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zoom RSS 今の人、才識あれば… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十九条

<<   作成日時 : 2017/07/31 17:24   >>

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今の人、才識あれば事業は心次第に成さるるものと思えども、才に任せて為す事は危うくして見て居られぬものぞ。体ありてこそ用は行わるるなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様になりたりとて嘆息なされ、古語を書いて授けらる。

「それ天下誠に非ざれば動かず、才に非ざれば治まらず。誠の至る者、その動くや速し。才の周(あま)ねき者、その治むるや広し。才と誠と合し、然る後、事を成すべし。」(原漢文)



(大意)今の人は才能や知識や見識、あるいは情報が備わっていれば、事業は思い通り成されるものと思いがちだが、才に任せて為す事は危なっかしくて見て居られないものだ。本体がしっかりしているからこそ、運用は効果的に行われるものである。肥後の長岡先生のような君子は、今はそれに近い人さえ見ることは出来なくなってしまった、と言って嘆息なされ、古語を書きつけて授けられた。

「天下というものは誠心を持って取り組むものでなければ動かないし、才がなければ治めることが出来ない。至誠を尽くす者は、行動が速い。才識豊かなものは、それに応じて治める範囲が広くなる。才識と誠心が合体して、ようやく事業を成功に導くことが出来る。」


【解説】肥後の長岡先生とは長岡是容(これかた、通称「監物」)のこと。肥後の家老で、実学党の中心人物の一人。横井小楠・元田永孚らと藩政改革に尽力したが、攘夷主義者であり、後に小楠らと袂を分かつことになった。
 遠島以前の翁や大久保と親しく交流したようだ。
 斉彬死後、幕府の追及を逃れるため、鹿児島に向かう途中、肥後に立ち寄った翁は長岡を訪問し、月照との投海から蘇生してから約一か月後の、現在残されている書簡では最も早いうちに書かれた書簡が、この長岡宛のものである。
 長岡の息子である米田虎雄はその頃の事を回想して「大久保さんと西郷さんと二人で泊まってゆかれたことは私の知っているだけでも五、六度はある。」と言っている。
 初めて出会ったのは江戸の藤田東湖の家であったろうと思う、とも述べているが、これは翁との出会いの事だろう。
 長岡はよく「西郷は創業の大材、大久保は守成の大材だ」と言っていたそうだ。全くその通りだろう。

 翁がこの訓戒を口にしたのは、文明開化の時代を迎えて、才識に任せて事業を行う者が次から次へと現れて、王政復古した政府の政策が朝令暮改で、無軌道に陥っている時代であった。文脈から言って、こういった時勢へのアンチテーゼとして、翁は才の周ねき者としてよりも貴重な、誠の至る者として長岡監物を想起したようだが、才識と至誠を兼ね備えたものとしてはやはり島津斉彬の事が念頭にあっただろう。ただ、この、翁にとって神のような人物への批評の言葉を口に出すのは畏れ多くて、例として挙げるのが憚られたのではないか、そんな気がする。長岡という人物の才識についてはよく知らないが、少なくとも君子然とした人物だったのだろう。他藩士である翁や大久保がこれだけ心服しているだけでもそのことが窺われよう。
 
 確かに才能や自己の見識にうぬぼれた人間が為す事は危なっかしい。
 今の世の中を見ても、口の達者な悧巧者が自己の才識にうぬぼれた改革を行い、国の本体を害うようなことを平気でしている。むしろ国体を破壊することを以て正義である、と国民の代表者として無自覚のまま倒錯した心理を抱いているのではないかと疑わる人物が多く、その背後にはおそらく外国勢力と繋がった確信犯がいる。今の日本には間違った歴史教育を受け、反日マスメディアのプロパガンダに洗脳された大衆がこれを支持するといった構図が出来上がってしまっている。

 人に格があるように、国家というものにも格がある。人格によってその才識が統合されてこそ、事業は行われるが、国家興隆のための本当の事業とは、国家というものが歴史的存在である以上は、国の格、これは国体と言い換えてもいいが、それを弁え、才識を兼備した君子によってこそ、成されるはずである。

 ここまで書いて思うのは安倍首相の事である。
 安倍首相は本来、ナショナリストであり、反日自虐史観も克服していて、男系による皇位継承の意義も、靖国神社の意義もよく理解していたはずの政事家であるが、宿願である憲法改正を達成するため、政権の長期安定を目指す過程で、保守色を後退させ、左翼勢力を取り組むための政策を採用する戦略を採った。当初はこれが功を奏した面もあったが、その戦略により懐に入り込んだ左翼分子やグローバリストが仕掛けたフェイクニュースによる倒閣運動によって窮地に立たされている。昨今メディアを賑わせている森友学園問題、加計学獣医学部創設問題、国連平和維持活動日報問題などがそれだ。安倍首相に近いと言われた政治ジャーナリストのレイプ疑惑事件も同様のにおいがする。これらの問題は疑惑の核心部分において確証がなく、きわめてあいまいなのだ。そのあいまいな部分を強調して、マスメディアが情報操作している感じがする。早くから仕込まれていた感じがするのだ。
 左翼ジャーナリズムはこういった情報操作をお家芸としている。朝日新聞がその代表格だが、最近は毎日新聞やNHKも顕著である。

 「噓も百回繰り返せば真実となる」と言ったのは実はヒトラーではなく、ソ連のコミュニスト、カール・ラデックで、コミンテルンのプロパガンダ工作の基本となっていた。彼のモットーは「嘘が真実で真実は嘘、白は黒であり黒は白である」だったという。スターリンはそんなラデックを評して「彼の理性を支配しているのは舌だ」と言っていたという。日本にもそんな政治家は山ほどいる。
 共産主義国家が虚偽に満ちた虚像の実験国家であったことは、ソ連のみならず、近いところでは中国(中華人民共和国)や北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)など、日本人にはもはや常識となっているところだろう。こういっった唯物主義にとらわれた国家は人心を荒廃・腐敗させるものだ。
 もっとも、そのような格言を残したラディッツ自身が、スターリンの不審を買って粛清されてしまったわけだから、嘘を百回言って真実らしく見せかけることはできたとしても、嘘に嘘を重ねる結果となって、辻褄は合わなくなって、いずれ嘘はばれ、自身に跳ね返ってくる、というのが真相のようだ。やはり才に任せて為す事は危ういのである。
 
 小林秀雄は「悧巧に立ちまわろうとしている人を傍らでみている位冷々するものはない、なんて間抜けだろうと思う」と言っているが、いかに悧巧と本人も思い、また周囲がそれを認めていたとしても、意外に間抜けな間違いを犯しがちなものだ。
 籠池夫妻が間抜けを通り越して滑稽なのは言わずもがな、前川元文部科学省政務次官も、天下りの斡旋で省を解雇されながら詭弁を弄し続ける姿を国民にさらけ出しているのは間抜けとしか言いようがない。
 辞任に追い込まれた稲田防衛大臣の一件は、安倍政権の政事家として一番未熟な一角が陥落してしまったということだろう。
 かといって、野党最大勢力である民進党も、支持率が低迷し、党首があまり利巧すぎて陥落してしまったわけだから、不幸中の幸いと言えるかもしれないが、安倍政権を正し(フェイクニュースによる偽善などによってではなく!)、国民の受け皿となる、日本の立場に立った政治勢力がいないことはやはり不幸であろう。

 筆者は安倍首相の歴史的立場というものは、幕末「最後の将軍」徳川慶喜に近いと考えている。慶喜は水戸徳川家の貴公子で、水戸家の尊王の藩風を継ぎながら、政権としての末期的症状を見せていた幕藩体制の頂点に立つ将軍職を継いで、幕威再興と朝廷との融和関係を堅固にしようとした。彼は敵からは「家康公の再来」とか、「譎詐権謀の人」とか言われて恐れられたが、味方からは「百才あって一誠なし」ともいわれるほど、才識豊かな人物であった。そして、その才識によって、確かに一時は幕威を回復する勢いを見せたのである。
 その勢いを失わせたのが、外的要因としては長州と結んで、理(条理・道理)を断固推し進めていく、翁を中心とする薩摩藩の首脳部の覚悟であり、内的要因としては藤田東湖のかつての門弟で将軍の懐刀であった原市之進を幕臣の手によって暗殺されてしまったことであった。

 筆者は、慶喜は一誠ある人物、それも芯の通った「真誠」を持つ人物であったと見ている。
 あの困難な状況にあって、水戸家の先祖である光圀以来の家訓、すなわち朝廷と徳川家が対立した場合は朝廷に味方せよ、との遺訓をよく守ったのだ。
 その「真誠」が大政奉還に現れ、恭順による江戸城無血開城に帰結した。これを見た時、末期の徳川幕府というものは腐敗臭を放っていたとしても、やはり「腐っても鯛」であったのだと思わざるを得ない。筆者の理解では、確かに神祖と呼ばれた徳川家康は「狸親父」などではなく、独自の天道思想に則って天下を治めた、立派な「鯛」なのである。

 戦後の保守政党である自由民主党が「鯛」であるかどうかわからない。
 憲法改正という結党の理念は間違ってはいないが、これを脇において、戦後の高度経済成長の中でうまく立ち回ってきたことはかなり早い段階から腐敗臭を放っていたといえるだろう。
 その中でも、戦前の革新官僚で、満州国の経済政策にも携わった岸信介は、憲法改正を宿願とするいわば「鯛」であった。首相とはなったものの、憲法改正の宿願は叶わなかったが、孫である安倍首相にそのライフ・ワークは受け継がれた。
 自由民主党が「腐っても鯛」であるとするならが、安倍首相はいわばその「鯛」であることを貫徹しうる貴公子である。おそらくその歴史的使命を果たしうる自民党唯一の貴公子と言っていいのではないだろうか。反日勢力は安倍首相以外の自民党政事家を恐れていないようだから、その存在はやはり際立っているとしか言いようがない。

 才識豊かで、特に外交に優れた能力を持つ安倍氏は、ナショナリストとして歴史修正主義者のレッテルを貼られて、政事を才識に任せる戦略を採らざるを得ず、経済政策や移民政策などでグローバリズムを容認して、わが國體を危機に晒す、危うくて見て居られない部分があり(戦後七十年談話や慰安婦合意以来、それに覆われてしまっているかの観がある)、その部分に関しては批判的だが、筆者はその「真誠」に期待する者である。そろそろ利巧に立ちまわるのはやめて、本来の政治信条に誠実に向き合って、「百万人と雖も吾往かん」(『孟子』)の精神に立ち返るべきではないか。

 日本が直面している危機を国民に説き、憲法改正などの意義を、トランプ大統領がやっているように、グローバリズムに突き動かされたマスメディアとの対決も辞さず、直接的に国民に訴えるべきである。それは支持率云々の精神には相反するが、それでも支持率の、それも強固な支持基盤の回復に資するはずだ。

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