は反目対立しがちだが、本来は一つの物であったことを説いている。要は、本来は一つの物であった文武の道が分岐し、専門化したことを言っているのだ。
 文官武官の対立は、日本の歴史においても、常に内政の混乱を招いてきた。建武の中興の挫折、豊臣秀吉の死から関ヶ原への過程、昭和の大戦への道程などで、その要素は大きかった。確かにこれら文武がうまく統合されたときに政治は揚がるのである。
 君子とはその統合者であり、専門的知性を超えた総合智が求められる。
 もっと穿って言えば、文武の道とは、古の文王武王の政治に象徴される条理と力の統合をいい、古来から「先王の道」と言われてきた、本来一つの物であった大道を指すのである。
 日本においてはそれが皇祖皇宗の道と習合し、わが國體と考えられて皇道と呼ばれた。第八条の解説で述べたように、頼山陽もまた有名な『日本外史』で文武は本来一つの物であったという同様の國體観を述べ、それが大日本帝国憲法の統帥権の規定を基礎づけていた。
 明治維新においては当初建武の中興が模範とされたが、やがて規模を大きくして初代神武天皇の創業に則るということが謳われたが、そこには文武の道が一つということが含まれていたとみるべきであろう。
 いずれにしてもわが国における「先王(皇)の道」である。

 ちなみに陳龍川の論文の題名になっている「酌古」とは、古事から善き何かを酌み出すことの意で、温故知新と言い換えてもよいだろう。
 陳は論文の後半部で自己のプロフィールを次のように書いている。

「われは鄙人なり。劒楯の事はその習う所に非ず。鉛槧の業はまた長ずる所に非ず。独り伯王の大畧(覇王の大きなはかりごと)兵機の利害を好み、頗る心に自得する者あるがごとし。
故によく前史において、ままひそかに英雄の未だ及ばざる所と、その既にこれに及ぶも、前人の未だよく別白せざる者を窺い、すなわち従ってこれを論著し、得失をして較然として以って観るべく、以て法(のっと)るべく、以て戒しむべからしむ。大にしてはすなわち王を興し、小にしてはすなわち敵に臨む。皆以て此に酌むべきなり。これに命じて酌古論という。」

 すなわち、歴史上の英雄がなし得なかったこと、なし得たとしても、後世の識者が見逃してきたことを明らかにし、これらの得失を比較して、そのことによって、現状を分析し、良きは学び、悪しきは戒めとなす。
 そして、大きくは王を興し、小さくは敵に臨むために、古の事から酌むから「酌古論」と名づけたというのである。
 これを翁に当てはめれば、大は王政復古であり、小は討幕ということになる。そして、それを成すために歴史から学ぼうというのである。

 これを踏まえてだろう、翁は岸良真二郎への訓戒で、より身に引き付けて述べている。

「(英雄の)剛胆なるところを学ばんと欲せば、先ず英雄の為すところのあとを観察し、かつその事業を玩味し、必ず身を以てその事に処し、安心の地を得るべし。然らざれば只英雄の資のみありて、為す所を知らざれば、真の英雄というべからず。是故に英雄のその事に処する時、如何なる胆略かある、又、我の事に処するところ如何なる胆略ありと試較し、その及ばざるもの、足らざる所を研究精励すべし。」

 このように、大は王を興し、小は朝敵に臨むための翁の学習は、英雄の内面にまで及んでいく。そして、それをなす上での、心の工夫へと話を進めるのである。

「思い設けざる事に当りて一点動揺せず、安然としてその事を断ずるところにおいて、平日養う所の胆力を長ずべし。常に夢寐(むび)の間において我が胆を探討すべきなり、夢は念(おも)いの発動する所なれば、聖人も深く心を用うるなり、周公の徳を慕う一念旦暮(たんぼ)止まず、夢に発する程に厚からんことを希(ねが)うなるべし。寤寐(ごび、寝ても覚めても)の中、我が胆動揺せざれば、必ず驚懼の夢を発すべからず。これを以て試み、かつ明らむべし。」

 遺訓中の聖人とは孔子のことだ。

 『論語』(述而)には次のようにある。

「子曰く、甚だしいかな、吾が衰えたるや。久し、吾れ復た夢に周公を見ず。」

 翁はこれを踏まえている。
 孔子は周の礼楽文化の創始者である周公旦をその理想としたが、それは夢に現れるほどであり、そのことが、挫折し漂泊の身であった孔子の救世の情熱を支え続けた。あるいはその情熱の強さが、その夢を見させ続けた。
 古英雄の胆略を学ぶたとえに孔子が出てくるのは意外かもしれないが、遺訓二十一・二十三・二十八条に出てきたように、孔子は道を行う上での教師とすべき存在であった。翁によれば、古の聖人堯舜でさえ、その本職とする所は教師なのである。人民の教師ということだろう。
 孔子は生前その理想を達成することが出来なかったが、自ら道を行うことで、後世の者に大きな影響を与えた。つまり、孔子は陳龍川の言うところの「万古の心胸を開拓」した者であり、幕末の名ある志士は全て、その影響下にあるといっても過言ではない。
 その言行録である『論語』は、東アジアの思想史において最も重要な縦糸であった。翁が中心となって推し進められた明治維新は、この思想史を織り成す最も色鮮やかな横糸のひとつであり、そのことはまた、孔子の思想の普遍性の証しである。
 このような人物を英雄とするなら、東アジアの歴史において、孔子に勝る人物はいない。

 なお、翁は説明が不十分と思ったのか、岸良真二郎への訓戒を次のように締めくくっている。

「もし英雄を誤らんことを恐れ、古人の語を取りこれを証す。
『譎詐方無く、術略横出するは智者の能なり。詭詐を去りてこれに示すに大義を以てし、術略を置いてこれに臨むに正兵を以てするは、これ英雄の事にして、智者の為す能わざる所なり。』
英雄の事業かくの如し。あに奇妙不思議のものならんや。学んで而して至らざるべけんや。」

 翁としては、彼の言う英雄が、たとえば項羽や劉邦、あるいは日本で言えば豊臣秀吉のようなタイプの人物を指すのではないことを言いたかったのであろう。
「譎詐方無く」とは、いつわりやあざむきがほしいままなことを言う。ここにある引用文は陳龍川が『酌古論』において、『三国志』の英雄で、機略縦横の人物として人気が高い諸葛孔明を論じた文章である。もちろん諸葛孔明は智者ではなく、英雄として論じられている。すでに触れたが、翁自身の言葉としては、遺訓三十四条において、孔明の機略縦横の源泉が誠忠にあったことが述べられている。
 日本の歴史において、この諸葛孔明と同じ位置にいる人物が、楠木正成であり、翁が理想としたのも彼であった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
身を修し己れを正して、君子の体を具うるとも… 【西郷南洲王遺訓解説】 第四十一条 西郷隆盛/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる