西郷隆盛

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zoom RSS 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第三十条

<<   作成日時 : 2017/05/26 16:51   >>

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命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。されども、かようの人は凡俗の眼には見得られぬぞ、と申さるるに付き、『孟子』に「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」と云いしは、今仰せられし如きの人物にや、と問いしかば、いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬなり。


(大意)命もいらない、名誉もいらない、地位もいらない、金もいらない。そんな人間は始末に負えないものだ。そんな始末に困るくらいの人間でなければ、艱難を共にして、国を興すというような大業は成し得ることができない。だが、そのような人物は世俗の凡人の眼では決して見抜くことが出来ないものだ。翁がそう申されるので、『孟子』に「広々とした天下を住処となし、天下の正位置に立って、大道を踏み行なう。志を得れば民とともにこれを行い、志を得なければ独りでその道を踏み行なう。富貴も彼を頽廃させることはできないし、貧賤も心変わりさせることはできないし、武威を以てしても屈服させることはできない」とありますが、今仰せられたような人物のことをいうのでしょうか、と問うと、いかにもその通りである、道に立った人でなければそのような気象は生まれないものだ、とお答えになられた。


【解説】これは戦後的価値観に対するアンチテーゼだ。人間は命が大事だし、金も地位も名誉も欲しい。それは人間の本性に根差した感情であり、それ自体は決して否定すべきことではない。全否定してはむしろ人間社会そのものが壊れてしまう。
 だからここで翁が推奨している人物は社会の非常事態に求められる人材であって、日常を生きることに満足している人々にとってはむしろ邪魔で目障りな存在ともなろう。しかし、治にあって乱を忘れず、との先人の教訓から言えば、国家的事業にとっては必要欠くべからざる人材ということになる。
 戦前戦中は国家社会主義が蔓延し、同調圧力によって、そういった価値観が一般の人々にまで強制された上、無残な敗北を喫した経緯から、日本人のトラウマになってしまったが、常識さえ取り戻せば、そういった価値規範を忌み嫌うのではなく、日常生活の場から敬して遠ざけるぐらいの意識を持つべきものだろう。
 
 戦後とは、命・名誉・地位・金を積極的に肯定することによって成り立ってきた社会である。戦後の繁栄を謳歌してきた日本人が、翁のこの言葉を全面的に肯定することが出来ないのも無理はない。
 もちろん明治維新以後、戦前までの社会においても、こういった戦後的価値観は広く行き渡っていたが、少なくともこういった英雄的な無私の精神を尊ぶ謙虚さだけは、一般社会に良識として保たれていたように思われる。
 戦後的価値観を絶対化することの矛盾は、そういった日本の近代が、翁が言う始末に困る人々によって切り拓かれてきたという歴史の皮肉であろう。吉田松陰のような無数の始末に困る人が現れなければ、維新の大業が成就されなかったことは否定の仕様のない事実なのである。
 ということは、彼らがいなければ、その後の日本の目覚しい発展もありえず、それは行き着くところ、世界規模における白色人種による有色人種の植民地支配が完成して今日にまで及んでいたであろう、ということである。
 
 この始末に困るという表現は、もちろん通常社会に生きる人間から見てということであるが、通常から非常へ、時代状況が変われば、歴史は劇的に、これらの価値規範にその所を変えることを要求する。
 今、我々が維新史を振り返ったとき、始末に困る人々はかえって、黒船来航という非常時であったにもかかわらず、いつまでも通常時の価値観に泥んで、それを棄て切れなかった人々であった、という事実に突き当たらざるを得ない。王政復古派は因循という言葉で、彼らを非難した。
 そういった歴史のダイナミズム、時代状況に応じた価値の転換を踏まえて、初めて翁のこの言葉も、今の時代、ようやく生気を回復するのではないだろうか。
 時代は確実に、非常の時代へと突入した。昨今の国際情勢はそのことを我々に突き付けている。朝鮮半島をめぐって東アジア情勢は緊迫の度合いを深めているのだ。我々もまた戦後的価値観に泥んで、始末に困る人々を指して、因循と非難すべき時代を迎えたのである。

 さて、この条は翁の遺訓の中でも有名な言葉であるが、翁自身がそういった人物であったといっても差し支えないだろう。島津斉彬は、松平春嶽に対し、翁のことを薩摩藩の大宝であるが、独立の気象が強く、自分でなければ手綱が執れない、と紹介しているし、島津久光との確執も、薩摩藩における勤皇運動の一致一和を目指した彼が、翁の「勤皇道楽」を持て余した結果生じたものといえなくもない。
 かつて坂本龍馬が、翁を釣鐘になぞらえて、「大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る」と評したことがある。これに感心した勝海舟が「評するも人なり、評されるも人なり」と書き留めたことで今日まで伝わっている名評だが、翁を知るにはどうしても大きく叩く必要があるのである。
 翁は学問をする上での気構えを論じた遺訓の三十六条で、「聖賢に成らんと欲する志」を持て、という趣旨のことを述べているが、これは歴史を見る眼にも通ずる。古人あるいは古の事跡からそれなりのものを学ぼうとすれば、こちらにもそれに見合った心構えが求められるのである。
 そういった眼で巷にあふれる歴史書を眺めてみると、こういった気構えで書かれた歴史の何と少ないことか。凡庸な歴史学者の書く歴史は単なる史料の索引の域を出ないものが多いし、作家の描く歴史も、世に阿るか、独りよがりの独善的なものが多い。

 もちろん翁自身が、命も、名も、官位も、金も要らぬ人であると同時に、聖賢に成らんと欲する志を立てていた人である。
 翁は、朱子と同時代の儒者陳龍川の諸葛孔明論の一節「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓す」を好んでいたという。
 その翁の事業を理解するには、それだけの気魂、気概を要するだろう。
 それは、翁が好んだ『孟子』の言葉で言えば、「浩然の気」である。

 「浩然の気」とは何か。

 孟子は言う。

 言い難し。その気たるや、至大至剛にして直く、養いて害(そこな)うことなければ、すなわち天地の間に塞(み)つ。その気たるや、義と道とに配す。これなければ餒(う)うるなり。これ義に集(あ)いて生ずる所の者にして、襲いて取れるに非ざるなり。行い、心に慊(こころよ)からざることあれば、すなわち餒う。

(『孟子』「公孫丑章句上」)

 訳せば次のようになろう。

「それはなかなか説明しにくいものだ。その気はこの上なく大きく、この上なくつよく、しかも真っ直ぐである。それを傷つけることなく養っていけば、天地を蔽うほどのものになる。その気は義と道と共に在るもので、それがなければ飢えて萎縮してしまう。それは義に集まって生じて来るもので、外部から奪い取ってくることの出来ないものである。心に疚しいところのある行いがあれば、飢えて萎縮してしまうものなのである。」

 心に疚しいところのある行いとは、簡単に言えば、私欲によって曲げられた行いということである。 つまり「浩然の気」とは、誠心を養分に、義と道を根幹にして、天地を蔽うほどに育った大樹のような気魂のことである。
 
 『西郷南洲遺訓』によれば、南洲翁の「命もいらぬ、・・・」の言葉を聞いた庄内藩士は、すかさず「孟子」を連想し、「孟子』に「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民とこれに由り、志を得ざればひとりその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」とありますが、今仰せられたような人物でしょうかと問い質すと、翁は「いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬなり」と答えたという。
 両者が打てば響くように、ともに『孟子』の言葉を思い浮かべた、というのは決して偶然ではないのだ。翁と庄内藩士のこの問答を成り立たせている、当時の士族階級全般に行き渡っていた儒学的教養、道の学問という前提がなければ、明治維新も成立し得なかったということに思い当たらざるを得ない。
 
 個人主義・人権の名の下、私欲を肯定し、また合理主義の名の下、価値相対主義に陥り、義の実践と道という形而上観念の廃れた戦後に、翁が見失われてしまったのも無理はない。凡俗に阿り諂うことで商売をしているマスメディアで取り上げられる西郷像も現代的な価値観で捻じ曲げられた、あるいはねじ伏せられたものとなろう。
 その観点から言えば、以前より少しマシになったとはいえ、現在も、日本文明の伝統に基づく本質的改革をなす上での前提条件が欠けている、という点では変わりがない。

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