西郷隆盛

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zoom RSS 人を籠絡して陰に事を謀る者は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十五条

<<   作成日時 : 2017/06/30 17:02   >>

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人を籠絡して陰に事を謀る者は、好しその事を成し得るとも、慧眼よりこれを見れば醜状著しきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば、英雄の心は決して攬(と)られぬものなり。


(大意)人をまるめこんで、陰謀を事とする者は、仮にそのことが成功することが出来たとしても、物事の本質や真実を見抜く眼力を持つものから見れば、醜状著しく映るものだ。人事を推し進めるにあたっては公平至誠を心がけよ。公平でなければ、英雄を心服させることはできないものだ。


【解説】巧みに言葉を操り、うわべだけの態度を装う人間には少ないものだ、仁は(巧言令色鮮し仁)。

 そういった巧言と令色を持ち味とする人物が、人をまるめこんで、自己の目的を達成できたとしても、物事の本質や真実を見抜く眼力を持つ人物―英雄―までだまし切ることはできない。至誠公平の心で人事を尽くせ。そうすれば、英雄を心服させ、自己あるいは自己の属する組織・党派の利害を超えた大事業が推し進めることが出来るのである。

 党派の利害を超えて、翁に心服した英雄と言えば、まずは、幕臣でありながら、翁に心服し、江戸城無血開城という国家的大事業を共に成し遂げた勝海舟が思い当たる。
 戦後の日本人に最も人気がある維新のヒーローと言えば坂本龍馬だが、人物の重さという点で、あるいは身分や立場を超えた見識という点でも、あるいは成し遂げた仕事の大きさという点でも、龍馬の師匠でもあった勝の方がどうみても大人物である。

 勝は『氷川清話』で、翁に対する称賛の言葉を惜しまず、様々な逸話を語っているが、翁のこの遺訓の趣旨を、逆の立場、すなわち心を攬(と)られた立場から同じことを述べているので、一つだけ引用しておくことにする。

「根気が強ければ、敵も遂には閉口して、味方になってしまうものだ。確乎たる方針を立て、決然たる自信によって、知己を千載の下に求める覚悟で進んで行けば、いつかは、わが赤心の貫徹する機会が来て、従来敵視していた人の中にも、互いに肝胆を吐露しあうほどの知己が出来るものだ。区々たる世間の毀誉褒貶を気に懸けるようでは到底仕方がない。
 そこへ行くと、西郷などは、どれほど大きかったか分からない。高輪の一談判でおれの意見を通してくれたのみならず、江戸全都鎮撫の大任までを一切おれに任せておいて少しも疑わない。そのほかむつかしい事件でも持ち上がると、すぐにおれのところへ負わせかけて、勝さんが万事くわしいから宜しく頼みます、などと澄まし込んで、昨日まで敵味方であったという考えは、どこかへ忘れてしまったようだった。その度胸の大きいには、おれもほとほと感心したよ。あんな人物に出会うと、たいていなものが、知らず識らず、その人に使われてしまうものだ。小刀細工や、口頭の小理屈では世の中はどうしても承知しない。」

 これが心を攬られた英雄側の言い分である。

 ついでに龍馬の方も見ておこう。
 師匠である勝がしきりに西郷の人物を称賛するものだから、紹介状を書いてもらって薩摩藩邸に西郷を訪ねていった龍馬が「西郷は大鐘のような男だ。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」との名評を残したことはよく知られているが、以後、彼は翁に心服してやまなかった。
 
 彼は暗殺される三ヶ月前、同じ土佐藩の上士佐々木高行に次のように書いている。

「まず西郷、大久保越中(一翁)のこと、戦争中もかたほ(片頬)にかかり一向忘れ申さず、もしや戦死をとげましても、上許両人の自手にて唯一どの香花をたむけくれましたならば、必ず成仏致しますことすでに決論の処であります。」

 龍馬の心服ぶりが窺えるくだりである。
 ではなぜ龍馬は西郷に心服したのか。
 
 薩長の盟約実現に龍馬が奔走する過程で、翁と交流を重ねる中で心服するようになったのだと考えられるが、その盟約実現の二日後、伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受け、龍馬と長州藩士三吉慎蔵はけがを負ったものの乱闘の末脱出に成功し、かろうじて伏見の薩摩藩邸に避難することができた。翁は龍馬らを京の薩摩藩邸に匿うことにし、その移送の護衛のため英国式小隊一隊と医者を派遣したという。

 この時のことを龍馬が後に土佐にいる兄権平に報告した手紙には次のようにある。

「この時うれしきは、西郷吉之助(薩州政府第一の人、当時国中にては鬼神と云われる人なり)は伏見の屋敷よりの早便より大気遣いにて、自ら短銃を玉込(たまごめ)し立出(たちいで)んとせしを、一同押留てとうとう京留守居吉井幸助(幸輔)、馬上にて士六〇人ばかり引連れ、迎えに参りたり。」

 翁が同志として龍馬をいかに大事に思っていたかがわかる一方で、龍馬の方もまた、そこまで自分が大事にされたことに感激している。
 また、彼の亀山社中の活動は翁らの支援、物的のみならず精神的支援の下で行われていたことも同じ手紙の次のくだりからわかる。

「私、唯今、志延べて、西洋船を取り入たり、また打破れたり致し候は、元より諸国より同志を集め水夫を集め候えども、仕合せには薩州にては小松帯刀、西郷吉之助などが如何程やるぞ、やりて見候えなど申くれ候つれば、甚だ当時は面白き事にて候。どうぞどうぞ昔の鼻たれと御笑遣られ間じく候。」

 これもまた、心を攬られた別の英雄の言い分である。

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