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zoom RSS 天下後世までも信仰悦服せらるるものは… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十七条

<<   作成日時 : 2017/07/14 16:59   >>

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天下後世までも信仰悦服せらるるものは、ただこれ一箇(いっこ)の真誠なり。古より父の仇を討ちし人、その麗(か)ず挙げて数え難き中に、独り曾我の兄弟のみ、今に至りて児童婦女子までも知らざる者のあらざるは、衆に秀でて誠の篤き故なり。誠ならずして世に誉めらるるは僥倖の誉なり。誠篤ければたとえ当時知る人なくとも、後世必ず知己あるものなり。



(大意)天下において、また後世までも人々の敬仰を受け、心服させることのできるものは、ただ一つ、「真誠」だけである。古より父の仇を討った人は数えきれないほどいるが、ただ曽我兄弟の仇討だけは今でも児童から婦女子までも知らない者がいないほどであるのは、誠の篤さが衆に抜きんでていたからである。誠でもないのに世に褒められるのは偶然得た名誉であり、いずれ化けの皮は剥がれるだろう。誠が篤ければ、たとえ今理解者がいないとしても、後世には必ず理解者が現れるだろう。



【解説】江戸時代、赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討と並んで、日本三大仇討の一つと言われた曽我兄弟の仇討は、全国に伝わる口承伝承をまとめた軍記物語『曽我物語』(異本が多く存在する)を元に、能や浄瑠璃の題材として取り上げられ、江戸時代に入ると歌舞伎の演目として人気を博したのだという。
 史実としては『吾妻鑑』に簡素な記述があるのみで、様々な説があって詳細は分からないと言ってよい。
 
 父を殺された小さな兄弟が苦難を乗り越えて成長し、仇討を果たす話として庶民の人気を果たしたのだろう。鹿児島では「曽我どんの傘焼き」が郷中行事に取り入れられていたというから、薩摩隼人にとってはなじみのある故事だった。
 
 翁はわかりやすい例としてこの仇討を例として挙げたと思われるが、彼の内で生動していた故事としては、やはり楠木正成の誠忠こそ、本来語られるべき「真誠」の事例であっただろう。
 「誠」を重んじたのは孟子だが、「真」も「誠」も大和言葉に訳せば「まこと」である。「ま・こと」とは「こと(事・言)」とまともに、まっすぐに、真正面から向き合い、取り組むことである。その心が「まごころ」だ。
 衆に秀でた「まごころ」は天下後世の人までも心服させる。
 そうすれば、後世、それに倣う人も出てくるだろう。

 晩年の翁は南宋の学者陳龍川の文章から「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓す」との一節を好んでいたという。

 翁がその「真誠」を傾けたのは先君島津斉彬の遺志を継ぐことで、それは同じく異母兄斉彬の遺志を継ごうとした島津久光の「真誠」と一致して、王政復古討幕の偉業に結び付いた。当初は両者の勃々たる英気がぶつかり合って、感情面ではボタンの掛け違いが生じたが、義理の面で一致協力することが出来たのであるから、彼らを一致一和させたもの、それは斉彬の「ただこれ一箇の真誠」であったといえる。
 斉彬の「まこと」は国事、その不動の中心であるべき皇室の尊崇に向けられていたから、斉彬への「真誠」「まこと」はそのまま、国事、そして皇室の尊崇に向かうことになった。全てはここから割り出され、皇室を守ることこそ、武士の役割であるということに帰結した。そこから幕府の政治行動のみならず存在そのものが問題視されるに至ったのである。

 翁の「まこと」は王政復古討幕の偉業に向けられたが、それは討幕完了後の王政を起こす事業の数々、廃藩置県、正韓論、西南戦争の終結に至るまで、一切ぶれることはなかったのである。

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